風神雷神図


 日没直前のオフィス街は喧騒に包まれていた。

 救急車のサイレン。消防隊員の怒号。野次馬たちのざわめき。

 騒ぎの中心にあるビルの中層階は爆発でもあったのか大きく抉れており、その奥では赤々と炎が躍っている。

 時刻は五時前。

 どうやらビル内にはまだ多くの人間が取り残されているようで、ビルの正面で消火活動をしている消防隊員のあいだにも強い緊張が漂っている。


「――雅比、火雷天神の気配は?」


 現場のビルから少し離れたところにあるコンビニの駐車場。

 そこに集まった合計二十名弱からなる俺たちは、最後の打ち合わせをしていた。


 この作戦の合否は雅比にかかっている。

 そのため、雅比が宿るスマホを有している俺が全体のタイミングを調整することになっていた。


『いや、気配は感じぬ。すでに立ち去った後と見える』

「よし、都合がいい。だったら作戦通りで!」


 了解と皆から返事が来て、それぞれ準備にかかる。

 よし、ステップ1だ。


「大変です! 火事です! 燃えてますッ!」


 見ればわかることを叫ぶ園村に、付近で見守っていた人々がなにごとかと振り返る。

 俺たちは園村を先頭に警察と消防隊によって封鎖されたビルの真下へ突撃、瞬く間にやじうまたちの間で一大勢力を築きあげる。

 俺たちが手にしたスマホを一斉にビルへと向けるとその不謹慎な様子に周りの人々が顔をしかめるが、園村は咎めるような空気を無視してひたすら声をあげ続ける。


「こちら、現場はDCモバイル通信さんの国津支社です! 中にはまだ働いていた人が多く取り残されているようで、現場には緊迫した空気が漂っております!」


 そのセリフで撮影しているとわかったのか、近くにいた中年の男性が憤りの表情を浮かべて園村へ食ってかかろうとする。


 よし、ステップ2。


「雅比、今だ! ヒーローになってこい!」

『承知!』


 画面内、空中へと飛び上がった雅比が炎上しているフロアの真横へ張り付く。

 それを見届けた俺は間髪を入れず声を張り上げる。


「なんだアレはっ!?」


 声が裏返りそうになって焦ったが、合図を受け取った委員会の面々は一斉にスマホを雅比の方へ向け、口々に驚きの声を上げてみせる。


『聞くがいい、人間たちよ!』


 放送委員たちのスマホを拡声器代わりに、雅比の声が響き渡った。

 雅比は羽団扇を構えるとビルに向かって一閃。

 しかし、期待していたような風が吹くことはなかった。

 なぜだ。理由はすぐに思い当たる。

 電波だ。

 オフィス街、それも携帯のキャリア会社の近くである。

 神通力を妨害するほどの電波が発生しているのも当然だ。

 予想外の事態に雅比の顔に焦りが浮かぶ。


 まずい。

 本来は雅比が一発で火事を鎮火することでヒーローの登場を鮮やかに演出する予定だったが、これでは逆に悪い印象を与えかねない。

 どうする。

 幸い今はまだ録画しているだけで放送はしていない。

 時間を多少費やしてでも別の機会を探して撮影しなおすべきか?


 ――――その時。


『フン。妙な気配に戻ってみれば、やはり貴様か』


 黒々とうねる雷雲のような重たい声。

 枯葉色の狩衣をまとった男が忽然と宙に姿を現す。


『火雷天神……!』


 くそ、最悪だ!

 どっか行ってたんじゃなかったのかよ!


 火雷天神は射抜くような冷たい目を雅比へと向ける。


『十分な力が集まりつつある今、貴様など脅威ではないが……そろそろ目障りだ。消えてもらおうか』


 ビルの谷間を青白い雷光が走り、集まっていた人々のあいだから悲鳴があがった。

 力を増した今となっては電波の影響を無視できるのか、急激に膨れ上がった雷光は火雷天神の手の中で弓矢へと形を変え、引き絞られた矢の先端が雅比を狙う。


『貴様が風神天狗党から外れたのは僥倖だ。ここで貴様を消し炭に変えたところでどこからも文句など出ようはずがないからな』

『くッ……』


 雅比の表情が厳しくなる。

 仮にも雷の名を冠する神の一撃だ。

 あんなものを受けたらいくら雅比でも――!


『させません!』


 火狐神の喝破と同時、稲妻の矢が激しい音をたてて砕け散った。

 周囲から再度の悲鳴があがるが、視認できる範囲では被害はない。


『ネットワークに接続されている付近の電子機器を全て起動しました! これだけ電波の密度が濃ければ今のあなたにだって好き勝手はできないはずです!』

「おおおお、火狐神グッジョブ!」

『雅比さんは、私の補佐ですから! 私が守ってみせます!』

『……小さき者が、小賢しい真似を』


 頭上に浮かぶ火雷天神が、忌々しげに久住のノートPCを睥睨する。


『まぁよい。神通力がなかろうと田舎役者の一人や二人、物の数ではない』


 火雷天神は腰に結わえていた太刀をすらりと抜いた。

 鍛え上げられた鋼の刀身がビルを燃やす炎と夕陽を浴びて朱い輝きを放つ。


『本当にそうか、試してみるがよかろう』


 雅比もまた紐飾りのついた小太刀を下段に構えてこれに応じる。


 先に動いたのは火雷天神だ。

 一瞬で接近したかと思うと両者の間で立て続けに金属の激突音。

 そこから先はカメラの描写速度が追いつかなくなる。


 衝突、分離、並走、交錯、急上昇、急降下、旋回、また衝突。


 オフィス街の中空を舞台にした天狗と雷神の高速のぶつかり合いは目まぐるしく推移し、近くの建物のガラス窓を砕きコンクリートの壁面を穿つ。


『ほう。存外と粘る』

『…………ッ!』


 賞賛する火雷天神とは対照的に、雅比の表情に余裕はない。

 元々の地力にかなりの差がある上、片や災厄の象徴、片や歌舞伎小屋の舞台役者だ。

 本人からしてみれば分が悪いどころの話ではないだろう。

 四方八方から襲い来る火雷天神の斬撃をそれでも雅比は避け、凌ぎ、あるいは弾いてみせるが、躱しきれなかった一太刀が腕をかすめ、血飛沫が散る。


「逃げろ雅比! このままじゃお前がやられちまう!」

『できぬ! ここでワシが逃げれば、建物に取り残された者らはどうなる!』

「ッ……! それでもだ! なんならまた戻って来たっていい! だから、」

『それまでの間、かの神が手出しもせずに大人しくしているとは思えぬ!』


 すると火雷天神は心外そうな声で、


『フン、まるで悪鬼羅刹のように言ってくれるではないか。もっとも――』


 一瞬ビルに目をやり、男は嘲笑う。


『確かに少しばかり生き残りが多すぎるか。間引きが必要だな』

「……このクソ神がッ!」


 怒鳴りながら必死で頭を回転させる。

 どうする。なんとかして雅比のアシストができないか。

 物理的な干渉はおそらく不可能。

 できることがあるとすればせいぜいスマホを使ってなにかするぐらいだ。

 けれどそれで一体なにができる?

 強烈な音を鳴らして戦いの妨害でもしてみるか?

 いや、雅比まで巻き添えにしたんじゃ意味がない。

 できるとすればここから雅比を見上げて応援するぐらいしか――、


 ――応援? そうか、その手があった!


「園村! いま撮影してる映像をリアルタイムでネットに流せるか!?」

「え!? あ、うん! すぐにできるよ!」

「大至急頼む! 視聴者を集めて雅比の人気を稼げるだけ稼ぐんだ!」

「おお、りょーかい! ちょうどゴールデンタイムだからみんな見てくれると思う!」


 園村が国津東クニトーのアカウントを使って生放送のURLをツイートする。

 しかしもちろんすぐに視聴者が増えるわけではない。

 みんながURLをクリックして動画を見はじめるまでにはタイムラグがある。

 だから、そのタイムラグを俺が――俺たちで埋め合わせる。


「――がんばれ雅比! 負けんじゃねえ! そんでもって火雷天神はくたばれ! お前なんかいらねえ!」


 突然叫び始めた俺に、周りの人たちがぎょっと振り返った。

 猛烈に恥ずかしいが、この際どう見られたってかまわない。

 笑われようが頭がおかしいと思われようが、できることはなんだってやってやる!

 これで本当に効果が現れるかなんて知らないが、何もしないよりはきっとマシだ!


「ほら、久住も手伝え!」

「は? な、何をだよ!?」

「決まってるだろ! 雅比の応援だよ! 信じることがあいつの力になるんだろ!?」

「お、おおそうか! わかった! がんばれ雅比っ!」


 二人して叫んでいると、次に園村が、委員会のみんなが、更には一体なにを思ったのか一部の無関係な人までもがそこに加わってくれる。

 にわかに騒然となった地上を見下ろした雅比は、追い詰められた状況にも関わらず嬉しそうに頬をほころばせた。

 火雷天神は耳障りそうにこちらへと目をやり、


『……くだらんな。たかだか人間風情がそのようなことをしたところでなにも変わらん』


 すると雅比は静かに火雷天神を見つめ、


『本当にそう思うか? 火雷天神よ』

『……どういう意味だ』

『わからぬならば、よい。ただ――』


 にやりと、不敵に笑う雅比。


『ならばこの一戦、ワシが負ける道理はないな』

『ほざけ――その言、貴様自身の滅びをもって撤回させてくれる』


 声に殺意を塗りこめた火雷天神が振り下ろした太刀を雅比は紙一重で回避。

 寸毫と置かずに突き込まれた刃を打ち払い、素早く後退して間合いを取る。

 そこから火雷天神の側面に回り込もうとするも、相手の構えに隙を見つけられないのか中々仕掛けることができない。

 逆に斬りかかってきた火雷天神を、こちらは余裕をもって避けてみせる。


 しかしその瞬間、火雷天神が突き出した掌にスパークが発生した。

 無軌道に空間を薙ぎ払う雷光の一筋が蛇のように雅比の小太刀へと絡みつく。

 全身を走る衝撃に雅比はたまらず苦鳴をあげ、青白い光に照らされた火雷天神の細面に酷薄な笑みが浮かびあがる。


「おい、火狐神! 神通力は使えねえんじゃなかったのかよ!?」

『っ……、神通力が電波の強いところで使えないのはコントロールが利かなくなるからなんです。つまり、最初からコントロールを放棄すれば……』

「暴発ぐらいはできるってことか……!」


 なんとか電撃の影響下から逃れた雅比は体勢を立てなおそうとするも、火雷天神がサメのように追撃。

 首元めがけて振り上げられる太刀に背筋が凍りつく。

 振り仰いだ雅比の双眸に、己が死への覚悟の――――

 ――――そして超克の輝きが生まれる。


 火雷天神の太刀筋が稲妻ならば、雅比が翻した小太刀はまさしく神風。

 剣戟一閃、二閃三閃四閃五閃六閃七閃八閃九閃――――。

 天狗の魂を砕かんと至近距離で収束する致死領域に雅比は超速の反応で抵抗しつづけ、終にはそこから脱してみせる。


 二者の距離が、開く。


『……今のは仕止めたと思ったがな』


 不愉快そうに口を歪める火雷天神に内心で俺も同意する。

 今のは本当に危なかった。

 雅比は辛そうに肩で息をしながら、しかし笑って見せた。


『ああ。正直なところワシもそう思ったとも――――だが、なんとか間に合った』


 そう言って雅比はその笑みをなぜか俺に向けてくる。

 ――――マジか!


「園村、動画の再生数どうなってる?」

「あ、うん! 累計で三〇〇〇超えたとこ! みんなで協力して誘導してるのもあるけど、かなり反応いいよ!」


 園村のスマホを覗き込むと、ON AIRの表示と共にかなりの数のコメントがつけられていた。


 本物だと熱狂する者。

 偽物だろうと疑う者。

 特撮と決めこんで楽しんでいる者。

 視聴者の姿勢は様々だったが、寄せられたコメントのほとんどは雅比への応援だ。


 そりゃあそうだ。美人の女がサドっぽい男に追い詰められていて、あげく男のほうが人間がどうのと中二病的な発言をしていれば信憑性はともかくどっちの味方をするかなんて考えるまでもない。


 火雷天神はゆっくりとまなざしを巡らせ地上と雅比とを順番に確かめると、彼我の力量差が埋め合わされた原因に思い当たったのか小さく頷く。


『――成程。これ以上は泥沼か』


 そう呟くとおもむろに太刀を鞘に納め、


『一つ勉強になった。この勝負、預けておこう』


 未練一つ残すことなく、姿を消した。


『……やれやれ。これ以上勉強などされては困るんじゃがの』


 しばらく気配を探るようにしていた雅比は苦笑混じりに切っ先を下ろし、俺はへたりこみそうになる。

 雅比はこちらを見下ろし、


『礼を言うぞ、朝田。それに人の子らよ。おかげで命を拾った』

「あーーーくそ、ヒヤヒヤさせやがって! 見てるこっちまで死ぬかと思ったわ!」

『やってみれば道は開ける。言ったとおりじゃったろ?』


 すまし顔で言ってのけるので笑うしかなくなる。

 こいつも大概イイ性格してる。


「でもおかげでたっぷりいい映像が撮れたし、これはかなり視聴者数稼げるんじゃないかなー!」

「ブレねーよなぁ、園村は……」


 テンションを上げる園村に久住は呆れ顔。

 そこへ火狐神の声が響く。


『この辺りの電波の濃度を下げました! 今なら神通力が使えるはずです!』

「おーけーサンキュー。雅比、それじゃ一発決めてくれ!」

『うむ、任せておくがいい』


 雅比は羽団扇を取り出し、消火活動が続けられている火災現場へと向き直る。

 そのまま羽団扇を一扇ぎすると、あれだけ燃え盛っていた炎が消しゴムでもかけられたみたいにきれいに消え去った。

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