第十夜


「共依存、か……」



ふたりの男女が映った写真を眺めながら、ひとりがつぶやく。



「共依存恋愛に陥っている人を、その状況から抜け出してあげたい」


「共依存恋愛をやめさせたい」



写真に映ったふたりは、とてもしあわせそうに笑っている。


いまはもう、そのふたりの笑顔を見ることはない。



「依存症と名前がつくほどなんだから、克服するのはとってもたいへんなんだよ」



「依存って言うのは、とてもこわいね。アルコールに、ギャンブル、買いもの、インターネット、性、薬物、対人……さまざまなものに当てはまる」



「特定の相手がその関係性に過剰になる。過剰っていうのは、何事もよくない」




「どちらか一方が、ひたすら愛したい、養いたいなんて思っていて、もう一方は愛されたい、養われたいと思っている。そういうのが共依存っていうんだ」



一人は、ゴム手袋をはめて、台所に置いてある腐った果実を一つずつ手に取っては、ゴミ袋に投げ入れる。



「でもさ、それって養ったり世話してあげる人のほうが全体的に参ってしまうものでしょうよ」


腐敗臭におもわず眉を潜め、マスクをおさえる。


「そうだね、だいたいはそうだ。しかしながら、人から必要とされることを必要とする人がいるものなんだよ。それが自己確認なんだ」


もうひとりは、慣れているかのように涼しい顔で部屋を片していく。


「人から必要とされることで、自分が生きている価値があると思い込んでしまっている。存在価値を他人次第にしてしまう」



「たとえば、ものすごく落ち込んでいる人がいるとしよう。その落ち込んでいる人を慰める。その慰めることにより、自分はその人間の救済者となる。そんな自分に酔い痴れる。相手にとって自分は必要不可欠な存在なのだから」



「そういった人間は、欠点がある人を選ぶんだ。仕事や金銭面で上手くいっていない人、性格面や情緒面に問題がある人。まあ、社会的にも疎まれているからね」


「そうか、そういったほうが救い甲斐があるもんなあ」



本棚の本を眺めて、背表紙からいろいろ推測を立てる。



「救済者は自分のことを過大評価していて、相手のことを本当に救えるだなんて信じている」



「だけど、救えなかった場合はどうなるか」


「どうなるの?」


「はげしく落ち込んだり、罪悪感、自己嫌悪、相手への怒りなどの感情が襲ってくる」



「アドバイスを無視されたり、感謝されなかったりね。救済者というのは大概お節介なんだよ」


床に転がる空き瓶を一つずつ、ゴミ袋に入れていく。



「いわゆるダメな人が多いんだよ。共依存の関係をつくりやすい。やさしくて世話好きな人間を見抜く嗅覚がある」



「その人を頼って、貪り尽くす」


投げ入れた空き瓶が、がしゃーんと破壊的な音を立てて割れる。


袋を二重にして、最終的には厚手のビニル袋に再び包む。


部屋の掃除をしながら、何事もないような顔をして話を続ける。



「自分の価値を自分で認められない、自分に自信が持てないという人はこの世に多い。繊細であればあるほど」



「相手を支配し、また支配される関係が成り立つことで、その狭い関係性のなかでなら自分の価値があると思い込んでしまう」



「自分には何の取り柄もないとか思ってしまう人ね」



「まあ、取り柄なんかなくたって生きていけるんだけどね。そう、そういうことを深刻に考えて、悩んでしまう人」



「深みにはまってしまう人」



「断れない人、ノーと言えない人」



「ああ、日本人に多いタイプ」



「きみは、相手のことを好きになればなるほど、相手が自分の目の前からいなくなることに対して不安を抱くかい?」


「……不安になるね。不安が大きく膨れ上がっていく」



「え、うそ。ぼくは全然なんともないんだけど。好きなことを好きなようにしていれば良いと思うんだけど」



「それって愛してるっていうの?」



「不安を持つというのが愛となるわけでもない。弱さを愛と言い換えて逃げているだけだろう」



「自分が居ないとダメだなんて思い込んでいないかい?」


「相手のことを放っておけないなんて、自立していないんだよ」



浴室へ向かえば、赤い花が散りばめられている。


花びらが腐っていて、滑る。



足下に気をつけながら、箒とちりとりで片付けていく。



「自分を後回しにして相手に尽くしてしまったりね。何より大事なのは、自分だ。自分があってこそなんだ」



「あの人は止めたほうが良いと、周りに言われても現実が見えない」



「別れることも出来ない」



「そしていつも同じ結末を迎える」



床は、花びらの色の沈着か、それとも別の何かなのか、真っ赤に染まっている。




「相手に対する自分の行動を振り返ってごらん。自分の行動を意識してごらん。そういう環境を作り出していくんだ」



「失敗してしまったことを繰り返さないように」



雑巾で床を拭いていく。



真っ白なタイルに戻っていく。



「行動修正にはグループカウンセリングが一番いいんだ。認識と行動の転換を、メンバーを見て、行える」



「たくさんの人間が苦手だっていう人が、共依存には多い傾向にある。一対一にこだわりを持っている」



「当たり前だと思って行動していたことが、誰かの支配、コントロール下にあったとグループのだれかから指摘を受ける」



「それを素直に受け取って、変えていく」




「自分が本当に欲しかったものを知ること。解決のために何をするか、一度よく考える」



「いけないと思っていながらやってしまう、そういうことはある」



ひと通りの掃除を終えると、パソコンの画面に目を向ける。



「それは、突然はやめられない。だから少しずつでいいんだ」



「その少しずつ変えていくときに、だれかが根気よく傍にいてあげること」



「長期を見越せば、かならず結果は出てくる」



ワードなどに残された言葉を、ひとつずつ丹念に眺めていく。


そしてため息をついて、すべてデリートした。



「あいつは嘘つきだった」



「ぼくに助けを求めたのに」



散らばるA4の紙。



手に取っては眺めて、もとの場所に戻すを繰りかえす。



「心配はしていた。何度も声をかけた」



五線譜の譜面が出てきた。譜面には、音だけが羅列されている。




「やっと」



「やっと自分から助けを求めてきたのに、もう居ない」



ROMを見つけ、取り込んでみる。


「あのことばは嘘だったのだろうか」


「それともぼくじゃ役不足だったのだろうか」



再生ボタンを押して、そこから流れ出てくる音が、部屋中にひろがってゆく。



ぼろぼろと涙が溢れてくる。



泣いているわけではなくて、涙が落ちてくる。




「なんで、そんな相手を選んだんだよ」



「なんで、お似合いだと思ったんだろう」



そっともうひとりの背中を撫でて、慰める。



「似たもの同士だったから……?」



「夢でも幻でもない、どうしようもないただの現実」




「さようなら、堕ちて散っていったふたり」







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夢幾夜 サタケモト @mottostk

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