第10話 誘拐
地獄のような食事を終えて睡眠を十分にとったホープたちの関心は、今後の方針に向けられていた。
シュノンの案はこのまま先に進むこと。対して、ホープは一旦シティに戻るべきだと反論した。
一度、メカコッコに姫様を診てもらうべきなのだ。ホープは多目的使用が可能なアンドロイドではあるが、やはり専門家のお墨付きは貰っておくべきだ。
そう主張すると、対面席に座るシュノンはむっ、と反感を携える眼差しを送り返し、
「そんなにあのニワトリがお好き!? 戻っても無駄足だよ! それに、バルチャーやあのサイボーグだっているんだよ? 絶対無理だって」
「ですが、アースガルズ、ヘイムダルの件も含めてメカコッコに報告するべきです。彼はドロイド工学だけでなく様々な分野に精通したスペシャリスト。彼なら有用な手立てを考えてくれるかもしれません」
「でも道中ベリーハードなんだってば! 次にあれから逃げ切れる自信ないよ? それともあなたが運転してくれる? 教習所紹介しようか? 仲介料もらいたいし」
「教習所など今の世界に存在するはずが」
「ないに決まってんでしょうが察しの悪いドロイド! 皮肉よ!」
昨日の感動を返してほしい。ホープは思考ルーチンに言葉を乗せ、プロトコルへと転送した。
シュノンは不機嫌な様子で腕を組み、そっぽを向いている。機嫌がいい時と悪い時のギャップが非常に激しい性格だ。薄々勘付いてはいたが、こうも融通が利かないとエアーの放出の一つもしたくなるものだ。
ホープが対人コミュニケーションマニュアルに則って打開案を検索していると、傍観していたフノスが口火を切った。
「真っ向対立、というわけですか。どちらの主張も正しいように思えて、明確な問題点が浮き彫りになっていますわね」
「ノープロブレムよ! 私の方が正しいに決まってる!」
「とおっしゃるシュノンは、先の展望を見据えていない。
悠々と語るフノスの意見にホープは同意する。シュノンは無策な旅路を行おうとしているだけだった。
漠然と旅をして生活するに十分な物資を回収し、物々交換しながら世界を旅する。それがシュノンの目指すビジョンだ。反して、ホープの目的は違う。
「何がどこにあるかわからない回収業を行う前に、情報整理するべきだ、と私は言っているのです。まずは姫様もシティへ――」
「だから!」
「お待ちになって、シュノン。ホープ、あなたのビジョンもまた不安要素が残っているのでしょう? 謎の敵とテスタメント。それにバルチャーファミリーというギャングもどき。それらの存在が障害になって、シュノンは素直に賛成できないのですわ」
「それはわかっていますが、しかし」
フノスの言葉は的を射ている。しかし、妥協するわけにはいかない。マスターが残してくれた座標データはアースガルズ一か所ではない。ヘイムダルが言っていたように、他の避難シェルターが存在する可能性は十分残っており、また重要な施設を発見する可能性もある。
かつてのマスターは、無駄なデータを自分にインストールするような人物ではないのだ。
そのため、今一度メカコッコと情報の共有を図りたかった。彼なら素晴らしいアイデアを思いついてくれるかもしれないのだ。自分より世界に詳しく、シュノンよりも専門知識は豊富だ。
だが、そんなホープの感情データを知る由もなくシュノンは口答えする。
「しかしもおかしもないよ! 絶対に反対だからね、私は!」
「では、どうすると言うのです! ゴミを探して世界をぶらぶらと散策するのですか!」
「いいじゃん! それがずっと私のやってきたことだし……」
「ですが、廃品回収業はいずれ破綻する運命にあると聞き及んでいます。それが今のタイミングだったらどうするのですか!」
「心配してくれてありがとう! 超感謝します! でも、ノーサンキューだよ!」
「シュノン!」
「ホープ!」
終いには互いの名前を呼び合い睨み合った二人だが、そのやり取りを見てフノスはおかしそうに笑った。笑い声で眉を寄せ、ホープとシュノンはお姫様を見る。
「うふふ、ふふふっ」
「何よ」「どうかなさいましたか?」
「おかしいですわ。口論しながらも、別々に向かうという選択肢がないのですもの」
ホープとシュノンは互いに視線を交わした。
「だって相棒だしね」
「それは、はい……」
ホープは議論を交わせど、シュノンと別行動するという案は思考ルーチンに乗せていなかった。シュノンもシュノンで、別れるという選択肢は用意していない。
ホープにとってシュノンは友達で仲間であり、マスターなのだ。だからこそ、自分を信じてもらいたい。いずれ廃品回収業は破綻する。パーツを回収してもレストアできなくなる。その前に、共和国の技術を取り戻しておきたかった。
――シュノンのためにも。
「あなたと口論を交わすのは、本意ではありません」
「そりゃあ、私だって別に口喧嘩したいわけじゃ……。でも、今度の相手ばかりはヤバいわけで」
シュノンが気まずそうに述べる。目下の問題はガスマスクの男だ。あれとはまともにやり合っても勝ち目がないのは事実。ホープ単独ならまだしも、シュノンとフノスを守りながら勝つ自信はホープにもなかった。戦術シミュレーションの結果も芳しくない。
そも、あの男の素性はおろか、戦闘目的すら不明である。テスタメントを引きつれていた以上はあの男もゼウスの配下である可能性が高い。
だが、なぜ、どうして、どうやって。自分に辿りつき、ヘイムダルを殺したのか? 何が狙いなのか。そこがわからない。量子演算を持ってしても。
(衛星ネットワークが存在しない以上、私をピンポイントで発見するのは不可能なはず。ですが、あの男は――)
――見つけたぞ、H232。
ガスマスクの男はそう呟いて、プレミアムの突進を片手で止めた。テンペストのチャージ射撃を刀で切り裂きもした。凄まじいスペックである。シュノンが委縮してしまうのも無理はない。
「少々頭を冷やした方がよろしいのでは? お二方」
ホープが思考ルーチンをフル回転させ、シュノンも難しい顔をして思索に耽っていると、フノスは突然立ち上がって二人に呼び掛けた。
「姫様?」「姫さん?」
「
「でしたら、私が護衛を……」
ホープの立候補をフノスは一蹴する。本末転倒ですわ。そう前置きして。
「ホープ、あなたはアイデアをまとめてくださいまし」
「じゃあ私が」
「シュノンも、大丈夫ですわ。
「何が大丈夫か全然わかんないってば」
「これもあります。平気ですよ」
フノスはシュノンに取り合わず、ドレスをまくって太もものホルスターを露出した。そこにはシュノンが護身用としてプレゼントした拳銃が収まっている。姫は銃器の扱いがお手の物だ。平民の区分には軍人も含まれるので、治安維持軍の一般兵よりも、王族は強くなければいけなかった。
「
「それはもちろんです」
「でしょう? では、ごきげんよう」
フノスは一礼すると、笑顔のまま部屋を後にする。
不安に感情アルゴリズムを乱したホープは、小難しい顔のシュノンと目を合わせて同時に息を吐いた。
※※※
フノスの笑顔は絶えない。例え、異臭を放つ民の前に立ったとしても、顔をしかめることはない。
王族は優雅であり、気品を持ち、民の手本となるべき存在だ。まだ幼いため未熟な部分はあれど、彼女は常に国民の見本として立ち振る舞ってきた。
国民に人間とは斯くあるべし、と伝える教本として。
だが、結果として指標である自分だけが生き残ってしまった。不運と不幸が重なり、悲劇的な末路を迎えてしまった。それでも、ホープやシュノンという素晴らしい者たちに救われたため、こうして今も息を吸っている。
なら、もはや王族と言うくびきを脱し自分というひとりの人間ができることをすればいい。フノスの苦悩は何の変哲もない普通の少女によっていとも簡単に取り除かれた。
(あのような方こそ、
健康的な笑顔を振りまいて、村の中を進んで行く。今はホープとシュノンという二人が冷静に考えをまとめる時間を作る必要がある。既に代理案はフノスの中に浮かんでいたが、これは二人が考えるべき事柄で、第三者である自分が口を挟むべきことではない。そうフノスは思っている。
他者に教えを乞うだけではなく、己で答えを創造するのも時には必要だ。
(二人なら、ベストな考えを導き出すことでしょう。楽しみですわ)
期待を寄せながら粗悪な住宅や建物を見物していると、不意に邪悪な感覚が脳裏を奔る。
――強烈な憎悪と怒り。復讐の権化とも言える、邪な感覚。
「この心理光の輝きは……!」
他者に恐怖を与える漆黒。世界を呑み込んだ深淵が、近くで怒りを滾らせている。強大な闇は全てを染めて、自分色に世界を染め上げるのだ。フノスと国王、オーディンとプロメテウスエージェント、そしてヘラクレスはその邪な存在を感じ取り、世界を救おうとした。
そして、全員が呑み込まれたのだ。あの時と同じ感覚が、身体を抉っている。いや――。
「あの時より強い? 狙いはホープですわね」
闇が最も忌避するもの。それが希望の光だ。邪悪な光の持ち主が、ホープを狙っているのは明瞭だ。フノスは急いで二人に警告をしようと方向転換する。
そして、その男と鉢合わせた。漆黒の鎧に身を包む、ガスマスクをつけた機械男に。
「姫殿下……逃がしはせんぞ」
「逃げも隠れもしません」
怖じることなく拳銃を抜き取り、構える。装甲は強固なようだが、いくら堅牢な防御を持っていたとしても弱点は必ず存在する。他者の存在を感じ取る黄金の種族であるフノスならば見破ることなど容易だ。
ゆえに怖じず、敵のあらゆる部分を目視する。だが、男には全く隙がなく明確な弱点も窺えない。何より恐ろしいのはその気配だ。
戦うために生きている。そんな感覚がフノスを満たす。
(なるほど、シュノンが怖じるわけです。……今のホープでは厳しい相手)
全盛期のホープなら問題なかったかもしれないが、今の性能低下したホープでは難しいだろう。
それにこの見立てはあくまでスペックに言及したものであり、男当人の戦闘力は計り知れない。それこそ対峙した者によって印象はがらりと変化する。
シュノンは畏怖を。ホープは警戒を。
そして、フノスは希望を見出す。
「狙いは
「現段階では、そうだ」
緊張の面持ちをしながらも、心の中では安堵している。男の狙いがホープでもシュノンでもなく自分であることに。
ならば今すぐにでも無策に等しい発砲をし、殺されてしまえば二人は異変に気づいて逃走をするはずだ。いくら優しい彼女たちでも死体のために命を張るとは思えない。
そう達観し、フノスが引き金を絞ろうとしたその瞬間――。
「止せ」
「なぜですの? あなたは
「来い」
男が誰かを呼び、別の男が姿を現す。
その男は既知の人物だった。フノスを襲い返り討ちにされた男。その男が震えて涙を流している。機械男にフノスの居場所を露呈したのはこの男であるということは想像に難くない。
機械男はピストルを取り出し、銃口を男に向ける。男は呻いて、縋るような眼差しをフノスに向けた。
「その殿方がどうかされまして?」
「お前が撃てば、この男を殺す」
やはりというべき脅迫を機械男は突きつけてくる。普通の人間が相手なら、それこそ一般人ならば軽くあしらう脅しだろう。誰が好き好んで自分を襲おうとした暴漢のために命を投げ出すと言うのか。バカバカしいにもほどがある。
だが、相手が王族ならば別だ。平民の方が王の命よりも重い。そう考える王族ならば。
「……なぜ、
「お前なら従う」
男が発したのは回答ではなかったが、事実だった。
今のフノスに従わないという選択肢は残されていない。なぜなら平民の命が懸っているから。それが王足るものの
構えていた拳銃が地へと落ち、身に宿る闘志も消滅する。
それを見て取った機械男はピストルを仕舞い、フノスの元へ歩み寄った。
「王族としてふさわしい高潔な判断だ、王女殿下」
「…………」
フノスは男が接近する間際、震える男を見下ろした。彼は信じられないもの見る目つきでフノスを見上げている。初めてだったのだろう。無益な救いを享受したのは。
ゆえにフノスは優しく諭した。微笑を浮かべながら。
「これがかつての世界を満たしていた優しさですわ。どうか、お気になさらずに。これは
「ご同行願おう、姫」
機械男が左手をフノスの頭に乗せる。瞬間、彼女の意識が断裂した。
※※※
「……何でこんな単純なこと思いつかなかったのかしら」
「全くです。どうしてこんな簡単な答えを……」
シュノンに同意しながらホープは項垂れる。非常にシンプルで子どもでもすぐに思い当たりそうな妥協案だ。
謎の機械男を回避して、シティへと安全に帰る方法――。それは、迂回して時間を掛けながら進むと言う至極単純なものだ。この案なら、途中で何か廃品も見つかる可能性があった。
ホープはフェイスを赤らめて、目を伏せるシュノンを見つめる。多次元共感機能とサイコメトリックスはホープとシュノンの心理状態を同一と測定した。
冷静であればすぐにでも思いついたこと。というより、ホープの思考ルーチンにはかなり前に提案されていた。感情アルゴリズムを優先して、見落としていただけだ。
まさにヒートアップして大事な物を見落としていた人のように。人と同じミスをすることは、
「だからお姫さんは余裕だったのね。というか言って欲しかったよ」
「姫様は人を試す癖があるのです。自分で答えを思いついていても、必要でなければ口にしない……」
その性格で何度感情アルゴリズムを乱されたことか。ホープはエアーを吐く。
シュノンはまた身の毛もよだつ悪態を吐いて、ホープはソナーを起動させなければならなかった。すぐに安堵する。姫様は近くにいない。
「良かった……。姫様に聞かれたらどうするのです」
「別に私はインシツな陰口なんて叩かないからね。気に入らなかったら堂々と指摘するし」
「なおさら
シュノンは良くも悪くも正直者で、自分の気持ちを素直に吐露する。映画から得たと思われるフィクションの世界で赦される発言の数々はホープの言語中枢を刺激し、解析能力をアップデートしてくる。
これらの言葉もまた孤独だった彼女なりの強がりとは思うので、ホープも指摘できないでいた。いずれは直す必要があるだろうが、今はいい。
今、するべきことはシュノンの矯正ではなく――。
「姫様を迎えに行ってきます。シュノンは身支度を。エイトを頼みますね」
「オッケー。下手したらあいつら追ってくるかもしれないしね」
シュノンが請け合い、ホープはドアへと歩む。
そしてセンサーが接近する生体反応を捉えた。既知の反応だ。昨日、姫様を襲った強姦魔。
「お下がりを。また昨日の男が来たようです」
「嘘でしょ。しつこいお天道様だ」
エイトを撫でていたシュノンはリボルバーに手を伸ばし、ホープもライトアームをスタンモードへ切り替える。
拳を構え、迎撃態勢を整えた刹那、男はなだれ込むように部屋へと押し入り、
「お、おい! あんたら!」
「忘れるんじゃなかったの? 記憶力のいいハゲおっさん!」
「違う、違うんだ! 話を聞いてくれ!」
「発言を許可します。どうぞ」
男のあまりの剣幕にホープが促す。男は衰弱し、息を荒くしながら、ホープたちに訴えた。
「あの女だ。あの女が……!」
「まさか、姫さん?」
「また姫様に手を出したと言うのなら……」
ホープが拳を力強く握りしめる間にも、男は必死で捲し立てる。
「ち、違う! 違う! あの女は俺を助けてくれた! あの女、女は……!」
「お姫さんがどうかしたっての?」
疑心交じりのシュノンの問いに、男は何度も頭を縦に振りながら応えた。
「ガスマスクの男に、連れ去られた……!」
※※※
テラフォーミングを終えた火星の景色は、とても美しかった。
幼き頃を過ごした故郷。地球に比べれば過酷ではあるが、自分には耐えられた。
地球とはまた違った独自の生態系が生まれ、また人々のカタチも微妙に変化した。地球生まれの人間よりも火星生まれの人間は優れていた。
オーディンが
多くの人々がその可能性に夢を見ていた。それをひとりの男が破壊した。
まさに神の天罰であるとも、多種多様な人間が進化するのを阻みたかったとも。
単純に、嫉妬だったとも言われている。
「ここは……」
「目覚めたか」
フノスは広大な空間の寝台に寝せられていた。
横には壮大だが、酷く悲しみをもたらす眺めが広がっている。死者の王国。大量の棺には未来に命運を託した者たちの亡骸が横たわっていた。
彼らは自分よりも安全に生き延びられるはずだった。なのに、生きているのは自分ただひとりだ。
「くっ……」
「奴らは当然の報いを受けたのだ」
哀しみに苛まれるフノスに、男は臆面なく言う。
「何を……!」
フノスは身を起こして左腕に痛みを感じた。注射針を指した跡がある。近くのテスタメントが血の入った注射器を所持していたので、推測は容易だった。
「
「お前が知る必要のないことだ、王女殿下」
そう即答するや否や、男はフノスから離れていった。フノスは口元に手を当てて黙考する。一体男の目的はなんだ? と。
テスタメントはなぜ今も活動している? 訂正、なぜ今になって活動を再開した? ゼウスは生きている? 彼の計画はまだ終わっていない?
疑問が洪水のように溢れて、フノスは呑み込まれていく。そこをモーセが大海を割るように歩いてきたのが機械男だった。
「……これは?」
男はフノスの問いかけに答えず、カップを手渡す。中身は紅茶だった。
香りを嗅いだだけでどこが産地かわかる。――火星産の紅茶だ。
「……」
「毒物は入っていない。お前にはわかるはずだ」
一口含む。男の言う通りだった。
察するに、アースガルズ内の保存食料に含まれていたものだろう。だが、それでも疑問は残る。
「どうして、
男は答えない。フノスは質問をぶつける。
「なぜ、
男は無言。フノスはさらなる問いかけ。
「あなたは一体何者ですか」
「お前を殺し、希望を絶望で塗り潰す者だ」
男は殺意を滾らせて応じた。ガスマスクの内側は窺えないが、強烈な眼光は見る者の心を抉る。
だが、フノスは怖じない。希望は今も存在している。
ゆえに凛然と言葉を放った。失策だ、と。
「だとすればしくじりましたわね。ホープはもう遠くへと逃げました」
「いいや、奴は必ず来る。お前を救いにな」
「どうしてわかるのですか」
「感じるのだ。奴の気配を」
男は左手を握りしめた。ホープの心理光や発信コードは一部の人間しか感じ取ることができないよう設定されている。フノスですら、彼女を感じ取ることは不可能だ。
なのに、男は感じるという。ホープを信じてすらいる。一体なぜ――?
「なぜです。あなたはホープを知っているのですか」
「知っているとも。あの男のアンドロイドだ。俺が是が非でも殺したかったあの男を、もう殺すことはできない。ゆえに、俺は奴の遺産を抹殺する」
その言葉で、フノスの脳裏にひとりの人物が浮上した。疑惑の瞳で、その名を呟く。
「もしや……アレス……?」
「アレス様」
裏打ちするようにバトルドロイドの一体がアレスの名を呼んだ。アレスはテスタメントに催促する。
「報告しろ、コマンダー」
「ハッ。……例のアンドロイドが現れました」
フノスは絶望を、アレスは希望を抱いた。両者が異なる反応をみせる。
「っ、なりません!」
「ご苦労だった。警戒を怠るな」
テスタメントが敬礼し、持ち場へと戻っていく。
アレスは再度フノスを見下し、満足げに音声を出力した。
「俺の言った通りになったな、姫。この場で希望を打ち砕いてみせよう」
戦神が戦へと、死の音を響かせて歩み始める。
※※※
「こんな形で逆戻りするはめになるとは」
「申し訳ありません、シュノン」
アースガルズの入り口前で、ホープはシュノンに謝罪した。シュノンはいいって、と手を振りながらも表情は硬い。
ホープも決死、いや決生の覚悟を決めてテンペストを携えていた。
「サイボーグとの対決は避けられません。覚悟はよろしいですか?」
「よろしいってことよ、ホープ。お姫さんを助けて、武勇伝を広めてもらうんだから」
「本当に危険ですよ?」
「大丈夫だって。ちょっと怖くはあるけど」
ホープの再三の警告をシュノンは受け流し、サブマシンガンを鳴らした。ホープの背中にアサルトライフルを背負っている。ホルスターにはピストルも。シュノンもスリングでライフルを固定し、リボルバーを腰に収めていた。
「あくまで目的は勝つんじゃなくて、フノスを助けることなんだから。たぶんどうにかなるよたぶん」
緊張のせいか、シュノンは二回もたぶんと漏らした。
「そうですね。どうにかしてみせましょう」
ホープが気遣うように意見を合わせて、アースガルズのコンソールにコマンドを入力する。
無骨な音を立てて自動ドアが開いた。ホープとシュノンは目配せして、ゆっくりと死者の王国へ足を運ぶ。
「待っててね、姫さん」
「すぐに救出します……!」
囚われのお姫様を救う騎士のように。
※※※
あれほど凛とした女には会ったことがない。麗しい容姿だけでなく、心も高潔で、毅然とした態度を取れるお姫様には。
男は呆けた表情で虚空を見つめていた。自分を救った少女に想いを馳せている。
あれは、自分を見殺しにしても何らおかしくない状況だった。自分はあの少女を襲ったのだ。非情な宣告を受けても、何の文句も言えない。それがこの世界だ。
デジタルアーカイブに保存された映画では、ご丁寧に悪党のセリフを最後まで聞くキャラクターたちがいた。だが、現実には悪党の胸糞悪い意見を聞く奴も、同情して救いの手を差し伸べる女神などもいやしない。
そう思っていた。だが、その認識は間違いだった。
例え、例外中の例外だったとしても、女神は本当にいたのだ。混沌が支配する世界の中にも、聖人は確かにいた。
それを、自分はまんまと見殺しにした。
「俺のようなクズが、今更何をしようってんだ」
独り言を漏らす。この世界に本当の意味での仲間は存在しない。どいつもこいつも自分の思い通りに生きて、何の前触れもなく死ぬ。餓死だったり、殺されたり、病死したりもする。
それが当然だった。今までは。だが、何かのきっかけでこの状況が変化すればいい。心のどこかでそう思ってはいる。自分も、みんなもバカらしい期待をほんの少しだけしている。
もし映画の中の世界のように人々が平和に暮らし、人生設計ができ、宇宙という未知のフロンティアに冒険できる機会が得られるというのなら。
少々の無茶を、昔懐かしい仁義という奴を行う価値があるのではないか。
男は考えをまとめて、酒場へと赴く。ここではクソみたいな味のする酒がアホみたいに高い物価で売られている。
それでも今の世界では重要な時間潰しだ。――そう、俺たちは生きているのではない。時間を潰しているのだ。死が迫るその時まで。でも、もしかしたらあのお姫様は俺たちに違う道を示してくれるかもしれない。生の実感を与えてくれるかもしれない。
その淡い期待を胸に、死んだ目をする野郎共を男は見回す。そして、大声で叫んだ。
「みんな、俺に力を貸してくれ! 助けたい人がいるんだ!」
酒場中の注目が男に集まる。そして、全員が失笑を漏らした。
頭がいかれちまったのか。そんな言葉が聞こえてくる。助け合いなどバカのすることだ。みんなそう思っている。クズが今更正義感ぶっても、所詮はクズだ。大勢を動かすことなどできはしない。
だが、クズなりの提案ならばどうだ?
「……残念だなぁ。一攫千金のチャンスなのに」
ぼそりと呟いた男の言葉に全員が耳を傾ける。どういうことだ? マスカキが大好きなヴェンディが代表して訊ねる。
男は笑みを浮かべて答えた。紛れもない事実を。
「近くに新品同様のバトルドロイドが群れを成してるらしい。今なら取り放題だぞ」
男の笑みが、クズ野郎共に伝播した。
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