「どう、しよう……っ」



 ただ今、私は焦っています。

 久しぶりに会った友人のオオカミさんに酷いことを言ってしまった。言おうと思っていなかった言葉を軽々とこの口は言った。

 本当は何を言おうかずっと考えていた。謝ろうとか、ここに来なかった理由を話した方がいいのかとか。悩んで悩んで、いざ本人を目の前にすると一気に頭が真っ白になって……。

 自分でも一瞬何を言ったのか、処理するのに数秒を要した。気づいた時には遅くて、動かなくなったオオカミくんの表情は驚きと困惑の色で染まってた。

 甘く考えてた。嘘だと気づいてくれる。冗談だろって笑ってくれるって。でも、そんなことあるわけなくて。オオカミくんはただ素直に、私の言葉を信じて無理に笑ってた。

 ヒロさんのことは正直に言ってしまって、言ったらもっと傷つけちゃうのにペラペラと話していた。

 私は、壊してしまった。オオカミくんとの友情関係を。言葉一つで呆気なく、私は何かが崩れ落ちていく音が聞こえた。ガラガラと、大きく、でも小さな音が。



「ごめん……なさいっ………」



 きっとあの人の言葉に影響されすぎたんだ。どうにかして少し距離を置こうとしすぎて、結果彼との関係を壊すことになった。一番怖いことが、嫌なことが起こった。

 ――キラリ、光るものを見つけた。

 手に取ってみると可愛らしげな色と、形。とても私好みで思わず見とれてしまう。

 彼が持ってきてくれたものだろうか。私の為に買ってきてくれたのだろうか。私にあげようとしてここに来てくれたのだろうか。

 自惚れていた。自惚れさせるほど、彼には似合わないものでいかにも買わないようなストラップ。私宛なのか、それすらもわからない。

 だって、目の前には彼がいない。かといって話しかける勇気もない。



「……っ」



 きゅっと両手のひらで包んでただただ、謝り続けた。

 元に戻ることは無い。それは確かだった。



「壊したのはっ……私、」



 私の言葉には、一つの恋愛が発端だ。

 彼がいない時を見計らって、例の場所にいた時のこと。人があまり寄り付かないところだというのに、後ろから綺麗なソプラノ声が聞こえた。



「ねぇ、ちょっといい?」



 振り返ると、そこにいたのはで結構有名な簡単に言えばマドンナ的な存在の、橋本実里はしもとみのりの姿だった。

 彼女が私に話しかけてくるなんて、ないことだったから驚いた。同時に、私は何かしたのかと焦りも生まれた。



「オオカミくんと仲良かった……よね?」



 コクリと頷いた。

 それを見た彼女は私でもドキリとする、笑みを浮かべてゆっくりしゃがんだ。私と視線が絡み合う。

 私とは違った力強い目力と彼女のオーラが、私の肩を竦めるのには十分すぎた。

 鼓動が、早くなる。



「彼とは、付き合ってるの?」


「………へっ、?」



 思ってもみない言葉には、思わず声が漏れた。

 どうしたの?とでも言うように首を傾げる彼女を、ただ見つめて少し前の記憶を思い返す。

 つき、あってる……?

 私とオオカミくんは友達で、決して恋人などではない。私はオオカミくんの“彼女”じゃない。

 チクっと痛んだ胸には無視して、私は首を振った。



「彼とは、友達です……」


「本当……?」



 また頷けば、先程とは違ったふわりとした笑みを浮かべて私に近づく。やっぱり、綺麗な人だ。



「良かったっ!こんなこと言うのは、あれだけど。私ね、オオカミくんのことが好きなの」



 大体、予想は出来ていた。じゃなきゃ、私に付き合ってるかなんて言うわけないし。私に話しかけたりなんてしないだろう。

 彼女を見れば見るほど、私とは正反対の人なんだと思わされる。私には無いものを橋本さんは持ってる。いっぱい、いっぱい、持ってる。

 橋本さんに告白されれば、オオカミくんはイエスの答えを言うだろうな。



「……無理を承知でお願いしたいの」



 突然真剣な顔をして、眉を下げながら目を伏せた。何となく言われることはわかるけど、嫌だと感じてしまう私は嫌な女だ。必死に頑張ろうとしている人に、隣を譲りたくないと黒いものが出てくる。



「彼と距離を置いてほしいの」



 そして、協力してほしい。

 少し予想外な言葉に笑えなかった。

 こんなに直接的に言ってくるなんて、私が考えてたのは間接的なものだったから予想は外れた。

 そのまま言うってことは、それぐらい本気だってこと。そうだよね。自分の恋を叶えようと、アピールしようと思えば私の存在は邪魔だもの。

 少なからず彼女は嫉妬してたと思う。私の、オオカミくんの隣にいるっていうポジションに。

 でも、私たちは友達でそれ以上でもそれ以下でもない。オオカミくんはきっと、私は友達だから仲良くしてくれてる。一人だった、私を――。

 私が彼女の邪魔をする資格はない。だから「嫌だ」と言う資格も、ない。

 笑ってみせて、「うん」とも「いいえ」とも言わずにただ一言「頑張ってください」そう伝えた。

 私の言葉を協力する方に捉えたであろう彼女は、なんとも嬉しそうにして何度もお礼を言って、ご機嫌で帰っていった。

 一人残された空間に、柔らかな風が吹いた木々が揺れて葉っぱが音を鳴らしている。

 喪失感みたいなものが生まれた。ぽっかりと何かが空いてしまったような、失ってしまったような。そんな感覚。

 楽しかった時間、日々。彼の笑顔、声、仕草、それと来たことを知らせてくれる足音。全部がもう聞けないのだと思うと、悲しくてしょうがない気持ちになった。

 私が男だったらこんなこと言われずに済んだのに。

 言えばよかったかな……初めて出来た友達なんですって。だから、少しでもいいから話してもいいですかって。

 あの人は喋るなとは言わなかったけど、私には距離を置くってことは今までみたいに関われないことを意味してて。当然、ここに来ることは自重した方がいい。

 そしたら、会話を交わす回数も会う回数だってすれ違う程度になる。……私がここに来なくなると思うから。

 忘れてしまえればどんなに楽だろう。思い出も、全て。彼に関することを。心は痛むけれど、自分から避けるなんてするよりかは全然マシだ。

 まだ話したい。まだ彼に会いたい。

 楽しかった時間はあっという間に過ぎて、それを手に入れるのはちょっと難しくて。

 ごめんなさい。何も事情を話さないで離れていく私を、許してください。

 こんなに孤独を味わったのは、久しぶりなことに今更気づいた。

 どこかで忘れたいという思いがあったから、たった一言に影響されすぎたから。私は「誰ですか?」なんてことを言ったんだと思う。




 ***




 あれから数日。何回か彼はあの場所へ来てくれてたけど、やっぱり前みたいな会話は出来なくて。私も彼もぎこちなく言葉を発することしか出来なかった。

 気づかれないようにちらりと彼を見た時や、少し顔を合わせた時、決まって悲しげに笑っていた。

 そうさせたのは、私。

 言いたい。言いたくない。ぐるぐる、ぐるぐる、回っている二つに目が回りそうになる。

 ストラップは未だに返せないまま。返さないといけないことはわかるけど、なかなか言い出せなくて。躊躇ってしまう。でも、言わないと。



「あの………これ……」



 手のひらに乗せて差し出せば、何か言おうとしたのか口を開いたがすぐに閉じて俯いた。



「……ありがとう、探してたんだ」



 ゆっくり私の手からストラップを取って、すぐにポケットにしまった。

 私にあげるように買ったのじゃなかった。なんて、自惚れもいいところ。

 いいえ、と発した後、数分後私たちは別れた。

 それからまた、数日。どちらともなく、あの場所には集まる回数は減って。どちらともなく、あの場所には行かなくなっていった。

 大谷くんには喧嘩でもしたのかと尋ねられたけど、苦笑いしか返すことが出来なくてとてもじゃないけど、真実を告げることは無理だった。

 彼を見かける度、隣にいることが多くなっている彼女を羨ましく思った。何度もこれでいいんだと自分に言い聞かせた。でも、痛くなっていく胸の痛みは無視出来なくて、彼を見る度酷くなっていくそれに悲しみを覚えた。

 そんな私たちに異変を感じたのか、大谷くんがよく私を訪ねてくるようになった。



「本当に大丈夫か?」

「何かあったんだったら言えよ、協力はするから」



 優しい言葉にずっと笑ってお礼を言って誤魔化し続けてる。その度に大谷くんは、眉をよせて何も言わない私に不満を持ってるようだった。

 大谷くんともこんなに話せるようになったのは、他の人たちとも仲良くなったのは、彼のおかげなのに。私はまだそれに見合ったお礼をできずにいるのに、何をしているのだろうか。

 考えるだけ無駄。だって答えはない。望んでいる回答をくれる人なんていない。

 大谷くんの他にも私の元に来てくれた。それでも変わらない私に大谷くん同様、同じ顔をした。

 ――ひとりは、寂しい。

 正確に言えば、大谷くん達が話しかけてきてくれるから一人ではないけれど、心が一人ぼっちで。前までは当たり前だったこの環境に、初めてそんなことを思った。

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