第27話 赤

 異様だった。

 まず、匂い。

 生ぬるい鉄の匂い。思わず吐きそうになったほどの、きつい匂い。鉄の内部に閉じ込められたみたいな、空間を包み込む感じ。

 次に、視覚。


 赤。


 その色が、一つの部屋から伸びている。

 その量は半端ではなく、まるで色が違う、大きな水溜りのよう。


 そして最後に――音。


 これは走っている時から聞こえていたが、何か聞こえるな程度にしか思っていなかった。しかし、先程の二つのことを認識してから、その音の怖さに気がついた。

 飢えた獣のように低く唸る、機械音。それはホラー映画などで良く聞く音。頭に浮かんだイメージは、回転する刃。

 行きたくない。

 本能が足を止めた。

 だが、僕の中で行かなくては、という声が聞こえる。


「……ああ、そうだな」


 何故納得し、そう言葉を発したのかは判らない。

 だけど、そう口にすると、僕の足は動いていた。


 一歩ずつ。


 一歩ずつ。


 匂いが強くなる。


 薄い赤が広がっている。


 音が近付く。


 そして、赤が発せられているその部屋の、真っ赤に染まったドアノブを捻り、

中を覗き込んだ瞬間――



「……っ」



 倒れるかと思った。

 地獄絵図。

 そう表現するのに相応しい光景は、これ以上ないだろう。

 血。

 やはり先程の異様な匂いの赤いものは、血だった。

 そして、異様な音の正体はやはり――チェーンソーだった。ぐるぐると床を暴れ回っている。

 何に使ったのだろうか?

 その問いの答えは――目の前にあった。



 人間の腕――『だけ』。



 親指の付き方から、それは右腕であることが判った。血だらけだが、毛や濃さなどから男性の腕だろう。断定出来ないのは――その先がないから。人間の腕ならその持ち主がいるはずだが、その場にはいなかった。いや、推測した結果、腕の持ち主がそこにはいないと断言できた。生命が全く感じられないその腕には、赤く染められた腕時計が対照に、生きているようにその針を進めているのが見えた。

 しかし、その他の人間ならいた。

 ベッドの上に横たわる、女性。

 その女性の姿を、僕は一度見ていた。

 雪乃の母親。

 あの大きな体躯が見事にベッドの中に収まっていた。

 彼女は――左腕がなかった。

 ここから見て頭が右で、仰向けに寝ているのだから、それで正しいはずだ。

 いや、寝ているのではない――



 ――


 これで死んでいないのなら、どこのファンタジーの世界だろう。

 だがこれは、現実。

 そして彼女の死体は――異常だった。

 服。

 脱ぎ散らかされた服。

 血だらけの服。

 高そうなスーツ、シルクであろうドレス、サイズの大きいワンピース、漁師が着るようなウェットスーツまである。

 それらが、彼女の遺体を取り囲むように、広がっていた。

 それだけならまだいい。


 のだ。



 


 


 


 


 赤子を産む前の女性の腹部。

 それ以上の異常な盛り上がりが、そこにはあった。

 確認したわけではない。

 だが確かだろう。


 あの膨らみは、恐らく全部――服。


 服が詰め込まれている。

 口から入れたわけじゃない。

 この僕から見えている、あの切り口。

 まるで魚を捌くように、側面に刃を入れている。

 そこからドロドロと内臓が――


「……っ!」


 吐き気。

 僕は口元を押さえながら、扉を閉めた。大きく深呼吸をしながら後逸し、壁に寄り掛かる。

 呼吸が苦しい。

 気持ち悪い。

 なのに、何でこんなに冷静にあの状況を見つめられたのだろうか。不思議なものだ。


「……っ、とりあえず……」


 吐き気を無理矢理押さえ込んで、僕は来た方向とは逆の通路を見る。その突き当たりには、非常口と書かれた扉があった。屋敷内を捜しているなら、ここから来る心配はなさそうだ。

 この光景は、彼女達に見せるわけにはいけない。

 僕はこの部屋の惨状をギリギリ見せないように、曲がり角の所まで足を運んだ。


 数分後。

 美玖がここに来たため、警察と、一応救急車を呼ぶように頼み、僕はその場に座り込んだ。

 殺人事件。

 探偵サークルに入ったとはいえ――再び、合間見えることになるとは思っていなかった。


「……やはり僕は……人と親しく関わってはいけないのか……」


 廊下の壁に寄り掛かりながら、白い天井を見上げた。



 まだ少し、赤く見えた。

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