第20章 ウィッチ・ハントとは何だったのか?



■第二十章 千智、魔術師師ウェルメとの最期の対談 ウィッチ・ハントとは何だったのか?―


人工呼吸器をつけて、ベッドに横になっている一人の男がいた。その病室にノックをせず入る一人の男。まるでこの部屋の本来の主は自分だと言わんばかりに、堂々と入ってくる。しかし、その病室の主はその男ではない。



 その男は、ダ―クのス―ツ、ネクタイの色もダ―クだ。中に着ているシャツはホワイト。顔には深い皺が刻まれている。世界の闇の部分を何度も見てきた男の顔だった。目は細く、穏やかにも厳かにも見える。口髭は真っ白だった。その老人はベッドの傍まで近づき、声をかけた。前置きはなく、淡々と用件だけを述べた。



「私だ。魔術師ウェルメだ。起きているかね? 勝者、センチ・サカシタ」

人工呼吸器を付けている男は、瞼をピクピクっと痙攣させ、目を開ける。おぼろげではあるが意識はあるようだった。目の前に老人の存在を認めると、

「どちらさまでしょうか……」

と、か細い声で老人に尋ねた。




「魔術師ウェルメだ。わからないかな?」

深い、仙人が出すような声言った。

「あぁ……。あなたが魔術師、ウェルメさんでしたか」千智はしばらくして、その声の主を思い出した。千智の目の前の光景は、すでにもう、霞みはじめていた。




「いかにも。はじめまして、だ。勝者、センチ・サカシタ」

老人が右手を差し出すと、ベッドに横たわる坂下もフラフラさせながら右手を差し出す。そして、がっしりと握手をした。




「本音を申し上げますと、私がここまでするのは異例のことです。契約の対象外なのですが、ちょっとしたサ―ビスだと考えてください。優勝した、勝ち残ったあなたに対するささやかな送りものだ」

「……なんの、ことですか?」

「間違いなんてあるわけがないのですが、あなたの妹。ヒカリ・センチについて元気に暮らしているという報告を、あなたへ」




「…………」

しばらくしてから坂下の眼に、雫が溜まった。湧きあがる激情に震えていた。妹が元気で暮らしている。それを聞けただけでも、静かに逝くことができる。直接見ることができないのが残念ではあるが、それは過ぎた望みと言えよう。そう思うことにした。




「もちろん、言葉だけでは何かと寂しいでしょう。私がここを出て行く時、私の魔力を少し用いて、あなたの脳裏に直接、映像をお渡ししましょう。見るところ、何をすることもできず、暇なのでしょう。どうやらあなたの身体はもう、死を座して待つだけのガラクタのようだ。少しでも、あなたのあの世への旅路に、言うなれば冥土の土産として持って行くとよろしいでしょう」

「……ありがとう、ございます……。しかし、なぜ……」

「これといった特別な事情はございません。私はこの魔女狩り戦争の様子をずっと真っ白な箱(シュネー・ボックス)を通して拝見しておりました。この戦いを通して、私はあなたを、あなたという人間のことが好きになったからだ、とでも申しましょうか」




「そう、ですか……」

「私は、この戦いを実は以前も見ておりました。そして、前回もまた、知力を尽くした戦いとなりました。まさに死闘、といった具合です。今回のセンチ・サカシタ様の記憶改竄という必殺技はありませんでしたが、それでも目を見張るようなトリックプレーを幾度となく見ることができました。そして、その前回の優勝者さんと私は直接お会いし、話をさせていただきました……」

 遠くを見つめながらそう言った。不条理な世界を多く見つめてきた男の眼だった。寂しそうであり、憐れんでいるようでもあり。



「私が、なぜこんな戦いを主宰したか、その理由はおわかりで?」

突然に声を切り替えてそう言った。それに対し、坂下は掠れ声で、

「なんとなくは、予想はしております。あの、神がどうたら、とかなんとかのメールで。しかし、あまり考えないようにはしてきました。あの時は、あのメールを初めて読んだときは、この魔女狩り戦争が果たして本当に信じられるものなのか、妹を本当に救えるのかどうかだけを考えてきましたから、あくまでなんとなくしかわかっていません」



「それは致し方なきこと」

 と言うと、

「私は少し長い話をしたいと思う。もちろん、センチ・サカシタがよろしければ、ということになるが」

「えぇ、構いません。もうすぐ死に行く者に、時間なんて多くは要らないものですから」

と千智は答えた。必要なだけの時間がもしあれば、と言おうとしたがそれは口にしなかった。細いながらも、太い声で。

 死に行く者に必要なものは、時間の量ではなく、時間の質だ、と千智は思っていた。




「私、魔術師ウェルメは正式には魔道士という立場にあります。まだ私が魔術師時代だったある時代、私には師匠がおりました。別に師匠がいなくてはいけない、とか師匠にいつまでも弟子はついていかなければいけない、とかそういった規約、規定はありません。しかし、私は当時の師匠、アディア・エリゴスという魔道士の下におりました。師匠エリゴスの研究の手伝い、資料集め、中央英国魔術教会(通称:時計塔)に呼び出しをもらえば私が師匠の窓口となって対応する……。そんなこと、つまりは雑用をする毎日でした。そして、ある日、師匠はあるゲームをしよう、と私に提案してきます。それが、ウィッチ・ハント。魔女狩り戦争というものでした。私がそれはどういうゲームですか、と尋ねると、師匠は『数名、できれば8名以上の正真正銘、ただの人間が集まり、一時的に魔力を与えるんだ。そして、誰が最後まで生き残るかを競ってみたい。細かいルール作りはお前に任せる』と言いました。初めて開いたウィッチハントと今のウィッチハント、ルールはほとんど変わっていないのです。初めてウィッチハントというゲームをしたときは携帯電話なんてハイカラなものはありませんでしたから、ルール説明は基本手紙で行われたりしたものです」

「…………それと、ウィッチハントを行うことになった理由、繋がりはあるんですか?」


「いえ、大変申し訳ない。今のはいわゆる話の枕の部分であり、本筋ではない。今の過去話で私が何を言いたいのかというと、初めてこのゲームを行ったとき、私自身には理由がなかったというわけです。ただ私は師匠の発する言葉に従ってルールを作り、ゲームを何度も何度も繰り返しながらルールを改正し、バランスを取り、できるだけ公平になるよう務めたということです」

 ふぅ、と魔道士ウェルメは溜息をついた。

「もちろん、話はこれで終わり、なんてことはありません。その後、師匠は魔道士を引退することになります。魔道士に定年退職なんてものはありませんが、それはつまり、自由に辞めても良いということです。魔道士を引退した人は主に時計塔で教鞭を振るうか、魔力を持っているのに周りの理解を得られず苦労をしている人達の元に助けに行ったり、などの活動を行うものなのですが、私の師匠の魔道士エリゴスは山の上に石だけで小屋を作り、暮らすというこれまたなかなかに規格外のことをやっております。私と師匠はかれこれもう五十年は会っておりません。おそらく、生きてはいるとは思いますが、果たして健全な状態なのかはわかりません。



 そして、私は、考えるようになりました。魔道士エリゴスは結局、何が目的でウィッチハントというゲームを提案したのか、師匠と私が袂を分かつその日まで結局わからず仕舞でした。師匠は、先ほども言ったように、突然山に籠ってしまうような、なんというか気難しい性格の方でありましたから、普段もあまり喋りはしません。だからもし私がいつも師匠のことを知りたければ、その師匠の発する数少ない言語の中を素早く分析し、解析をしなければなりませんでした。



 結局私は、師匠の意図する何かを察することはできませんでした。おそらくは、これから先、私が理解するのも難しいことなのかもしれません。そういったことが、おうおうあるものなのです。これはおそらく、魔法界だけの問題ではなく、人間の世界でも同じことなのでしょう。相手のことを完全に、完全ではなくとも、完璧に近いレベルで理解するためには相手の価値観と自分の価値観がある程度以上一致していなければならないものです。おそらくは、私と師匠エリゴスは深い深い深層意識の、いわゆる根をなす部分では考えが合わなかったのだろうと思います。



 ある時から、私は考えの様式を変えました。師匠の後追いをしてウィッチ・ハントというゲームの存在意義は果たして何なのかを考えることをきっぱりと止めることにしました。師匠の後追いをして得られるものは、何も無いということにようやく気付いたのです。後追いをして師匠の真意に辿りつくことができる可能性もほとんどないし、ほんの少しだけある可能性の果てに辿りついた真意に価値を求めることができるかどうかも甚だ疑問でした。そんな不毛な行動をする前に、他にもっと、有益な時間の使い方というものがあるのではないか……、そう考えたのです。

 私は私の、私だけのウィッチハントの意義を考えることにしたのです」


 そして、老魔術師はひとつ溜息をついた。疲れ、疲労から湧き出る溜息ではなかった。おそらく、喋り疲れたか何かのような溜息だろう。魔術師も喋り過ぎたら疲れるのか、とくだらないことを考えてしまった。



「私は、ある時に、ひとつの結論に辿り着きました。人間の皆様方からおそらく大変な非難を被ることになるでしょう。しかし、あなたには言いたい。あなたにはその資格が充分過ぎるほどに備わっているし、また、あなたもきっと、そのことを知りたいだろうと思うからです。もし、私の話が、――と言っても、ここまで話を聞いてくれた方にこんなことを聞くのはいささか野暮かもしれませんが――、退屈で、聞きたくないということになりましたら、何かしらの意思表示をしていただきたい。その時点で私はすぐに話を打ち切りましょう」



 と言うと、一言呼吸を入れてくれた。その間に、千智は頷いた。

 その頷きに魔道士は満足そうに頷き返して、

「私がウィッチ・ハントという殺し合い、サヴァイヴァルゲームを行うことに見出した意義は、『人の限界』です。どこまで人は、上り詰めることができるのか、人は、追い詰められた時、一体何ができるのか。その果てを、ね」

また、一息入れた。そして、

「人は、通常では、普通に生きている限りでは魔法を使うことができません。普通、では。しかし、私は魔法の力を与えることができます。普通ではない、数少ない方法の一つになります。ですが、決してできないことではないのです。その魔法はいささか難しく、難しい割には、そこまで大仰なことができるわけではありません。もっと具体的に、わかりやすく言えば、苦労の割に、リタ―ンが少なすぎるのです。確かに、その魔法自体は大変素晴らしいものです。それはそうでしょう、魔法の理論の「ま」の字も、魔法の理論の「いろは」も知らない連中に、仮初とは言え、魔法を使用させることができるのです。この魔法の基礎を確立し、理論を開発した人には正直、頭が下がります。しかし、魔法界全体としては、別に驚きもしなければ、歓迎もしなかったのです。それも当然、と言えることでしょう。人間に魔法を使わせるという魔法の論理を完成させる。では、それで誰が、魔法界の一体誰が、どんな得をするというのでしょう? もちろん得をする人、得をする魔法使いというのは少なからずいるとは思います。どこかで、誰かしらの人間が、何かしらの損をすれば、どこかに得をする人間というのが生まれるものなのです。それは、ただの人間が生きる世界においても、魔法が社会を統べる魔法界においても、まったく同じ話なのです。そして、そういった革新的な変化を嫌う保守的な人間がいるのも、共通するところと言えましょう。そういった保守的な人間は歳を召してて、社会を支配する政治のトップに座しているというのも同様です。魔法界においても、人間の世界においても。そういった点おいては、実は魔法界のレベルというのも人間界のレベルというのも、さして違いは無いのかもしれません。いや、人間界の方が少しばかり進んでいるのかもしれません。まぁ、そんなことはもう、今はどうでもいいのかもしれませんがね」



 と言うと魔道士ウェルメは一息ついた。そして、

「どうでしょうかな。老人の話は、あまり面白くないものでしたか。まだ続きはないことはないのですが、少し長く喋り過ぎましたな……」

「……そんなことはありません。先ほど僕が申した通り、死に行く者に時間はあまり必要ありません。必要なのは、量ではなく、質だと思います」

 か細い声で千智が言った。死ぬことは当然だ。むしろ、死に方を自分が選べることに感謝しなくてはならない。それはあまりに罪深いことだ、と考えていた。

「私の話は、あなたの言う時間の質を高めてくれるものになり得るのでしょうか?」



 ウェルメは素朴な疑問をそのまま千智にぶつけた。

「その問いに答えがあるのかどうか、僕にはわかりません。しかし、その話は面白いです。……とても」

 最後の形容詞を特に強調して千智は言った。



「いつの日か、ホスピスについて学びたいと思っていました」

 唐突に千智はそう言った。ホスピス。突然の単語の出現にウェルメは目を瞬かせた。

「ホスピス……それが、どうかしたのですか?」

「あなたに……、出会っていなければ、あなたのメールを受け取って、今回の妙な戦いに巻き込まれていなければ、僕は普通に大学に行っていたと思います。そして、ホスピスのことについて学びたいと思っていました……」

 魔道士ウェルメは虚空を見上げて逡巡する。そして一言。

「医学部に入って、何かしらを学ぶと、そういうことでしょうか?」


 医学部に入って医術を学ぶ。そして、病床に伏せる妹を救うため、ひたすら勉強する兄。そんなありきたりな想像をウェルメは浮かべた。

 しかし、床に就く千智は静かに笑って、首を軽く横に振った。



「そういうわけではありません。もちろん、何かしらのきっかけがあれば、医学部に入っていたかもしれません。しかし、別に医学部に入ってホスピスのことを学びたいと思ったわけではありません。医学部に入らなくても何らかの形でホスピスについて学ぶ、いや、学ぶ、というより知ることができるからです。ある大学では、『死生学』なるものを教えている国立大学があると聞いたことがあります」

「ほほう……『死生学』……なかなか面白そうな授業の名称ですな」



 髭を指でいじりながらウェルメはそう答えた。……死生学。そんな単語を聞くのは初めてだった。



「妹を救うことはもうできないと、そう思っていました。そう思っていた、というよりそれはたしかな事実です。だからこそ私は、妹を救うことをもう諦めていました。金をいくらうず高く積んでも、医者の頭を縦に振らせることはできませんでした。あぁ、金があってもできないことがあるんだな、と改めて思い知りました。世の中、運というものが存在するんだなと、そう思いました。あの両親が死んだとき、僕は身体の震えが10分ほど止まりませんでした。もしかしたら自分が殺したのではないかと、本気でそう思いました。直接的に殺したいと願ったことはないものの、心のどこかであの両親が死ねばもう少し楽に僕たちは生活することができるとは考えていたからです。そして、実際に両親が死にました。あのときは本当に驚きました。しかしそれと同時に恐怖も感じました。こんな偶然、あっていいのかと」



「しかしあれは偶然だった」突然ウェルメが話に割り込んだ。

「旅行中に酒を飲んだあなたのお父様が、元気に山奥を爆走した時に、元気にガ―ドレ―ルをぶち抜き、死んでしまった……。死ぬ直前まで元気だったのだから、まぁ、本人にとっても幸せな人生だったのではないでしょうか。……少なくとも、あなたよりは」

 最後の一言は千智の瞳をしっかりと見つめた後の一言だった。その一言を受け、千智は静かに微笑む。



「よく御存じですね」

「ゲーム参加者の周辺の調査も、私の仕事ですので」さらりとそう言った。

「そう……ウィッチ・ハントを開催するにあたって、もうひとつ壁になるのが、参加者の選定です。ウィッチ・ハントは誰もが気軽に参加できるものではありません。買う気がなくても遊びには行くことのできるス―パ―・マ―ケットとはほんの少し一線を画すものです。それが何故かと言いますと、」

「魔法、という普通の人には使えない秘術を一般人に使わせるようにするから」

 最後の一言を引き取って千智は言った。

 その言葉を聞いてウェルメは静かに口元だけで笑った。

「イエス、その通りです。さすがミスタ・センチ。まぁ、これぐらいだったらわかって当然、ですかね」

 すまし顔でウェルメが言う。



「魔法を自由に使うというのは、一握りの人、一握りの魔法使いだけに許された特権です。あなたの前で」右手の人さし指をあげ、炎を灯した。ライタ―の火のような大きさの炎が1秒間ほど。「このように魔法を使うのも実はある種特別なものなのです。特権を持たぬ者の中にも魔法を使える者はたしかにいます。しかしその人がどこででも自由に魔法を使えるかどうか、それはまた別の話となります。少しここで魔法界の法律をひとつ、暴露させていただきますと、〝特権〟を持たぬ人は、基本的に自分の命が危険に晒されている時以外、魔法を使うことができません。自分の命を守るために使う、いわゆる正当防衛が適用されるときに魔法を使ったとしても、その魔法を使った人は一度魔法法廷にお呼ばれします。そこで事情聴取のようなものをされるわけですな。とまぁ、本当に自分の命を守るために魔法を行使した場合は然るべき手続きを踏んだ後に無罪放免となります。ここで知っておいて欲しいのは、魔法が使える人間は、誰でも、いつでも自由に魔法を使えるわけではないということです。多くの制限が存在し、もし使おうものなら、その理由が如何に正当性を纏ったものとは言え、その正当性を証明するためにまた煩雑な書類上の手続きを2、3ほどこなさなくてはならないということです。魔法界では、魔法というものの存在をそれほど重く捕えているということです。弁護するみたいで少し言いにくいのですが、そうしたこと自体、あぁ、そうしたっていうのは、魔法を正当な理由で行使しただけで、例えどんな理由であるにせよ、一度は魔法法廷にお呼ばれしてしまうことですが、そのこと自体は私は悪いことだとは思いません。それは大事なことだと思うからです。この世界は魔法使いだけで構成されているわけではないからです。もう少し魔法使いの数が多ければ、また別の道の選びようがあるものですが、残念ながら魔法使いの数が少ないという現実があります。数が少ないと何が起こるかと言いますと、数少ない魔法使いの存在がもし世間一般の人の目に触れようものなら、もしかしたら魔女狩りが起きてしまう可能性があります。まぁ、より正確に言葉を選んで言わせてもらうならば、魔女狩りが起きてしまう可能性があると、今の魔法界の上層部は考えているわけです。

 まぁ、脱線し過ぎた話を一旦ここで戻しますと、魔法の制限というのは厳格に、より厳格に行わなければならないものというわけです。その辺の魔法論の概論をもう少し詳しくお話ししたいですが、残念ながら今はその機会ではないようです。機会でもないし、筋でもない。ミスタ・センチはこんなこと、話さなくても大筋を察することはできるでしょう?」

「えぇ……なんとなくですが、わかります」



「結構。なんとなくわかれば、まったく問題ありません。物事の多くにおいて言うことができることですが、事象の大筋さえ理解できてしまえばあとはなんとでもなるものです。では、話をさらに次に進めたいと思います。魔法の行使は、魔法使い、魔女の誰にでも許可されているわけではなく、それは魔法界全体で厳しく管理されております。詳細はここでは話しませんが、その理由としては、魔法界に住む人間とその他この世界、地球を管理する人間たちとの軋轢を生まないためです。それでも私が魔法、それも特殊な魔法を使い、敢えて危険な場所へと踏み出しております。時計塔にも怖い怖い秘密警察のような輩がいるのです。ゲシュタポっていえばいいんですかね、そういう輩が控えているのです。秘密警察っていうのも何か違うな。なんだったかな、正式名称。不法魔法使用取締局とかだったかな。まぁ、名前だけ聞けばショボイものに聞こえますが、中身はなかなかにドス黒いものです。対魔法使いのエキスパ―トな連中ですからね。そういう連中と戦っても逃げる自信は私にもありますが、できる限りは、無駄な衝突は避けたいのです。それらの物騒な連中との衝突をなんとしても避けたいと思う心を持つこの私がまた同様に、どうしても抗うことのできない欲求がありました。それは、『人間の限界を知りたい』という欲求です」

 ここでまたウェルメは話を切り、エヘンッエヘンッといかにもわざとらしそうな咳払いをひとつした。おそらく、「ここで話が変わりますよ」という合図のつもりなのだろう。真意のほどはもちろんわからないが、千智はそう理解した。



「人は……果たして、どこまで行くことができるのか……、おっと、これは何も、シモな話ではありませんよ? カタカナでイクッ、のではなく、行く、です。英語で言うならばそう、go、ということです。そこを誤解なされませんように」

 真面目な顔をしてそんなことを言うもんだから千智はどういう顔をするのが正解なのかわからなかった。思い切り笑い飛ばしてやるのが正解のような気もするし、思いっきり冷めた顔をするのが正解のようにも思える。今、この魔法使いは果たしてボケでこんなことを言っているのか、それとも、なんだ。大真面目でこんなことを言っているのか、わからなかったのだ。それは当然のことで、千智はウェルメとここで初めて会ったのだ。初対面に会った男に、こんなシモいネタを振られても困るという話だ。しかも、死の床に就いている人間に。どう反応していいのかわからないから、曖昧に笑顔で頷くことにする。



「魔法を使える魔法使いも、魔法を使えない人間も……人間であることには変わりありません。肌が黒いからとか白いからとか……、遺伝子の関係上、身体が小さいから大きいからとか丈夫だからとか……、そう言った理由で今でも世界のどこかで人は死に、銃の音が響いております。紙の上の神の名前の違いひとつでも人は銃を手に取り、同じ人を殺します。それに対して残念ながら、神は何も答えてくれません。もしかしたら、こんな人間たちに愛想を尽かせているのかもしれません。話は変わりますが、人は昔、神と会話をすることができたそうなんです。あれは……旧約聖書だったかな。違うかもしれないのですが、まぁ、何かの本なのですが、そうあったと記憶しております。しかし人間が堕落していくのを見て、ついに神は人間と会話をする機会を綺麗さっぱり消し去ってしまったようなのです。だからつまり、いかに神の名で戦争をし、日々どこかで子供が内臓をそこら中にぶちまけて死のうと、内臓のドナ―のために作られる子供出産工場なるものが今日も元気に稼働していても、神は何も言いません。だってそうでしょう? 神は、もうとっくの昔に、人間と会話をすることをやめてしまったのですから。今日もどこかで、中東らへんで人はこれでもかというほどに、どんどん死にます。爆弾の炎に焼かれて、銃で身体を蜂の巣にされて、地雷で腕を吹っ飛ばされた子供もいるかもしれません。それらの大きな激動がこの世界を取り巻く中で、我々魔法使いと、その他大勢の魔法を使えぬ人間たちが手を取り合うのは、まだまだできそうにありません。新たな差別と不安と恐怖と、要らぬ差別を後世に残してしまうことは目に見えているからです。だから、おおっぴろげに魔法界と人間界を繋ぐことはできない。それは私も大いに理解しております。何も、頑固な爺が魔法界意思決定、つまりは政府の上に立っているから、というものだけが理由ではないのです。複合的な理由があるのです。そんな矛盾と謎が吹き荒れるこの世界に、我々は生きているのです。私は魔法使いとして、あなたは、科学文明を継承、発展させる人間として。本当に、命を賭けて、我々は何ができるのだろう? それを私は見てみたかったのです――」




 少し長めの間があった。

 互いが互いに、話したいことを話し終えた後だった。もう、対談は、終わりが近い。

「さて、私が言いたいことは、これですべてです。もっと話したいことがありますが、まぁ、我々は時間という制約の上に生きておりますからな。ある程度、区切りがいいところで話をやめた方がいいものです。私はもうこれで話を終えますが、ミスタ・センチの方から何か、ありますか?」

 千智は静かに首を横に振った。力ない首の振り方だった。

「結構。では、そうですね、お暇させていただく前に最期に私は自分の仕事をひとつ、果たすとしましょう。ミスタ・センチ。ふたつ叶えて欲しい願いの片方はすでに、叶えました。もう片割れの、もうひとつの願いはなんでしょう?」

「…………」

 そこで再び、間があった。その部屋にあるすべての物体が、動きを止めたかのようだった。




「願いを言う前に、ひとつ……お聞きしたいことがあるのですが……」

「もちろん。疑問があれば、いくらでも聞いてくれ給え」

「妹の記憶は、どうなりましたか? 妹は今でも、僕のことを覚えているんですか?」

 魔道士は二度、瞬きをした。その瞬きにどんな意味が籠められているのかは、千智にはわからない。それは、間を取るための瞬きだった。




「ミスタ・センチにとってそれが幸になるのか不幸になるのか判断し兼ねるが、妹さんの記憶は、私の判断で一時的に消させていただいたよ。もう彼女は、君の妹じゃない。おっと、これでは語弊があるな。坂下光はもう、もし次に君と会うことがあろうとも、君を兄とは認識しない。彼女は生まれて早々親から施設に預けられ、その施設が家だ。その施設が坂下光にとって家であり、心の拠り所となっている。……そんな人生を、坂下光は送ることになった」

 その一言を聞いた時、千智は自分の心が軽くなったことを感じた。長い旅が終わったのだ。それはまるで、浜辺の砂の数を数えるような、先は長く、ゴ―ルが見えないようなものであったが、今、ここがゴ―ルだったのだ。ついに自分は、約束の地カナンに辿り着いたのだ。




「それで、構いません。いや、むしろ、それで良かったです。妹が、この世に居もしない殺人鬼の兄のことを探して人生の大半を潰すよりかは、例え嘘偽りのものであったとしても、家があって、そこで落ち着いていられるならば、それが何倍もマシです」




「君がまったく手つかずにしておいた、遺産の2億の管理は、どうしたのですか? こんなことを聞くのは大変野暮なことですが、ちょっとばかし好奇心が抑えられなくてなぁ」


「……遺産の管理は、富樫弁護士に任せました。ただ、話がややこしくなりそうになったら、その金はすべて差し上げることにしました。僕も、個人的にはあの金がどうなろうと構わない、とすら思っています」


「おっほっほ、これはこれは。随分と太っ腹なクライアントもいたものだ……」

 朗らかに笑いながらウェルメが言った。そりゃそうだ。2億もの財産を丸投げして、面倒くさくなったらすべてあげるというのだから、コイツの考えていることはよくわからん、と思いたくもなる。



「坂下光の話、遺産の話は結構です。では、改めて話を戻して、ふたつ目の魔法のことを聞きましょう。ふたつ目の願いは、なんでしょう?」

 ゆったりとした口調でウェルメを問うた。

「…………僕の余命の99%と引き換えに、夢原癒津留が生きられたであろう寿命の99%を、彼女にあげてもらえませんでしょうか」

 ウェルメの表情が固まった。てっきり、坂下光関連の願いを叶えるものかと、いや、違う、自分の命を復活させてくれと言うもんかとばかり思っていたからだ。完全に虚を突かれてしまった。




「こんなことを聞くのも野暮だが、どうして1%は残すのかな?」

「前触れ無しで突然死ぬのは、卑怯かと思いまして」

 ウェルメは視線を宙に彷徨わせた。右に、左に、そしてまた再び右に。




「よかろう。だが、問題点もある。センチは今、99%と言ったが、厳密にそれが99%なのかはわからない。98%かもしれないし、95%かもしれない。私も努力はしてみるが、私にできることは、『限りなく、術の許される限り君の命の雫を取り、その命の雫をユメハラに渡すこと』だ。ユメハラがその雫を使って、いつまで生きられるか、それは私にはわからない。50年先か、60年先か。そもそも、1週間後に交通事故で死んでしまうかもしれない。そこまでは私には保証できないが、まぁそこまではどうでもよかろう。そして、命の雫を少しでも君に残すということは、君はこれから、死ぬ前に苦しみを味わわなくてはならない。その先一体どうなるか、医学知識のない私にはなんとも言えないが、おそらく悪性腫瘍があちらこちらの臓器に転移を始めるではないかと思う。今までの医学界の理解を越えて、だ。それは、覚悟の上かな?」

 千智は静かに頷いた。そして、「もちろん」と呟いた。

 ウェルメはばつが悪そうな顔をし、眉を上下に二度動かした。そして、言った。



「結構結構、結構だ。じゃあ、まぁ、冥土の土産と言うのはあれかもしれないが、最後に魔法界でよく言われる迷信のようなものを君に教えよう。どこで生まれた迷信か法螺話かは知らないがね、魔法というのは、魔法をかけられた者が死ぬ7秒前に解けるものらしい。どの範囲の魔法まで、どのように解けるかは知らないがね。なんと言っても私は、まだ死んだことがないからね」

 千智はフッと笑った。おそらく、ウェルメの一世一代のギャグだったのかもしれない。

 そして、ウェルメは右手を千智に差し出した。握手をしよう、というお誘いのようだ。




「君のゲーム運び、ゲームプランの組み立ては、実に素晴らしかった。何度かウィッチ・ハントを見させてもらっているが、君のゲームの戦略の素晴らしさは、上位から数えられるものだった。君こそ、たしかにウィッチ・ハントの勝者だろう。そして、さようならだ。千智・坂下。君の魂が、向こうの世界で安らかな眠りを得られることを、私はこの世界で祈り続けよう。魔法の根源はいつだって、願う気持ちから始まるものだからだ」

 うん、と力なく千智は頷いて、右の手をウェルメに差し出し、握手をした。そして、千智の手は徐々に握力をなくし、ダランとベッドの淵に落ちた。この瞬間、坂下千智の命の雫はほとんどなくなった。命の雫の抵抗がほとんどなくなった千智の体内では悪性腫瘍が転移を始めた。もちろん、命の雫がなくても、少しずつ悪性腫瘍の転移はあった。しかし、命の雫がなくなってしまえば、悪性腫瘍の転移のスピ―ドは格段に早くなる。命の雫は、ヒトの抵抗力の根源的なものだからだ。



 そして、千智は意識を失った。肝臓機能が低下したことによる肝性昏睡が始まったのだ。



 ウェルメはナ―スコ―ルを押した。

 看護婦の到着を待ちながら部屋に佇んで1,2分後、千智の口から声が聞こえてきた。聞こえた、というより漏れ出たという表現の方が正しいのかもしれない。ウェルメの耳にもそれが入ってきた。しかし、その言葉をウェルメはできるだけ聞かないようにした。その声に耳を傾けるのは、千智に対して、あまりにも失礼だと思ったからだ。



 そして、廊下から足音が聞こえた。バタバタバタバタ、と、聞いた感じ4、5名はいるだろうか。それを聞いてウェルメは素早く何もない空間からレバノン杉で作った愛用の杖を取りだし、握るとそれを素早く、それでなお柔らかく床についた。すると、ウェルメの姿は光の粒子となって空気に溶けて消えた。消える直前までウェルメは千智の顔を見つめていた。




 それと間をまったくとらずして、数人の白衣姿の人々が部屋に雪崩れ込んできた。計6名。

 しかし、医師にはもうできることは何もない。彼らにできることは、千智の死を見届け、死亡診断書を書くことぐらいだった。普通であれば、ここで家族との最期の対面が行われる。しかし、坂下千智の死亡診断書を書いて、一体誰が得をするというのだろう? 保険に加入してもいなければ、友人もいない。ひっそりと役所の事務業務が増えるだけだ。そして、家族もいない。「今まで一緒に過ごしてくれてありがとう」と言ってくれる人もいなければ、「死なないで」と言ってくれる隣人すらいない。坂下千智に残された運命はただただ、ここで、消えるだけだった。

「坂下さん、大丈夫ですか?」


 声をかけるのは、この部屋に入って来た白衣姿の連中の中で一番身長が高く聡明そうな顔つきをした男性だった。名前を華崎照(かざき しょう)という。


 しかし、千智は反応しない。ただただ、誰に向かって言っているのかわからないうわ言を発するだけだった。


「母さん……父さん……、僕はどうすれば良かったの……。金をいっぱい稼いだよ。だから、もう叱らないで…………、妹を殴らないで……」



 千智の顔はいつの間にか黄色くなっていた。黄疸だ。死相も浮かび、もはやいっそのこと、今すぐ首を絞めて殺してあげた方が千智にとって楽なのではないかと思うほどの深く、苦しみの表情を浮かべていた。そして実際、彼にとって地獄とは、向こうにあるものではなく、今、ここに生き続けることであった。そして現実に彼は、譫妄の中ででも、逃げられない苦しみを味わっていた。背骨から激痛が千智に降りかかる。うわ言を発しながら、激痛にも襲われている。生きている限り、彼は苦しみに襲われ続ける。彼にとって、生きるとは苦しむことだった。対極になくてはならない楽しみは彼にはなかった。楽しみの位置にあったのは、楽しみではなく義務だった。



「ふざけるな……ふざけるな……! 僕がどうしてこんな目に遭わなくちゃいけないんだ……、僕だって、僕だって……もっと普通の人生を送りたかった……!」

 ここにいる医師軍団たちは、千智の過去のことを実はよく知らない。だから、このうわ言のひとつひとつに、どんな意味が籠められているのか、誰も正確に把握することはできなかった。彼らにできることは、ただ、千智の呪いの一言一言を、聞くだけだった。




「ウィッチ・ハント……魔法…………手石……死んだ…………殺したくなかった……殺したくなかった……でも、じゃあ! どうすれば良かったんだよ! …………最善を尽くした……最善を尽くした、最善を尽くした、最善を尽くした最善を尽くした最善を尽くした最善を尽くした……、俺は、最善を尽くした! これ以上ないほどの、最善を!」


 呼吸が段々と荒くなってきた。もう、死は目前に迫っていることは明らかだった……。魔法、殺した、ウィッチ・ハントと、支離滅裂なことを呟いている。現場は困惑するばかりだった。それと比例して、言葉の鬼気迫り方が半端ないものとなっていた。華崎は強心剤をうつように看護婦に指示を出した。



「ごめん…………ユ…………」

 『ユ』のあとに、果たして千智が何を言いたかったのか、この世にどんな言葉を遺したかったのか、誰も、永遠にわからないものとなった。華崎は、千智の腕を持ち、そして、離れた。そしてすぐさま時計を確認した。




 そして、千智の衣服を看護婦たちが改め、病室から解剖室へと運ばれた。

 千智は生前、華崎医師に「僕が死んだら身体は解剖して、適当に研究に役立ててください」と言っていたのだった。千智は自分の身体が誰にも死後必要とされないだろうし、だったら死後、医学の研究に役立ってもらった方がいいだろうと思っていたからだった。


こうして、坂下千智の人生は幕を閉じた。

 誰にも感動も感傷も、何も与えず、ただただ、ひとつの独立した個体として、闇に消えて行った。

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