第9話 亡国の姫君

 シュノンは椅子の背もたれにもたれかかり、訝しみながらホープと自称お姫様の会話を聞いていた。フノスはデジタルアーカイブから飛び出してきたような姿で、背中がこそばゆくなるような変な話し方をしている。

 曰く、礼儀正しいお綺麗なお言葉らしい。ありがたくて涙が出るが、一番気に入らないのがホープの態度である。明らかに、自分とは対応の仕方が違うのだ。こっちは仮にもマスターであり、パートナーだというのに。


「……なるほど。では、世界は無秩序そのもの、ということなのですわね?」

「はい。社会は形成されているものの、その規模はとても小さく、統治方法も優れた形態であるとは言えません。略奪者や暴徒がそこら中に潜伏し、いつどこで奇襲を受けるかも定かではありません。さらに……」

「カエル焼きがご馳走で、あなたが生きていた時代のお金持ち的なグッズは何一つなくて、高級の名のついたガラクタトラックで移動するしかないのよ? どう?」

「シュノン!」


 嫌味交じりにご高説差し上げるとホープが怒ったが、気にしてやる素晴らしき度量は今のシュノンに存在しない。あからさまに態度を変えやがって。恩知らずのアンドロイドめ! シュノンは心の中で悪態を吐く。

 だが、ホープとは違いフノスは怒り出すどころか、シュノンに関心を寄せてくる。くすくす笑って、シュノンに質問を投げかけた。


「あら、素敵ではありませんか。ガラクタトラックはエアカー? それとも……」

「タイヤ付きですぅ。空なんか飛びません。地面をべたべた走ります」

「それは素晴らしいですわね。マニュアルですか? それともオートマ?」


 矢継ぎ早に繰り出された質問にシュノンは目を丸くする。ホープはマニュアルとオートマの違いすら知らなかったというのに。


「え? あ……マニュアル」

「レトロクラッシックカーですか! なおさら良いですわね。王族ともなると、過去の駆動方式では危険だなんだと諫められてなかなか乗れなかったのです。……そのリボルバー、触ってもよろしいかしら」


 お姫様が次に興味を示したのは、シュノンのホルスターに収まっているリボルバーだった。ホープは眼を見開いて声を荒げる。


「ひ、姫! なりませんよ! シュノンも!」


 その意見には流石のシュノンも同意した。銃は素人が興味本位で触っていいものではない。ホープはアンドロイドであるため暴発しても死にはしないが、フノスの場合は違う。

 あれだけ手間暇を掛けて救い出したのに、銃の暴発で死にました、では目も当てられない。

 というのに、フノスは手を伸ばしてシュノンのリボルバーをひったくり、くるくる回転した。弾倉をスイングアウトして、弾薬をばらまく。そして、慣れた手つきで再装填し、窓に向かって撃発した。


実弾兵器アンティーク、久しぶりに撃ちましたわ」

「あんた、本当にお姫様?」

「王族は平民よりも優れていなければならないのですよ、シュノン」


 答えとも言えない受け応えをして、フノスはリボルバーをシュノンに返した。銃身を握り、安全装置も付けている。ホープとは全く違う、銃について最低限の知識を持った王女様。

 いや、常識があるのなら、いきなり銃をぶっ放しはしない。シュノンは考えを改めて、説教モードへと移行する。


「とか何とか言っちゃって、普通、銃を撃ったりする? 部屋の中で。宿の中で!」

「本当に問題があるのなら、ホープは必死になって止めたはずですわ。止めなかった、ということは推奨はできないものの、撃つ行為自体には問題がない」

「人に当たったら――」

「それもまた然り、ですわ。ホープは周辺状況を常にスキャンし、アップデートしてますの。もし射線上に人がいたら強引にでも銃を奪ったことでしょう。それに、宿の中で銃を撃ってはいけないという認識はわたくしも持ち合わせていますが、これはある種の実験のようなものだったのです」

「は? 実験?」


 お姫様はお上品にご説明なさる。


「ええ。わたくしが過ごしてきたメトロポリスでは銃声が轟くと、市民は必死になって逃げ隠れし、警察や治安維持軍が出動したものです。ですが、そのような執行機関が現われるどころか、平民たちでさえ逃げ惑う様子は見られません。外からも不審がる視線は垣間見れど、戦う素振りのある平民は見られない。ここにいる人々の多くは他者の生死に無関心なのでしょう」


 思う存分に解説をした後、フノスは柔らかな笑みをみせた。直感的にシュノンは理解する――私はこいつが嫌いだ、と。

 これは運命なのかもしれない。自分とフノスは敵対し合う星の元に生まれたのだ。こちらが天使であり向こうが悪魔。神であり、巨人であるのが自分とフノスと関係だ。

 シュノンが宿命を感じている横でフノスは部屋の中を身回し、問いかけた。


「そう言えば、あの方はまだ戻ってきませんの?」

「あの方? どの方? 誰の方?」


 シュノンが訊き返すと、フノスは穏やかな表情となり、


「ヘラクレスの異名を持つ高潔な騎士ですよ。プロメテウスエージェントとして名うてでした。ホープのマスターです」


 その発言は禁句である。少なくとも、シュノンはホープのマスターについて話をしないように注意を払っていた。だが、フノスはそんな事情を知らずに訊ねてしまい、明らかにホープが動揺する。


「こ、紅茶を!」

「ホープ?」

「紅茶を探してきましょう。姫様の好きな品種があるか探してきます。積もる話もあるでしょうし……」

「え、ええ。お願い」


 フノスも違和感に気付いたようで、それ以上追及せずに彼女を行かせる。ホープを見送った後、シュノンは少し怒ってフノスに言い聞かせた。


「ホープにマスターの話しちゃダメ!」

「……まさか、あの方が亡くなっているとは」


 お上品な喋り方で言い返してくると思いきや、フノスもショックを受けた様子だ。以前に聞いたホープの話や今回のフノスの反応も鑑みるに、さぞ優れた人物だったには違いない。

 だが、いくら前のマスターが英雄的存在でも、今のマスターは自分なのだ。そこのところをはき違えてもらっては困る。


「前の人がどれだけすごかったかは知らないけど、今のホープのマスターは私! そこのところはしっかり理解してよね」

「……あなたが? ホープの? マスターでいらっしゃるの?」


 疑問符を何回使う気だよお嬢さん、と指摘したい心をぐっと抑える。

 フノスは眼を見開いていたが、しばらくしてまたあの憎たらしい微笑へとお戻りになられた。ムカつくことに、とても嬉しそうである。シュノンのイライラが募る。


「それは、素晴らしいですわね」

「そうね! 超最高! アカデミー賞レベルのスーパーでハイパーでウルトラなお出来事でございましょうですわね!」

「うふふ、別に嫌味を言ったのではありませんわ。あなたはホープのことを気にかけているようですし、あそこまで親密な態度を取るホープは初めてです」

「ホープが、親密……?」


 このオレンジのお姫さんは何を言ってらっしゃるのでしょうか。平民である自分には知能がお足りにならなくて全然全くわかりません。シュノンが映画仕込みのスタイリッシュな思索を進めていると、フノスは続けた。過去に想いを馳せるように。


「以前のマスターとホープの関係はそこまで親密なものではありませんでした。信頼し、尊重し、互いを敬いはすれど、友達感覚で付き合うということはなかった。でも、今のあなたとホープは仲睦まじい姉妹のようです。あなたの嫉妬も、可愛らしいものですし」

「私は嫉妬なんてしてないよ? 全然」


 嫉妬してないアピールを身振り手振りを交えて行うが、見抜かれていることは瞭然だ。このお姫様はヒロイックファンタジーに出てくるような見た目だけお綺麗で役立たずな誘拐要員ではなく、頭もそこそこ回り観察眼にも優れている。

 さらに、銃の扱いもお手の物。スペックだけをホープにコピーしてもらいたい、と思ってしまうほどだった。


「これからも、ホープのことをよろしくお願いしますね。あの子は気丈に見えて泣き虫で、肝心なところが抜けています。戦闘面は頼りがいがあるのですが……」

「あー……それは同感。犬嫌いで泣き叫んでいたし」

「そうですわ、犬! どうしてホープは犬と共に生活できているのです? あれは犬嫌いで有名なアンドロイドでした。克服するべく多種多様のカウンセリングが行われましたが、全く効果がなかったのです」


 フノスが驚きを交えて応じる。アンドロイドの悪い面だ。人間と同じで嫌いなものをすぐに克服できない。だが、それは同時に良い面でもある。ヘイムダルは、彼女が冷えた心の持ち主だったら素直に場所を教えなかったと言っていた。

 もし犬に対しても無頓着で、冷静沈着な状態のホープがヘイムダルと応対していたらどうなっていたか? 彼は信用せず、フノスも憎たらしい笑みをシュノンの眼前で向けてなかったかもしれない。


(なんかそれはそれで複雑……)


 これならばハフールとか言うおっさんの方が良かったかもしれない。シュノンはそう考えて、ふと疑問が脳裏をよぎった。


「ところでさ、お姫様は」

「フノス、でいいですわ」

「……お姫さんは、何で一人だけ特別なカプセルに入ってたわけ? やはり、お姫様だから?」


 問いを口に出した瞬間、フノスの表情が陰った。すぐに元の笑顔へと戻り、そうですわね、と相槌を打つがシュノンにはわかる。彼女は嘘を吐いた。


わたくしは王族ですので、当然でしょう。平民とは扱いが違うのです」

「……ねぇ」

「王族と平民との間には明確な区別が存在します。選ばれし者と、選ばれなかった者。その境界線は明確で――」

「もしかしてさ、あなたも卑下ってる?」


 シュノンの確信を得た質問に、お姫さんもご質問でお返答なされる。


「卑下る、とは?」


 フノスの問い返しに、シュノンは肩を竦めて大げさに呆れた。やれやれ、と呟く。クールな俳優がよく漏らすセリフだ。クールとはシュノンのことを指すためだけの言葉なので、彼女も同じように言い回す。


「あなたさ、本当は自分だけ助からないためにあの中に入ったんでしょ」

「……そんな、ことは……」

「そりゃあ、一人だけ別のカプセルに入ってたって聞くだけじゃさ、なんかすごい偉くてVIPな人物が入っていると思っちゃうけど、こう考えることもできる。――崩壊間際、高潔で偉大なお姫様は、市民に、平民に、生存確率がより高いカプセルを譲り渡した。それで、偶然入手できた生存率の低いカプセルの中に身を投じた。でも、残念なことに悲劇が起きて……生き残ったのは、生存率が低いカプセルの方だった。違う?」


 名探偵の如き推論を述べると、フノスは観念したように笑みを作る。あなたはすごいですね、と称賛を口にして同意した。


「その通りですわ。情けなくも、生き恥を晒すはめになってしまいました」

「別にいいじゃん。あなたのせいじゃないんだし。というかそんなんで死なれたら困るし。チョー頑張ったんだからね? 私たち。変な機械男に追われるわ、クァホーがクァホーだわ、あげくおっさんが美少女にチェンジだし」


 他にもいろいろなイベントがあったが、今は割愛する。気に入らない部分が多少なりとも存在するが、フノスにはしっかりと生きてもらわなければならない。

 なぜなら、彼女には自分の大冒険を語り継ぐという重大な使命があるのだから。


「それに、私の大活躍をあなたには伝えてもらわなくちゃならないんだからね。頼りないポンコツアンドロイドと共に世界を救った伝説の救世主シュノン様! 後の世代には勇者として語り継がれるよ!」


 映画カントクが復活したら、自分が主人公の映画が作られるに決まっている。今までの出来事を振り返るとどうもホープの活躍の方が目覚ましいが、そんなものはちょちょいと誤魔化せばいいのだ。

 ――自分の活躍は九十パーセントで残りの十パーセントをホープにあげてくれよう。私は優しくて寛大だからね。

 そんなことを考えてにやにやしていると、フノスにも笑顔が伝染した。


「ふふふ、多少、執筆の心得はありますので、創作するのも悪くないかもしれませんわ。……あなたは不思議な方ですわね。強くもあります。右も左もわからない不透明な世界だというのに、あっという間に目標ができてしまいました」

「当然でしょ。私はシュノン様よ」


 ふふん、と得意げにシュノンは胸を張る。何となく姫様、王女様という肩書に嫉妬や羨望が混ざっていたのだが、話を聞く限りでは彼女も彼女で等身大の人間のようだ――多少、気に入らない部分はあるものの。

 不思議だ、とは思う。古い映画のお姫様は我儘で、自由奔放で、そのくせピンチに陥ると泣き喚いて、非常に面倒くさい存在だったはず。だが、リアルお姫様は自動車の運転方式に食いつき、リボルバーをぶっ放し、自分だけが生き残ってしまった罪悪感に苛まれたりしている。


(昔ってどんな感じだったんだろ)


 フノスの奇妙さ、映画との乖離から過去の世界に想いを馳せたシュノンは、


「にしても、ホープは遅いですわね。崩壊世界ではお買い物にも時間が掛かるのでしょうか」


 という言葉で現実に引き戻される。状況に流されて大事なことを見落としていた。

 ホープはまだたったの一度も、露店や店で商品を購入したことがない。つまりは初めてのお使いだ。共和国時代はクレジットを使って金銭で物を売買していたようだが、今の世界ではそうはいかない。

 あのポンコツが何の問題もなくお買い物できるなど、シュノンには到底想像がつかなかった。――トラブルのウォータースライダーである。


「しまった! どうしよう! 絶対トラブル起こしてるよ!」

「いくらなんでもそれはないかと。ホープの年齢設定は永遠の十七歳ですし――」

「十七歳とか関係ないよ! あーったくもう、世話のかかるドロイドだ!」


 シュノンは椅子から下りて、村へと繰り出すためドアへと駆ける。と、開ける前に振り返って、子どもをしつける親のようにフノスへ言い聞かせた。


「勝手に外出ちゃダメだよ! この中で一番の先輩は私!」

「うふふ、頼もしいお言葉ですわ。大丈夫です、何か起きない限り外には出ませんから」

「絶対だよ! ホープ連れてすぐ戻ってくるから!」


 シュノンは部屋を飛び出した。その背中をフノスは見送る。


「ふふっ。いい子ですわ。普通なら、もっと冷たくされても私には文句を言う資格はないというのに」


 フノスは顔を綻ばして窓へと近づいた。と、不意にノックが響く。

 てっきりホープかシュノンが戻ってきたと思ったフノスは応対し、


「もう戻って来られたの……あら?」

「お嬢ちゃん、ひとりか? へへへへ」


 ゲスめいた笑みを浮かべるハゲた巨漢と鉢合わせる。



 ※※※



 村は散漫として、辺りには酒瓶らしきものを持った男が地面に座っている。その隣では女性をナンパしようとして蹴り飛ばされている男がおり、片やデジタルアーカイブで何かの情報を検索している者がいる。

 小さな村なので、ホープを好奇の眼差しで見る者はいるが、喧嘩を吹っ掛けてきたりはしない。噂が広まっているのだろう。


「弱りました。勢いに任せて出てきたはいいものの……」


 村の中を市民迷彩で歩くホープは弱気になって独り言を吐いた。

 紅茶の入手方法がわからない。ついでに言えば、購入方法も。


(しかし、シュノンに泣きつくのは多目的支援型アンドロイドとして恥です。ここは自力で何とかしなければ……)


 今までの経験とシュノン及びメカコッコの発言からシミュレーション。現世界では、クレジットではなく物資の交換が基本となっている。それに、


(武器は売れる。シュノンもそう言ってましたし)


 となればプレミアムに積載されている不要な銃器を提示すれば、紅茶を手に入れられるはず。そう判断を下したホープはプレミアムまで一度戻ろうとした。

 が、急に感情アルゴリズムの波形が不安定になり、立ち止まる。


「いや、そもそも紅茶が売っているのでしょうか。姫様のお気に入りは、マーズティー。火星の特殊環境で育った紅茶です……」


 地球外の惑星への渡航が不可能となった今、マーズティーの入手確率は限りなくゼロに近い。となると、アースティー……地球産の紅茶に限定されてしまうが、姫様の好きな品種が何だったのかわからない。

 給仕ドロイドではないホープは、姫の身の回りの世話をすることなど滅多になかったため、そのような知識は持ち合わせていないのだ。

 行動タスクの優先度がひっきりなしに入れ替わる。先に武器を回収するべきか。いやはや、店の品揃えを確かめてから行くべきか。

 不用意に武器を所持していると、暴徒に目を付けられてしまう恐れがある。が、かといって下手に商人の目に触れれば、後を付けられてプレミアムの場所を露呈してしまうかもしれない。

 ホープ単独ならどちらでも問題ないが、シュノンとフノスがいる現状では、軽率な行動は避けたい。

 そこまで考えて、ホープの思考ルーチンはようやくこうしている今こそが最も軽率的である、という結論に達した。愕然として、頭に手を置く。


「なんということでしょう、私としたことが! 感情を優先するようにはしていますが、これはナンセンスです……」

「なーにをぶつぶつ言ってんのよ」

「シュノン!?」


 背後に接近していたシュノンが呆れた様子で声を掛けてくる。右往左往していたホープは顔をレッドカラーに染めて、小さく謝罪を口にする。


「申し訳ないです。まさか、買い物一つまともにできないとは……」

「多機能支援型の名が泣いてるじゃない。全く、別に初めてなんだから恥じゃないでしょ? ゆっくり慣れてけばいいんだからさ。あなたの性能はよく理解できてるし」

「シュノン……」


 機嫌が直ったと思われるシュノンは、ホープが絶対に真似できない気遣いをしてくれる。温かいリズムに心理光を浸しながら、ホープはシュノンをおだてた。


「流石、私のマスターですね」

「当然。私はシュノン様よ。……あれ? さっきも同じこと言ったっけか」


 シュノンは首を捻りながら独りごちて、


「まぁどうでもいいや。とにかく、ここに紅茶は売ってないよ。この村の名産品はくそったれのレイプ男と薄汚い盗賊ぐらい」

「はぁ」

「紅茶とか、そういう嗜好品は、大きな街じゃないとお目に掛かれないかな。たばこやお酒、ドラッグなら売ってると思うけど……どうする?」

「どうもこうもありません。姫様にそのような物を提供するはずがないでしょう」


 即答したホープにシュノンはだよね、と同意して、


「変に引っかけられても困るし、今日の食事も私が調達するよ。一旦部屋に戻った後に、スペシャル料理をごちそうしてあげる! どっかの誰かさんと違って、あのお姫さんは何を出されても平気そうだし」

「う……それは」


 微妙なフェイスモーション。シュノンの料理は見た目がこの上なく悪い。

 しかし、非常に残念極まりないことに、美味であり毒性はない。至極安全で真っ当な料理である。真っ当の概念を根本から見直す必要があるものの。


「さぁーって、おかえりおかえりー!」

「機嫌がいいのですね」


 どうやら姫様とシュノンは打ち解けたようだ、と安堵するホープ。彼女は鼻歌を謳うシュノンへ質疑応答プログラムを奔らせる。


「姫様のこと、好きになりましたか」

「ふふーん、姫様はきらーい」

「そうでしょう。あの方は王族にふさわしい高貴なお方で――今、何と?」


 聴覚センサーに不具合が起きてなければ、シュノンは姫様のことを嫌いと発言した。電脳データベースの会話ログにもそう記録されている。

 アイカメラで疑心のフォーカスをしたホープに、シュノンはリズムに乗って答える。


「だってー、あの子ー、ちょっとー、気難しいー」

「気難しい? 姫様ほど単純明快なお方は……」

「責任感がー、強すぎてー、きらーい。でも」

「でも?」

「放っては、おっけなーい」

「シュノン……」


 シュノンは満面の笑みをみせてくる。彼女の良い部分が浮き彫りになる。少々面倒くさい面はあり、人殺しを厭わない黒い部分も存在している。だが、彼女は本質的にいい人間にカテゴライズされる人間だ。世界が無法地帯でなければ、きっと自由気ままに日常生活を謳歌していただろう。

 平和に、安全に、治安の守られた世界で。その優しい世界こそ、ホープが取り戻すべき世界だ。自分がマスターに託された命題だ。

 改めて自分の目的を再確認しながら宿へと赴くと、受付にいたはずの巨漢がどこかへと消えていた。


「変だね。ハゲが消えた」

「ハゲの呼称は失礼です。例え、事実だとしても」

「事実だからしゃーないじゃん! お天道様とでも言う?」


 酷いニックネームを呟くシュノンと共に廊下を進む。そして、聴覚センサーが悲鳴を捉えた。ホープの電子脳内でアラートが響き渡る。

 ――姫様の悲鳴! シュノンも違和感を察知したようで、二人で顔を見合わせた。


「まさか、姫様!」「お姫さん!」


 ホープとシュノンは全力疾走し、部屋の扉を押し開けた。

 そうして、瞠目する。あられもなく果てた、その姿を――。


「うふ、ふふふっ! もっと遊びましょう! どうしましたか? ほら、せっかくの機会ですのよ?」

「ひぃっ! 頼む! 俺が悪かった! もう赦してくれぇ!」

「なにこれ」


 シュノンの口を衝いて出た言葉に、ホープは激しく同調する。二人の目に飛び込んできたのは、ハゲのおっさんがお姫様にぼこぼこに殴られる光景だった。エキサイトしていたフノスは、ようやっと二人の来訪に気付き、にこやかな笑顔を赤らめる。


「あら、これははしたない姿をお見せしてしまいましたわ。徒手格闘の実践など久しぶりで、つい興奮してしまいましたの」

「お姫さんこわっ。格闘術も嗜んでるの?」

「言ったでしょう? シュノン。王族は平民より優れてなければいけない、と」


 フノスはしたり顔で説明するが、ホープの感情アルゴリズムは複雑だった。

 フノスは何を行うにも優れた素質を持つお姫様。人類の宇宙進出の副産物で発生した黄金の種族という新人類の一人だ。そのため、そこら辺の暴徒程度、いとも簡単に鎮圧できる。ゆえに、守らなくても安全ではあるが……。


わたくし、映画などで見る弱いお姫様という偶像が嫌いでしたの。未来では、お姫様は強いのですわ。姫を守る騎士よりも」

「あー、よーくわかった。……過去のお話だけどね」


 シュノンが憐みの視線を床で泣き叫ぶ男に向ける。ホープも同情を禁じ得なかった。姫様が先手で人に暴行を働くということはまず有り得ない。この男は性欲に駆られて姫様を襲い、嬉々とした彼女にタコ殴りにされた。

 しかも、ホープによる外傷スキャンでは、男は致命的な怪我を一つも負っていない。格闘術に精通すると、敵を怪我させることなく殴ることができるようになるのだ。


「うふ、楽しかった。どうです? またお相手してくださらない? わたくしはいつでも歓迎ですわよ」

「お、お前のことなんか忘れてやる! 忘れてやるーっ!」


 男は負け犬の遠吠えにすらならないセリフを吐いて部屋から逃げて行った。残念ですわ、と落胆する姫様に、ホープは護衛としてきつく注意する。


「いけませんよ、姫様。次は私を呼んでください。万が一のことがあったらどうするつもりですか」

わたくしなら一人でも平気ですわ。それより、あなたは今のパートナーを大事にするべきですの」


 フノスはシュノンを見ながら、珍しく生真面目な表情で言い返す。ホープもシュノンにピントを移しながら応えた。もちろん、と。


「シュノンも守るのは当然です。私の保護対象はシュノンと、あなたです。私の使命は市民を守ること――」


 フノスがホープの言葉を途中で遮る。


わたくしは王族ですわよ、ホープ。あなたが守る対象ではないですわ」

「それは承知していますが、今の時代に王族も平民も関係ないのです」


 姫様らしい返しに、ホープもまた凛然と対応した。記憶回路の中にいる姫様と今の姫様は何も変わっていない。共和国第一王女の在り方は、崩壊する前の誇り高い王族のままだ。

 王は常に民を優先しなければならない。民と王、二つを選択せざるを得ない時、優先されるのは例外なく平民である。

 その鉄の掟は、いつしか黄金の掟となった。王が王足らしめる絶対の法則へと。

 だが、それは今の世界には当てはまらない。王家は、共和国はもう崩壊してしまったのだから。

 毅然とするホープとフノスは千年ぶりに対立し視線を交わしていたが、そのやり取りを見ていたシュノンはちょっとよろしい? と手を上げて、


「ひよこ同士がぴーぴー言い争ってどうすんの。この場で一番偉いのは私。というか、ホープは言ってること矛盾してる。最初は礼儀正しく王族らしく扱ってたくせに、今は関係ないって言っちゃってるし」

「……人間は矛盾する生物です。矛盾すると言うことはすなわち、人間として完璧であるということですよ」


 痛いところを突かれて、感情アルゴリズムが怒と哀を合成する。シュノンはまぁまぁと宥めながら、今度はフノスへと視線を定めた。


「お姫さん……フノスも変なところで意地を張り過ぎ。そりゃあ、あなたは強いのかもしれないけど、ホープはあなたのことを心配してんだよ。さっきもあなたが襲われてると誤解して泣きそうになってたし」

「泣きそうになどは……!」

「はいはい、反論禁止。ね、とにかく、お腹を満たそう。お腹が減ってるから、つまんないことで言い合うんだって。どう? ホープ」


 食事を提案した後に、シュノンはホープを見上げてきた。少しだけ、得意げに。その態度が少しだけ感情をジャミングして、ホープは素っ気なく訊き返す。


「どう、とは?」

「私なりのトライアルカウンセリング! 上手くできた?」

「……修行が足りません。私のカウンセリングは量子演算と膨大なデータに裏打ちされた審判システムですので」

「えーっ。絶対上手く行ったよ。丸く収まったよ! どんぱちしなかったし」

「どういう基準ですか。全く」


 そう発声しながらも、フェイスモーションが全てを物語っている。ホープの横顔を見て、フノスも柔らかな笑みを浮かべた。


「では、早速お料理をいただきましょうか。食材はなんですの?」

「今日はやっぱりカエル焼き!」


 案の定のシュノンのセレクト。ホープはフェイスカラーを青くしながら姫に代案を提示しようとする。


「カエル、ですか。……姫様、やはり私たちは――」

「ああ、いいですわね、カエル! 鶏肉の味がして、美味だと聞いています」

「姫様……」


 サバイバル気質の姫に裏切られ、ホープの感情アルゴリズムは哀しみのそれとなる。視覚センサーの情報にフィルタリングを掛けるべきか悩みながら、意気込む二人の市民と王族の後を追う。

 唯一親身になってくれたのはエイトだけであり、すなわち防衛本能プログラムの起爆装置であって、ホープの電脳がトラブルを起こしたのは言うまでもない。



 ※※※



 壮大な眺めがガスマスクの先に広がっている。数多に並ぶ棺たち。その光景は、さながら死者の王国を思わせる。ここに眠る者たちは文字通り屍だ。メインシステムが破損したため、細胞が壊死し、全員が永眠してしまっている。


「崩壊後の世界に希望を見出したがゆえの、当然の末路だ。この世界に、お前たちの居場所などない」


 アレスは死者たちに語りかけ、横で指示を待つコマンダーを見た。テスタメントの名を持つバトルドロイドは既に第五世代まで変容を遂げている。オリュンポスデータベースで繰り広げられる生き残りを懸けたバトルロワイヤル。彼らはその頂点に立ったパーソナルデータ――のはずだった。

 だが、どうやら致命的な問題が発生しているようだ。義体へのインストールに対応できていない者もいる。早急に、主へ問題点を報告しなければならない。


「施設の制圧は済んだのだろうな」

「もちろんであります。この施設は無人です。管理者の排除も速やかに」

「情報技術については秀でているようだな、コマンダー。だが、それは実戦では何の役にも立たん」


 一昔前ならば、情報技能は必須項目だった。だが、ネットワークが存在しない今の世界では、ハッキング能力に長けていても通常戦闘では使い物にならない。少なくとも、情報支援を受けられない下級バトルドロイドの分際では。

 コマンダーはアレスの言葉を噛み締めるように俯いた。


「理解できております」

「そうとも。そうでなくては消去コマンドを入力するだけだ」


 テスタメントに無用の長物と切り捨てたハッキング能力を有する左腕へ、アレスは目を落とした。彼らには不必要でも、自分には有用だ。目標ターゲットの追跡にもハッキングデバイスは利用できる。

 例えば、このように。アレスは左腕をコンソールに向けた。

 施設の記録映像にアクセスする。すぐに対象は見つかった。手がかりと成り得る情報を抽出し、独自に分析を開始。


『これだけさ、何か変じゃない?』


 灰の少女が何かを発見。その棺にH232が駆け寄る。すぐさま、H232は棺の状態を確認。歓喜の音声と共に対象の生存を報告する。


『私じゃありません。この棺は、機能が生きています……!』


 二、三やり取りがあった後、H232は棺内の人物に言及。


『四十代の男性と出ています。名前はハフール・オオヤマ』

「ハフール・オオヤマ。聞き覚えがあるぞ……」


 アレスは遠い記憶を呼び起こす。あれは共和国時代のものだ。ハフール・オオヤマは王族の護衛部隊に所属していたパイロット。

 だが、この男は主の王族暗殺計画により、世界が崩壊する直前に死亡している。


「……戦闘の最中、機体が奪取されたと報告が上がっていた。宇宙戦闘機スペースファイターを、撃墜されることなくアースガルズまで飛ばせた人物……」


 そして、わざわざ肉体保安年数に限りのある脱出カプセルに身を投じた者。

 アレスはすぐに思い当たった。該当する人物は一人しかいない。秘めたポテンシャルを持つ黄金の種族しか。


「王女殿下……。コマンダー、お前たちはここを守れ」

「しかし、アレス様……」

「お前たちでは足手まといだ。ここから先は俺がひとりで向かう」


 アレスは身を翻し、颯爽と歩を進める。全ては、主の思うがままに。

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