第4章 夢原癒津留の故郷考察と、坂下千智に纏わる奇妙な噂

■第4章 夢原癒津留の故郷考察と、坂下千智に纏わる奇妙な噂



 今までの暮らしが崩壊すると、人生がメチャクチャになる。

 第二次世界大戦が終わった後の人々は、一体どういう気持ちだったのだろうかと考えることが、たまにある。人々は、国民は、敗戦が判明した玉音放送を聞きながら、沈みゆく夕陽に何を思ったのだろう。つい先日まで、自分たちの国は戦争に勝っていたはずなのに。いつの間にか、価値観が、世界のルールが、変わったのだ。いつの間にか自分たちの国は、見たこともない野蛮なメリケンたちに支配されることになった。そのときの私たちの先祖は、どういった気持ちだったのだろう? そこから這い上がった先祖たちは「凄い」と、素直にそう思う。だから思う。一方で、私の父は、一体何をしていたのだろうか、と。




 私が住む町、私と、千智君が住むこの町、美山(みやま)市は田園風景が広がる、いわゆる田舎町だ。住宅の面積より農地の面積の方が広い。そんな町。



 それなりに大きな川を挟んだ向こう側にはちょっとした商店街がある。人々はかつてはそこに、食料品や、本、そして娯楽を求めていた。全国の商店街の規模なんて知らないが、平均以上の大きさを誇る商店街だったのではないかと思っている。私が小学生の頃、商店街でよく用を済ませたものだ。美容院に本、ちょっとした文房具の調達。そこに行けば、何でもある。商店街の肉屋で買うコロッケがとても美味しかった。その記憶は今でもある。




 人並以上に私が商店街に出入りしていたのには理由があった。

 父がその商店街の組合長を務めていたからだ。美山商店街の組合長を。

 しかしまぁ、それが理由になるのかよくわからないが、もし理由を説明するならばそれが理由になるのだろうな、とは思っていた。というかもう、実のところ、理由なんてなかったのかもしれない。〝頻繁に私は小さい頃、商店街に行っていた〟。それだけがたしかな事実だった。そのころは父も優しかった。すべてがうまく回っていた時代だったのだ。仕事も、家庭も、そして、私の人生そのものも。

 それらは一見、別々のものに見えるが、それらは決して別々ではない。繋がっているのだ。そして実際に、一番最初に壊れたものは、仕事だった。


 ――大規模小売店舗法が廃止されたのは、2000年6月1日だった。

 

 大型ショッピング・センターが美山市の隣の県にできる。私が通っていた小学校でそんな話題が持ちあがった。当時の私は大型ショッピング・センターがよくわからなかったが、友人たちの話を聞く限り、商店街がもっと大きくなったものだとだけ聞いていたが、具体的にはよくわからなかった。それが破滅への序章になるなんて、その当時の私には当然、わからなかった。


 その日から、父の様子が段々とおかしくなっていった。いつもは6時に帰ってくる父の帰りが10時になったのだ。それも、1日や2日だけのことではない。1週間、1ヶ月、気付けばその遅い帰りは、6ヶ月以上にも及んだ。当時母から聞いた話によると、商店街組合の会議が連日続いたという。今までこんなことはなかった。今までなかったことが起きたという現実は、私に言いようのない不穏な何かをもたらした。重大な人生の転機が。それも、決して良い方向ではないものが。

そしてこれは、あとになって知ったことだが、この時、美山商店街は連日、大型ショッピング・センター参入を阻止するための対策会議を行っていたのだ。美山市の隣の県にできた大型ショッピング・センターでは連日大賑わいの様相を見せ、この地方一辺においても大型ショッピング・センターは需要があるということが証明されてしまったのだった。




 当時、ここ、美山市からそのショッピング・センターに行くには電車を乗り継いで1時間と少しほどかかる。そのショッピング・センターが美山市内にできる可能性が存在するのだ。もし美山市内に大型ショッピング・センターができてしまったら? それはあまり考えたくないことだった。今まで来たこともない大津波がこの町を包み込もうとしている。その予兆がこのとき、商店街組合にも降り注いでいたのだ。




 そしてある一定の時期を過ぎた後、父は家に帰ってくるようになった。しかし、その帰ってくる父は、今まで私が見てきた父の姿ではなかった。でっかい奈良漬が足を持ち自由に歩行できるようになって家に入ってきたのかと思うほど酒臭い父が夜中に帰宅したこともあれば、誰かと喧嘩したのか、ボロボロになって帰ってきたこともあった。そのときの父の顔は腫れぼったく、オマケに服は引きちぎられていた。





 当時は事情がよくわからず、ただただ怖いだけだったが、どうやら父は商店街の存続を巡って、地域の不動産業者と一悶着あったそうだ。それが一体どのようなトラブルだったのか、それは今でもわからない。ショッピング・センター絡みのことだろうということは直感でわかった。しかしそれは、わかったところで「はい、やめやめ~」と止められることでもない。崩壊の予感がした。本当の崩壊というのは、わかっていても、止められないものなのだ。もし崩壊わかっていて止められるのであれば、世界はもっと、平和なのだ。平和なはずなのだ。しかし世界は、そこまで平和ではない。


『いろいろと、疲れました。これから先、生きて行く自信がなくなりました。他のみんな、精一杯生きてみてください。それではさようなら』


 おそらくは、美山市の商店街が完全崩壊したからだろう。

 私の父は、美山ショッピング・センターができてしばらくした後、自殺した。

それからしばらくして間もなく、兄も自殺をした。母も、いなくなった。手紙も遺さず。



 そして、私は? 私は、なぜ死ななかったのだろう?

事情をまだよく飲み込めない青二才だったから? いや、そんな馬鹿な。当時の私はもう、事情をそれなりに飲み込んでいた。はっきりとは飲み込んでいなかったかもしれないが、それなりに飲み込んではいた。飲み込んではいたがおそらく、「なんとかなるさ」という思いがあったからかもしれない。それだとやっぱり、青二才だったから、ということになるのか。なんてことだ。でも多分、それだけじゃない。兄にとてもよく似ている人が、学校にいたからだと思う。坂下千智君。彼も他の生徒とまったく変わらない一生徒のはずなのに、なぜだか、彼だけは少し別の人間に見えた。思えば、彼のことを追いかけていた。気付けば彼の行動を追っていた。初めて彼のことを見た時は、兄に似ているなと、漠然と思っていた。初めて会ったのはたしか、小学生の頃だった。そしていつからか、別の理由で彼のことを追いかけるようになっていた気がする。その別の理由が、当時の私には説明できなかった。そして運良く、高校も彼と一緒のところに行くことができた。狙っていたわけではない。たまたまだった。そして、中学の時からずっと一貫して同じクラスだったのが良かったのか、彼とは気付けばよく話す仲となっていた。〝それなりによく〟ではあるが。




 そして、なんてことだろう。一緒に話してはいるが、私は彼のことをよく知らなかったのだ。私が彼について知っていることと言えば、彼も私と同じで、早くに両親を失くしていて、今は妹とふたり暮らしであるということと、その妹は病弱で今は入院中である、ということだけだった。



 私は、もっと彼のことを知らなくてはならない。

 気付けば私は翌日、彼のあとを追っていた。彼は私と一緒に帰った時とほとんど同じル―トを歩んでいたが、行き先は家ではなかった。彼が行った先は、大きな病院だった。


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