第41話 遠慮してもらおうか
撃たれた時の衝撃で老人の指が引き金を引き、そしてぶれたほんの数ミリの違いが、彼女の移動した場所にコースを定めた。
結果、彼女の仮面の上部に弾丸が当たる。
仮面が割れる。
その下から、よく見た顔。
整った顔が、火傷のように赤い何かに覆われて。
元の彼女とは、確実に違った。
そして、その額からは紅い液体が滴り落ちていた。
とはいえ。
額に血が流れるだけで済んだなら、良いだろう。
しかし銃弾は――猟銃。
拳銃よりは強力。
鉄が厚かったのか、彼女の額を貫きはしなかったが――
「うっ……」
頭部には相当な衝撃が彼女を襲ったのだろう。彼女はそのまま、ゴミの地面に倒れた。
「雪乃っ!」
「待て、美玖」
「何だよ!」
彼女は睨みつけるように僕を見る。
「雪乃が……雪乃が……」
「落ち着け。彼女を助けたいなら、まず上に行ってくれ。そしてここに助けを呼んできてくれ。僕は走れないから、君の方が絶対に早い」
「でも!」
「でももへったくれもない! 助けたいならこれしかないんだ! 急いでくれ!」
半ば怒鳴るように指示をする。
美玖は少し肩を跳ね上げると、力強く頷いた。
「わ、分かった。じゃあ、雪乃のことはお願いね」
「それはこっちが言うセリフだ。助かるようにお願いするよ」
「任せて」
美玖は出口へと駆けていった。
――しかし。
美玖には言わなかったことが一つだけある。
推測に過ぎないことだが、多分間違いないだろう。
彼女はもう――助からない。
もし助かったとしても、大きな障害が残るだろう。
――脳に。
それは、倒れている彼女の眼を見ればよく判る。
彼女の眼は焦点が定まっておらず、赤かった。
それは撃たれた衝撃でなったのかもしれない。
だが、彼女は撃たれる前にこう言っていた。
『この手が、赤くなっていますもの。血に染まった……落ちない……いくら洗っても落ちない……ふふ、罪の証ですかね。うふふ』
しかし、彼女の手は赤くなかった。
そのことについて彼女は、心で見せているかもと言っていたが、それは断じて違う。
心理的なものじゃない。
物理的なものだったのだ。
血。
血が溜まっていたのだ。
彼女は恐らく、一度土に埋められた際に頭部を殴られたかなにかで、脳溢血になったのだろう。
そこに、衝撃が加わる。
どうなるか。
血が流れる。
もしくは、溜まっていた血が破裂する。
よく医学は判らないから、断定はできない。
だが、明らかに彼女の様子は悪くなっていた。
「……」
筋肉痛の足でゆっくりと彼女に近づいてみる。
「……大丈夫か?」
「……こ……これが……」
彼女はふっと微笑んだ。
「大丈夫に……見えます……?」
「見えないな。死にそうに見える」
「ああ、死期が早まりましたね……そろそろ死ぬ頃だとは思っていましたけれど……」
「知っていたか」
「ええ、何となく……あの人に殴られた時に……」
息も絶え絶えに、彼女は言葉を紡ぐ。
「人間……死ぬと判ったら……平気で人を殺すことも出来るようになるのですね……」
「死ぬからやったのか?」
「はい。私はこんなことを出来るような……強者じゃありませんよ」
「強者?」
「ええ。昔から私は弱くて……お母様の言葉には逆らえなくて……殺したいとも思えないような、弱者でした……」
「……そうか」
そういうことか。
「まあ、それを強者と呼ぶか否かは置いておこう。それより」
そう、それより、だ。
先程の言葉で、ほぼ確信した。
「聞きたいことが一つある」
「何ですか?」
ふふ、と蚊の鳴くような声で笑う。
「冥土の土産に教えてあげますよ。何なら、スリーサイズでも」
「興味あるけど、質問を答えるというよりは……そうだな。クイズに近い形だよ」
「クイズ、ですか……」
ひどいですね、と彼女は言葉を漏らす。
「私……あまりもう頭で考えられないのですけど……」
「大丈夫大丈夫。さっき僕と一緒にいた子が誰か覚えているならば」
「葦金美玖ちゃんですね」
「即答できりゃ十分だ」
人の名前をきちんと覚えているのなら。
僕の質問は、ただ一つ。
それによって判明する事実は一つ。
残った謎も――ただ一つ。
「――さて、ではクイズです」
僕は彼女の真横に立つ。
そこで、ふと思い出す。
篝雪乃と出会ったのは、あの喫茶店だった。
その時は、思っていなかった。
こんなことになるなんて。
いや……そもそも。
友人が出来るなんて思っていなかった。
たった一日しか会っていないのに。
それなのに僕は思っていた。
雪乃は、僕の友人である、と。
そして僕は、友人を失いたくないと思っている。
だから、僕は訊ねる。
「ねえ、篝さん」
友人を――失ったかどうかを。
「僕の名前は、何でしょうか?」
「え……?」
眼を丸くする彼女。
「文字通りです。僕の名前は何でしょうか?」
「えっと……それは……」
彼女は青い顔に戸惑いを浮かべる。
簡単すぎて困っているのか。
それとも――
「 」
彼女は紡ぎだした。
答えを。
それを聞いて、僕は――
「……やっぱりか」
自分の考えが合っていた喜び。
安堵。
そして、彼女に真実を伝えなくてはいけない、罪悪感。
その三つの感情が混ざって、溜息として外に出る。
それは、一つの返答。
だが、確実な言葉として返すなら――
「残念だけど、篝さん」
眼の光が失われていく彼女に向かって、僕は告げる。
「約束だからさ、相席は遠慮してもらおうか」
それが僕が――雪乃の姉である篝氷香に言った、最後の言葉だった。
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