5
彼がそばにいたら、少しは暖かく感じたのだろうか。
ヒロさんと久しぶりに会話した日から、ほんの少し経ったある日。橋本さんが私を訪れてきた。相変わらず綺麗な容姿と笑みにドキリとする。
「時間、あるかな?」
話がしたいということだろうか。
これといって忙しいとか用事があるとかは無かったので、「大丈夫です」とだけ告げると「話があるの」とやっぱり言われた。また、要求があるのかと内心ビクついていた。
放課後、ここで待っていてほしいと言われたので本を読みながら時間を潰していた。
紙をめくる音がやけに大きく聞こえる。
続きが気になっていた所だったのに、面白く思っていた本なのに、内容は全くと言っていいほど入ってこない。
ああ、もう。どうしてこんなに緊張しているのか。どうしてこんなに早く来てほしい、終わってほしいと思っているのか。……予想はついてる。怖いと思っているんだ。
ガラッとその扉が開かれたと同時に、私の体と心臓は跳ねるように動いた。反射的に持っていた本も閉じて、相手がいるであろう場所へと目を移した。
「寒かったでしょ?ごめんね」
そう、申し訳なさそうに言った彼女に、立ち上がった私は小さく否定した。確かに手はかじかんではいたけれど、思った以上に寒いという実感は無かった。緊張でそんな事も考えられなかった。
立っている私を見て、座るように促す。鞄を机の横にかけて、私の席の隣に座った。緊張感が一気に増していく。
「そんなに固くならないで」
眉を下げて笑っていた彼女に、私の緊張はバレていた。自分でも今、初めて気づく。両手を握って肩に力は入ってて、私は極力前を見ようとしていなかった。
「今日はね、赤ずきんちゃんに謝りたくて残ってもらったの」
あやまり、たくて?
彼女が私に何かしたのか……あれは、違う。好きな人に意識を向けてほしくて、見てほしくて言ったことだから、悪くは無い。決して悪いことでは、無い。
だから、彼女が私に謝りたいと言ったことに理解することが難しかった。謝ることがあるのだろうか。
――私は、矛盾してる。
「ごめんなさい」
立ち上がって私に向かって頭を下げた。肩からは長めの髪がさらさらと落ちていく。彼女が今、どんな表情をしているのかは、わからない。
慌てて、頭を上げるように言った。
「……どうして、謝るんですか?」
確実とならない答え。私の中で疑問になっているものを聞くため、彼女に問うとゆっくり頭を上げて、また眉を下げていた。
「私が原因で、あなたたちの仲を悪くしてしまったから」
違う。その言葉が出てこなかった。否定することが、出来なかった。
悪くいうつもりもない。責めるつもりもない。けれど、彼女の言葉が影響されていることは確かだ。でも、全ての元凶は私の言葉。言ったのは、私。
「あなたが羨ましかったの」
ぽつりぽつり、と昔話のように話しだす彼女を止めることはダメな気がした。
「私、対等に関われる人がいなかったの。接してくれたりする人はもちろんいた……けど、どこか違うの。他の人との接し方とね。それが嫌だったの。でも、彼は違った。普通に接してくれたの、他の皆と変わらない態度で。それが嬉しくて、いつの間にか目で追ってて、いつの間にか好きになってた」
幸せそうに話す、彼女の言ってることはよくわかる。オオカミくんは人によって態度を変えたりしない人だ。誰とも普通に話せて、接して、変わらぬ笑顔を向けてくれて。だから、人に好かれるんだと思う。だから、いつも人に囲まれてるんだと思う。
あの日だって、私に話しかけてくれた。
今でも覚えてる。あの時どれだけ嬉しかったか。今でも鮮明に覚えてる、彼の笑顔を。
「あなたと仲がいいって知った時、とても羨ましかった。近くに彼がいて、笑顔が見れて、声が聞けて。とてもとても……。同時にもう一つの感情が生まれてね、赤ずきんちゃんわかる?」
――知ってる。
直感でそう感じた私。でも本当に知ってる、よく知ってる。だって、今まで彼女に感じてた感情は……あの羨ましいという感情は、裏返せば“嫉妬”という感情。この感情は、気づいちゃダメだと思ってた。それを醜いって思う自分がいたから。
「私の嫉妬で、あなたに意地悪言っちゃった。
本当にごめんなさい。赤ずきんちゃんが深く考えたりするなんて思わなくて、二人がこうなるなんて思ってなかったの。こうなることを……望んでたわけじゃないの。ごめんなさい」
そう言って、今度は短く私に頭を下げた。
呆然とした私を見て、柔らかく笑った後驚くことを言う。その時の彼女の顔は少なくとも、楽しそうに見えたのは気のせいだろうか。
「赤ずきんちゃんはオオカミくんのこと、“好き”なんだよね?」
二、三度、瞬きを繰り返した後、もう一度彼女が言った言葉を頭の中で復唱した。
私が好き……?オオカミくんを、好き?
友情的な意味でってことでは、無いだろう。じゃないと彼女がこんな顔をするわけが無い。
私が恋愛感情で好きだなんて、なんでそんなことを聞くんだろう。なぜ、そう思うのか。
「……まさか、気づいてないの?」
まったく、さっぱりだ。
ふるふると首を振ると更に驚いた顔をした。まるで有り得ないとでも言っているみたいに。
「ねぇ、赤ずきんちゃん。ちょっと質問していいかな?」
「質問、ですか?」
「うん。イエスかノーで答えてくれればいいから」
今このタイミングでする意味が見い出せないが、一応わかりましたとだけ伝えた。
「オオカミくんが私と話してて、仲良くしてて少しでも嫌だと思った?」
……答えるのに罪悪感が湧き出るけど、小さくイエスと言う。彼女はその答えになぜか微笑んでいた。
今でも場面を思い出すと湧き出てしまう感情、この嫉妬と呼ばれるものは私を支配してしまいそうで怖くなる。
「もし、私とオオカミくんが付き合うってなったら……嫌だと感じる?想像してみて」
言われた通り、想像した。オオカミくんと橋本さんが恋人になった日常を。
――どくん。
手を繋いでる姿、照れくさそうに笑い合う二人、登下校を共にする二人。
――どくん。
私になんて目もくれなくなる。あの場所にだって来る可能性は断然低くなる。……いや、来なくなるのではないだろうか。
胸がきゅっ……と締めつけられる感覚。無意識に心臓部分を服の上から握った。強くはしなかったけど、まあまあのシワができた気がする。
それを見た彼女がどこか嬉しそうにしていたことを、知らない。
なんで、こんなに、痛いの。
はっきりと私の中に浮かび上がる二文字を、無視出来なかった。出来るはずない、こんなにも大きくなってしまったものを。
「…………嫌だ」
今自分が、どんな
知らない。こんなの、知らないよ。
俯いた私に彼女の手が私の肩を優しく包んだ。上を向く。彼女は泣いていた。
「嫌だって思うのは、友達として好きだからじゃないよ。赤ずきんちゃんはきっと、彼が好き」
綺麗なソプラノ声が私の鼓膜を刺激して、この湧き上がるものを誤魔化することを邪魔している。
「その感情が、“好き”ってことだよ」
ああ、これが。これが“好き”っていう感情……私がオオカミくんに抱いている感情なんだ。
そう思うと、今まで蓋をしていたのかというぐらい、温かいものが溢れ出てくる。私が気づこうとしなかったものたちが、溢れる。
「お願い、幸せになって」
涙を流した橋本さん。何もしてやれない私を抱き締める。
「じゃないと、怒るからね」
その優しさが嬉しくて、温かくて。冷たかった体が彼女の体温によって温められていく。ホカホカしたものが私を包む。一筋、涙がこぼれた。
数分間私たちは意味もなく、そのままだった。異様な光景だと思う。女子二人この場所で抱きしめ合っているんだから。変に思われたとしても、私は幸せだったと思う。
「もう一つお願い。友達になってくれる?」
だって、彼女と友達になれたのだから。
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