第28話 捜査

 警察官と救急隊員が来たのは、僕が座り込んでからおおよそ一〇分くらいだった。美玖にはここを通らないようにと言っておき、その後に来た韋宇には同様のことを告げた後に使用人の女性への介抱を頼んでおいたため、僕の他にはそこにはいなかった。僕は警察官達に、この先に何があるのかという旨を伝え、その話を聞いただけで顔が青くなった警察官と一緒に、とりあえず玄関前の部屋まで移動した。そこは客間のようで、美玖と韋宇、そしてソファに横になっている使用人の女性の姿があった。美玖と韋宇にあの場で何があったのかを簡潔に話していると、何人もの警察官が青い顔で「少し休ませてください」とやってきた。それを見て韋宇は「俺、見なくて良かったあ」と安堵の溜息を吐くが、美玖は「探偵として見なきゃいけなかったかな」と反対のことを口にした。実際に現場を目撃した僕が言うが、それはとんでもない。あんなもの見るものではない。今まで生きてきて三番目にきつい映像だ。


「全く、どいつもこいつもだらしないわね」


 やがて、そう言葉を吐き捨てながら、突如、小学生くらいの女の子が入ってきた。女の子はそのまま、最初に僕と一緒に部屋まで来た警官に蹴りを入れる。


飛鳥あすか。休んでいないでさっさと働きなさい」

「は、はい、警部」


 どうやら見た目とは違って小学生ではないようだ。まあ、お遊びで小学生が警部になれる程、この国は腐っていないだろう。そのことを僕と、恐らく美玖は瞬時に理解したが、


「おい、そこの小学生。何でそんなに偉そうなんだよ」


 韋宇が不満そうな顔でその女性を指差した。するとすぐさま先程の警察官が「こ。こら。何てこと言うんだ」と飛んでくる。


「だって、どう見ても小学生じゃん。あんたも律儀に子供の相手をするなよな。ここは現場だぞ。ちゃんとしつけろよ」

「だ、だから……」

「いいよ、飛鳥。ちゃんと説明しなかったこちらが悪い。私の容姿を見れば当然の疑問であり、そこから導き出される結論も限られているのだから」


 そう言って少女――いや、一応女性と言っておこう。その女性は胸元から警察手帳を取り出した。


「私は並茎なみぐき紗枝さえという。この通り、私はきちんと国から認められた警部だ」

「へえ。小学生でも警部になれるんだ」

「小学生ではない。こう見えても私は二六だ」

「えっ……」

「この若さで警部というのも中々のキャリア組なのだぞ」


 そう含み笑いをした後、並茎警部は瞬時に顔を引き締める。


「さて、では失礼ですが、これからあなたがたにこの事件についての事情聴取をさせていただきます。署までご同行願えますか?」

「あの……ちょっといいですか……」


 そこで、使用人の女性がそろそろと手を上げた。


「えーっと、貴方は……」

画懐がかい澄音すみねと言います。ここで使用人をさせていただいております」

「そうですか。では画懐さん。一体何ですか?」

「あの……ちょっと今、この屋敷を離れられないので、ここで事情聴取を受けることは出来ませんか?」

「構いませんけれど……どうしたのですか?」

「その……私、ここの家の鍵束を無くしてしまったもので……この家に外から鍵を掛けることが出来ないのです」


 あ。

 僕は咄嗟に鍵束を後ろに隠した。いや、別に隠す必要はないのだが、何となく後ろめたかった。しかし何故、彼女は僕が奪ったことを覚えていないのだろうか。あの混乱下だったのだから仕方ない、とも思えなくはないのだが。とりあえず、彼女が気がつくまでとぼけることにした。移動するのも面倒くさいし、警察署にはいい思い出がないから。


「では、この部屋を待機場所として使わせていただきます。あと、他に聴取するための部屋を提供してもらいたいのですが」

「あ、では私の部屋がこの部屋を出て右手の通路を右に曲がってすぐの所にあるので、そこなら私が別に持っている鍵で開きますのでそこをお使いください」

「ご協力、感謝いたします」


 そう言って並茎警部は画懐さんの手を取った。


「お辛いでしょうが、部屋までスムーズに行くため、貴方から聴取させていただこうと思うのですが、よろしいでしょうか?」

「あ、はい」

「では行きましょう。――飛鳥」

「はい」

「あんた、この現場では私に続いて階級高い警部補なんだから、現場の指揮とここの参考人の管理、任せたわよ」

「了解しました」

「後、私一人で聴取するわけにはいかないから、現場から二・三人、ちゃんとしてそうなやつを引っ張ってきて私のとこに連れてきて」

「そんなやつを連れて行くなら、私を……」

「だからあんたには指揮を任せるって言ったでしょ。駄目」

「……はい」

「じゃあ、任せたよ」


 ひらひらと手を振りながら、並茎警部と画懐さんはこの部屋から出て行った。残された飛鳥警部補は、頭を二・三回振り、自分の両頬を叩くと、近くにいた警察官の一人に、


「この参考人達が部屋を出ないように見ておいてくれ。現場行ってくる」

「はい。しかし、トイレの場合はどうすれば?」

「自分で考えろ。というか、この部屋にはトイレがあるだろうが」

「失礼しました」

「じゃあ、任せたぞ」


 そう言って飛鳥警部補は、部屋の外へと駆けて行った。

 部屋に残ったのは、僕達三人と、幾人かの警察官。


「……なあ、どうするよ、久羽」


 韋宇が声を潜めてそう訊いてくる。


「どうするも、何もしようがないじゃないか」


「あいつ、絶対ロリコンだぜ」


「……は?」

「さっきの警部補さ。絶対にあの小学生警部に惚れてるって」


 こいつは殺人事件の現場で何を考えているんだ。だが、暇なので返答をする。


「そうかな? 僕はそう思わないけど」

「うわー、刑事がロリコン、ってかなりまずい単語じゃないか?」

「そうだけどさ。でもあの人、二六って言ってたぞ。僕達と干支が半分程度違うんだぞ。見た目とは逆の意味で。ならロリコンじゃないんじゃないか?」

「ロリコンじゃなくても、幼い容姿の人を好きになったらロリコンなんだぞ。判らないのか?」

「あたしには判らないね、その世界は」


 そこで美玖が口を挟んでくる。


「馬鹿な話をしているようだけど、君達はロリコンなのかな?」

「断じて違う」

「断じてイエス」


 どちらの返答が僕であるかは、言うまでもない。


「ほほう。では韋宇はあの警部がお好みで?」

「違うよ、俺はもう少し……あ、いや、何でもない」


 もう少しの後が何であるか気になるが、まああらゆる意味でどうでもいいことだろう。美玖も同じ気持ちのようで、一つ息を吐くと、へえそうなんだ、と軽く流した。


「お前がロリコンであることは判った。だけど、そんな情報よりももっと手に入れなきゃいけない情報がある」

「あ? 何だよ?」

「お前は本当にロリコンで馬鹿だな。事件の詳細についてだろうが。眼で見ても判らないことや、久羽が見ていなかったものとか、色々あるかもしれないだろ?」


 というわけで、と美玖は近くにいた警察官の一人に声を掛ける。


「そこんとこの情報、教えてくれない?」

「そ、そう言われましても……」


 警察官はごもごもと口ごもる。


「ま、まだ現場の状況はこちらまで伝わっていなくて……」

「おう、どうした?」

「あ、警部補」


 警察官が飛鳥警部補に駆け寄る。それにしても、部屋間を往復したにしては異様に早く帰って来たものだ。そんな感想はさておき、飛鳥警部補は話を聞くなり、眉を潜めて美玖を睨み付けた。


「君、一般人がこういうことを興味本位で聞いちゃいけないよ。突っ込んでもいいことないよ。まあ、君が名探偵だっていうなら、教えてあげてもいいんだけどね。はっはっは」


 大きな笑い声を上げる飛鳥警部補。でも、笑い声を上げたいのはこちらですよ。実際、韋宇は「おっさん……それ、死亡フラグ……」と笑いを堪えてしゃがみ込んでいるし。

 その張本人はというと、じーっと飛鳥警部補の顔を見て、


「あの……あなたもしかして、あたしと前に会っていませんか?」

「え?」

「間違いならいいですけど、刑事さん、苗字『茶毛ちゃげ』じゃありませんか?」

「あ、ああ、そうだけど……」


『飛鳥』って、名前だったのか……そうだとしたら、相当危険なフルネームになる。だが、美玖は気にしていない様子で、


「やっぱり。あたし、あなたに会ったことがありますよ」

「んー?」

「覚えていないんですか? あなたも捜査員の一人だったじゃないですか。ほら――『時計村連続予告殺人事件』」

「確かにそうだったが……って、あ」


 飛鳥警部補は、口をあんぐりと開けて美玖を指差した。


「君は……いや、貴方は……ただの名探偵の女の子じゃないですか」


 ――ただの名探偵。

 警察が間違いなく美玖のことをそう呼称した。

 ……本当だったのか。

 僕は思わず彼女を凝視する。

 彼女は満面の笑みを浮かべていた。


「あの時はただ推理の詳しい話をしにきただけなのに、犯人だと疑ってくれて、本当にありがとうございますね」


 その笑顔の重圧に、飛鳥警部補はうめき声に近い唸り声を上げる。


「い、いえ……そ、その節は、も、申し訳な……」

「いえいえいえ。そんなことはどうでもいいですよ。それよりも刑事さん、さっき何て言いましたっけ? 私が名探偵だったらとか何とか」

「……分かりました。きちんとお話します」


 はあ、と溜息を一つ吐き、飛鳥警部補は手帳を開いて、ちらりと僕を見た。


「そこの少年が私達に話してくれた内容と、ほぼ変わらないです。あのベッドの上の女性はこのかがり千里ちさとさん。恐らくですが床にあった右腕は、その夫のかがり人彦ひとひこさんだと思われます。カガリ製薬の会長と社長ですね。まだ詳しいことは調べられていませんが、あの使用人の女性がちらとそう言っているのを聞きました」


 ここからは人に指示をしている間に監察医が呟いたのを聞いたので自信はないですが、と飛鳥警部補は釘を刺す。


「女性の方の死体は、臓器のほとんどがベッドの上に撒き散らされていました。それと、その臓器の代わりに彼女の体内に入っていたのは、今の所は全部衣服です」


 やはり、と僕は頷く。


「彼女の側面の切り口、あれは床に落ちていたチェーンソーで切られたものだろうと、監察医は言っていました。ですが、おかしな所が二点あるのだとその人は言っていました」

「おかしな所、ですか?」

「はい。一つは未だに、男性の右腕以外の部分と女性の左腕が現場から見つかっていない、ということです。そしてもう一つは、男性の右腕の切り口――こちらもチェーンソーで途中から落とされた跡がありますが、しかし、考えられない跡がついていたそうです」

「それは一体、何ですか?」

「歯型ですよ。それも切断された肉の一部についていたそうです」

「え?」

「信じられないと思いますが、そこから男性は『食べられた』と考えられます」


 その言葉を聞いた瞬間、僕の脳裏にはあの「捨てられた子供達」が浮かんだ。しかし、美玖は僕とは違う考えを持ったようで、飛鳥警部補にこう尋ねていた。

「ということは、『モルグ街の殺人』ですか?」

 モルグ街の殺人。

 世界で最初の推理小説と呼ばれている作品で、犯人が異色であることは有名である。

「いや、噛み跡からそれは違うと断言出来ます」

「その言い方ですと……人間、なのですか?」

「ですから先程、『信じられないと思いますが』と言ったのです」


 腕から先が食べられて、そこに骨の欠片さえ見つかっていない。ということは、ほぼ一人分を食べられたことになる。成人男性ならば確実に五〇キロは超えているだろう。到底一人で食べきれる量ではない。ということは――


「現場では犯人のことを『人喰い』と呼んでいました」


 飛鳥警部補はそこで初めて、手帳らしきものを開いた。


「後、伝えられることは……何もないですね。では、他に何か知りたいことがあれば、ここに連絡ください」


 さらさらと紙に電話番号を記入し、それを僕に渡してきた。


「あれ? どうしてあたしじゃなくて久羽に?」

「あ、いや、本当は貴女に渡すべきなのでしょうが……警部に誤解されたら……」


 飛鳥警部補は、ぽりぽりと頬を掻く。


「やっぱりこの人、危ねえな……色んな意味で」


 ぼそりと韋宇が言う。こいつといい、警部補の人といい、殺人事件が起こった現場で気が抜けすぎだ。

 と、そこで、くすくすと背後で抑えた笑い声が聞こえた。振り向くと画懐さんが、口元に手を当てて肩を震わせていた。先程までずっと青い顔をしていたとは思えない。


「あの、どうしました画懐さん?」

「あ、失礼しました。あの小さい刑事さんに、次の人を連れてくるように頼まれたもので。黒髪の男性を連れてくるよう、言われました」

「僕ですか」


 第二発見者だから、当然か。事情聴取は、幼い頃の記憶だからあまり当てにはならないかもしれないが、凄く嫌なことを言われた気がする。だからといって、子供みたいに駄々をこねるわけにはいかないので、一つ息を吐いた後、僕は警察官の一人と共に部屋を出た。


 そして何回か道を曲がって、『すみね』とひらがなで書かれたプレートが掛かっている部屋に辿り着き、気が向かないまま入室した。

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