第9章 坂下光との2度目の対談・明かされる坂下兄妹の過去




■第九章 12月24日(月) 

坂下光との2度目の対談・明かされる坂下兄妹の驚愕の過去



 陽はすでに落ちている。前回来た時の明るさとは打って変わり、今は人工の光が廊下を照らしている。明るすぎず、暗すぎない程度の光が廊下を淡く照らしていた。癒津留は若干緊張していた。大丈夫、大丈夫だ、落ち着いて。何も怖がることはない。坂下光の病室の前に着くと、息を整えてから、扉をノックした。しかし、返事がない。扉を開けようか悩んだが、入ってくるな、という返事がないので多分入っても大丈夫なんだろう、といういささか乱暴な結論に着陸した。扉を開けるとそこには本を読んでいる坂下光の姿があった。相変わらずの本棚の大きさだった。まるで、ホテルのスイ―トル―ムの一室のような光景。紛れもなく、坂下光の病室だった。




「久しぶり……というほどでもないようですね。日にち的に言うと、まだ私とあなたが出会ってから3日しか経っていません。しかしまぁ、そんな字義的なものに目を向けてもしょうがないものです。大事なのは、その人がどう感じるか、なのですから。というわけで、お久しぶりです、夢原癒津留さん」

 一度に長い戯言を喋らなくては死んでしまうのかと突っ込みたくなるほどの、いつもの坂下光がそこにいた。まだこれで会うのが二度目だと言うのに〝いつもの〟という表現を用いていいのかはちょっとわからないがまぁ多分大丈夫だろう。光の言う通り、癒津留にとっても、光と会うのは二度目な気がしないからだ。だからこそ、癒津留の返事も、「お久しぶりです」となる。





「こんな時間にお呼び立てして、申し訳ありません。今日呼んだ意味は、特にありません。別に明日でも良かったのですが、なんとなく今日がいいと思いました。今日はどちらかと言うと体調が優れていて、人と会えると思ったからです。それに……、あなたと会うことができるのは、もうあまり無いような気がしたので。人というのは明日、どうなるのかわからないものです」

 その一言に癒津留はビクリとしてしまう。坂下光はウィッチ・ハントのことを知らないはずだ。なのにどうして、こんなにタイムリ―な発言ができるのだろうか。


 人の心の機微を読むことができる、と以前会った時に言っていたが、これをもし確信的に発言しているとしたらそれはもう、心の機微を読んでいるどころの話ではない。人が何を考えているのか、その詳細を読んでいることになるのではないか。そうだ、私はもしかしたら、本当に微々たる可能性にすぎないかもしれないが、明日、死んでいるかもしれないのだ。ゲーム終了を迎えることができずに……。



「何か、癒津留さんの方から、話すことはありますか? 面白い話題でも、近況の報告でも」

「そうですね…………」

 光からそう言われて、実際に考えてみるが何も思い浮かばない。まさかこんなに早く再会するとは思ってなかったし、光にできる近況報告ってなんなんだろうか、と思った。




「あんまり、ないですね。滔々と過ぎていった……そんなここ数日です」

 ウィッチ・ハントなんてなければ、というのが頭に付くが、さすがにそれを言うことはできない。



「そうですか……。これは失礼しました。今日あなたを呼んだのは、実は、あなたにちゃんと話しておかなければいけないことがありまして」

 相変わらず、光の表情からは感情を読み取ることができない。一体何を考えながら喋っているのだろう、といつも不思議に思う。



「えっと、何を、でしょうか?」おずおずと尋ねる。

「私たちの過去について、です。私と、私の兄千智の過去について……」

「過去…………?」

 前回、坂下光が自分に〝誘拐〟された過去について話してくれたことを思い出す。あれ以上に、まだ語られていない過去があるというのだろうか?




「私は前回、あなたにこんなことを言ったと思います。『私たち兄妹は、ある人たちに誘拐、そして、監禁された』と」

 癒津留は静かに頷いた。間違いはない。あれは、忘れようとしてもなかなか忘れられないような話の内容だった。あれを忘れてしまうなんて、どうかしている。




「えぇ、たしかに。そんな話を聞きましたね」

「あの話について、もう少し話さなくてはならない点があります」

「あの話について、ですか……」

 あの話。坂下兄妹の誘拐、監禁の話について、まだ話していない、言わば闇の部分があるということか。癒津留は気を引き締める。ここからは、熱いお茶を飲みながらのほほんと聞いていい話ではない。



「まぁ、もう少し言い換えるならば、ちょっとした告白のようなものですね。あの話には、ちょっとした嘘があった。嘘、というより、脚色のようなものがあった、というべきかもしれませんが」

「嘘……」

 自分の中の好奇心がむくむくと大きくなっていくのが癒津留にはわかった。何がどう嘘なのか、どこまでがどのように事実なのか。



「私は……、私と、私の兄千智は、誘拐などされていません。そこが、話の嘘です」

 癒津留の眉は思いっきり動いた。ん? ちょっと待て。それはつまり、監禁も嘘であるということになるじゃないか。そうなれば、あの話の9割はホラ話ということになってしまう。おいおい、なんてことだ。つまり坂下光の真実発言打率は1割ということになってしまう。試合にあまり出ない二番手キャッチャ―でもさすがにもう少しヒットを打つぞ。




「ただ……監禁はされていました。まぁ、ちょっとした虐待をされてたわけです。私と……兄は」

 こういうときに話をされた側の人間はどういう反応をすればいいのだろう。神妙そうに頷き、「そうですか……」とだけ言ってはみたが、これは果たして正解なんだろうか、と癒津留はただひたすらに悩んだ。



「両親共残念ながら、良い親とは言い難いものでした。環境はあまり良くなかったと思います。それでも、私と兄は生きていくことはできました。そんな中、最高のタイミングで奇跡が起きた」

「キセキ…………?」

「交通事故、です。前の話では、誘拐犯が交通事故で死んだ、と言いましたね。誘拐犯ではなく、それは私たちの両親のことです。娘息子を置いて母と父、二人でどこか遠くへ行ったみたいです。それが幸いして、ふたりだけで仲良く死亡。そして、私は兄と一緒に暮らせることになりました」

「でも、ふたりだけで暮らすってなかなか難しいんじゃないでしょうか? 他の、親戚の家に預かってもらうとかになりますよね、普通?」

 ちょっとした疑問を挟んでみた。




「えぇ、おそらく、普通ならそうなるんでしょうね。でも、私たちには味方になってくれる人がいました。それが、富樫弁護士です」

 あぁ、なるほど、と癒津留は一人納得する。そこで弁護士が出てくるのか。ところどころ話が飛んでいて理解に苦しむ場面はあるが、理解に必要なピ―スは揃っている、というような感じか。




「とまぁ、私の告白はこれでお終いです」

 突然話が打ち切られた。



「えっ、終わりですか!?」少し大きめの声を出してしまう。

「ごめんなさい。でも、なんとなく早めに、本当のことを話したいと思って」

 その顔はどこか寂寥感に苛まれているように見えた。蒼い湖を見た子供のような顔だった。そんな光の顔を見ていると、何か次に繋げるための話をしなくては、という謎の義務感に駆られる。



「ねぇねぇ、光さん。光さんに趣味ってないの?」

 できるだけ明るい声をかけようと努力した。突然の話題の方向転換に光は戸惑っていた。

「ど、どうしたの、あなた、突然……?」

「まぁまぁいいじゃないですか、なんでも。それより、趣味ですよ、趣味」

 我ながらなんてアホみたいなチェンジ・ディレクションかとは思ったが、もうここまで来てしまったらしょうがない。無理矢理にでもこの路線を突っ走るしかない。人生ときにはそういうことが強いられることがある。




「まぁ……強いてあげるなら読書、かしら」

「へ、へぇ―。どんな本を読むんですか?」

「色々読むけど……読むのは小説ね。ミステリ小説なんかが主かしら」

 あぁ、そういえば千智君もミステリ小説読んでたっけか、と思い得心する。

「じゃあ、えっと、何かオススメの本とかありませんか。次会うまでに読んでおきますので!」

 押す。ここで押さなきゃいつ押すんだ、というぐらいグイグイ押す。押す押す押すのオスプレイだ。




「えっと……じゃあ、これ、かな」

 と言うと光は枕の下から一冊の本を取りだした。かなり分厚い。文庫本ではあるのだが、なんだその厚さ、新約聖書か。

「はい、これ。『白夜行』っていう本なんだけど……、もしかして、読んだことある?」

「ありません」

 きっぱり即答。事実をありのままに、そのままに。



「ちょっと分厚いけど、お勧めの本よ。もし良かったら、貸してあげるから、読んでみて」

「えっ……でも……」

 枕の下に置いてあるってことは、ここ最近読んでいる本ってことになるのでは? と思い、受け取るのを渋ってしまう。




「いいの。この本には続編……、というほど続編でもないのだけれど、続編っぽい本があるから、私はこれからその本を読もうって思ってたところなの。それに、その本ももう2、3回は読んだことのある本だから、心配しなくても大丈夫」

 笑顔でここまで言われてしまったら受け取らざるを得ない。あまり固辞してしまうとそれはそれで話がややこしくなってしまうだろうと思ったからだ。



「わかりました。じゃあ、次に会う時までには必ず、読んでおきます」

 1日1ペ―ジは読もう、と固く心に誓った。1年で読み終わるかな。終わらないな。



「じゃ、楽しみに待ってるわね。そろそろ、時間も遅いから、帰った方がいいかもしれない。こんな時間に呼びだしてごめんなさい。でも、嬉しかった」

「いえいえ、そんな。また、いつでも呼んじゃってくださいよ。じゃあ、失礼します」

 と言って、癒津留は病室から出た。



 そうだ、明日が終わればまた、日常が戻ってくる。日常を取り戻し、光ちゃんともお話をしよう。というかウィッチ・ハントのお陰で光ちゃんに会うことができたんだっけ……。そんなことを考えながら癒津留は千智と合流し、家に帰った。12月24日の夜は終わり、12月25日が始まろうとしている。

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