……なぜ、こうなっている。

 普通に帰ろうとした、午後四時。どこか寄って帰ろうと誘われたので、ヒロも……と思い話そうとした瞬間、ガバッと口元を押さえつけるように回された腕。


『んん!?』


 あまりの早さに抵抗することが出来なかった。とゆうか、よろけた体を支えるのに精一杯だった。誘ってくれた奴らも驚いている。


『ごめんな、俺こいつに大事な話あんだわ。だから今日はパスで』


『そ、そうか!わかった、また今度誘うよ』


 手を振っていく友人たち。助けを求めようと手を伸ばすが、それも虚しく気づかずに去っていった。

 その状況を見終わるなり、腕を離したヒロ。問いただそうとすると、先程とは違った笑みを浮かべ口を開いた。


『赤ずきんちゃんについて、話したいんだけど』


 ちょっと、残ろうか。ハヤトくん?

 赤ずきんについての話なら聞きたい、が……この顔のヒロに捕まるのはとてつもなく、嫌だ。

 結局捕まったが。

 このシュールな状態をどうにかしてほしい。まるで俺が容疑者みたいじゃないか。ニコニコとした顔を机についた腕の上、つまり手に乗せて、物凄く見てくる。何となく嫌になって逸らす。



「……本当のこと、教えようか?」



 主語を教えろよ、主語を。何についての本当だよ。……赤ずきんのことなら、何が“本当”のことなんだよ。



「嘘だよ」


「は……?」



 ヒロの言っていることがまったくわからない。



「だから、何――」


「“お前のことを忘れた”っていうのが、嘘だって言ってんの」



 とても信じ難い。お前の言ってることの方が嘘なんじゃないか?――もし嘘だとしても、どこにその理由があるのだろうか。



「お前、何言ってんの」


を言っただけですけど?」


「ははっ、面白い冗談だな」



 乾いた笑いを見せると、キョトンとした顔をしたヒロがまた信じ難いことを言ってくる。



「冗談でこんなこと、言うと思う?」



 ……ヒロは言わない。

 面白がってたまに冗談や嘘を言ってみせるけど、ちゃんと本当のことを後で言ってくれるし、ネタばらしも早い方だと思う。何より、こんな状況に陥ってるやつにタチの悪いことは言ったりしない。そういう奴だ。

 だから、ヒロが言ったことは本当だと、真実だということ。嬉しい反面、どうしてなのかという感情が溢れる。

“俺を忘れた”と言った理由が欲しい。



「まぁ、いきなり言われてもわかんねぇよな」



 そう言いつつ、話し始めた赤ずきんが俺に言ったことへの経緯。どうしてこうなったのか。どうして言ってしまったのか。俺の知らないところであっていた、赤ずきんの物語。そういった全てを知った時、酷く心がスッキリした。ああ、そうか、と納得出来た。

 何も知らなかったんだ俺は。君をずっと見ていたのに、悩んでるなんて気づいてあげられなかった。気づいたところで、君は誤魔化すんだろうけど。



「教えてあげたんだから、ちゃんと仲直りしろよ?」



 ったく……と不満を少し漏らしたものの、ヒロの顔が少し嬉しそうなのは気のせいじゃなさそうだ。

 ヒロがいてくれて良かった。俺のことを支えてくれて、多分……いやきっと、お前は赤ずきんに話をしに行ってくれたんだろ?ありがとう、ヒロ。恥ずかしくて面と向かって言えないけど、本当はめちゃくちゃ感謝してんだ。

 だからさ、俺なりの感謝の伝え方だけど、ちゃんと受け取れよ?



「しょーがねぇから、今度ナポリタン奢ってやるよ」


「パフェ付きな」



 ニシシ、と効果音が付きそうな笑みでそう言ったヒロに「好きだな、それ」と笑みをこぼしながら言った。

 結構値段が張りそうだが、気にしないことにしよう。たまにはいいだろうと言うことで。俺はオムライスを食べようかな、なんて考えながら。



「……そろそろかな〜」



 突然意味深なことを言い出したヒロに何が、と聞こうとするとドアが少し勢いのついた早さで開いて、そこから現れたのは“君”だった。



「“オオカミくん”」



 息を整わせながら、言う君。走ってきたのだろうか、髪型が少し崩れているように見えた。

 それに振り向きもせず、まるで来ることがわかっていたかのような振る舞いで席を立ったヒロ。お前また、何か赤ずきんに伝えていたのか。



「んじゃ、俺帰るわー。おっさき〜」


「おいっ……!」



 鞄を持って軽くスキップしながら、君のいるドアから出ていこうとしていた。どうやら本当に帰るようだ。君の真横で止まって、遠目だったから定かではないが、微かに口元が動いていたから何かを告げたのであろう。それから最後に俺たち二人に別れを告げて、この空間からいなくなった。

 君がここに来たことはとても驚いたが、一番驚いたのは俺の呼び名についてだ。

『オオカミくん』と、あの頃のように呼んでくれたことが、君が俺を覚えているんだという証拠にもなってる気がして、嬉しくなる。



「赤ずきん」



 申し訳なさそうにしている君に失礼だろうか。でも、嬉しいんだ。君の名前を呼べることが、君とまた話せることが、すごくすごく。

 俺の声が発端なのか、泣きそうな顔をして俯いてしまった。それでも俺は近づいて、君の目の前に来た。

 君の言葉が、嘘で良かった。




 ***




 動かなければ、何も始まらない。



「あーかずきん、ちゃーんっ」



 音程に乗って呼ばれた私の名前に振り返ると、パーカーに手を突っ込みながら軽快な足取りで近づいてくるヒロさんの姿。ルンルンな気分なのかな。

 周りの空気が明るく染められていく。ヒロさんがいるだけでその場が明るくなるから、すごいな、なんて思う。



「どうしたんですか?」


「ねぇ、赤ずきんちゃんは動くきっかけ欲しい?」



 変わらぬ笑顔で何がすごいことを言ったのは、確かだと思う。動くきっかけ、なんて与えようとしているのだから。そりゃあ欲しいけれど、与えられても私が動くかなんてわからない。

 何を話せばいい?謝って済むものなの?彼が私の言うことを信じてくれるの?

 それに、一度は突き放した私だ。今更それが嘘でした、なんて通じるだろうか。当然怖いという感情が生まれる。



「大丈夫!俺もちゃあーんと協力はするから。それともずっとそのままでいる?」



 それはもっと嫌だ。ずっとこのままでなんていたくない。動けない私にチャンスをくれるのなら、きっかけを与えてもらえるというならそれを取ってみたい。

 細く、でも頑丈なつるに足を取られている様だった。動こうとしても、何か出来事が無ければ動かさない。そう言うかのようにもがいても、どんどん絡んでいくばかりで。今、光が見えた。

 ヒロさん、その手取ってみてもいいですか。

 こんな弱い私でも、いいですか。



「勇気なんて、少しでいんだよ。理由なんて、小さなことでいいじゃん。“もう一度仲良くなりたい”それだけでいいんだよ、赤ずきんちゃん」



 私の欲しい言葉をくれる。まるで、私のことを見透かしてるみたいに。



「俺、であいつと話してるから。頑張ってね」



 そう言って去って行った。

 でも、まだ確定していない自分の気持ちに、もう一度向き直してみた。

 ……怖い気持ちが消えてくれないの。





 午後四時。結局決められずにいる。帰路についている私。もう少しでこの建物の範囲から出てしまう。

 ――本当にそれでいいのか。逃げてしまうのはいいことなのか。

 せっかくヒロさんがくれたきっかけを無駄にしている。私はこのままでいることを望んでなんかないのに。怖いからと言って、逃げるの?

 それは間違ってる。

 覚悟を決めて、ヒロさんたちが話しているであろう場所へと足を動かした。

 オオカミくん、聞いてくれる?私の言い訳。

 忘れたなんて嘘なんだ。本当はとても覚えてる。オオカミくんが笑った顔も声も、少し前の私たちが出会った日のことも。鹿さんのことも、ヒロさんに会った時のことも、助けてくれた時のことも。全部、全部、覚えてる。

 脳裏にこべりついて離れてはくれないの。

 そのドアを開けるのは簡単で、久しぶりに真正面から見た彼の姿に胸が痛くなった。

 ヒロさんが去り際に



「勇気、出せたじゃん」



 そう言って笑った。

 ――そして、彼は笑った。

 でも、私は溢れ出そうな涙を堪えるのに必死で、何を言いたいのかがごっちゃになっていって。彼が目の前に来た時には、もう無理だった。

 私は久しぶりに名前を呼んだ。彼も、私の名前を呼んだ。それだけで、嬉しかった。




 ***




「………ごめっ、なさい……」



 キラキラとしたものが俯いた君の顔から、こぼれていた。それは涙だと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 泣いている理由がわからなくて、戸惑うしか出来ない。



「うそ……ついて、ごめんなさい……っ」



 君は、罪悪感で泣いているのだろうか。俺に嘘をつき、俺を傷つけたと思って。今まで思っていた感じていた気持ちが、溢れてそれが涙となっているのか。

 大丈夫。そう言葉で伝えるのは簡単だが、本当にそれが伝わるのかととっさに思ってしまった。

 まだ泣きながら俺に謝り続けている君に、どうやったら「気にしていない」と「泣かないで」を伝えられるのか。

 言葉じゃ、足らないなら――。

 俺より遥かに小柄なその体を自分に引き寄せて、俺の腕の中に君を閉じ込めた。

 無意識に働いた、とでも言うべきだろうか。普段の俺だったらこんなこと出来ないし、したとしても心臓がバクバクだ。でも、今の俺は酷く落ち着いている。

 少しだけ力を込めて、君の頭を軽く撫でた。



「大丈夫だから」



 理由はちゃんと聞いたよ。君の事情も全部、知ったから。



「もう、大丈夫だから……」



 苦しかったな、辛かったな。気づいてあげられなくて、ごめんな。



「泣かないで」



 君の笑った顔が見たいよ。

 君の小さな手が俺の服にシワを作って、シミを作って、それに気づいた俺はゆっくり目を閉じて、また抱きしめた。

 このまま君が好きだという感情も、伝わってしまえばいいのに。

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