心にぽっかりと開いた穴を、どうしても埋めることが出来ない。それを人は消失感と呼ぶのだろう。私もそうだと思う。

 いつか、きっと埋まるよ。時間が解決してくれる。

 甘い考えを持っていた。そんなの全然無くて、むしろ広がっていってる気がして一ミリも埋まらない。

 何が原因なのか自分ではわかりきってる。でも、それをどうにかすることは出来ない。解決することが無理に思えた。

 ……いや、もう無理だ。こんなにも開いてしまった距離を、今更どうやって修復出来ると言うの?出来るはずなんて無い。

 行動してみないとわからないかもだけど、少なくとも私には行動する勇気も言葉を発する勇気も、どれも持ち合わせていない。

 彼も私に接してこなくなったってことは、つまりそういうことだろう。

 彼には、たくさんの友達がいる。

 そもそも私には程遠い人だったんだ。釣り合ってないんだよ、きっと。だから、こうなった。彼を好きなあの人も、そう思ってたから私に距離を置いてなんて言えたんじゃないかと思う。

 ――愚痴みたいだ。

 自分が隣に居れないからって、話せてないからって。私が……私が……って、自己嫌悪して。結局、逃げてるだけじゃんか。そうやって、自分が行動出来ない理由をつけて、そんな自分がいるからって言って、何かをしようとしてないだけ。

 弱虫だ。





 帰り道。不意に立ち寄った中庭を、懐かしくあの頃を投影させながら眺めていた。

 あの頃、か。言うほど日にちは経ってないのに、いくら思い出しても私はにこにこと笑ってる。彼の隣で笑ってる。

 あの頃は一人でいる時だって、どこか一人じゃないっていう感情があったからか、寂しい気持ちにはならなかった。

 今はどうだろう。時間が過ぎるのが遅い。一人でいるのが寂しい。ぎゅ……って胸が痛い。

“彼の隣にはあの人がいる。”

 力いっぱい握った手に痛みが感じられない。

 ずっと後悔だけが、私の中を延々と回り続けてる。

 あんな事言わなければよかった。せめて、距離を置きたいって、ちゃんと言葉にして言えばよかった。そしたら、気まずくならなくて済んだのかな。

 あんな顔、見たかったわけじゃない。

 オオカミさん、ごめんなさい。謝っても遅いかもしれないけど、言いたい。一言でいいから、お願い。誤解だけ、解きたいの。

 地面にシミを作った。ポタポタと落ちていくそれは、そのシミを広げていく。



「……ぅ……っ」



 こんなとこ見られたら、おかしく思われる。そう思って必死に涙を拭いて、自身を落ち着かせた。

 今日はもう、帰ろう。踵を返した時、小さく鳴き声が聞こえた。



「―――」



 っていう鳴き声。

 聞き馴染みのある声。どんどん近づいてる。

 ああ、帰ってきたんだ。帰ってきてたんだ。

 くるりと振り返るとそこには、随分と久しぶりなあの姿。こんなに寒くなってるから会えないと思ってたのに、まさか会えるなんて。

 ゆっくり歩み寄って、優しく抱きしめた。抵抗もせず、ただじっとその場にいて私が泣いていても静かだった。



「……私、どうしたらいいかな。どうしたら、オオカミさんと――」



 仲直りできるかな。



「―――」



 何を意味しているのか、まったくわからなかったけど。その声は温かくて私はまた泣いてしまった。

 忘れられる訳ないの。

 私は彼を本当に忘れようとした。いや、せめて前の関係に――出会う前の関係に戻そうと努力した。けど、私の中から彼の存在は小さくなってくれない。それほどまでにこの短い間で、彼が大きな存在になってた。

 彼が笑っていれば自然と笑みがこぼれたし、彼の声を聞くと安心できた。それがあの人と混じっていれば、モヤモヤとした気持ちになった。

 いっそのこと、大谷くんに話してしまおうかと思った時もある。でも、そんなことすれば橋本さんの邪魔をしてしまう。

 次第にどうしたいのかも、どうすればいいのかも、わからなくなっていた。ごちゃごちゃになって、ぐちゃぐちゃに考えが絡まっていく感じ。

 今の自分が物凄く嫌で、嫌いだ。



「どうしたんだい、お嬢さん」



 ――ヒロさんだ。



「あ、鹿さんじゃん。帰ってきてたんだね」



 あの笑顔を浮かべて私のそばにいる鹿に触れた。いろんな言葉をかけながら。



「一人で溜め込むよりさ」



 私の方は見てなかった。だって、目線が合わないから。でも、ゆっくりとこちらに向いた顔はあの無邪気なものではなく、ふわりとした微笑みだった。

 ヒロさんは、大体のことは理解してるんだろうな。……そりゃそうだよね。いきなり私たち二人が話さなくなったんだもの。

 ヒロさんになら、話してもいいだろうか。



「人に打ち明かすこともいい事だと、俺は思うよ。話してよ、俺でよかったらちゃんと聞くから」



 私が溜め込んでいた、悩みを。



「やっぱりね」



 一通り話し終えた時、ヒロさんはそう言った。

 ある程度予想はついていたのだろうか。それともあの人の態度がわかりやすかったのか。何かに納得したかのように、「やっぱ、そうだよなぁ」と繰り返し小声で言い続けていた。



「あいつ鈍感だしね、そうゆうの疎いんだよ。周りからしたら、迷惑なくらいオーラ出てるけどね」



 お手上げだ。という風に肩を上げて、呆れた顔つきになる。それはオオカミくんに対してだろう。

 橋本さんの気持ちを知っているから尚更だけど、見ているだけでわかるほどアピールはしていたと思う。積極的に話しかけて、それでも不自然にならないように気を使っていて。気づいている人もいると思うけど、人数は数えるほど。

 オオカミくんの反応に変わった様子は無く、あの人気者に話しかけられたら誰だって自惚れてしまいそうなのに、他の人と接する感じと変わらない態度。そこが好かれる要因だと思う。

 ヒロさんが「多分、なんで俺なんだろっていう考えだと思う」と言っていたが、言われてみれば……うん、そうかもしれない。



「しっかし、橋本さんすげえな。はっきり言うなんてどんだけ勇気あんのかねえ」



 それには同感する。私のそれについての考えは、前話したから割愛しよう。

 でーも、と言ったと同時にヒロさんから、軽いチョップを食らった私の頭。痛くはなかったけど、反射的に声を出してしまった。



「とっさにそれを言っちゃあ、ダメでしょ」


「うっ……すみません」


「そんなことだろうなーとは思っていたけど、まさか当たるとはねえ。面白いね、赤ずきんちゃんは」



 実際は面白くないことになってますけど……。



「まずは、仲直りの前に橋本さんに話をしないとね」


「えっ、そんな……いいですよ。橋本さんは悪くありません」


「そう?赤ずきんちゃんがそういうなら、いいけど」



 あっさり納得してくれたようでよかった。

 仮に橋本さんに話をしても、何を言えばいいのだろう。あなたのせいで私は……!とか言えばいいのかな。

 それは違う気がする。

 橋本さんは私にここまでしろとは言わなかった。ただ、距離を置いてほしい。そう言っただけ。それを考えすぎた私がポッと変なことをオオカミくんに言ってしまって、こうなったんだから、橋本さんは悪くない。私一人が犯したことだから、それをとやかく言うつもりもないし、責めるつもりもない。

 誰かを想って、距離を置いてほしいと伝えるのは悪いことじゃないと私は思う。距離を置きたくないのなら断ればいいだけのこと。それを私はしなかった。

 この事件に誰が悪いとか、無い。



「じゃあ、ハヤトと話し合いの場を作らないとね。そうでもしないと、君たち話さないでしょ?」



 どうやら見透かされてるようで、呆れたように笑うヒロさんに私はぐうの音も出なかった。

 話し合いなんて出来ていたら、ヒロさんがこうやって私に事情を聞いたりなんてしないだろうから。



「よろしく、お願いします」



 軽く頭を下げると、くしゃりと頭を撫でられた。



「ちゃんと仲直りしてよ~?結構大変なんだからな、あいつに対応してやるの。お前もそう思うよな~?」



 私とヒロさんの間に座っていた鹿の頬部分を撫でながら、言った。気持ちよさそうに目を細めている。人に撫でられるのは、相変わらず好きなようだ。私も撫でてやると、さらに目を細めた。



「頑張れよ、赤ずきんちゃん」



 ヒロさんからの応援の言葉は、とても嬉しくて。ここまで協力してくれたことに感謝した。

 その気持ちも込めて、私は精一杯「はいっ」と返事した。




 ***




 ただの、俺の興味本位ってことで。そういうことにしといてよ。

 さぁさぁ、俺は誰かって?この短い文だけで十分わかるだろ?てゆーか、わかりやすすぎかな。

 俺はヒロ。ハヤトの幼馴染みであり、親友でもある!そしてそして、赤ずきんちゃんの救世主さ!

 ……言い過ぎもここら辺にして。さてさて、本題に入りますよ。

 赤ずきんちゃんには止められた次の日の今日、俺は彼女、橋本実里をハヤトと話していたこの空間に呼び出している。

 あ、別に責めるわけじゃないよ。最初に言った通り“興味本位”。彼女の恋愛話を聞きたくなっただけ。

 だって面白そうじゃん?学校一人気者の橋本実里が、俺の親友を好きになるなんて話。まあ、好意を抱かれんのもわからん気もしないがね。

 この寒い中、彼女を待つのはちょっと過酷だったかな。暖房も切られているこの空間には冷気が閉じ込められていて、厚着をしているとはいえ、この寒さが俺を襲ってこないということにはならない。

 何が言いたいかというと、とにかく寒い。

 あ~、マフラーとか持ってきとけばよかった。

 俺が冷たくなった手を合わせ、自身の息で温めている最中に、ガラッとドアを開け彼女は登場した。



「ごめんなさい、遅くなっちゃって」


「いいよー、俺が呼んだんだし。ちょっと寒いけど」



 寄りかかっていた机から離れ、彼女と間隔をあけつつ立ち止まる。



「それで、話って何?」



 軽い動作だけでサラリとなびく髪に、多くの男たちが息を飲んだのだろう。俺も綺麗だとは思う。生憎、俺は綺麗系の女子より可愛い系が好きなんでね。心を持っていかれることは無い。

 赤ずきんちゃんもそこそこモテてると思うけどね。本人には言わないけど。



「嫌じゃなければでいんだけど、どうしてあいつが好きなの?」



 こんなこと聞かれるとは思ってなかっただろうな。一瞬驚いたような表情をしたけど、すぐに元に戻った。



「……私を、特別扱いしなかったから」


「特別?」


「あー、えっと。なんて言えばいいのかな。簡単に言えば“普通”に接してくれたから」



 それだけで?なんて、俺は聞かない。彼女の気持ちが今わかったから。

 容姿端麗、成績優秀。運動もそこそこ出来るし、皆からの信頼も強いだろう。何より、男女共の憧れの的である。

 そりゃ、態度がちょっとよそよそしかったり、変に優しかったりなんてするんだろう。彼女はその態度が――簡単に言えば、嫌だった。普通に接してほしいのに、接してもらえない。軽い感じに話しかけてほしいのに、どこかぎこちない話のかけ方。ここ数日、彼女が近くにいたからよくわかる。話しかけた子たちが去っていく時、少し悲しげにする彼女をよく見ていた。

 言い過ぎに言うと、「話しかけるのは申し訳ない!」的な感じだろうな。言い過ぎに言ったら、だからね?

 と、まあ、俺が思っていたことは大体あっていたようで、彼女は同じようなことを話していた。



「ハヤトはそんなことしねぇからな、橋本さんの気持ちわかるよ。優しいよな、あいつ」



 コクリ、軽く頷いた。



「だから、あの子が羨ましかった。彼に好意を向けられてるあの子が」



 好きな人には好かれたい。そう思うのは普通のことだ。

 わかりやすいぐらい、あいつは赤ずきんちゃんに好意を抱いていた。いつからかは正確にはわからないけど。気づいたら、ああ好きなんだろうなって勘づいてた。ま、他の奴らが気づいてないことが運がいいというか、何というかな。

 橋本さんは簡単に気づいただろうな、ハヤトを好いているのだから。



「嫉妬、しちゃったんだよね。きっと」



 相手の気持ちがわかっているのに、そばにいることは辛い。彼女の痛みが俺に伝わってくるようだった。



「意地悪しちゃったな」


「いんじゃない。女子らしいよ、そういうの」



 ふはっと吹いて笑った。初めて見たかもしれない。



「あ、このこと内緒だからね」


「わかってるよ」


「……オオカミくんの気持ちはよくわかった。私なんかまったく見えてないもの。諦めがついたよ」



 どこかスッキリとした笑みを浮かべた彼女に、俺も笑みを浮かべた。

 うん、やっぱり、いいやつだった。

 ヒロくんって呼んだ時は驚いたけどな。



「あの子には謝っておく。私が影響で、二人がぎこちなくなってるみたいだから」



 驚いた。彼女は気づいていたのか、あいつらの異変に……自分が影響しているということに。

 そうか、そうだったのか。



「いいやつだな、橋本さん」


「失礼だね。元からだよ」



 ちゃんと接すれば、子供みたいに笑うんだ。ほら、口調だって和やかに変わってる。

 他の女子と大差ない、普通の女子なんだ。



「ありがとね、話してくれて」


「ヒロくんになら話してもいいかなって思って。でも、結果スッキリしたからこっちこそありがとう」


「あらら、お礼言われちゃった」


「ふふ。じゃ私帰るね」



 俺の返事と共に彼女は入ってきたドアに手をかけ、帰っていく。ドアを少し開けた時、何かを思い出したかのようにあっと声を上げ、首だけ振り向いた。



「あなたのこと、名前で呼んでたのはね。初めて呼んだ時、嫌そうな顔したのが面白かったからだよ」



 小さく手を振って去っていった、彼女の背中を見ることしか出来なかった。

 結構……性格悪いんだな。橋本さんって。



「ははっ」



 ――やられた。あの一瞬の顔を見られていたなんてね。面白い、バレていないって思ってたのにな。

 次の日、彼女が言ってきた言葉。



「赤ずきんちゃんとは、いい友達になれそう」



 俺が思ったことと、そっくりそのまま同じだった。

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