第七夜


「やっぱり、ここに居たんだ」





背後から掛けられたその声の正体は、振り返らずともわかっていた。




彼が来るのをどこかで期待していた。





どこかで?





いや、心の大部分はそのように考えていた。



彼なら迎えに来てくれる。


だからこの場所に居た。



思い描いた期待がかなって嬉しいはずなのに、


掛けられた声に素直に返事ができない自分が嫌だった。





この人の優しさに付け入ろうとしている。



そんな自分が大嫌いだ。














俯いて、傍から見ても落ち込んでる風を装って。


暗い影を背負ってみたところで、何の意味があるというのだろう。





彼相手にそんな演技をする必要などないはずなのに。



演じてまかり通るのは、凡人程度のものだ。


彼の目にはそんなの通用しない。




もしかして、自分は本当に落ち込んでいるのだろうか。



そもそも自分に落ち込むなんて感情があっていいのだろうか。



落ち込むほど感情過多だっただろうか。



それほど根気よく物事に取り組んでいただろうか。




彼のことが好きなのは確か。


それだけは確か。


だから心配をかけちゃいけない。



わかっているなら早々といつもの自分を演じればいいのに、


それができなかった。



頭でわかっても付いて行かない自分の身体が恨めしい。


何故、事前にわかっていたことを防げなかったのか。


過信するほど自分を信用していないはずなのに、



一体全体なんだってそんなに自分は思い通りにならないのか。



馬鹿だなぁ



もっと自分が嫌いになっちゃうよ。



もう嫌いになりたくないんだ。



















何のための努力だった?



時間の無駄が嫌いなくせに、


自分がその物事遂行のために費やした構想、


それを実現させるための実力を備えるための時間は溝に捨てたようなものだ。



結果を残せなければ意味が無い。



これまで、そう言われ続けてきた。




過程が大事だなんてそれは、成功者や勝者が言えるだけであって、


負け犬がそれを言っていたらキリがない。



手を抜いていたってそんな過程が大事なんだよって


そんなことを言ってしまったら、


それは自分が嫌悪する人間に成り下がるということだ。






誰が見ていなくとも、


自分だけが真面目に取り組んでいたら


誰かが認めてくれるなんていうのは綺麗事でしかなく。



本質を見抜ける瞳を持った人が世の中にどれほど居ると言うんだ。



大方、本質を見抜いてるふりをしている人間なのだろう。



それだってお互いのフィーリングが合えば


それで幸せなのだし、他者の介入は必要ない。




ああ、自分だけを見つめられる姿勢があればなあ。



どうしてこんなにも他者を気にしてしまうのだろう。






答えは単純明快で


自分が好きではないからだ。




好きになってもらいたくて、


好きになってもらいたくて、この様。



好きになってもらえなくて、当たり前。



こんな偽った自分を好きになってもらったところで


また自分はどこかでその人を疑うのかもしれない。



好きになってくれた人のことまで疑ってしまうのなら、


それは、好きになってもらえる資格はない。



どうやら自分は相当、自分勝手に他人が好きみたいだ。




言うなればこれは求愛行動。



遺伝子レベルで魅力のない生物は淘汰されて消えゆく。



まさに、自分は選ばれない部類に入るのだろう。







それに気付いてしまったらどうしたらいいのか。



自殺か。


その考えは実に短絡的だ。



しかも何だか、本当に、すべてにおいて終わってしまう。




死にたいのか生きたいのか、と問われれば


生きたいと生命力そこそこの肉体は答える。



この肉体は気に病み過ぎた時に故障する。




だから大丈夫。気にしなければいい。


何も気にしなければいい。全て虚ろにしてしまおう。



虚ろにしたら生きている価値がなくなるよな、


なんて悪循環が頭の中を堂々巡りする。



そんな思慮の森の中にも彼は居てくれて、


ただ黙って傍に居てくれる。














「言葉が信用できなくなったら言葉じゃないものを見ればいい」



きっと頭で考え過ぎちゃうんだよね


と、こちらを見ずに前だけをみて呟くように囁いた。



その声の温度は存外、温かみを帯びたもので、思わず泣きそうになった。




「理屈じゃないものも世の中にあるってこと、君は知ってる」


「誰かの期待は重たい。かつ、その場所は孤独だ」


「でも、考え方を一旦変えてみたらいい。孤独も案外悪くないんじゃないかな」


「ほら、寂しくなったらぼくがいるよ。何も本当にひとりというわけじゃない。ちゃんとぼくがいる。君にはぼくがいる」








いつの間にか彼の好きなものが、私の好きなものになってた。



彼だったらこんな風に思うんだろうな、とか


彼だったらこんな風に感じるんだろうな、とか


彼だったらこんな風に物を見るんじゃないかな、とか



それだけで楽しかった。



彼が私で、私が彼。



一方通行でもそれでも構わない。



少しでも私に世界を与えてくれた彼。


主体性のない私に我を与えてくれた彼。



彼が見る世界は、それはとてもとても美しかった。



私はそこに存在して居ないけど。


あぁ私が存在していないから美しいのだと気付いた。



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