more mole

サタケモト

第1話


ある少女は、昔からホクロが多かった。


少女の小さな身体に無数の小さな黒の斑点が存在した。


思春期の子がそばかすを気にするように、少女もそのホクロが気になりだした。


病院へ行けば、医師には「様子を見ましょう」と言われた。




少女は嘘つきだった。


少女は度々嘘をついた。


些細なことでもついた。




「今日熱は測った?」


「測ったよ。平熱だった」



「一人でお留守番出来る?」


「大丈夫だよ」



「寂しくない?」


「寂しくないよ。いってらっしゃい」



「ご飯はちゃんと食べた?」


「食べたよ」



「美味しかった?」


「美味しかったよ」



「何を食べたの?」


「何か、適当にあったものを」





少女は両親が大好きだった。


心配をかけたくなかった。公園で陽の光を浴びながら友達と遊んでいた。


少女は弱いものいじめをしたり、やけに仕切る子があまり好きではなかった。



「仲間はずれにしたらかわいそうだよ。あの子も誘ってあげよう?そんなふうにしてたら入ってきたくても入ってこれないよ」


「入って来たければ自分で入って来るべきだよ」


「甘やかすのはよくない」


「あの子変だもん」


「ねー、聞いてもすぐ答えられないし」


「一人が好きなんだよ」




少女は知った。




何かを標的にして、そこで一致団結したつもりになる集団心理を。


少女は、不器用な仲間はずれにされて一人背を向ける子を眺めた。



そこに居た、名も知らぬ子どもは、少女に言った。



「ねえ君ってさ、良い子ぶってるよね」


「え?」


「偽善的だ」


「計算高くて、腹黒い感じがする」



そうなのか……と、その言葉に衝撃を受けた少女はしばらく考えた。


少女からすれば、そんな人が傷つく事を言う彼らのほうがよっぽど黒い腹をしている気がする。


しかし、実際に見た目に黒い部分を多く持っているのは少女だった。


彼らの皮膚には醜い黒点がなかった。私は皮膚だけにならず、腹の中も黒いのだろうか。



「ねえ、君。わたしと一緒に遊んでくれる?あの子達に嫌われちゃった」




少女はまた一つ、嘘をつく。



嫌われたなんてわざわざ言うのは、同情を買うための口実だ。




本当は仲良くしていたかった。


少女は八方美人だった。


誰からも嫌われたくなかった。


少女は寂しくなったけれど、我慢した。


一人ぼっちのこの子の寂しさを考えた時、自分の寂しさはなんとちっぽけなものだと自重した。




そして少女はまた知った。



排他される人間には、それらしい理由があることを。


排他されたこの子は、恐ろしいまでの自己中で、我儘で、傍若無人な人間だった。




「え、虫を殺すの?」


「うん」


「なんで?」


「なんとなく」



首や胴体を木の枝で抉られた虫の残骸を眺める。



「あいつらだと思うことにしたんだ」


「え?」


「人を見下した態度がムカついたから」


「ねえ、こんなぼくのこと、君も嫌うの?」



虫を無邪気に邪気ある手つきで殺した少年の眼は、驚くほど澄んでいた。



「きらいじゃないよ」




少女は、澄んではいるけれど、底なし沼のように瞳の奥に光のない眼を見てしまった。


嫌いだなんて言えない。




どっちが好き?


どっちも嫌い。


誰も? 誰も。



こんな世界、歪んでる。ある日、少女は自分のために嘘をつくことを覚えた。




「ねえ具合が悪いの。今日学校休んでもいい?」



少女の親は、途中から少女の嘘を見破った。



「なぜ、行きたがらないの?」



ホクロが気になるのとは言えなかった。


少女のホクロを気にするのは、実のところ、少女以外にそんなに居なかった。



だが、少女は気にしていた。




時々、心ない人間が少女をからかうことはあった。



「何か付いてるよ」


「え、どこ?」


「あ、ホクロだった!あははは」



数あるホクロの中でも、先天的にある大きめの隆起したホクロを指でいじる。


そこは脈が打っている気がする。


触ると、少し痛い。


だが少女は痛みがよくわからなかった。


そのホクロが憎すぎて、赤くなるまで抓っていたりしていた。


取ろうとしても取れない。


風呂に入れば、念入りにそこを擦った。



擦っても擦っても取れない。



翌日になって見てみても、ホクロは変わらずにそこにあった。


なんだか、色が薄く肌に伸びた気がした。


足の裏や身体に出来るのならまだしも、顔に出来るホクロは目に映るからとても嫌だった。



ある日、病院に行くと手術でそのホクロを取ることになった。


少女は欣喜雀躍した。


やっとこのホクロと決別が出来る。



しかし、手術の恐怖はあった。


部分麻酔で、メスの感覚はあるからだ。


肌をメスが滑って引き裂く感覚に戦慄を覚えた。


手術後は殊更、紫外線に気を付けるようになった。


日焼け止めに日傘は必須アイテムとなった。



少女はよく体調を崩した。


健康診断もなぜかよく引っかかった。


親が医者と話している時、少女は居たたまれなかった。


忙しい仕事の合間に病院に連れて行ってくれる親に申し訳ないとすら思えた。



病院は白いから、好きじゃない。


白いから、羨ましい。


血液検査は嫌いじゃないけれど、看護師さんの技術の問題で時々痛い。


痣が出来る。貧血になる。



その後はレーザー治療を受けていた。



肌をレーザーが焼く臭いがする。


ピリリッと痛む感覚。


時々チクチクと痛む。


バチッと痛む時もある。



レーザー治療をしたところに薬を塗ってもらって、そこから薬品の匂いがするのを少女はいつも感じていた。


親が会計を済ませている間、少女は椅子に座って暇を紛らわせていた。



そこで、この総合病院内でよく見掛ける青年に声をかけた。


彼は色白で儚かった。


手にはいつも本を持っていた。



「いつも何してるの?」


「何って……治療じゃない?」



本を読んでいる、と答えると思っていた少女は、ちょっと驚いた。



「治るの?」


「さあ?」


「わからないの?」


「わからないね」


「不安じゃないの?」


「不安だよ」



青年は読んでいた小説を閉じて、少女を興味深げに眺めた。



「君は嘘つきかい?」



少女はドキッとした。



「ああ、言い方が悪かったらごめん。ちょうど、イソップ物語を読んでいたんだ。狼と羊飼いって話、知ってる?」


「オオカミ少年だなんて題で通ってたりするけど、君は少年じゃなくて少女だからね」




嘘をつき続けたら誰も信じてくれなくなる。




「子どもが正直だなんて誰が決めたんだろうね」



青年は、少女を見つめて言う。


少女は青年を苦手だと思った。


だが、別の日に、青年と少女はばったりと病院内で出会す。



「また会ったね。もう会いたくないと思ってただろう」


「そんなことないよ」



少女は慌てて否定する。



「それは嘘だ」



青年は笑っている。


それは嫌な感じのする笑い方じゃなくて、少女は戸惑ってしまった。




待合室でアトピーのひどい少年が目に入った。


少女は少年に声をかけてみる。




人見知りなのか、反応が乏しい。


目を合わせようともしないし、返事もしない。



いや、これは自分に負い目がある人間のような気がする。


少女は少年のような人間をどこかで見たことがある気がしていた。


別に少年が悪いわけではない。



皮膚全体が、血だらけでかさぶたのようになってしまっている。


人間の水分は、子どもは約七〇%、成人は六〇~六五%と言われているけれど、彼からはカサカサの砂漠のようにしか感じられない。



少年は気付くと身体を掻いてしまっている。


少年の目は充血気味で、あまり開いていない。


目の周りの皮膚は弱い。



少女は少年の手を握って、病院内を散策した。


一緒に置いてある絵本や漫画を読んだ。


少年は、少女の手を振り払ってまで身体を掻こうとはしなかった。



青年と少女たちがまた病院内で出会した時、青年はちょっと目を見開いて、穏やかに微笑んだ。


少女はそんな青年の笑顔が嫌いじゃなかった。



「ねえ、君は嘘つきな羊飼いの話を知っているかい?」



青年は少年に話しかけた。


少年は頷いた。



「羊飼いが嘘をつくのは、もう自明の理なんだ。それは直しようがない」


「だとしたら、この憐れな羊飼いを救う術を考えるべきだとは思わないかい?」


「大事なのは周囲だ。羊飼い一人じゃどうしようもない」


「一つ、羊飼いの言うことを全部信じる。二つ、羊飼いの言うことを全部信じない、三つ……三つめを自分で考えるんだ」


「一番効率的で、一番良いと思うものを」


「教訓だなんて言うけれどね、通常、自分の頭で自分で考えるものなんだよ。時々結果ありきで、結果重視のやつがいる。ミステリーの最後から読むみたいなナンセンスをお持ちの人が」




少女は少年の手を強く握った。


少年の手は乾燥していたけれど温かった。


少年も微力ながら、握り返してくれた。



「ねえ、私は嘘つきだから黒いのかな」



少年に尋ねてみる。


少年は何のことかよくわかっていないようだった。


少女は話を続ける。



「嘘をつくからね、黒くなっていく気がするの。どんどん黒い部分が広がっていく気がするの」


「なんで嘘をついちゃうのかな」



少年は考えているようだった。


考えて、考えて、考えた抜いた末に口を開いた。



「それとこれは関係ないよ」


「本当?」


「うん」



少女はホクロの黒を眺める。


腕に出来た青あざを眺める。


黒より、濃い青紫色のほうがいい。



内出血。



同じところによく出来る傷を撫でてみる。


いつどこで傷つけたかわからないし、いつ見てもある。


自然治癒力はどうなっているんだろう。


ホクロもそんな感じ。


前までなかったところにいつの間にかできていて、あれ?と思う。


気をつけてるつもりなのにな。



少女は、自分の身体のことが気になり、図書館に行った。


医学辞典を調べてみる。


そこの近くに歳近い、若白髪混じりの変わった少年を見つけた。


白い。白。白。



「いいな、白色」


「え?」


「なんでもない」




若白髪な少年は物知りだった。


賢かった。頭が良かった。


少女に少女の知りたい彼の持ちうる知識を与えてくれた。



「表皮癌、有棘細胞癌、基底細胞癌、悪性黒色腫というものがあってね」


「うん、そういうむずかしいの、よくわかんない」


「……メラノーマっていうやつだと手に負えないって言われてるんだ」


「へえ」


「日焼けして肌が赤くなる人?」


「わからない」


「……日焼け対策してる?」


「うん、してる」


「そっか。ホクロにもね、黒、茶、赤っぽいのいろいろあるんだよ」


「私の黒っぽい……私が黒っぽい」


「そうかな……ぼくは専門家じゃないからあまり見分けがつかないんだけど」



「癌って言われたらガーンってなる」


「……」


「ごめん、今の忘れて」


「うん」




青年が看護師さんと談話しているところを見掛けた。


あ、いつもの笑顔じゃない。


看護師さんとの話が終わって、こちらに視線が向いたところを見計らって話しかけた。



「なんで車いすなの?」


「階段から転げ落ちた」


「ドジ?」


「君に言われたくないけど。君だってまた傷を作ってる」



少女の傷を指さす青年は笑っている。




「今日体調悪いの?」



青年の表情が止まった。



「なんで?」


「なんかいつもと笑い方が違ったの」


「ふーん」


「元気じゃないの?」


「元気じゃないよ」


「……そうなんだ」



そう返されてしまえば、なんと返したらいいのかわからなくなってしまった。


嘘つきだったらここで元気だって言うから。


もっと話をしていたくて。


立ち去ったほうがいいのだろうかと、少女は悩んだ。



「元気だったら、元からここに居ないだろ」



青年はまた笑顔に戻った。



「君ってさ、やけに白に憧れを抱いているようだけど、白がそれほど良いものでもないって知ってる?」


「あまりに白いと、眩しすぎて頭が痛くなってくる。いっそ暗いほうが落ち着くんだ。特に、暗いところから明るいところに急激に行くと視神経を過敏に刺激する」


「まるでモグラみたい」


「君とモグラは似ているよ。臆病で神経質なところがそっくりだ」



青年は少女を眺める。


モグラと似ていると言われた少女は複雑そうに眉をひそめる。



「モグラが地上に出てきたとき、明るくて死ぬわけじゃないんだ。別の理由がある」



へえ、そうなんだと少女は頷く。


少年は話を戻した。



「人はね、必ず黒くて暗い部分を持ち合わせているものなんだよ。白はやがて汚れてゆく」


「黒は嫌いかい?」


「黒い自分は嫌いかい?」



少女は答える。



「きらいじゃないよ」



青年はまた笑った。


その笑顔はやはり少女の好きな笑顔ではなかった。



「ほら、やっぱり君は偽善的だ」



青年の笑顔はそう言っているような気がした。




少女は鏡を見ていた。


そしたら、二つの黒い点を新たに発見した。


大きい。


直径何ミリ以上がダメなんだっけ。


二つもある。



一つ、潰してみようか。



ホクロに彫刻刀をぶっ刺したことがある。


それと同じ原理で、一つ潰してみようか。



そうだ、黒じゃない部分があるから、黒色が目立つんだ。


全部、全部、黒になっちゃえば何も気になくていいのかもしれない。


いっそ、見えなくなってしまえば気にならないのかもしれない。



でも、そこまでの思い切りはない。


だから、せめて片目でも……。



少女にはその勇気が出なかった。


刺そうと思えば、手は震えて、瞳孔は動いた。



まるでそれ単体の生き物のように。


生々しい臓器だ。



シャープペンで手の甲に目を描いてグリグリすることに、留めておいた。



ああ、またホクロが出来てる。



どこで嘘をついたっけ。



もう思い出せない。



それとこれとは関係ないよってあの子は言ってくれたのに


嘘が黒い点になる気がするんだ。



青年は元気がなかった。


少女は心配したが、青年にはその気遣いすら不愉快になるだろうと思い、無関心を装った。


元気がないことに気付かないふりをした。



「ねえ、本は好きかい?」



青年が少女に尋ねる。



「うん。そこそこ」


「本の内容って真実かい?」


「フィクションもノンフィクションもあるよ」


「それってどこまでが本当なのかな」



青年は本の表紙を撫でながら話す。



「まあ、そもそもで現実じゃない。……嘘つきのパラドックスって知ってるかい」


「パラドックスって?」


「矛盾だよ。嘘つきってさ、嘘をつく前提があるのかないのか、まずそこからが問題だったりする」


「アキレスと亀の話は知っているかい」


「知らない」



青年は、少女にとってむずかしい話ばかりをする。


「だろうね。じゃあウサギとカメでいいや。その話なら知ってるだろう。あれは地道であれば、怠惰なやつに勝てるって話だっけ。そもそも身体という資本に基づくべきだよね」



少女は、勇気をだしてずっと疑問に思っていたことを口にした。



「どうして、それを私に話すの?」


「どうして、わからないんだい」



青年は笑みを浮かべている。


少女は困惑してしまった。



「わからないものはわからないよ」


「わかろうとしてないんじゃないの?」



青年の笑みが消えて、青年は口を押さえた。


少女はどうしたものかと慌てた。



青年は嘔吐した。



少女は青年の背中を擦ろうと手を伸ばしたが、青年に払われた。


駆けつけてきた看護師たちは後片付けや青年を介抱して連れて行ってしまう。



青年は病室に戻っていく。



その姿を少女は見守るしかできなかった。



「……身体を大事にしなよ」



真っ青な顔の青年は最後に、そう少女に語りかけた。


少女が定期的に通う病院で、青年を見かけることがなくなってしまった。


少女は青年を探す術を知らなかった。


いつも病院内のどこかでばったり会っていたから。



少女は青年の名も知らなかった



少女は青年を探して病院内を歩きまわった。


それでも青年を見つけることは出来なかった。



誰かに聞きたかったが、聞けなかった。



少女は、知らないふりをしたかった。


嫌な予感を払拭したかった。


気付いてしまったのなら、傷つくのではないだろうか。


少女は、怖かった。



「わかろうとしてないんじゃないの?」



青年に言われた言葉が脳裏を掠める。


少女はホクロを見つめる。


黒を見つめる。


その小さな小さな黒い闇に落ちてゆく。



もう、きっと会えない。



アトピーの少年は、病院で処方される薬や治療が効いてきて、随分と肌の状態が良くなっていた。



「もう病院で会うことはないかもね」


「そうだね」


「そういえば、あのお兄さん見かけなくなったね」


「うん」


「寂しくなるね」


「うん」



アトピーの少年は何とも思っていないみたいだ。


気付いていないみたいだ。


少女は自分の胸の中をかき乱すこの感情をどうにかしたかった。


少年の言う「寂しい」と少女の思う「寂しい」はおそらく違う。



しかし、少女は誰にも打ち明けることができない。


少女はその感情を今まで知らなかった。


言葉にすることが出来なかった。



図書館で会った若白髪の少年は、定期的に図書館に通っており、図書館が休みでなければ、だいたい会えた。




会えなくなったのは、青年ただ一人。




「ねえママ、私好きなひとが出来たんだよ」


「あら、よかったわね」


「本がとても好きなの」


「あら、そうなの。あなたと一緒ね」



少女は、分厚い本を抱えている。


その背表紙を撫でる。



「そのひとね、ちょっと意地悪だったの」


「あらあら」



少女の母親は、料理を作りながら少女の話を聞く。


少女は、後ろ姿の母親になら話をすることが出来た。



少女の話に、母親は穏やかに笑っていた。



しかし、少女はそれ以上、何も言うことが出来なかった。


少女は静かに涙を流し、その涙は本に染みこんでいった。

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