第12章万能薬
アイリス達三人は城を目指して歩いていた。しかしその前にアイリスはルイザに会わなければならないと思っていた。ルイザの住んでいる村を出てから、三ヵ月は経っていた。あれから彼女はどうしているだろうか。病気が彼女を苦しめ、死の淵をさまよっていないだろうか。そしてあれほど彼女と約束したのに万能の薬草を見つけられていないのだ。唯一万能薬といえば、聖女ジェラルダインの出してくれたドラゴンの薬草だった。
しかしパニーラはあれ以来聖女ジェラルダインにはなっていない。本当に身の危険を感知した時だけ、彼女は姿を元に戻すのだろう。そもそも姿を戻すということ自体が危険なことなのだ。それをパニーラに頼むのも、とても気が引けた。それならやはり自力で万能薬を見つけなければならないだろうとアイリスは思った。そこで彼女は朝から晩まで必死になって薬草探しに励んだ。少し寄り道になってしまうが、人の行かないような谷や崖を見て回ったり、山の野草をいたるところでつみ歩き、それらしい薬草を探した。
しかし結果はさんざんなものだった。いろんなところを歩き回っても、どれもこれももう既に見たことのある薬草ばかりで、腕や足には木の枝などがひっかかり、たくさんの引っ掻き傷があちこちにできるばかりだった。アイリスはたくさんのため息と夜を過ごしながら、ルイザになんと言ってよいか考える毎日だった。そんなアイリスの様子を見ながら、アレックスも心配そうに言うのだった。
「僕に何かできることがあったら言ってくれ」
「分かったわ。何かあったら頼むわ」
彼女はやっと笑顔になりながら、アレックスに返事をするのだった。
こうしてそんな日がしばらく続き、気がつけばルイザの村の前まで来ていたのだった。
村は相変わらず手入れが行き届いていて、季節の花が赤やら黄色を咲かせていて、見る人々の心を和ませていた。
しかしアイリスの心は暗澹たる気持だった。結局いい結果を持ってこれずにルイザに会わなければならないのだ。
彼女は何と言うだろう。そんなことをうじうじと考えているうちに向こうの方から人が走って来るのが見えた。その人はとても慌ていたようで考え事をしていたアイリスに激しくぶつかってきた。
「いたっ」
「これはすみません」
慌てていた男は頭を深々と下げた。
「いえいえ、私も気をつけなかったものですから」
そう言ったアイリスは男の顔を見てぎょっとした。
「まあ、村長さん」
それはルイザの父でもある村長その人だった。久々に会った村長の顔には疲れ果てた様子が見てとれた。
「いったいどうしたんです」
「ああ、あなた方でしたか。アイリスさん。実はルイザがものすごい量の血を吐いてしまって今、医者を呼びに行くところなんです」
「なんですって。ルイザが?!」
「あなた方は先に屋敷に行っていてください。私は医者を連れて行きます」
村長はそう言い残すとまた慌てて行ってしまった。
「ルイザが大変だわ。私達も急ぎましょう」
アイリス達は血相を変えて村長の屋敷へと向かった。
屋敷に着いてみると屋敷の中は静まり返っていたが、執事が忙しそうに動き回っていた。アイリス達は村長に会ったことを話し、ルイザの容態を訊いた。
「ルイザ様の容態は思わしくないです」
「奥様は?」
「今、ルイザ様のベッドの側についておられます」
「私達も側にいさせてもらえないでしょうか」
「それは駄目です」
執事は眉間にしわを寄せながら、きっぱりと言い切った。
「あなた方のお部屋の用意は他の者に任せますのでそちらでお休み下さい」
彼は失礼のないようにそれだけ言うときびすを返して廊下を渡って行ってしまった。
「大変なことになってしまったようだね」
アレックスはアイリスのことを気にかけながらそう言った。
「私が薬草を見つけていれば…」
アイリスは目頭を押さえながらその場にしゃがみこんでしまった。悲しい思いがアイリスの心をしめつけていく。暗く深い思いが彼女の周りにまとわりつき、それは幼い頃両親や兄がとうの昔に亡くなっていて、おまえは一人なのだよと言われた時のただ一人放り投げられた気持ちに似ていた。とても心細くて寒い。そう感じた時、アイリスの手に小さな温かい手が滑りこんできた。そして両肩にはがっしりとした手の重みが加わってきた。
「アイリス、がんばる」
「そうだ。僕らがここで暗い気持ちになっていてもしょうがないだろ」
一瞬アイリスの目に光が射し込んできたような気がした。ああ、そうだ。今の私はもう一人ではないのだ。パニーラもアレックスもいるのだ。にっこりと微笑むパニーラと座り込んだアイリスを元気良くひっぱりあげるアレックスを、彼女は交互に見た。
「そうね。私がここで悲しんでいてもしょうがないわね。一番辛いのはルイザなんだから」
少しは元気の出てきたアイリスは気持ちを切り替え、今自分にできることを精一杯しようと決意を固めた。
それから三人は大きな鍋を借りて、庭で様々な薬草を煮込み始めた。あれから三ヵ月。その分だけの成果はあるようでいろんな種類の薬草が手に入っていた。どんな効果があるかも分からないものもあったが、とにかく急いでアイリスは煮込み続けた。
万能の薬草を追い求め、その集大成を今成さなければならないのだ。それでなければ何の為の薬草探しだったのか分からない。アイリスは汗と涙をにじませながら一晩中煮込み続けた。
そして夜が明ける頃動きがあった。ルイザの部屋から疲れ切った村長と奥さんが出て来たのだ。そして後ろからは全力を尽くし切った医者の姿があった。
「お嬢さんはもう助からないでしょう。最期に会わせてあげたい方がおられるなら会わしてあげた方がいいでしょう」
それを聞いた村長と奥さんはむせび泣いた。涙がとめどもなく流れ落ちながらも、村長は気丈に医者に礼を言った。そしてしっかとした足取りでアイリス達の待つ庭へと出向いた。夜中じゅう鍋を煮込み続けていたアイリス達もへとへとな様子だったが、村長が来ると、すくっと立ち上がった。
「どうしたんですか、村長さん」
「ルイザはもう長くはないと言われた。最期に君らが会ってやってくれないかい」
村長は震える声を絞り出すように言った。
「ルイザが…」
アイリスは声をつまらせたが、パニーラがアイリスのズボンの裾を引っ張った。見るとパニーラの手にはガラスの瓶が光っている。
「ルイザに薬持っていく」
パニーラの目には力強い光が宿っていた。村長の言葉に思わず力を落としかけたが、アイリスはアレックスに支えられながら、地面を踏みしめた。
「行こう、アイリス」
アレックスはパニーラからガラスの瓶を受け取るとそこに煮込んだ薬草の汁をたっぷりと注ぎこんだ。そうしてアイリスを強引に引っ張りながらアレックスとパニーラはルイザの待つ部屋へと向かった。
ルイザの部屋に入ると彼女はベッドの中で、青白い顔をしながら、天井を見つめていた。自分の身の上に何が起こっているのか彼女は既に知っていた。身体はだるく胸は激しく痛み、誰に言ってもその痛みを解消することはできない。そう考えた彼女にとって死というものは親しみのこもった友人のようなものだった。もう何も恐れることはない。そう悟った彼女は入って来たのが、アイリス達だと分かるとひどく驚いた。何もかもあきらめた瞬間に、こんなことってあるだろうか。
「まあ、アイリス。本当に戻って来たのね」
「そうよ。約束したじゃない」
アイリスは気丈に振る舞いながらやせ衰えたルイザに、以前会った時と同じような精一杯の笑みを見せた。
「そちらにいるのはどなた?」
アイリスの隣にいるアレックスを見ながら、彼女は不思議そうな顔をした。
「私の双子の兄、アレックスよ」
「お兄さんって、だってアイリスは…」
そこまで言った時ルイザは激しい咳に襲われた。
「ゴホッゴホゴホッゴホッ」
血の混じった咳はベッドを汚し、アイリス達を動揺させたが、ルイザは落ち着き払っていてアイリスの手をとってこう言った。
「いいの。もうお医者様を呼んでも意味ないし。それよりアイリス達の旅の話を聞かせて」
アイリスは迷ったが、側にいるアレックスがアイリスの肩をとんと叩いた。それから彼は手に持っている瓶をアイリスに手渡した。アイリスはその瓶を見ると胸の奥が熱くなった。確かに彼女を助ける万能薬を見つけることができなかったが、やるだけのことはやったのだ。そのことをルイザに伝えよう。アイリスは心を決めると、今までの自分達の旅を彼女に話した。
ルイザはアイリスの話を聞きながら、彼女の話を聞いているうちにこと切れたらどんなにいいだろうかと思った。それはきっと幸せな死に方に違いないと。しかしアイリスの話を聞いていくうちに彼女の心は驚きとともに興奮の色を極めていった。そしてアレックスと会ったいきさつをを知ると彼女は叫んだ。
「なんて素敵な奇跡なんでしょう!」
「ええ、奇跡だわ」
アイリスも強く頷いた。
「そしてあなたは見つけたのね、万能の薬草を」
ルイザは期待に満ちた目でアイリスの手にある瓶を見つめた。一瞬アイリスは凍りついた。アレックスとパニーラも息を呑んで顔を見合わせた。
ああ、どうしたらいいんだろうか。アイリスは心の中で叫んだ。これはあなたの求めているものじゃないわなんて言えないわ。でもこんな時どうしたら…。
悩みに悩んだアイリスだったが、とっさにこう呟いた。
「そうよ。これは万能の薬草よ」
それを聞いたルイザの顔には晴れ晴れとした笑みが広がっていった。
「まあ、本当にそうなのね。世の中というのは奇跡に満ちてるのね」
彼女は幸福そうにアイリスの手からその瓶を手に取った。
「この薬草を飲めば私の痛みは消えるのね。そしたら私もいろんなことができるわね。アイリス達みたいに旅ができるかも」
アイリスの心はひどく痛んだが、喜ぶルイザを前に何も言えなくなってしまった。
ルイザはその薬草を一口すすると、また激しい咳に襲われた。今度はさっきの咳よりもしつこいもので、血も大量に吐いてしまった。
「ルイザ、ルイザ、しっかり! 今お父さん達を呼んでくるわ」
「駄目、行かないで。死ぬ時はアイリス達にいて欲しいわ」
「駄目よ、死んじゃ駄目」
アイリスはすがりつくようにルイザを抱きかかえた。
「駄目ね。私には奇跡が起こらなかった」
ルイザはふっと笑うと、そのままベッドで気を失いかけた。その時だった。部屋一面に眩しい光が輝きだし、皆の視界が一瞬真っ白になった。
ルイザは突然の光に意識を取り戻し、目をしばたたいた。見るとベッドの側には背の高い金髪の女の人が立っていた。
「あなたは本当に生きたいの。生きててもこんなにも苦しいのに」
女の人は優しげな瞳の中にも強い光を放ちながら、ルイザに挑むように尋ねてきた。ルイザは一瞬戸惑った。彼女はついさっきまではこの痛みから解放されるなら死へと誘われることも怖くはないと思っていた。しかし今はどうだろう。アイリス達の旅の話を聞いてルイザの心は湧き立っていた。アイリス達のように旅をしたり、奇跡を実感できたら、どんなにいいだろうかと。もっといろんなことを見聞きして生きてもいいのではないだろうかと感じていた。
「私はまだ生きたいです。アイリス達みたいに旅をしてみたい」
「それは本当なの?」
まだ信用しきっていなそうなその女の人は冷たく言い放った。
「とても辛いことがあっても生きたいの」
「生きたいです。私はまだお父様やお母様やアイリス達と生きたいです」
ルイザは心の底からそう言い切った。
「分かりました。ならばこれを飲み込みなさい」
彼女はそう言うとアイリスの手から瓶を取り上げ、瓶の中に入っている緑の液体の中へと指を滑らせ、一枚の葉っぱを取り出した。そうして女の人はその葉っぱをルイザへと渡した。ルイザはそのみずみずしい緑の葉っぱがとてもきれいだと思った。生命の光で輝いている。その生命の輝きの中に自分も入りたいと思った時、自然と彼女はその葉を飲み込んでいた。
ごくりと飲み込んだ瞬間、ルイザの意識は遠のいた。
それからどれぐらいの時間が経っただろうか。ルイザはうっすらと目を開けた。見るとベッドの側には泣きはらした顔のアイリスとパニーラと、アレックスの姿があった。もぞりと動きだしたルイザにアイリスはびっくり仰天した。
「まあ、ルイザ。私もうあなたは駄目なんだと思ったわ」
そしてアイリスはなぜかパニーラの方を振り返った。パニーラは疲れ切った目をしていたが、ルイザの元気な様子を見ると笑顔が広がっていった。その一方でアレックスが複雑な表情を浮かべ、腕組していた。
「私もそう思ったけど、さっき女神を見たわ」
「女神?」
「女神が葉っぱをくれたの。あれが万能の薬草だったのね。その瓶の中に入ってたわ」
「ああ、これね」
アイリスは気まずそうに瓶を見つめた。
私は万能の薬草を見つけられなかったけどパニーラがドラゴンの薬草を出してくれた。そして結果としてルイザの命が助かったのだ。ならばそれでいいのではないだろうか。そう思いながらも、アイリスの隣で全てを見ていたアレックスに何と言おうか、アイリスの心は波立っていた。
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