第9章聖女ジェラルダイン

アイリスとパニーラは山の中を歩いていた。この国で唯一の火山バルド山を目指して。それはムーラトがドラゴンとは火山のことを指しているのではないかと言ったからだ。しかしアイリスは本当にそうかというとあまり確信が持てなかった。


今までドラゴンなど見たことないが、その昔には本当に翼を持ったドラゴンがいたかもしれないのだ。だとしたら、どこを探したらよいのだろう。そう考えるとどうしても旅の足が止まってしまうのだ。今までは珍しい薬草を採取してきたが、ムーラトの膨大な植物の標本の前では自分のやってきたことはまるで無駄のような気がしてならなかった。それよりもムーラトですら見つけることができなかったという万能の薬草一本だけを見つけることだけが、今の自分の使命のような気がしてならなかった。

 そんな様子のアイリスにパニーラは訊いた。

「薬草探さないの」

「探してるよ。ドラゴンの薬草を」

アイリスはわざと元気よくそう言った。その時、パニーラの顔が一瞬曇った。

「どうしたの。具合悪いの」

パニーラは首を振って、少し悲しそうな表情をした。

「具合は悪くない」

「そう、ならなぜそんな顔してるの」

「ううん、なんでもない。パニーラなんでもない」

まあでもこんな山の中を歩いているから、小さなパニーラにとっては疲れるのかもしれない。アイリスはそう考えて、少し歩調を緩めた。

 歩く速度を緩めたせいか、その日の夜は、二人は山の中で野宿することになった。

焚火を焚き、食事をとり、二人は変わりばんこに火の番をした。

 それから何時間が経ったであろうか、アイリスは馬のいななく声で目を覚ました。彼女はとっさにそばにあった自分の剣をとり、構えた。

見ると数人の盗賊達が馬に乗って自分を見下ろしている。

「こいつはおまえの連れか」

気がつくとパニーラが盗賊に捕らわれていた。叫ばないように口にはロープがゆわえつけられていた。

「俺達は人買いだ。おまえもおとなしくこいつと一緒に来い」

アイリスは一瞬従う素振りを見せたが、剣を一振りするとそばにいる馬達に踊りかかった。

「いや、たあっ」

なるべく馬を傷つけないように馬を脅し、馬に乗っている盗賊達を奮い落とした。敵は五人。いきなりの反撃に盗賊達はおもしろいように馬から転げ落ちた。

「いたたっ」

「この女、何をする」

馬達は驚き、辺りかまわず逃げ散って行く。

「そっちがその気なら、この子供はどうなってもかまわないんだな」

頭領らしき男が図太い声でパニーラを引っ張り出した。パニーラはしっかりと盗賊に肩をつかまれている。

くっ。どうしたらいいんだ。こんなところで人買いにさらわれるわけにはいかない。だからといって、パニーラはあんな状態で。

アイリスの頭は混乱していた。

「さっ、その剣を離せ。離したら、この子供も離す」

アイリスはそろりそろりと動いた。剣を離すような素振りをみせながら、なるべくパニーラの側へと近づいていった。

「そうだ。何もしなければ、こっちも何もしないぞ」

頭領がにやりと笑ったその時、アイリスは一気に跳躍して頭領の頭を叩き割った。

「ぐっ」

男の頭からは血が噴き出し、捕らえられていたパニーラはとっさに放され、アイリスの側へと駆け寄った。

「よくもやったな」

盗賊達の男達はたちまちのうちにアイリスとパニーラを取り囲んだ。

「パニーラ、私から絶対離れちゃ駄目だからね」

「うん」

パニーラが力強く頷くのと同時に剣の攻撃が始まった。

「おりゃ」

「とりゃ」

腕っぷしの強い男達が幅の広い剣でアイリスをたたき切ろうとしてくる。それをアイリスがくぐりぬけ、すばやく男達の腕やら足に傷を負わせていく。アイリスの剣が華麗に舞うと男達の誰か一人が膝をつき、倒れていく。

大丈夫。これならきりぬけられる。アイリスがそう思った時だった。よもや傷で動けないと思っていた頭領が突如突進してきて、アイリスの胸ぐらを剣で突いたのだ。

あっ、と思った時にはアイリスの胸からたくさんの血が流れ出た。

アイリスの目の前には死の文字が横切った。

「たかが女子供と思ったのが間違いだった。しかしどうだ。死の味は格別だろう。さあ、行こう」

「しかし頭領。その小さな女の子は高く売れますぜ。」

「血まみれの子供など売れるか」

頭領はアイリスの血で真っ赤になったパニーラを軽蔑したように見やった。

「とんだ大損をしちまったな。さあ行こう」

盗賊達は自分達の傷の手当てをするためにその場を去って行った。


 置き去りにされたアイリスは傷で呻いていた。このまま私は死ぬのか。側では心配そうにパニーラが寄り添っていた。

「アイリス、死んじゃいや」

泣きながら言うパニーラに、アイリスは気が遠くなりながらも

「大丈夫、大丈夫」

と呟いた。

そして思った。こんな時万能の薬草があったならどんなにいいだろうかと。私はまだ死にたくない。アイリスが強くそう思った時、何かが光った。それはパニーラだった。パニーラの周りからまばゆい光が流れ出し、それは人の形を作りだした。長い金髪をしたきれいな女の人だ。女の人はやさしく、アイリスを支えると、こう言った。

「さあ、これを飲みこむのです」

それは一枚の葉っぱだった。

みずみずしい緑のはっぱ。アイリスは言われるままにその葉を飲みこんだ。すると不思議なことに今まで痛くて痛くてしょうがなかった傷の痛みが止まり、吹き出ていた血も自然と止まったのだ。

 いったいどういうことなのだろうと起き上がると、そこにはやはりその女の人がいた。

「助けてくれてありがとうございます。私はアイリスと言います。それと、」

アイリスはパニーラも紹介しようとするとどこにも彼女がいないことに気がついた。

「パニーラ」

夜の闇の中にアイリスの声だけがむなしく響いた。

いったいどこへ行ってしまったのだろう。心配になって立ち上がったアイリスにその女の人は言った。

「パニーラなら大丈夫です。パニーラは私なのですから」

「パニーラがあなた?!」

「正確にはパニーラは私の子供時代の姿です。しかし今の私の姿は聖女ジェラルイダインです」

「あなたが聖女。じゃあ、あの村が焼き討ちされた原因はあなた」

「そうです」

大人の女性の冷淡な目で彼女はそう言った。

「王はなぜあなたを探しているのでしょう」

「それは私には分かりません。何か魂胆があるのでしょう。私は見つかるわけにはいかないのです。それで子供の姿になっていたのです」

「わざわざ子供っぽいしぐさまで演じてですか」

アイリスは冷ややかな口調で言った。なぜこんな大事なことを一緒に旅していながら、一言も言ってくれなかったのかと正直腹がたったのだ。

「子供時代の姿に戻っている時は、私の心は本当に無垢の子供のままです。何も知らない子供。そこまで徹底させなければ、私が聖女ジェラルダインであることがばれてしまいますからね。」

「なぜ今姿を戻したのです」

「あなたが死にかけていたから。そうして強く生きたいと願ったからです。それとあなたにはとても世話になったから」

「不思議な葉ですね。私を死の淵から簡単に救ってしまった」

アイリスは真っ赤に染まっていた傷の辺りが今は傷のかけらもなくなっていることに気がついた。

「それはあなたが探している薬草ですよ」

「まさかドラゴンの薬草?!」

「そう、そのまさかです」

彼女は驚愕した。探しても探してもみつからなかった薬草をパニーラが持っていたのだ。

「ひどいじゃない。私が真剣に探しているのを知っていながら」

アイリスはその場で泣きたいような気持ちだった。

「あなたが探しているのがドラゴンの薬草だったとは思わなかったのです」

聖女ジェラルダインは悲しげに呟いた。

「ねえ、じゃあどうしてルイザを助けてあげないの」

「あの薬草は私の心の中から出てくるのです。なぜ出てくるのかそれは私にも分かりません。でも今出てきたのは本当にあなたを救いたいと思ったからです。私の魔法は心なのです」

魔法と聞いて、アイリスの手が止まった。

「あなた魔法使いなの?」

「人はかつて私のことをドラゴンとして恐れました。それは私が火を自由に操る魔法を知っていたからです。人は自分にないものをもっているものを異端視します。彼らは私をとらえ、殺そうとしたのです。その中の一人の村人が私を助けようとしたのです。しかし怒りで我を忘れた私はその村人にひどい火傷を負わせてしまったのです。その時初めてドラゴンの薬草が私の心の中から出てきたのです。その薬草でその村人は助かりました。それからは村人達も私のことを理解してくれるようになりました。そして私も子供時代の姿でいれば魔法を使わずにいられることに気づいたのです。それ以来私は特別なことがない限りは今の大人の姿にならずにいたのです」

「村人は薬草を育てたのですか」

「いえ、それは違います。薬草は火傷を負った村人が飲んでしまいましたから、それっきりです」

「私も飲んでしまったから、もうないってことね」

「そういうことです」

聖女ジェラルダインは申し訳なさそうに呟いた。

「じゃあ、私は何を探せばいいのでしょうか」

アイリスは自分に問うように聖女ジェラルダインに訊いた。

「あなたの目的は万能の薬草でしょ。私の葉は薬草ではなく魔法です。あなたは今まで通り万能の薬草を探せばいいでしょ」

「あるんでしょうか」

「アイリスあなたは今までは強くあると信じて行動してたじゃない」

そう、今まではあると真剣に思っていた。しかし聖女ジェラルダインの魔法の薬草を見て、アイリスの心は迷い始めていた。魔法さえあれば、薬草なんていらないんじゃないかしらと。

「私はそろそろ元の姿に戻ります。できればあなたとこのまま旅がしたいのだけれどもいいかしら」

一瞬アイリスの脳裏に焼き討ちにあった村人の言葉が浮かんできた。

『この子を連れて逃げて』

そうだ。私は聖女ジェラルダインを託されたのだ。彼らは命がけで彼女を守った。ならば私も彼女とともにいて守らなければならないだろう。アイリスの旅の目的にまた新たな目的が加わった。聖女ジェラルダインを守る。なぜ王は彼女を探しているのか、彼女の魔法を求めているのかもしれない。危険な火を操るという魔法と人を癒すドラゴンの薬草。彼女には秘められた力があるのだ。王に見つかってはいけないのかもしれないと、アイリスは直感的に思った。

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