第五夜



脳内の彼がわたしに語りかけた。


「こころが見えない」


そんなことを言いだした。


そりゃあそうだ、と思った。


なぜそんな当たり前のことをわざわざ口に出して言うのか、と不思議に思った。


「こころはもともと見えないものでしょう」とわたしはひどくつまらなさげに答えた。


「正確に言うと、見えなくなったのです」


「このあいだまでは、澄んだように見えていたはずなのに」



彼は、足もとに視線を落とした。



「そう」



透視能力まで備えているのかこいつは!とんだチートだな!と言いかけて、黙っておく。



「なにか、ありましたか」


「わたしに?」



真剣なまなざしでこちらを見つめ、神妙にこくりと頷く脳内の彼。



「……とくに、なにもないよ」



最近の出来事を振り返りつつ答える。



「じゃあなぜ、あなたは泣いているのでしょう」



そう言われたと同時にどこかで泣く声がした。


押し殺したように泣く声。丸まった背中の後ろすがた。


そのすがたを、わたしは知っていた。


地平線や境界線などのない、この開放的で閉鎖的でもある空間の隅っこで、ただひとり小さく丸くなって泣いている。


それは、わたしのこころだった。



「ことばとこころは、裏腹だったりするのかもしれませんね」



脳内の彼の視線はとても温かく、わたしを受け入れてくれるものだった。


わたしは自分がまだ幼いことを知らされた気がするのだった。


でも、あまりわたしのこころのやわらかいところに触れないでほしい。


過去についたりつけたりした傷がこころのカタチを変えてしまい、覚えたさまざまなことばがまた傷を増やしてゆく。



「本当に言いたいことが、こころの奥底にあるのでしょう」


「だれをいちばんに騙しているのでしょうね」


「きっと、いつだって平気なふりをして」


「そういうのを”顔で笑ってこころで泣く”というのでしょう」



笑っている顔は、仮面。


さびしさを隠すために染み付いた誤魔化しの眼。



「それでも信じたいのは人のこころですか?」



ことばよりも、ずっと真実に近いもの。



「さいきん、ぼくは探しものをしています」


「きみが失いそうなものを」


「きみのとなりで」



今日起きた出来事を、ぽつりぽつりと、脳内の彼に話して聞かせる。


わたしが自虐的なユーモアを含めれば、脳内の彼はいたずらに笑う。


その瞳は、少し歪なカタチのお月さまのようだった。


それに見えないこころを重ねてみたりして、わたしも笑った。



大切なものを失いたくないと足掻いたところで失ってゆくのだと知った。


けれど、やはり大切だから抗わずにはいられないのだろう。



(守るべきものがない箱庭で、何を貪り生きてゆこう?)



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