第2話


若くして、死んでしまった君のことを想う。



君のことを想わない日はない、なんてそこまでは言えないけれど、時間があったり、懐古の念に駆られたりすれば、ぼんやり想う時間がある。



現実的に考えれば平均寿命が八十歳を超える現在において、君の一期を比較すると、やはり短い生涯のように思う。



まだまだやりたいこともあったのだろう。



ただ、人生に短いも長いもない。



人それぞれの時間の尺度がある。



それは決して同じではない。



君は、充実した人生を送ることは出来ていただろうか。

君と過ごした日々は、楽しかった。



初対面の頃から本当に気が合い過ぎていて、気色が悪いほどだった。



思っていることがお互いに筒抜けで、何を考えているかよくわかった。



運命の人と言って過言ではなかったと思う。



運命の人という単語を使ってしまうことがチャチだと思えるほど。



君を形容しようと思えば思うほど、無力感に苛まれる。



君を言葉というカタチに置き換えて、未来の誰かに残すこと。



言葉と言うカタチに納めてしまうことのもったいなさ。



それらを総合的に考えると、やる気がなくなる。


君が死んでしまってからというもの、わたしは腑抜けになってしまった。



生きた抜け殻と言ってもいい。



使いものにならなかった。



別にこれまでの人生だって、誰かのために役立っている価値のある人間だと思えたこともないのだけれど、今まで以上に使えない人間になっていた。



自分のことで精一杯で、他人を気遣うこともなかった。



その中でも、自分を悲劇の主人公にして、可哀想可哀想と出来ればよかったのだが、わたしはそれすら疲れて出来なかった。


普通にしているつもりでも、目から自然に涙が流れ落ちて来たりした。



君が死んだばかりの頃は、全然涙なんて出て来なかった。



おそらく泣くタイミングというのがあるのだろうとは思ったけれど、そのタイミングでは泣けなかった。



泣いている人を、どこか冷めたところから眺めている自分がいた。



何をして気を紛らわしても、どんなことをしても、その哀しみや絶望、虚空感から抜け出すことはできなかった。




それでもわたしは生きているし、そのようになっていても生きているのだ。



生命力とはうんざりするほどたくましいものである。




君とわたしの違いは生きているか死んでいるか、それだけだった。



死んでしまった君とは大違いだ。



わたしもいつか死ぬ運命にあるというのに、この違いはとても大きい。




もうわたしは君の近くに居ない。



君はわたしの近くには居ない。




君がわたしと生きている時間は、とても楽しかった。



何が楽しかった、と如実に記載することは特にないのだけれど、くだらないことすら楽しかった。



それよか、くだらないことだらけ。



くだらないことしかない。



くだらないことほど、おもしろいこともないだろう。



ああ、たのしかった。



思い返して、はっきり思い浮かぶ物事はないのに、お互いにバカみたいに笑い転げた光景だけが思い出される。



ああ、たのしかったんだ。切なくなるほどに。




だからいつも怖かった。



その幸せが壊れてしまうのが怖かった。



幸福の崩壊は、まるで何者かに切断されたかのようだった。



幸福のもつれは、自然に訪れるものである。



何が原因というものでもない。



誰にもぶつけることの出来ない感情で苦しむのは、結局自分だった。



自分の気持ちの問題で、未練ばかりが募る。



どのように自分の感情を処理すればこの感覚から救われるのか。



苦しくて、苦しくて、仕方がなかった。






よくある御涙頂戴の純愛恋愛物語。



まるでその主人公になれたかのようだ。



ありのままを綴れば、詩人?



誰かを純粋に想うことが?



そんなものは鼻白んで観ていた。



よくもまあ、そんな現状に酔い痴れることが出来るものだと。



しかし、他人にそれらのことを伝えるにはそれぐらいすべての事象を確立する必要がある。



他人の理解など必要ないし、他人から同情されることも望まない。



知ったような顔をした人間にああしたらいい、こうしたらいいとも言われたくない。




言うほど、美しい感情だけではない。



感情はかなり複雑だ。



「純」とつく想いとは果たして、どんなものだろう。



なぜ、あんなに美しいものだけをまとめたのか。



美しい言葉だけ、美しい景色だけ。



目を覆いたくなるどす黒さはどこにある?



「純」は、ただ単に大衆受けを狙って美しく加工したものではないだろうか。



人は本当は汚い一面だってあるのを知っている。



その汚い側面を毛嫌い、創作には現実にはあり得ないであろうフィクションを求める。





たとえば、当たり前のように家庭を持ち、子どもを産み、将来の夢を語り合ったりする。




それは理想だろう。



人は、古典芝居を好む。



ありきたりでセオリー通りな会話に物事。



努力すれば報われて、働けば賃金を得て、恋をすれば、その後に結婚して。



どこかに欠陥があったとしても、人はどこかで調整をして、各々住み心地の良い生活をする。



人間関係に疲れれば籠もり、寂しさに耐えれなくなれば人の温もりを求めだす。






君の楽しくて堪らなかったことはなんだろう。



君は語るのが好きだった。



語っているときの君の瞳はキラキラと宝石のように輝いていた。




思い出だけが、今のわたしを支えている。



よく、記憶や思い出の中に死んだ人は生きると言う。



わたしは今必死に君は死んだのだと言い聞かせている。



自分が現実から目を背けないように。



辛かったら逃避すれば良いと悪魔のような人間は言う。



一度逃げてしまえば、さらに自分を苦しめる。



生きたくても生きられなかった君の人生。



それを偲ぶだなんてそんな奇麗事をわたしは死んでも言わないだろう。



死んでしまった君を憎んでいる。



生きていてくれよと思う。



君が生きているのが、当たり前だと思っていた。



それがわたしの愚かさだった。



そう、親しい人間だって、徐々に死んでゆくだろう。



この世の掟に従って、わたしは老い続けている。




老いが怖い。



老いは、怖い。



わたしの中で、君は生き続けるのではなく、永遠に死に続けるだろう。



何度も、何度も。



君を殺したのは、実際のところ、わたしではないけれど、わたしが君を殺してしまう結末だってあるだろう。



もちろん、君がわたしを殺してしまう結末だってある。



立場はいつだって逆転し得る。





わたしの中での君は、わたしの想像の中では自由にしている。



不覊自由。



何事にも束縛されることなく、自由である。




確かに想像の中であれば、君を生かすことが出来るかもしれない。



しかしわたしはそこまで妄想力に長けていない。



君をわたしの想像の世界の中で生かしておくことは、困難だ。





それはわたしの憎しみが生むものなのか、なんなのかわからないけれど、それが苦しくて仕方がない。







君の語っていたもののキーワードだけが脳裏に浮かぶ。



『源氏物語』が好きだった君。



「あはれ」と「みやび」を語っていた君の横顔をよく覚えている。




わたしは「幽玄」をひたすら説いた。



わたしは「忘れたい」とも「忘れたくない」とも思うのにも疲れてしまった。



直ぐさま極論に走る自分にも嫌気がさした。



君のことをとても好きで、愛しているはずなのに、死んでしまったがゆえに子どもじみた憎悪を抱いてしまっている自分を嫌悪する。






何度も君を思い描いてみる。



君が懐かしくて仕方がない。




何かで君を表現してみる。



どれも違う気がする。




その度に、自分の無力さや、才能の無さを実感する。




君だったらもっとクリエイティブだったんじゃないだろうか。



君だったらもっと他人が考えもつかないような突飛なことだって実現していたんじゃないかと。



わたしの中で描く君は、いつも途中で死んでしまう。



現実の君のように。




君が良い。



やっぱり君が良い。



どんなにそれを宣ったとしても、無いものねだり。



無いものをいつまで強請っているのだろう。



無駄だ、時間の無駄だ。



そう考えて、即座に君の代替品を探してみた。



結果は悲惨なものだった。



君の外見に似ているもの。君の内面に似ているもの。



全部が全部、似ているものには出会せない。



君に似ていない部分が鼻につく。



君に似ている部分は愛せるけれど、君に似ていない部分は愛せない。








それに、君に似ている部分は、とても憎らしくなる。



そして、同時に悲しくなる。



たとえば、君の外面にとてもよく似ているのに、内面が全く違うと戸惑ってしまう。



君はそんなことを言う人間ではなかったと。



君のあの思考はどこへ逝ってしまったのだろう、と。




君の内面にとても良く似ている人は、ふと視線を合わせたときに、ドキッとする。



君の顔じゃないことに恐怖する。



わたしは君の顔がとても好きだった。







君が死んでから、わたしは多くの人と出会った。



君と似ている人のことは多少は記憶しているけれど、やっぱり多くはどうでもいい記憶として処理された。



君以外は、愚民としか言いようがなかった。



多くの人というのは、本当にどうでもいい人間のほうが多いのだ。



何か自分の琴線に触れるものを、と願ったが、わたしの琴線というのは君関連で成り立っているようなものだった。



たとえば君の興味のある分野、君の好きなもの。君の好きな音楽に、好きな人。





君の話す世界、思い描く世界は美しかった。



それは綺麗事だよなんていう軽口は叩けなかった。



だって、君は確実に有言実行していた。



なんて行動力があるんだろうと、わたしはいつも尊敬していた。




君の言ったからには必ずやるという姿勢に、感服した。




すごくすべてにおいて出来た人間だとは言えないけれど、尊敬する部分が存在していた。



それに君の欠陥と言える部分が愛おしくて、仕方なかった。



それすら今となっては利点に思える。



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