第8章 12月24日(月)


■第八章 12月24日(月)


 クリスマス・イヴ。

 キリスト降臨祭前夜。

 今日と明日、学校へ行けば冬休みとなる。冬休みと言っても2週間ほどしかない。そして、そんな長期間の休みをもらっても、別に何かやることがあるわけではない。だから、長期休暇直前だからと言って、特別ワクワクするわけでもないし、げんなりするわけでもない。


 ただ、それでも別のことでワクワクすることはあった。

 私の隣に千智君がいて、一緒に学校へ向かっているという事実に、ワクワクしている……。



 12月24日。厳密に言うなら、クリスマス・イヴの「イヴ」の部分はevening(夜、晩)のことなので、12月24日の夜を指す言葉なのかもしれないが、まぁ、細かいことはどうでもいいだろう。



 結局、現実的にはクリスマスはそうやって過ぎ去っていくものなのだろう。今年のクリスマスも、来年のクリスマスも、そして、これからのクリスマスも、そうやって。多くの人は、細かいことなんて気にしないものだ。



 昇降口から校舎に入り、教室へ。それがいつもの流れ。そのプロセスには変わったことは起こらない……はずだった。

 思いがけない出来事というのは、言葉の通り、油断したときにやってくる。

 癒津留が自分の下駄箱を開けたとき、中に紙が入っているのを見つけた。A4サイズの紙がふたつに折られていた。誰からだろうか。まさかラブレタ―か、なんていう想像が頭を駆け巡る。そして実際、クリスマスなのだから、ラブレタ―でもまったくおかしくないという事実に驚く。




 できればラブレタ―であってほしくない、という願いをこめながら手紙を開く。癒津留の祈りが通じたのか、その手紙はラブレタ―ではなかった。プリントアウトされた、藤堂からの手紙だった。



「大変申し訳ありません。携帯電話で会話をするのは避けたいと思います。盗聴の恐れがあると、電話を終えた後に考えたからです。12月25日午後6時にゲームが終わりますが、昨夜の電話について、また、その他にも2、3点お話したいことがありますので、翌日の12月25日の夕方、千智君と共に教室に居てもらえますでしょうか。お願いします」

 手書きではなく、印刷された文字。まず、ここに何かとてつもない違和感のようなものを覚えた。なぜ、手書きではなく、印刷をしたのだろう?




「なあ、あ、やっぱり、癒津留のところにもあったか」

 その声に反応してすぐ横を見ると、そこには千智がいた。手には、A4サイズほどの紙を持っている。

「その紙……、生徒会長の?」

「あぁ、そうだ。内容は一緒? こっちのは、明日の夕方、教室に居てくれってやつだったんだけど……」

 と言って千智は癒津留に紙を見せた。癒津留も紙を千智に見せて、千智の紙に書かれていることを確認する。


 ……寸分たがわず、まったく一緒だった。なるほど、これなら紙を印刷したのにも納得がいく。まったく同じことを書くのであれば、手書きではなく印刷した方が効率は良いだろう。もちろん、すべての疑念が消えたわけではないが、ひとつの仮説が生まれたことにより多少の安心感が芽生えた。




「これ……どうしようかどうする。今日でもう冬休みが始まる。学校に入れるの?」

「教師はほとんど出払ってるらしいけど、用務員のおじさんはいるし、学校も入れるんじゃないかな。夏休みの課題を学校に忘れて取りに来る輩もいるだろうし」

 と、なんとも微妙な例えで返事をする千智に癒津留は笑ってしまった。




「でもまぁ、別にこれ、会う必要はないんだよな。12月25日の夜6時にゲームが終わる。ってことはさ、別に家に籠もってりゃいいわけだ。外に出るリスクより、籠もってた方が安心感はある」

 淡々と意見を述べる千智。そして、千智の言うことは至極もっともだった。癒津留と千智が藤堂に会わなくても、ゲームは終わる。だったら、藤堂と会う必要はなく、家から一歩も外に出ない方がいい。実に合理的な考えだった。



 しかし、そんな実に合理的な考えでも納得ができないところがあるのもまたどうしようもない事実だった。ここで千智の思うがまま行動していいものだろうか。そんな天邪鬼にも似た考えが頭をよぎる。



「ねぇ、千智……」

「ん? どした」

 不安感丸出しの癒津留の声に対し、千智の声は、いつも通りの明るさを保っていた。



「私は……、私は、会いに行ってみたい。ダメかな……。もし千智が来たくなかったら、私ひとりでも行きたい」

 決意をこめて、癒津留は言った。千智の描いたシナリオを壊してみたいと思う気持ちがあった。それに、藤堂が発見した、千智のおかしなところについて、直接聞いてみたいと思ったのだった。



 千智の顔は多少の陰りを見せた。どう答えるのか、癒津留にとってはここがひとつの分水嶺になると思った。もし千智がここで、頑なに明日、学校へ行くのを反対したら、千智のことを今までとは違う目で見なくてはいけない……、そこまで考えていた。



「……そっか、わかった。そこまで言うのなら、僕も反対しない。理由も聞かない。ただ、ひとりで行くのはかなり危険だ。僕も一緒に行く」

 そんな癒津留の心配をよそに、千智はあっけらかんとそう言ってのけた。

 こうして、朝の会話は終わった。そして、この日はこれ以外何も起こらずに、ただただ当たり前のように過ぎて行った。唯一いつもの日と違うことがあると言えば、今日は午前中で学校が終わった、ということだけだ。





 この日も私は、千智君への家に行った。あと1日。あと、1日なんだ……。


 午後5時17分。

 壁にかかった大きめのアナログ時計がそう示していた。茶色い縁の、安そうな時計だ。その安そうな時計が、千智君の家の時を司っている。


 私は千智君の肩寄り添いながらただただ前を見つめている。ソファに座りながら、電源のついていないテレビをただただ見つめている。テレビは、何も映していない。テレビは37型と、男の一人暮らしにはやや大きめのサイズだ。千智君は「もし何か見たかったらテレビ自由に点けてもいいからね」と言ったが、私は断った。今この時間テレビを点けたところでやっているテレビ番組はニュ―スバラエティのようなものしかやっていない。ここではない、どこか遠くの、別の世界のニュ―スの話だ。私とは一切なんら関わりのないニュ―スしか放映してくれない。選挙中に国民の皆様と連呼する議員ばりにどうでも良かった。それをヅラ姿の司会者がドヤ顔で語るわけだ。あ、この時間にはそのヅラ司会者はいないかもしれないが、どちらにせよそんな無意味なものを見るくらいだったら、何も映っていないテレビ画面を見た方が数倍マシだ。黒い画面を見ている方が白い画面をじっと見つめているときより眼にかかる負担が小さくなるのはよく聞く話だ。




 そして、隣の千智君は、ただただ黙って本を読んでいた。本のタイトルは、「そして誰もいなくなった」。私も本のタイトルと、作者の名前ぐらいは知っていたが、内容はさっぱり知らない。ミステリ小説は何が面白いのかよくわからない。何が面白いのか、昨日一度聞いてみたが、千智君も「さぁ、なんだろうね」と笑いながら答えただけで、詳しくは教えてくれなかった。何が面白いのかわからないのではなく、多分、言葉にしてうまく説明することができないのだろう。

 ……もう一度時計を見る。午後5時22分。



 たびたび上を向いて壁にかかった時計を確認するが、大体3分から5分ほどしか動いていない。時間が流れるのはこんなにも遅いのかと、感心するばかりだった。

「ねぇ……千智……」

「ん―? 何? 癒津留」

 本から目を逸らさずに答えた。

「ウィッチ・ハントのゲームが終わっても……、私、千智の家に来てもいいかな……」

 今にも消え入りそうな声で、そんなことを尋ねていた。

「あぁ、構わないよ。妹が退院したらさ、これからも話し相手になってやってくれよ」

「…………もう、知ってたんだ。私が、光ちゃんと会ってたこと…………」

「なんとなく、だよ。光と話せる奴ってのは、あまり多くない。まぁ、自由に色々と話してやってあげてよ、これからも、さ。そろそろ退院するだろうし」

 いつの間にか、千智は本から目を離していた。

 笑顔で千智は癒津留の方を向いた。




「うん……、任せて……」

 弱々しい声ではあるけれど、笑顔のような形を作って、言葉を、意思を伝えることができた。

「まぁ、昔に色々あったからさ、妹はあまり、外の人とあまり話そうとしないんだ」



 目線は癒津留に向いていない。どこか遠くを見つめていた。方向もまったく別のところだ。

 そして癒津留は、その言葉を聞いてハッとする。昔に色々。その色々が具体的に何を指しているのかを、私はよく知っている。

 『誘拐』……。そんな、現実とは浮世離れした単語が、脳裏にふと、浮かび上がる。

「頭は良い奴なんだよ、多分。でも、ちょっと飛んでるっていうか、なんていうか」

 そんな千智の妹評価に笑ってしまう。たしかに、あの子はちょっと『飛んでいる』かもしれない。




「だからまぁ、率直に言って、アイツが話せる奴ができたっていうのは嬉しい。外に出ないから他人と話す機会なんてまったくない。機会を作ってはやりたいけど、話す友達を僕が作って連れていくってのはそれはそれで違う気がするしね。そう考えると、癒津留っていうのはもしかしたら……、まぁ、きっかけはどうであれ、貴重な存在だったってことになる」

 その時、携帯電話が震えた。もしや魔女襲来警報か、と思ったが、私の携帯電話だけが震えていて、千智君の携帯電話は震えていない。急いで確認してみると、ただのメールの着信だった。ただし、相手が少々普通の相手ではなかった。




「あっ……」

 メールの送信者は、坂下光だった。急いで内容を確認する。

「できれば、会いたい。前のように、病院で。あなたと、ふたりっきりで。」

 余計な時候の挨拶もなければ、顔文字も絵文字もない。必要最低限な文法と内容だけを携えたこざっぱりとした文章だった。




 しかし、いきなり会いたいと言われても困ってしまう。

 壁に掛けてある時計をまた確認する。午後5時34分だった。ここから歩いて夕辺総合病院に行って果たして面会時間に間に合うのだろうか? お見舞いになんて行ったことはないが、面会時間というのが設定されているはずだ。そもそも、このタイミングで、何の対策も打たずに外に出るというのはいかがなものだろうか。


「なんかあった?」

 千智が癒津留に声をかける。すべてを包み込んでくれそうな、そんな声だった。

「えっと……えっと、別に……」

 なんて答えていいかわからず、癒津留の声は宙を彷徨ってしまう。




「もしかして……、光からのメール?」

 心臓が一拍すっ飛んだ。まったくこの人は……、他人の心が読めるのか。



「……ま、まぁ、似たようなもの……です……」

 実質認めたような形になってしまう。



「ふふっ……いいじゃないか。光にもメル友ができた。そういうのって、兄として喜ばしい限りのことだよ。で、内容はどんなもの?」

「えっ……」

 そこまで踏み込んで来るのかこの野郎。



「あ、いやいや。もちろん、プライバシ―に関わることだったら、言わなくてもいいんだ。ただ、なんか変なお願いをされた、とかだったら、協力できることはなんでもしたいなって思った。それだけだよ、悪いね、デリカシ―なくて」

 こんなことをサラリと言うもんだから憎めない。いや、多少は憎むけれども。

 しかし、ここで光からのメールを隠す意味が果たしてあるのだろうか、とも思った。どうせほとんどバレているのだ。だったら、正直にさっさと告白して、どう反応すればいいのか、兄から直々のアドバイスをもらった方がいいかもしれない。





「実は、光ちゃんから……来てくれないかってメールが……」

「へぇ……光が、ねぇ。ふたりで会いたいって?」

「う、うん……。私とふたりで会いたいって……」

「いいよ。じゃあ、タクシ―を呼ぼう。もちろん、お金はこちらが持とう。病院に着いたら案内するけど、裏口通用門から入ってね。守衛さんがいると思うけど、『9階の坂下光さんのお見舞いに来た者です』と言えば、中に入れてくれる。普通の入院患者は面会できる時間とか決まってるんだけど、光にはそれがないから、安心して。僕は病院の外にいるから、2人で好きなだけ話すといい」

 と言うと、千智はすぐに携帯電話で電話をして、タクシ―を呼んだ。それからはまるでベルトコンベアに運ばれるが如く、物事は淡々と進んだ。

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