第8話 解凍
追手を撒きながらプレミアムの元へ辿りついたホープとシュノンは、早速それぞれの持ち場へと付いた。シュノンが助手席にエイトを乗せて、運転席へ乗り込む。
ホープはアサルトライフルを荷台の武器箱から取り出して、弾倉を装填。セーフティを外し発射可能状態にして敵に備えた。
「えっと、じゃあ目的地はフェミー村でいいよね!」
運転席からのシュノンの提案を、ホープは即座に否定する。
「なぜです? シティに戻りましょう!」
「いや、無理だって! バルチャーたちが激おこだよ!?」
「しかし、メカコッコの協力を仰ぐべきです! バルチャーなら任せてください!」
ホープは周辺をスキャンしながら訴える。敵はすぐそこに来ていた。当初の予定ではホープの提示した座標に寄り道をした後でフェミー村に向かうつもりだったため、シュノンの言い分はわかる。
が、テスタメントに追われているとなると事情は変わってくる。それに、コールドスリープ中の市民の容態が急変しないとも限らない。
ホープの真摯のフォーカスに、シュノンは諦めたように首を振った。
「わーったよ。きちんと守ってよね」
「もちろんです。それが私の使命ですから」
ホープの即答を聞き、シュノンがプレミアムを発進させる。ホープは荷台に乗せた棺が落ちないよう気を配りながら、ライフルを構えた。早速、エンジン音に惹かれてテスタメントの一団が現われる。ホープは弾道計算し、速度と飛距離を考慮しながら的確な射撃で一体ずつ破壊していった。
向こうは義体が最適化されていないのだろう。人体をいとも簡単に焼き焦がす熱線はプレミアムに命中する気配がない。着弾しても、装甲板が少し焦げるだけだ。
「おっしゃーっ! 腕の見せどころ!」
シュノンは驚異的ドライブテクニックを披露し、レーザーが当たらないようにジグザグに走っていく。そんな中でも、ホープの狙撃は次々とテスタメントを捉えていった。これが低品質バトルドロイドと高性能バトルサポートドロイドの差だ。
ほんのちょっぴり悦に浸っていると、業を煮やした一体のテスタメントが同僚に叫んだ。
「スカイモービルを寄越せ!」
「スカイモービル! シュノン!」
「へっ? ちょ!!」
シュノンがバックミラーを確認してぎょっとする。浮遊型の地上兵装であるスカイモービルが二機、プレミアムを追跡してきていた。エアバイクの戦闘仕様と言うべき代物で、二連装のレーザーキャノンが搭載されている。
「アンドロイドは捕らえろ! 民間人は殺せ!」
「させますか!」
ホープはライフルを連射するが、立体起動を可能にするスカイモービル相手ではさしもの多目的支援型アンドロイドと言えども狙いが精確でなくなってくる。それでも、負けるわけにはいかない。エイトの状態を鑑みるに、ヘイムダルは既に殺されてしまったかもしれない。
だが、例え彼が死んだとしても、彼の遺志は確かにここにある。彼ら一族の使命を無駄にするわけにはいかない。銃を握りしめる二の腕にぐっと力が籠もる。
(スカイモービルの弱点は後部のジェットエンジンです。前面は装甲で防御されていますから、このまままともにやり合ってもじり貧になるだけ。でしたらば)
攻略法を組み上げたホープはシュノンに無理を承知で頼み込んだ。
「シュノン! 停車できますか?」
「はぁ!? 何言ってんの! 頭がいかれた!?」
シュノンは必死でハンドルを捌いている。後方から高濃度のレーザーがひっきりなしに穿たれているせいだ。それを喰らわずに回避しているだけでも神業に近しい奇跡だった。
そこへさらなるオーダーをしようとしている。無理なことはわかっている。
だが、シュノンならやってくれるのではという期待がある。思考ルーチンが成功確率は低いと叩き出しているが、感情アルゴリズムで抑え込んだ。
「クァホーグループとの戦闘を思い出してください! あれと同じことをすればいいんです!」
「無理だって! 絶対蜂の巣だよ! チェンジザハニーだよ!」
「お願いします! どのみち、このままでは!」
閃光が迸りサイドミラーが融解した。間近でレーザーキャノンの威力を目の当たりにしたシュノンは息を呑み、何度も頷いて了承する。
「おけおけわあーった! ブレーキング!」
シュノンが急ブレーキをし、スカイモービルが前へ出た。ホープはライフルを構えて、ノズルに鉛玉を撃ち込んだ。
「なんだと!? 操縦不能!」
荒ぶったスカイモービルの一機が並走する僚機に激突し、爆散する。予想外のハプニングだが、想定以上に上手くいった。ホッと安堵するホープへ、シュノンは車を再び走らせながら褒め称える。
「さっすがホープ! 今のも計算づくでしょ!」
「え? あ、ええ、もちろんです! 私はアンドロイドですので」
対人コミュニケーションマニュアルでは、時として嘘も有用であると記載されている。これは決して見栄から放たれた嘘ではない。友人を安心させるためのいい嘘だ……。
ホープがぎこちない笑みを浮かべている間に、シュノンは悠々とテスタメントたちから距離を取っていった。移動用のビークルが破壊されてしまい、追撃が困難になっているのだろう。後はこのままシティへと帰るだけ――。そう思考ルーチンは楽観視していた。
「ん……? 何か、前にいる?」
異変を察知したのはシュノンが先だった。後方警戒を行っていたホープが前方にアイカメラを向ける。
そして、訝しんだ。
漆黒の男であることしかわからなかった。特徴的なガスマスク。腰には刀と思われる武器を携行し、道の真ん中に仁王立ちしている。
「敵かな?」
「……念のため、迂回した方がいいかもしれません」
何やら嫌な予感を感情アルゴリズムが出力していた。不安感に苛まれ、思考ルーチンとの議論が交わされる。ホープは思考と感情なら、極力感情を優先するように行動していた。無論、全ての可能性を踏まえた上で、だ。
人が感情を獲得したのは、外敵から身を守り、自身の安全を確保するためだ。思考も感情も、どちらもないがしろにしてはいけない。
それをわかった上で、ホープは選択する。シュノンに指示を出した。
「回避しましょう、シュノン!」
「大丈夫だって! もし敵なら轢き殺してやる!」
シュノンはホープの警句に耳を貸さず、どんどんスピードを上げていく。もし敵なら攻撃を加えてくるはずだが、男は無抵抗で避けようともしない。敵でなくとも回避しようとするはずなのに。
嫌な予感が加速する。ホープは反射的に銃を向けたが、車体が揺れて狙いが逸れる。
「避けないってことは敵さんでしょ! じゃあね!!」
――プレミアムが男を撥ねる。
「……え?」
が、男は片手でプレミアムを受け止めていた。
「見つけたぞ、H232」
男の機械化された音声を聞き、ホープが反射的に叫ぶ。
「――ッ、シュノン!」
「バックバック! 後ろへバック!!」
シュノンはプレミアムをバックさせ、ターンした。来た道を逆走し男から距離を取る。ホープはライフルを撃つが、男はびくともせず左手でハンドガンを抜き取って応戦してきた。弾丸がライフルの銃身に着弾し、発射不能となる。
「シュノン! テンペストの使用の許可を!」
「いいよ、いいいい! あれは絶対ヤバい奴!」
ホープは武器箱からレーザーピストルテンペストを取り出して、同時に左脚部ミサイルポッドの狙いを男へ定めアンチレーザースモークを発射した。
熱線拡散粒子の煙幕が男の付近で拡散したことを確認し、ホープはテンペストの引き金を押し込んでチャージする。
「普通のレーザーなら無効化されますが、テンペストのチャージショットなら!」
見る者の目を瞑らせるほどの強烈な閃光が、男の最終確認地点へ放たれた。すぐさま轟音と爆発が男の周囲を包むが、何かが一閃して煙が切断される。
「嘘でしょ……」
「まさか」
男はテンペストのフルチャージを直撃しても無傷だった。手持ちの高周波ブレードで高密度のレーザーを切り裂いたのだ。テスタメントが霞むほどの戦闘力を保持する強敵。
まともに戦ったのでは勝ち目がない。叫ぶシュノンの提案をホープは受け入れた。
「悪いけど、最初の予定通りフェミー村に行くよ!」
「わかりました。……無事に逃げられれば、ですが」
ホープはテンペストの銃杷を握りしめながら応じる。漆黒の男は歩調を早めてプレミアムを追いかけていた。スピードがどんどん速くなり、人間離れしたものになっていく。
「くっ、これで防げますか……!」
再びテンペストを向けたが、チャージ射撃をしたので数分間のクールタイムが必要だった。もし仮に次射が可能になってもあの男をこれで食い止められるかはわからない。テンペストはプレミアムに搭載される最大の射撃武器だ。これが無理なら近接戦闘で対応するしかない。
万事休すか、と苦心するホープの聴覚センサーに、希望とも絶望とも言い切れない奇怪な声が聞こえてくる。
「クァホー!! 見つけたぜぇ! ここで会ったが百年目ぇ!」
「クァホーグループ……?」「げぇ、奴ら追ってきたの?」
ホープのアイカメラが捉えたのは、バイクに跨るモヒカン頭の集団だった。クァホー! と威勢のいい奇声を発しながら彼らは接近してくる。
※※※
クァホー! 俺は最高に運がいい。ケルベロスはほくそ笑んだ。
獲物はだせぇ白塗りのテクニカルに乗って、ひいこらひいこら逃げている。どうやら俺たちに恐れをなしているようだ。変な黒い男が前にいるが、気にしちゃいらんねぇ。ケルベロスはバイクを加速する。
「聞け、野郎共! 俺はバーサーカーの意志を継ぐ! まずはあのガキを犯そうぜぇ!!」
「クァホーゥ!!」
頼れる同志の叫び声が一段と大きくなった。全く、愛らしい奴らだぜ。どいつもこいつも下半身に正直に生きてやがる。だが、それがいい! 俺たちは人間だ。お高くとまったドロイドでも偉ぶった紳士とかでもねえ。男なら肉欲を満たすためにハーレムを求めるのは当たり前だ。
ケルベロスは舌なめずりをしながら、獲物を改めて目視した。邪魔な黒男が目に入る。ああ、丁度いい。奴の装甲服も値打ちもんかもしれねえ。ついで略奪するとしよう。
ケルベロスはご自慢のソードオフショットガンを取り出し、男へ向けた。
そして、高みへと昇る。綺麗で美しい青空へと。
――クァホー? 何が起きやがった? まるで俺は空を飛んでいるようじゃねえか。空には真っ白な雲が浮いている。憧れのマドンナのように透き通った色合いだ。俺はいつか、マドンナに告白するつもりでいるが、残念ながらそれはできない。マドンナはそれこそ雲の上の人物だからだ。デジタルアーカイブの端末から、彼女は外へ出ることがない。こちらからは触れることもできない、繊細な存在だ。ああ、それはいい。一体俺に何が起きた? 辺りには赤い雨が少しばかり降っていやがる。ん? 頼りがいのある同志が全員俺のことを口をあんぐり開けて見上げてやがるぜ。フハハハ! そうとも、俺は地獄の番犬ケルベロス! お前ら、俺を畏怖して敬いやがれ! でも、ちょっと待て。何か少しおかしいぞ。下に走っているのは……俺の愛車であるレッドファングじゃねえか! 何でだ、誰がパクリやがった! いや、待てよ……? 乗っているのは俺か? なら何でおれはここに……というか、な、んで、おれ、くび、な……し……。
ケルベロスの意識はそこで断裂した。斬り落とされた首が、ぽとりと地面に落ちる。瞠目し恐怖する同志たちに見守られながら、彼の復讐劇はあっさりと幕を閉じた。
リーダー格を失ったクァホー族は怒りに我を忘れケルベロスを葬った男へ反抗するが、男は鋭い剣筋でいとも簡単にクァホーたちを蹂躙していく。最後のひとりが闘志を失った時には手遅れだった。バイクごと一刀両断され、爆散する。無残な死体だけが辺りに散らばった。
死屍累々の真ん中に佇むアレスの元へテスタメントが駆け寄る。
「アレス様!」
「H232は?」
アレスは単刀直入に訊く。が、テスタメントは戦神の満足する答えを報告できなかった。
「誠に遺憾ながら、取り逃がして――」
アレスはハッキングデバイスをコマンダーに向けた。
※※※
どうにか男とテスタメントは撒けたようで、ホープとシュノンは同時に安堵の息を漏らした。エイトが痛々しそうに鳴き、ホープの警戒度が急速に跳ね上がる。
「流石に怪我してるんだから大丈夫だって」
「ですが、犬ですよ?」
「だから大丈夫なんでしょ? あのよくわからない
呆れた物言いでシュノンはホープに言い聞かせる。それはそうですが、と歯切れの悪い相槌を返したところで、棺の存在を思い出した。スキャンして、また安心する。サイコメトリックスはホープの精神状態を良好だと診断した。
「そっちも問題なし?」
「ええ。私が一時的な外部電源として電力を供給できますから」
しばらくは傍を離れられないが、大した時間ではない。数時間もあれば無事覚醒できるはずだった。
「ならとりあえずフェミー村に行こうか。宿でも取って覚醒を待とう」
「賛成です。……珍しいですね」
ホープがシュノンに感心する。え? と荷台へ振り返る彼女に一言。
「シュノンがまともな意見を口に出すなんて」
「私はいつでもまともだよ!」
フェミー村はバルチャーの支配するシティに比べるとこじんまりとした村だったが、税を一方的に徴収する支配者はいないようだ。だが、かといって治安が良いというわけではない。あちらこちらに盗賊や強姦目的の不届き者が身を潜めている。
しかし、シュノンは警戒する様子がない。プレミアムは村より少し離れた茂みに隠してあるものの、堂々として村中を歩いている。
これもホープを信頼してくれている証だった。既に一度暴徒に襲われたので、拳による説得で丁重にお帰り願った次第だ。
「やー、ホープがいると気楽でいいねぇ!」
「この程度の相手に後れを取ることなどありません」
棺を宿まで運ぶ道すがら、ホープはマスターの言葉を思い出していた。――本当の敵。それはあの漆黒のアーマーに身を包んだ男に間違いない。
それに、テスタメントの存在も引っ掛かる。ゼウスとの契約者である彼らもまた世界の崩壊と共に滅び去ったはずだった。
『ホープ、君はここまでだ。ここから先は、僕がひとりで行く』
自分をカプセルに閉じこめた主は、そう言ってゼウスと対決しに向かった。
(マスター……。あなたはひとりでゼウスを倒しに向かわれた。一体、何があったのですか……)
ホープがかつてのマスターに想いを馳せる間、シュノンは犬を抱えながら簡易的な受付を済ませた。宿の主人はいかにも粗暴そうな風貌の男で、シュノンを狩人の目つきで見たが、ホープが近くにあった鉄くずを片手で捻じ曲げると、すぐに好色な眼差しを引っ込めた。
「これは警告です。もしかすると、次はあなたの首がこのように果てるかもしれません」
「サンキュー、ホープ」
鉄のオブジェクトを後目に、棺担ぎのアンドロイドと犬抱きのスカベンジャーは宛がわれた部屋へと進み、早速荷を下ろした。シュノンは少し離れたところでエイトの治療を行っている。ホープは覚醒プロセスの進行度をチェックした。
「滞りなく進行中……彼になんて説明しましょうか」
「大丈夫じゃない? 泣き虫ホープじゃあるまいし」
「わ、私は泣き虫などでは……!」
「うそつけやーい。ほれっ」
「ひっ!?」
シュノンは大量破壊兵器を振りまき、ホープの反論を制している。卑怯だ。フェアではない。彼女は自身の弱点をその身に抱えて言論統制を行うのだ。恐ろしき独裁者である。
「犬にそこまで怖がらなくてもいいじゃんか」
「トラウマがあると言ったでしょう……!」
あれはマスターと契約を交わして間もない頃のことだ。研修も兼ねてアニマルパークの警備任務についたところ、ホワイトスキンのホープをおやつの骨と間違えたのか、様々な犬種が一斉に襲いかかってきた……らしい。あの時の記憶はホープの記憶保持能力を持ってしても思い出せない。フリーズした影響でメモリーデリートが発生してしまったのだろう。この記憶も、他人から見聞きした客観的なものだ。
マスターや先輩のアンドロイドに訊いたところによると、それはもうとても酷い状態だったようだが。
「だから、教えてってさぁ」
「嫌です!」
質疑応答をきっぱりと否定して、ホープは棺の監視に移る。犬が視界に入らないよう細心の注意を払ってモニタリングしていると、不意に犬が悲しそうな声で鳴いた。
何事かと、恐る恐る視線を向ける。と、シュノンが犬を抱きながら船を漕いでいた。
「眠ってしまったのですか、シュノン」
回答はない。スキャニングでもシュノンが睡眠状態に入っていることが示唆された。となれば、身体を冷やさないよう毛布の類を被せてあげる必要があるが、生憎奴がシュノンの上に陣取っているので難易度が高い。
「く、しかし、シュノンには頑張ってもらいましたから……」
ホープの使命など無関係だというのに、シュノンは手伝いを申し出てくれた。その恩には感謝してもし切れない。こういうところで、日頃の感謝を込めたお返しをするべきなのだ。
潤滑液を呑み込んで、喉を鳴らし、ホープはまず手近な毛布を取った。ボロ切れではあるが、十分に保温効果は発揮できる。ステルスモードに歩調を変更し、音を立てずにシュノンへ近づく。が、その間にも奴は見ていた。じっと、上目づかいで。
ホープは犬が嫌いだが、その可愛さは評価できる。こげ茶色の身体、垂れた耳。くるりとして愛らしい瞳。愛玩動物として、狩りを行うパートナーとして、犬ほど人間に好影響を与える動物はいないだろう。
「エイト、どうか、危害は加えないでください。どうか、どうか……」
冷却液が額から滝のように流れる。ホープは小刻みに震える手で、そっとエイトを抱きかかえた。そして、起こさないよう気を配りながら、寝息を立てるシュノンに毛布を被せる。
――ミッションコンプリート。何の問題なく任務は成功した。
「やりました……! 偉いですね、エイト!」
ホープの手の中で大人しくするエイトを抱き上げる。真っ白なお腹が露わとなった。だが――何か様子がおかしい。端的に言えば、何かを堪えているようという分析結果が出た。
何を堪えるのというのか。動物の仕組みを検索したホープが思い当たった瞬間に答えは放出された。
「…………」
黄金色の水分がホワイトスキンを濡らす。有害物質ではない。含まれる成分はあくまで余剰物質であり、放出主が病気やウイルス感染をしていない限り衛生面での問題は発生しない。せいぜい、臭いがキツイぐらいである。
だが、それでも、だとしても。
「いぬは やはり きらい です」
フリーズしたホープがそのまま後ろにひっくり返った。
「ちょっと、ちょっと。起きてよ」
「……ん。シュノン……どうして私はスリープしていたのですか?」
目覚めたホープはなぜか用途不明のスリープモードへ移行していた。エナジー容量は十分に確保されているので、エナジー不足からの
「知らないよ。起きたらなんか倒れてたし。……っていうか、何か臭わない?」
「ええ。この臭いはなんでしょう」
搭載された嗅覚センサーは不快な悪臭を嗅ぎ取っている。しかし、あくまで人体に害を及ぼす類ではなさそうだ。
「発生源は私、ですか? なぜでしょう。エナジー漏れというわけではなさそうですが」
「シャワーでも浴びてきたら?」
「ご心配には及びません。クリーニングしますので」
義体を清潔に保つべくホープはボディクリーニングを開始した。義体の表面から消毒液が噴出されて瞬く間に汚れや臭いが取り除かれる。
それを、なぜかシュノンが気味悪がって眺めていた。
「なんかキモいね……」
「なぜです? 非常に効率的な方法ですよ?」
「というか外でやって欲しかったなぁ」
「すぐに気化しますので平気ですよ」
それはそれで問題な気が……とぶつぶつ呟きながら、シュノンは部屋の片隅で蹲るエイトを抱きかかえに行く。そうして、エイトに吠えられる。
「いやいや、怖がらなくてだいじょうぶでちゅよー、ワン」
「
「わかってるよ。何で吠えるんだ……?」
シュノンが訝しんだ瞬間、突然アラートは鳴り響いた。ホープはアイカメラを見開いて、即座に棺をスキャンする。
困惑するシュノンがエイトを抱いて棺を見つめた。
「どったの? 壊れちゃったとか――」
「いいえ。覚醒が始まりました!」
緊張のフェイスモーションで棺に近づき、開閉ボタンを押す。連動して棺が開き、内部に満たされていた調整気体が噴出した。げほげほとシュノンが咳き込む横で、ホープは空気を取り込むことも忘れて煙が晴れるのを待つ。
そして、その姿を確認するや否や、反射的に跪いた。
「ごきげんよう、平民」
「お、おっさんじゃない……?」
「シュノン! 無礼ですよ!」
棺に入っていた人物が事前情報とは違い、疑問を呈するシュノンをホープは戒める。シュノンは不服そうな表情をしていたが、気にしてはいられない。
高貴なお方が相手だ。多少強引でも、相応の態度を取らなければ。
「面を上げてくださいまし、ホープ」
「ハッ」
ホープは指示に従い、視界を上へと上げる。アイカメラの先にはオレンジ色の髪を持つ容姿の整った少女が佇んでいた。髪色に合わせた白のドレスが少女の美しさを際立てている。
「……誰コイツ?」
「シュノン! ここにおられるお方は――!」
「構いませんわ、ホープ。どうやら、想定通りには事が運ばなかったようですわね」
「面目次第もございません。全ては私の力が及ばず……」
「構いません。過ぎたこと、仕方のないことです」
少女は棺から床へと降りて、シュノンへと近づいた。いきなり接近してきた初対面の人間に慄いたのか、な、何よ、と失礼な言葉遣いを少女に放つ。叱責しようとしたホープだが、少女はくすりと笑って制した。構いませんよ。そう笑って。
「あなたはシュノンさん……でよろしいのかしら?」
「え、ええそうよ。何か文句ある?」
ホープは慌てて取り繕うとするが、シュノンは少女を警戒しているようで、ホープの望む態度を取ってくれない。しかし少女は怒りもせず、そっと犬を撫でた。
「あら、可愛らしい。飼い犬ですか?」
「今は、そうね。飼い犬。でも気を付けないと噛んじゃうかもよ?」
「それは
ドレスの裾を持ち上げて、礼儀正しく挨拶するフノス様。しかし、シュノンは何を思ったのかフンと鼻を鳴らし、ホープのフェイスカラーを青くさせる。
「いいわ。覚えといてあげる。感謝してよね」
「何を言っているのです、シュノン! このお方は――フノス様は――地球連合共和国の第一王女様なのですよ!!」
耐え切れなくなったホープが口を挟むと、シュノンがぽかんと呆けた表情でフノスを見つめた。虚を突かれた顔で、ホープとフノスを交互に見返す。
「え? は? お姫様……?」
「うふふ、面白い方。ふふふふっ」
姫様はシュノンをお気に召したようで、笑顔を絶やさない。
ホープがコンバーターを冷やす間にも、フノスはずっと上品な笑い声を響かせていた。共和国の国民たちを熱中させた、魅惑的な笑顔を。
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