第六夜


嘘。




  嘘。






    嘘。






それは、けっして事実じゃない。




人をだますために言う、事実とは異なることば。










それは 嘘 ?






これは 嘘 。








    嘘。




  嘘。




嘘。








あれは、やさしい 嘘 。




それは、騙す 嘘 。






嘘 に 塗 れ た 世 界 。






きみの存在は、誰かを救っているんだよ。


まるでこころが洗われるようなそんな純粋さを持っている。





いつか、きみにそう言おうと思っていた。



温室育ちのきみは下界に出て、苦労をしたのだろう。



瞳を覗ける距離で話したとき、過去にひどく傷ついた、そんな瞳をしていた。



トラウマという心的外傷をお持ちのようで。


その瞳を見たらね、言いたいことが言えなくなってしまった。




なかなか人を信じることができないんだね。


つらいね。



もう大丈夫だよ。


そんなに怖がらなくても大丈夫。


本当に大丈夫だから。






何の不安もなく、苦労もなく、


きみが生活することが出来るように。




いずれ虐げられる、弱者の運命を辿ることのないように。



大事に、大事に、守ってゆきたい。


ゆっくり休んで。



何も心配しなくていい。


疲れているのなら、どうぞ休んで。



きみがそうあってくれれば、私は嬉しい。



ひとりがイヤならいっしょに休もう。




今まで本当によくやってきたね。



しずしずと流れるような涙をこぼす彼に、手を伸ばした。




触れたら壊れてしまいそうだと思った。


そんなアンバランスな精神状態だった。



そのような危うさが人を惹き付けるのだろうか。



壊れるものってどうせ壊れるんだよ、そう開き直った。




傷つけたっていいや。



傷ついたっていいや。






(ねえ、ヤマアラシのジレンマって知ってる?)


(きっとそれじゃあ何も変わらない)




わたしの手は、到底あたたかいとは言いがたい。


末端冷え性の手は、つめたい。



それでも差し伸ばしてみる。



変化を求めて。







彼を見ていると、切なくなる。


とてもとても、切なくなる。



わたしは感傷主義なのか、いろんなものにしょっちゅう切なさを感じるのだけれど。


別に彼に限ったことでもないのだけれど。




「大切」という言葉は大きな切なさと書くと、だれかから聞いた。



ああ、切ない。



わたしは、たぶん、彼を大切に思っているんだろう。



その大切に思うわたしの気持ちも彼には届かないで、今こうして彼は泣いている。


嘘という自分のなかの闇に溺れて。





綺麗に晴れた休日は、おだやかだ。



どこまでも澄んだ青空。



それを眺めていれば、どんどん不思議な胸騒ぎがして、こわくなる。



時間の流れがあまりに独特で。



ゆっくり進んでゆく時間にまるで取り残されたような気分になる。




「こころの洗濯をしたい」




彼が不意にそんなことを言った。



わたしはちょうどベランダに布団を干していたところで。



唐突な声に振り返ってみると、彼は至極真面目な顔をしてそこに立っていた。



「そう」



突然、抽象的なことを言うのにも慣れっこである。



答えながら、ぼんやり彼は洗濯が好きだったなと思い返していた。



洗濯機の近くに立って、まわる洗濯物をずっと眺めていたりする彼。



それをわたしが横から不思議そうに眺めたり。



彼と一緒になって、何を考えるでもなしに、洗濯物を眺める時間を過ごしたり。



最近の柔軟剤はとてもいい香りだと、ふたりで癒やされたり。


わたしは彼と過ごす時間が好きだった。



彼は、いつも誰かになってしまう。



それはきっと、さびしさからで。



さびしさは、空間に似ている。



ぽっかりと空いた空間。



空の間。



空と空の間。



人はさびしさを埋めたくて、埋めたくて、仕方がないのだと思う。



澄み切った青空を眺める。



一面の青のなかに、雲が点々と存在している。



風に流れて千切れては、新たな形となって結びついてゆく。



そんな、空模様。



時にひどく傷ついてしまう彼は自主性を無くして流されたりしてみる。



そう、常に心に痛みを感じてるみたいな繊細な人だ。




彼は、彼以外の何ものでもないのに。




だれの代わりでもないのに。




自分のことを愛せているの?



自分のことは好き?



きみが不安なのは何故なんだろう。



自信がないのは何故。



でも、なんでかある一部にだけは、底知れぬ自信という名の傲慢と偏見が存在しているのを知った。





もう一度、彼をしげしげとよく眺めてみた。


すると、あら不思議。




まるで、鏡の中の自分を見ている錯覚に陥った。




自分とよく似た人間の涙ぐましい態度を見ていれば、だれでも心穏やかでいられなくなる。



彼が、似たのか。はたまた、わたしが似たのか。



それすらわからなくなった。







――――ああ、だからこころの洗濯をするんだ。


すくない荷物をまとめて、彼の家を出た。


晴れているはずの空を見上げてみても、色がない。



喜怒哀楽の感情はどこへ行ったんだっけ。



そうだ、そもそも陽の光が好きだったっけ?


暗い部屋が何より好きだったような気がする。



傷ついたら、癒やせばいい。


ただ、それだけのこと。



独りぼっちを紛らわすために、影踏みで遊んでいよう。





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