第八夜


あたたかい手で私の頭を撫で、細い節ばった指で櫛のように髪を梳かれている感覚に夢の中から現実に引き戻された。



「ねえ」


「ん?」


「………ねむい。寝てたい。出来ればずっと」



現実感なんてしばらくいらない。現実から離れたい。


出来ればずっと。


頭から頬へ、頬から首筋へ、一連の流れに沿ったように移動する手の動きにくすぐったさを覚え笑いながら布団を被って身を捩る。



「もう朝だよ」


「………まだねむい」


「起きてよ。起きてくれなきゃぼくは暇だ」



彼はそう言いながら私の頬を撫でていた手を止め、抓って引き伸ばすようなことをしてきた。



痛い。



ていうか、何でこの人は朝からこんなに元気なのだろう。



「ねえってば」


「………低血圧なの」


「ふーん。ねえねえ起きて」



お互い譲らない。


そもそも、たいして相手の意見なぞ聞いちゃいない。


そんなやり取りをしていても、重い瞼は一向に開かなくて、


一度覚めかけたはずなのに、また微睡みはじめる。






「あー、寝ちゃだめだって。君は頑固だなあ」


「んんん………、ねむ……い」


「いつまで寝るのさ君は」


「じゃあ一緒に寝よう……」


「えー」



夢と現実の間で、ゆらゆら。




ゆらゆら。



どこまでが夢で、どこまでが現実かわからない。



喋っているのか喋っていないのか。



あー……、もう意識が……、



完全に寝てしまいそうになったその時。





彼の顔が近付いてきて、頬に手を添えられふわりと唇を奪われた。




半分眠っていた脳が徐々に目覚めて、今の状況を認知して、目を見開く。


あんなに重たかった瞼が、ぱっちりと。



しかし彼の唇はなかなか離れない。













長い。苦しい。死ぬ。




(馬鹿かこいつ)


(必ずしも接吻が甘美なものとは限らないことを学ぶ)




手で距離を取ろうと押しやっても、胸板を叩いても、なかなか離れようとしない唇。




せっかく目覚めたというのに、意味の違う、永遠の眠りにつきそうだ。





「んんん!んー!んー!」


「目、覚めた?」


「くるしい!」


「あはは」








やっと唇を離したかと思えばこの反応。


邪気のある天使というか、邪気のある無邪気というか。



なんて言うか、邪気の塊にしか思えない。


笑い事じゃない。窒息死してしまうよ。



「仕方ないなあ。まだ寝る?」


「うん……寝る」



でも、永眠はしない。



「もうちょっとだけなら、寝ていいよ」


「……ありがと」



いつから睡眠は許可制になったのだろう。


好きなときに好きなだけ眠っていいものだと思う。


彼はそこまで私を管理したいのだろうか。


それはそれで鬱陶しい話だ。



私は、寝たいときに寝たい。



それでも今は、彼の要望に答えることが私の欲求が満たされる最短距離の近道なので


従うことにする。



そう、とどのつまり、本心は眠ること、ただそれだけだ。










「起きたら一緒に出かけよう」


「うん」


「どこがいい?買いものでもする?」


「うーん……」


「公園はどう?散歩とか」


「いいね、水のある公園が良い」


「水はどこにでもあるよ。君の言う水というのは、噴水とかそういうのでしょ」


「うんそれ」



ぼんやりふんわりとした会話。




瞼を閉じて、その瞼が開いたときも、必ず彼は傍に居るだろう。


目が覚めたら誰もいないというさびしさに陥ることはない。



誰かを傍に感じて眠る、安心感。



それは空の青さを知ったときの感動に似ているかもしれない。




空の青さって何色なんだろう。




言葉には表現しにくいな、ことに雲のような彼は変幻自在。








雲って白いの?


やっぱり白いのかな。




彼って白っぽい?


時々灰色になって、黒くなって、雨を降らせたり雷を鳴らしたりするのかな。




そんな空模様が夢うつつな瞼の裏に描かれてゆく。



夢への導入が、こんな感じであれば、おそらく幸せなのだろう。



不安や緊張のなかで強制的に眠りに落ちるより、


こんなことを頭のなかで思い描いていたい。




そんなこんなで目覚めてみたら、一面が夕日の赤色でお互い目を合わせて笑ってしまった。



(丸一日寝て過ごしちゃったね)


(こんな夕日も悪くないな)



物悲しくなるはずの夕日も、


こんなにあたたかみのある色に見える日が来るとは。


きっと彼のおかげだ。






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