第15章 【解決編】 ここから、舞台裏ツア― ・無力宣言 ―人間の限界と、それに伴う諦観念―





■第十五章 ここから、舞台裏ツア― ・無力宣言 ―人間の限界と、それに伴う諦観念―


 坂下千智が、『人類は永遠にわかりあえることはできない』ということを知ったのは、高校1年生の時だった。高校1年生の時にこの事実を知ったことが果たして、一般的に早い方なのか遅い方なのかはわからない。そんなことを人と話すことなんて無いからだ。主義主張、話を一歩進めれば宗教の領域にも入りかねない話だ。いや、もしかしたら入りかねない、というより、もはや宗教なのかもしれない。神が存在して、神の子供は皆踊る、とかなんとか言いかねないような世界だ。こんな恥ずかしいことを他人と話すことはできない。他人と話してはいけないことに宗教、政治、野球の話題、という俗話がある。この話を聞いたときはどういうことなのか、具体的に、どういう弊害が生じるからダメなのか当時はよくわからなかったが、今になってよくわかるようになった。『人類は皆いつかわかりあえる日がくるのだろうか』なんて他人に聞いて議論しようものなら次の日に一体どうなるか。想像がまったくできない。その相手が一体次の日どういう思いをもって自分を見てくるのか。今まで邪な想いは無く、真っ白な思いで自分を見てきたものが次の日には何かを思って自分を見るようになるだろう。アイツは厨二病かよ、とか、頭大丈夫か? とか。まぁ、それは当たり前なのかもしれない。人類は皆いつかわかりあえる日がくるのだろうか。あまりにも壮大で、くだらないことだ。そんなことを考えるよりかは中東でのボランティア活動でも考えた方がよっぽど有意義な時間の使い方なのかもしれない。




 それはさておき、僕は人類が皆、互いにわかりあえて、手を繋ぎあえることはないのだということを悟った。それと同時に、自分は所詮どんなに頑張っても、どんなにエリ―トであっても。この世に生きるすべての人間を幸せにすることはできないし、互いに分かり合えることも決してできないことをも。



 2009年に、日本という国が変わった。今まで日本という国を支配してきた自民党から政権が民主党に移譲したのだ。当時、坂下千智にとって、自民党というのは悪の象徴のような存在だった。天下りを推進し、庶民の生活を知り、庶民の感覚と常に密着していなければいけない国民の代表である政治家がカップラ―メンの値段すら言えないという事態。さらには漢字すら読めない呆れ果てた頭の悪さ。こんなのが年収ウン千万円ももらっているのかと思うと、なんとも言えない惨めな思いが心の中に広がった。



 そして、2009年、そんな自民党から政権が変わり、民主党になった。ついに変わる、という高揚感があった。圧倒的な国民側の勝利。まさに正義の勝利をまざまざと自民党側に示したわけだ。



 しかし、その後からおかしな状態が多々続くことになる。沖縄の基地問題、民主党議員からの選挙における不正問題。さらに民主党内の権力の問題。最初は嘘だと思った。あんなに猛烈に他人を批判していた政党なのだ。まさかここまで、とは思ってもいなかった。他人に厳しく自分に甘い。そんなのは子供だけの理論かと、本気で思っていたのだ。しかし、そうではなかった。もちろんこれは政治家だけの話ではない。大人全員が、そんなに大して立派ではないのだ。大人と子供との間に、厚い壁というのは存在しないのだ、ということをまざまざと思い知らされた。だったら、それだったら。すべての人を幸せにすることができないのだったら、目の前にいる人を、身近にいる人だけを幸せにしようと。それに全力を尽くそうと、いつの間にか考えていた。明確な境界線があったわけではない。いつの間にか、そう思っていた。それのどこが、悪いと言うのだろう?





 坂下千智に、両親はいなかった。もちろん、父親母親なしに生まれた奇跡の子供だ、とかそういったものではない。坂下千智が15歳、妹の坂下光が13歳のときに二人ともが他界したのだ。突然の交通事故だった。もちろん、前触れなんてものはない。現実という淡い檻に、事故が起こる絶対的な前触れなんて存在しないのだ。父親は株の売買などを行っていたらしく、遺産は2億円以上あったらしい。税金などを抜いた金額で、純可処分所得が2億、ということだ。あったらしい、というのはこの話は坂下千智の両親の死後、父親の知り合いの弁護士から千智が聞いた話だった。その後、坂下千智、及び妹の光は父方のかなり遠い親戚に預けられることになった。この預けられる、というのは法律上の親権上の意味で、実際にはその親戚と坂下千智は同じ屋根の下で暮らすことはなかった。この親戚には親権、及び法律的な面倒事を回避するための隠れ蓑となってもらっただけだった。そのため結果、坂下千智は妹の坂下光と二人で暮らすこととなった。といっても、特別に二人の暮らしが変わったわけでもなかった。坂下の両親は残念ながら、とてつもなく限界まで、いっぱいいっぱい寛容な言い方をして、良い親とは言い難いものだった。いつだって家事・洗濯は千智の担当だった。千智にとっても、それが当たり前のことだと思っていた。母親は働いてはいなかった。いつも出かけていた、としか千智は覚えていなかった。父親も出かけるか、そうでなければいつも家に引き籠ってパソコンをいじっていた。もちろんこの時は株の売買を行っている時がほとんどであっただろうが、その株の売買で得た利益を家族に、家庭に還元することは決してなかった。いつも父親は自分のためにその金を使っていたのだ。坂下千智の父親にとって、自分で得た金は自分で使うという自分の中のルールがあったのかもしれない。実際に、千智の父は家賃を含む光熱費、また、生活費をほとんど支払わなかった。月の生活費の8割を、千智が支払っていたのだ。




 坂下千智は12歳の時からバイトを始めていた。新聞配達から始まり、新聞配達の給料だけでは足りないことを悟ると次はいつも通っている弁当屋のオーバーちゃんと知り合いになった。そして、なんとか弁当屋の裏方役としてありつけることができた。もちろん、給料は通常のバイトで得られるものより安いものだった。しかし、それでも彼にとって、お金を稼げるということはこれ以上ないほど幸せなものだった。それを幸せといっていいのかわからないが、彼にとって、坂下千智にとっては幸せなことだった。彼にとって幸せというのは、今この瞬間を生きていられること、そして、自分が生きていられる確かな場所を得られることだった。



 正直な話、ここまでの経緯をあまり千智は覚えていない。父親から殴られた記憶しかないからだ。しかし、千智は優秀だった。二度殴られたことはあったが、三度目からはもう金を稼げば殴られることなく生きることができるということを学んでいたのだ。最初は自動販売機の下を漁ることから始まった。1日30円集めれば良い方で、100円拾えれば万々歳、という状況であったが、あまりにも効率が悪すぎる方法であることにすぐさま気付いた。そして新聞配達という手段にこれもまたすぐに気付いたわけであるが、それはまた別の話だ。



 とまぁ、こんな生活を今まで送ってきていた坂下千智にとって、妹と二人で暮らせるようになるのは、言わば事態の好転、予期せぬ出来事だった。弁護士の富樫の計らいで、口座に20万ほどしかなく、坂下兄妹に遺産はほとんど遺されていない、というような演出もしてもらった。もし坂下兄妹が遺産2億を相続したことを誰かに知られれば、それこそウジ虫共がたかってくるかもしれないと考えたからだ。この弁護士の富樫は坂下千智にとてもよくしてくれた人物だった。富樫自身、少年時代はかなり貧乏な家庭に、母一人、女手一人で育ったから、という背景があったからかもしれないが、これ以上ないほど親身になってくれた。いや、もしかしたら本業で儲けていたからかもしれない。さらには、この兄妹から、坂下千智からこの遺産問題、親権問題について上手く解決してくれれば一千万円を報酬とする、という約束、契約をしていたからかもしれない。おそらくは、それらの内のどれかが理由だろう。




 そのどれが直接的な原因かは坂下千智にとってはどうでもよかった。大事なのは、この弁護士の富樫は素晴らしく有能で、坂下の両親の死後、とてもうまく立ち回ってくれたという事実だけだった。ほどなくして坂下千智は、弁護士の富樫に一千万円を渡し、富樫とは手を切った。手を切った、とは言っても今回の遺産の一騒動の問題に区切りをつけただけで、また機会があれば色々と頼むつもりではあった。坂下千智にとっても、弁護士富樫にとっても悪い話ではなかった。弁護士の富樫という人物は、それほどまでに優秀な人材だった。



 一千万円という額は確かに高額ではあったが、親権の問題、その他金に絡む問題などは坂下千智一人では到底解決できるものではなかった。もう知る由もないことだが、もし弁護士の富樫に何も頼まず引き取り先に引き取られ同じ屋根の下で共に暮らすことになって、その引き取り先の親戚がこれ以上ないほど金にガメつい守銭奴であったなら、坂下千智の人生はこれまたかなり面倒くさいことになっただろうことは想像に難くないだろう。坂下千智に生活スキルがまったくないならまた話は変わるが、坂下千智の生活レベルはもはやそこら辺の大学生より、いや、一般家庭の母親より完成していると言っても過言ではなかった。金の使い方もきちんとしていた。この当時ではもちろんわからないことであったが、坂下千智18歳の今、口座の金はほとんど減っていない。坂下千智がほとんどバイトを辞めていないというのもあったが、両親の死後、一層節約に工夫に工夫を重ねた結果だった。その坂下千智だからこそ、たかが一千万円でくだらないリスクを背負わずに済んだのはかなり合理的であったわけだ。地元の国立大学への入学も高校二年生現在ですでにほぼ確実としていた坂下千智にとって、もはや障害となるものはほとんど無いように思われた。しかし、うまくいかないのが人生というものなのだ。両親からのネグレクト、虐待と言う難関を乗り越え、両親の死という試練でもご褒美でもあった出来事を乗り越えた先に坂下千智を待ちうけていたのは、妹坂下光の小児癌発覚という現実だった。その病気が判明したのは、坂下千智が17歳、高校2年生の8月。魔女狩り戦争、Witch Huntが始まる、2ヶ月前のことだった。小児癌は、ステ―ジ4。いわゆる、末期癌の段階だった。





 基礎体力も人並み以上にはあった。高校に入ってから始めた引っ越し屋のアルバイトが大きな影響を及ぼしたのだということはほとんど明らかだった。引っ越し屋だけではない。郵便局や、さらには配達のアルバイトも行った。土建のアルバイトだってした。コストパフォ―マンスが悪くないのを選んだ。出来る限りの情報網を用いてひたすらに、がむしゃらに頑張った。泣きごとを言いたかった。希望を見たかった。いや、この時は希望を信じていたのだ。だから頑張れた。友人は数少ないがいた。しかし、アルバイトの関係上、あまり多くは遊べなかったのが結果だった。しかし、多くを話さずとも多くを察してくれる良い奴ではあった。そして自分を恋慕ってくれる者の存在もいた。頭が良く、こちらも一を言えば百を察してくれる貴重な存在だった。多くを話さなくとも多くを察してくれる友人、彼女の存在は、千智の心をいくほどか救ってくれたのは事実だった。しかしながら、その友人、彼女を通して、中途半端な希望を見出してしまったのは果たして良いことだったのかどうかは、今となってはわからない。人が生きるのに大事なものは信じること、希望、そして愛だと新約聖書で述べられている。確かにその通りかもしれない。しかしながら、逆を返せば人を殺すことができるのも、信仰、希望、そして愛なのだ。坂下光、妹の小児癌発症というのは、千智にとって言わば希望の喪失だった。その希望の喪失というあまりにも大きい、鋭いナイフは千智の身体を生々しく貫いた。あともう少しで心臓まで届いてしまうのではないかというほどの、あまりにも深い傷だった。しかし、そのナイフは心臓まで届かなかった。どんなに絶望的な癌であっても、まだ妹は生きているという希望があったからだ。果たしてそれを希望と言っていいのかわからない。希望というにはあまりにもくすんだ色のものだった。希望というのは、もっと明るい色ではないのか。その色と比べると、あまりにも見劣りするものだった。その希望は、一歩間違えると絶望となんら変わりないほどのものだった。しかし、それでも、それでも千智にとっては何にも代え難い希望だったのだ。もし百人が百人それを絶望だと言い張っても、見間違えても、千智にとっては希望だったのだ。まだ頑張らなくてはいけない。まだ自分が絶望してはいけないのだ、という一部義務のように感じていたのかもしれない。自分がもっとしっかりしていれば、あんな父と母の犠牲になんかならなかったはずなのに、と思ってきた。普通の兄妹であれば、兄と妹との関係は悪くなるのが多くだと思われる。しかし、この坂下兄妹に至ってはその多くの側ではなかった。もし、坂下の両親が普通で、坂下家が極一般的な家庭であるならば、坂下兄妹の仲も、世間一般並の仲のソレだったのかもしれない。しかし、坂下兄妹の両親は決して普通ではなく、あまりにも異常だった。異常すぎたのだ。だからこそ、坂下兄妹は強く結ばれていなければならなかった。もちろん、恋愛感情とかそういった類のものでは決してなく、生理的の最下層の、生きるための繋がりだった。生きるために、二人が希望を持って生きるためには、二人は一致団結していなければならなかった。如何に家の中が荒れていようとも、一見希望がないように思えても、それでも兄妹は強く団結していなければならなかった。妹光は兄に頼らなければ両親が死ぬ前に餓死していたかもしれない。兄千智は妹のためという義務感が無ければ途中で希望が見えず死んでいたかもしれない。もしくは、血気盛んな両親のどちらかに殴り飛ばされて内臓を壊し、死んでしまったかもしれない。千智がここまで生きてこられたのは半分妹のお陰であったと言えた。妹のために途中で死ぬことなく、生きていかなければならないと。人類が進化した理由とまったく同じく、この二人の兄妹にとって、どちらかが優秀であること且つ、二人が団結することは生き残るための最低ラインの必要条件だった。マストであり、ハフトゥ―の世界だったのだ。であるから、この二人が今、生きているということは仲が素晴らしく良いことであり、恋愛という感情ではない、生きるための、非常にサヴァイヴァルな信頼関係を手に入れていた。この現代の日本では、一部の人しか手に入れていないであろう、あまりにも強い信頼関係だった。その過程が歪み、悲劇、惨劇に満ちてはいても、結果は強固な信頼関係だった。現代の日本では、一部の人しか手に入れてはいない。それは当然だ。現代の日本はあまりにも平和だからだ。それが悪い、ということではではもちろんない。しかし、平和な状況では決して手に入れることができない関係がある。その関係を、坂下兄妹は手に入れてしまっていた。生き残るための、必要条件を。しかしそれは、現代の社会では一種の呪いとも言えるほど、過酷なものだった。二人の団結は、悪魔によって祝福された関係だったのかもしれない。




 千智は、この世が思ったよりも小さく、非情であることを知っていた。もしここで死んでしまったら、妹を拾って優しく育ててくれる人なんておそらく皆無、いや、皆無ではないにしろかなりリスクが高いことになるだろうことを知っていた。リスクを取らない選択肢をするならば、今ここで自分が死ぬわけにはいかないのだ。生きなければいけない。それは希望、というよりもはや脅迫に近い何かだった。強迫観念と言えるかもしれない。しかし、その強迫観念は良くも悪くも坂下千智を今まで救ってきた。良くも悪くも、神は坂下に試練を与え続けてきたのだ。神は人間に試練を与えるものだとある人は言う。人は通常、その試練を嫌うものだ。しかし、坂下千智にとってその試練は生きるために必要な、水のようなものだったのだ。




 だからWitch Huntという非人道的なゲームは坂下千智にとっては今まで待ち望んできた希望の権化そのものだったのだ。別の名を救い主とも言えるソレだったのかもしれない。もちろん、始めは不安もあった。実はこれは、あまりにも規模が大きすぎる詐欺なのではないかと疑った。しかし、それはないとその疑いをすぐに引っ込めた。魔法はあるのだ。そのことをこの一連の戦いで思い知った。普通には存在しない。しかし、あるところにはある。この世には一般的でないものが一般的である世界がどこかに存在するのだ。その一端を知る機会を、自分は得た。そして自分は知った。世界は、思ったより広いだけではない。思ったより、深いということを知った。世界はこれだけだと勝手に制限してしまった自分が恨めしかった。まだ自分は若いということを思い知らされた。まだ救いはあったのだ。このゲームを勝ち残れば、最後の一人になれば、魔術師となれる。その魔術師の能力を以てすれば、妹光を救うことができる。しかし彼も人間だった。どんなに進化を続けようとも、地を歩く人間に変わりはない。彼には良心があった。その良心は人一倍強いものだった。その良心が無ければ、坂下千智は今までの人生の中で妹を捨てていたかもしれない。その良心は、今回の魔女狩り戦争においては、マイナスに作用してしまったことは想像に難くないだろう。しかし坂下千智は、結果としてだが、最終的にはその良心をプラスに作用させた。通常の人間であったなら、ほとんどはマイナスにしか作用しないであろうその良心をプラスに作用させたのだ。


 そのマイナスをプラスに変えたものが、忘却の呪文の使用だった。彼がどんなことに良心の呵責を感じたかと言えばそれはもちろん、人を殺すことにおいての自分の心に、だった。




「人を殺す、と思う心そのものがすでに人を殺しているのです」

 どこで聞いたのか、今ではもう思い出せない一言。

 母親から聞いた? 父親から聞いた? いやいや、そんな冗談を言ってはいけない。自分には、物語をお話してくれる両親など存在しなかったし、あまりにも忙しい人生を送っていた。では、一体こんな言葉をどこで聞いたのだろう。思い出そうとしても、思い出すことができない。「思い出せそう」という状態にすらなれなかった。




 人は、人を助けるために、人を殺してもいいのだろうか。

 もし、殺していい人がいるとするならば、それは誰?

 暴力団の末端? ホ―ムレスの男? それとも票を集めることしか能がない糞みたいな政治家?

 誰を殺せばいいのだろう? どのような理由ならば、人を殺してもいいのだろう?



 いや、違う。そういうことじゃない。本当に自分が、俺が知りたいのは、そういうことじゃない。もう、ここまで来てしまったのだ。もう人を、殺さないといけないところまで来ている。こいつを殺して、このゲームに勝つことができれば、妹は救われる。このゲームで勝つしか、妹は救えないんだ。それだけが確定していれば、もう悩む必要はない。人が人を殺していいのか、なんてことを考える必要はまったくない。妹が救われない世界に、神はいない。もしかしたら、他の人間の前に神はいるのかもしれない。それはそれで、大いに結構なことだ。だがしかし、誠に残念ながら、俺の周辺に神はいなかった。ただ、それだけのことだ。おそらく、スーパーの買い物に行ったまま、別の用事を思い出してしまったのかもしれない。どこのスーパーマーケットに行ったのか、何を買いに行ったのか、今の自分にはわからないけれど。



 しかし、それでもひとつだけ試しておきたいことがあった。こんな自分でも、こんな場所にきてしまった自分だけどれども、もしかしたら来なかった自分というものを、一度だけ想像したかった。それはまるで、孤島の牢獄から、届かぬ遥かな月を見て自分を慰めるような、そんな心境。もしかしたら自分は、あの月の住民だったのではないか、という子供の戯言のような、くだらない妄想。『もし、あぁだったらな』という、実にくだらない妄想。しかし、そのくだらない妄想を現実にしてくれる魔法が、今、ここにはある。そしてその魔法は、今の自分の下衆な願いと、ウィッチ・ハントというゲームを勝ち抜くための戦略と見事に合致する。不幸なことに、合致してしまった。




 それはまるで、妖精の囁きのように。月の大地を踏みしめる幻想的な物音のように。

『もし、自分に病弱の妹などいなかったら、人を殺したいなんて思わなかったのではないか』、自分は、生来性の犯罪者、生まれついての犯罪者ではないと、そう信じたかった。

 感情に優先された論理が、別の軸の論理と合致してしまった瞬間だった。





 ◆

 ウィッチ・ハントというゲームの特性を考えたとき、真っ先に千智が思ったことは、〝確定魔女〟の絶対的不利さだった。ウィッチ・ハント参加者には確定魔女が付近に現れた場合、アラ―トがなる。そして、人間役は基本的に、確定魔女を殺しにかかるだろう。もし一番最初に確定魔女になってしまったらずっと、ゲーム終了時まで人間に追いかけられたままになるわけだ。それよりかは、人間で居続けたままがいい。そして、ゲーム終盤になってから確定魔女を掻っ攫い、勝者となる。これが理想の勝ち方だ。しかし、ただそれだけでいいのだろうか? 

 自分は、確実に勝者にならなくてはならない。そう、確実に。

 できれば記憶を失くしたい。記憶を失くせば、もしこれから〝心を見透かす魔法〟を使う輩が現れても対処することができる。記憶を失くしても、きちんとした戦略を立てれば、富樫弁護士が動いてくれるはずだ。しかし、何はともあれ、柔軟に物事に対処しなくてはならない。確実に勝利に近付ける案を。自分なら、坂下千智になら、思いつけるはずだ……。これが論理だった。

 ◆





 少し昔、ロンブロ―ゾという犯罪心理学者がいた。

 チェ―ザレ・ロンブロ―ゾ。犯罪人類学の創始者であり、精神科医でもある彼は、あるひとつの指摘をした。その指摘は有名で、今でも語り継がれているものだ。

 生来性犯罪者説。その単語の通り、将来犯罪に手を染めやすい人間というのは、生まれた時からすでに宿命づけられているのではないかという論だった。当時は進化論の流行りがあったため、進化論に関連付けて犯罪者は進化の段階が一段低い人物ではないか、とまで言われた。



 そんなことを、千智は本を読んで知っていた。少し前に読んだ本だった。

 果たして自分が、人を殺そうと思うのは、なぜだろう?

 妹を救いたいという純然たる思いか、それとも、自らの中に、悪魔が棲んでいて、妹の救いを理由にして人を殺しまくろうとしているのではないか。結論はふたつにひとつだ。ふたつ共一緒というのはあり得ない。それを一度、試してみたかった。

 ただ、それだけだった。これが、感情だった。

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