何ができるのだろう

『――以上が、<歌雅>のおおよそのあらましじゃな。参考になったかの』

「ああ、サンキューな。だいたい理解できたわ」


 場所は変わって自室。

 雅比の由来となった話を聞きながらノートにメモを取っていた俺は、机にペンを置いて軽く肩を回した。

 大衆文化が花開いた江戸時代に一世を風靡したというだけあって物語の筋はおもしろく、歌舞伎座の二代目と雅比が結ばれてのハッピーエンドはなかなかに感動ものだったが、肝心の雅比の由来を補強するのに使えそうな材料はやはりというか見つからない。

 もしかしたらと淡い期待をかけていたが、そうそう都合よくはいかないらしい。


『ワシも色々と考えてはみたのじゃが、これというのはのぅ……』

「そうか。まぁ、そうだよな……」


 雅比の話をまとめたノートを見返しながら頭をかく。

 そこで俺はふと引っかかりを覚え、ノートの先頭に大書した二つの文字を見直した。


「このタイトルの『歌雅』ってさ、本当にこれで文字あってるんだよな?」

『うむ? その通りじゃが、何か気になるかの?』

「あー、いや。いまいちしっくりこなくてさ。徹底してないっつーか」

『……む。どういう意味じゃ』


 微妙に機嫌を悪くする雅比。

 いかんいかん。


「いや、別にケチつけてるわけじゃなくてさ。ただ、……んんっとつまり、この話の主人公ってお前だろ? だったらお前の名前をタイトルに組み込んだほうが座りが良くねえかって思って」


 歌雅比、と試しにノートの隅に走り書きしてみせる。

 マンガなんかを読みなれている現代人ならではの違和感かとも思ったが、物語のタイトルに主人公の名前を組み込む手法は当時から普通にあったらしい。

 なにかそうしなかった理由でもあるのだろうか。


『ふむ、そういうものかのう……?』


 残念ながら雅比にはあまり響かなかったらしい。

 まぁ確かに「だからどうした」という程度の話ではあるか。

 これが直接由来に関係してくるとも思えないし。

 元々、無理やりな話だから、仕方ないといえばそのとおりなのだが。


「さて、それじゃあどうしたもんかな」


 椅子の背もたれに体重を預けて天井を見上げる。

 今日中に自分ひとりでやれることは大体やってしまった感がある。


『久住の手伝いに行くのはどうじゃ?』

「あー、悔しいけど今は俺に手伝えることはねえだろうな。俺スキルねえし」


 親切ぶって行ったところで邪魔になるのが関の山だ。

 ここは素直に任せておくべきだろう。


「胸を張れるような特技とかねえからなあ、俺」


 久住みたいにプログラムが書けるのでも、追風みたいに神道の知識があるのでも、園村みたいにネタ集めやプロデュースができるのでもない。

 もちろん久住たちも努力してそういうものを身に着けたんだろうし、努力してない俺ができないのは当たり前のことではあるのだが、こうした危機的な状況で自分にできることがなにもないというのは、なんというかひどく落ち着かない。

 こうしてじっとしていると罪悪感さえ感じてくる。


「……俺にはなにができるんだろうな」


 久住が昨日言ったとおりだ。

 ちょっと面白いアプリのアイディアを思いつけるぐらいじゃ、現実にはなんの役にも立たない。

 すると、微笑を含んだ息づかいが聞こえた。


『そう焦らずともよいさ。友を信じてただ待つのも大切なことじゃ』

「いや、まぁそうなんだけどさ」

『……力があったところで、思い悩むことに変わりはせぬさ。己にできることはなにか。己にはなにができるのか、できることなどろくにないのではないか、とな』

「……そういうもんか?」


 するとなぜだか雅比は胸を張り、


『そういうものじゃ。なにしろ昨日までのワシがそうじゃったからな。神の実体験と聞けば重みがあるじゃろ?』

「いやお前それ自分で言っちゃうのどうなんですかね!」


 ドヤ顔で自虐ネタとか笑うからやめろ。


「でもさあ、できることがあればそのぶん解ける問題が増えるのは事実だろ? 難易度だって全然違うだろうし」

『それは事実じゃな。が、一方でどれだけ己を鍛えようとも、大抵の問題はそれまでできなかったことをこちらに要求してくるものじゃ。ほれ、久住とて今ごろ新しいことに挑戦しておるはずじゃろう?』


 そう言われて久住が火狐神と交わしていたやり取りを思い出す。


 やり方なんて知らない。得意じゃない。


 そう――――確かに久住はそう言っていた。

 今回の件はあいつにとってもチャレンジなんだろう。


『結局のところ、できないことをできるようにしなければならぬという一点においては誰しも公平なのじゃ。ゆえに、己にはできることがないなどと思い悩んだところで意味はない』

「できることがないと悩むのは無意味、か……」


 なかなかの極論だが、もっともらしくも聞こえるから不思議だ。


『そもそも、じゃ。ワシから言わせてもらえばお主がそのように悩むこと自体がまず似合っておらぬ。火雷天神と相対した折、追風の娘を逃がそうとしておったときにできるかできないかなどいちいち気にしていたようには見えんかったが』

「む」


 いや、確かに。

 それを言われると全くその通りでぐうの音も出ないんだが。


「あの時は正直そんなこと考える余裕なかったからなあ」

『ならば、今もそうすればいい。やってみれば道が開けることなど世の中には幾らでもある。真に大切なのは力の有無ではなく挑戦しようとする意気込みじゃ』

「そうかぁ……?」


 なんだか根性論のようで完全に納得できたわけではないが、ここでうだうだ悩んでいてもらちが明かないのは確かだ。

 時間は待ってはくれないのだ。

 なら、力が無いなりにやれることをやるしかないか。


「いま何時だっけ? あー、まだ六時か」


 窓の外はずいぶん暗くなってたが、幸い雨は降ってない。


『うむ? どこかへ行くのか?』

「図書館な。自分で言い出した話だし、由来の補強に使えそうなネタがないかダメ元で探してみるさ」

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