第6章病人

アイリスとパニーラは南に進路を取り、道端の草を丹念に眺めていった。丘があればそこに登り、変わった草を見つけると収集し、荷物の中へと積めていった。マイクに言われた全国販売の言葉が、がぜんアイリスのやる気を引き出させていた。なんとしても万能の薬草を見つけ出さなくちゃ。もしも、かつてそんな万能薬があったなら、私の家族は死なずにすんだのに。そう思うとアイリスの心はとても悲しい気持ちになったが、その分がんばろうと思うのだった。そうして胸元のペンダントを見ては家族は天の空から見守っていると強く思うのだった。


 ひと山越えて行くと、小さな村にたどり着いた。村だと言うのに花壇の手入れや並木道の手入れが、町のように行き届いてた。村には宿らしいものはなく、その代わり村長さんが、よその人が来ると家に泊めてくれるということを、アイリスとパニーラは村人から聞いた。そこで二人はその好意に甘えることにして、村長さんの家の戸を叩くことにした。

 村人から聞いた村長さんの家はとてつもなく大きなお屋敷だった。二人とも一瞬ひるんだが、門番に話をし、泊めてもらいたい旨を伝えてもらった。

 するとほどなく、門は開き、二人は屋敷の中へと通された。ふかふかの絨毯に、高価そうな胸像が玄関広間に置いてある。天井にはきらびやかなシャンデリアがぶらさがっていた。

出迎えてくれたのは村長その人だった。

「これはこれはこんな辺鄙なところまでようこそ。何もございませんんが、ゆっくりしていってください」

銀髪に人のよさそうな柔和な顔をした村長は笑みを浮かべながら、二人にそう言った。

「ありがとうございます。今日はごやっかいになります」

アイリスもにっこり微笑みながら返事をした。

 二人は執事に連れられて、今日泊る客室へと案内された。大きなふわふわとしたベッドが二つに壁には名画が飾られていた。

「食事の時にはお呼びします。それまでお休みください」

執事はそう言って出て行った。

「はあー、疲れたねえ、パニーラ」

ベッドにぐったり倒れ込みながら、アイリスは呟いた。パニーラもまねして

「疲れたあ」

と言ってベッドに大の字になった。

 今日も万能薬は見つからなかったなあ。中には変わった草もあったけど、今まで見てきた草とそう変わりはない。見ただけでも分かるような草だったらいいのになあ。でもまあ、今日収集した中にも、いろいろ煎じてみたら何かの効能のある草もあるに違いない。今は旅先だから煎じたり、乾かしたりできないけれど、旅から帰ったら大急ぎで研究しないとなあ。アイリスはとろんとした目でそんなことを考えていた。そうして大きなあくびが一つ。次の瞬間にはアイリスは眠りの中にいた。

 それからどれくらいの時間が経っただろうか。アイリスはふと目を覚ました。そろそろ夕食の時刻だろうかとベッドから起き上がると、部屋の中にはアイリス一人だけだった。

「あれっ。パニーラ?」

きょろきょろと辺りを見回したが、パニーラの姿は見えない。どうやら部屋の外に出て行ってしまったようだ。

「大変」

アイリスはベッドから降りると、慌てて部屋のドアを開けた。パニーラが人様に迷惑をかけるとは思えないけれど、この大きな屋敷の中で迷子になったら、きっと大変に違いない。

アイリスは廊下を見渡したが、パニーラの姿はどこにもない。どこまでも続く部屋が並んでいるだけで、おまけにドアはみんな閉まっている。いったいどこに行ってしまったのだろう。

 アイリスは不躾だとは思ったけれども、全部の部屋のドアをいちいち開けて中を確認していった。どの部屋にも大理石の暖炉があり、見事な刺繍のベッドカバーに重厚な調度品が置いてあった。あまりにも豪華な部屋の造りに、アイリスはため息をついた。世の中には豪勢な暮らしをしている人がいるもんだなあと彼女はつくづく思った。

 いけない、いけない。見学している場合じゃなくて、パニーラを探さなくちゃ。アイリスは首を振りながら、次の部屋へと移っていた。そしてアイリスのいる階にはパニーラがいないことが判明した。それではどこに? と思った彼女は更なる上の階を探すことにした。人気のない部屋をまた順々にアイリスは開けて行った。そして一つの部屋の前に来た時、明るい笑い声が聞こえてきた。アイリスがさっと開けると、そこにはベッドに寝間着姿でいる一人の少女と、パニーラがいた。パニーラはアイリスの姿を見ると、

「あっ、アイリスだ」

と言って駆け寄ってきた。

「パニーラ、勝手に人の部屋、入っちゃ駄目でしょ」

アイリスが怒ろうとすると、ベッドの中の少女が止めた。

「私がここにいていいって言ったの。この子を怒らないで」

栗色の髪に琥珀色の瞳の少女は、病気がちなのか、白い透けるような肌をしていた。

「私、いっつも一人だからパニーラが来てくれて楽しかったの」

「あなたはここの屋敷の娘さん?」

アイリスはおずおずと尋ねた

「ええ、そうだわ。私はルイザ・バーク」

「私はアイリス。今日一晩お世話になります」

「パニーラから旅をしていると聞いたわ。どんな旅をしているの。教えて下さらない」

ルイザは好奇心に顔を輝かせ、期待に満ちた目を向けた。

「私達は薬草を探す旅をしているんです。どんな病気も治せる万能の薬草をみつけようとしています」

それを聞いたルイザは不思議なものでも見るように、アイリスを見つめた。

「本当にそんなものあるのかしら」

ルイザの問いにアイリスが応えようとしたその時、ルイザは急に背を丸め、

「ゴホッゴホッゴホッゴホッ」

と続きて咳をした。

「大丈夫?」

心配になってアイリスはベッドの側に寄り添った。それでも彼女の咳はずっと続いていて、アイリスは優しく彼女の背をさすった。

「ゴホッ」

彼女は盛大な咳をしたかと思えば、口元から赤い血が出ていた。

これはただの咳ではないと思ったアイリスは慌てて執事を呼びに行った。そろそろ夕食のお呼びをしなくてはと思っていた執事だったが、廊下をだっとのごとく駆けてくる客人に不審の目を向けた。いったい何事だろうと、眉間にしわを寄せたが、ルイザの容体の急変について聞くと、執事も

「これは大変だ」

と慌てふためき、すぐに医者を呼んだ。

医者が呼ばれている間、アイリスとパニーラは自分らが泊っている部屋へと戻っていた。

「ルイザ、死んじゃうの?」

パニーラはアイリスに訊いた。

「死なないよ」

「ほんとに? でもアイリス元気ない顔してる」

きらきらと光る無邪気な瞳は、アイリスの顔を無遠慮に眺めまわす。

「ちょっと疲れただけ。パニーラも疲れたでしょ」

「うん、パニーラも疲れた。お腹もすいてきたよ」

そう言われると、アイリスもお腹がすいてきたような気がした。しかし血を吐いた病人のことを考えると食欲も失せた。直感的にアイリスは分かった。あの子はきっとそう長くはない。それでも死なない方法ってないんだろうか。今ここで持っている薬草の中で使えるものはないだろうか。

アイリスがいろいろ考えているうちに、夕食の準備が整ったらしく、二人は夕食によばれた。

テーブルに行くと、村長と村長の奥さんが席についていて、二人を待っていてくれた。

「今日はこのような場所にきてくれて本当に嬉しい。たいしたものはないが、好きなだけ食べて下さい」

村長が挨拶をし、アイリスも挨拶を返した。

「ありがとうございます」

テーブルの上には、仔牛のローストや、野菜や魚をふんだんに使ったテリーヌやパイが所狭しと並んでいた。

 こんなに多くの料理を四人だけで食べるなんて無理だとアイリスは思った。

「ルイザさんは席につけそうもないんですか」

「これは失礼しました。ルイザは病気なのであなた方とは共に席をできないのです」

にこやかにほほ笑んでいた村長は一瞬にして顔を曇らせた。

「あの。こんなこと訊くのは失礼かもしれませんが、ルイザさんは何のご病気なんでしょうか」

「ルイザは原因不明の病気に悩まされています。急に咳がとまらなくなったり、貧血で倒れてしまったりと、何かの病気のせいなのでしょうが、病名自体が分からないのです」

村長は悲し気に頭を振りました。

「しかし医者からはもう長くはないと言われました」

「あなた!」

村長の隣に座っていた奥さんがひどく怒って、村長を睨んだ。その瞳もまた悲し気に光っていた。

「いや、あの子は久しく若い子達と会って話したりしたことがないのだ。もしこれで最期だと思うならば、あなた方少しあの子の話相手になってくれぬかね」

アイリスとパニーラは顔を見合わせたが、もちろんという風に頷いた。

「あの。私は実は薬草を探す旅をしていて、いろいろ薬草を収集してきているんです。咳をとめる薬草もありますし、よかったら薬草を調合してルイザさんに飲んで頂いてもいいですか」

「ほう、そうなのですか。それなら是非お願いしたいです」

村長は感心したようにアイリスを見た。

アイリスも何かしら協力することができて、少しだけ胸がほっとした。

 その夜はそのまま二人は寝ると次の朝になると活動を始めた。集めて来た薬草を庭で広げ、乾燥させたり、煮込ませたりして、薬草の調合の準備をした。その間パニーラはルイザの話し相手になっていた。

アイリスは一人黙々と作業していると村長の奥さんがこちらにやって来た。

「まあまあ、あまり無理しなくてもいいのよ」

異様な臭いのする鍋を見つめながら、奥様はそう言った。

「いえ、一晩泊めて頂けたお礼ですから。少しは咳がでなくなるような薬草をルイザさんに飲んで頂きたいです。」

「まあ、ほんとにそれはありがとう」

奥さんはにっこり微笑むと離れていった。しかしその微笑みには何をしても無駄だと諦めきった様子がほんの少し垣間見れた。


こんな時、本当に万能の薬草があったなら、どんなによかっただろう。飲むとたちどころに悪いところが治る魔法のような薬草。ルイザが本当のそんなものあるかしらと不思議がっていた言葉が蘇る。私はありもしないものを探しているのだろうか。アイリスの目が遠くを見つめた。

 ある程度煮詰めるとアイリスはルイザのいる部屋へと薬草の液体をもっていった。

そこではパニーラとルイザが楽しそうに話しをしていた。

「あ、アイリスだ」

ベッドで寝ているルイザの隣によりそっていたパニーラがアイリスに駆け寄ってきた。

「これをルイザにのませてあげて」

アイリスは瓶に入れた液体をパニーラに渡した。パニーラはその瓶を持ってルイザのそばへ行った。

「これ、お薬」

パニーラが掲げるとルイザはそれを受け取った。

「ありがとう」

「ちょっと苦いかもしれないけど、少しずつでいいから飲んでね」

パニーラがベッドの側に座るとアイリスもまたベッドの側に座った。

「それで何の話をしてたの」

「パニーラの故郷の話をしてたのよ」

それを聞いたアイリスはちょっとびっくりした。火事で燃えてしまったあの村が一瞬蘇ったような気がした。

「パニーラの村では馬を使って仕事をすることが多かったそうよ。ごちそうとなると、馬を食べてしまうんですって。せっかく育てた馬を食べてしまうなんて、ちょっとかわいそうよね」

ルイザは快活そうにそう話す。本当にこの子が亡くなるというのだろうか。アイリスにはとてもそうには見えなかった。しかし昨日血を吐いたのを見て、死の陰を見たのは確かだった。私の両親や兄もこんなだったのだろうか。疫病で亡くなる前は。

「アイリスの住んでたところはどんなところ」

「特になんの変哲もない、農産物を作っている小さな村よ」

「ところで胸から飾っているそのペンダントとてもきれいね。」

アイリスの胸元で光っている剣のペンダントをルイザは手に取った。

「剣のペンダントって珍しいわね。何か剣を扱う商売とかしてるの」

「剣の商売?」

アイリスはきょとんとした。言われてみれば、なぜペンダントの形が剣であるかなんてこと今まで考えたこともなかったのだった。ただひたすら、父の形見であるということだけった。

「特に剣の商売はしてないけど、私、剣強いのよ」

「まあ、女の子なのにすごい!」

ルイザは感嘆のため息をもらした。

「それで女二人なのに旅ができるのね。とても羨ましいわ」

彼女は満面の笑みを浮かべた。

「私ね。こんな身体じゃなかったら、いろんなところ旅したいと思ってたの。特にエイシャムには絶対行ってみたいと思ってたの」

エイシャムというと王様のいる町だ。

「なぜそんなところに行ってみたいの」

「当然よ。この国を支配している王様がどんな姿をしているか、この目で見てみたいわ」

王様でふとアイリスは思い出した。聖女ジェラルダインをとらえるために村を焼き、関わった人々を殺す王。とてもじゃないが、会ってみたいとは思わない。そもそもパニーラの故郷を奪ったのは紛れもなく王なのだ。パニーラにとっては憎むべき敵だ。しかしルイザはそんなことなど知るはずもなく、無邪気に会ってみたいというのだった。

「ねえ、そんなことより、アイリスは万能の薬草を探す旅をしてると言ったわね」

「ええ」

「もし見つかったら、私にも使わせてもらえる?」

「それはもちろん」

アイリスが勢い込んで言ったのと同時にルイザの咳がまたとまらなくなった。

「ゴホッゴホッゴホッゴホッ」

「大丈夫? さあこの咳止めの薬を飲んで」

彼女は咳き込みながも、瓶の薬を飲み干した。しばらくすると咳が少なくなった。

「まあ、ほんとアイリスの薬は効果覿面ね」

ようやく咳から解放されたルイザは安堵の表情を浮かべた。それを見たアイリスも心から嬉しくなった。薬草でも助けられることがある。もちろん、ここにあるのは咳止めの薬草しかないけど、万能の薬草だったら、彼女の病気を治すことができるかもしれない。医者も病名にたどりついてないというのに、それでもアイリスは思った。万能の薬草があればルイザを元気にできる。助けることできるのだ 死んでいった父や母や兄のように彼女は死なずに済む。

「私なんとしても万能の薬草見つけるね」

「そんなに無理しなくてもいいわよ」

彼女は明るく笑ったが、その目には死の覚悟がまとわりついていた。

「いいえ、必ず見つける。そしてここに戻って来る。だからそれまでがんばってね」

アイリスの必死の思いが伝わったのか、ルイザは今度は笑いもせず、大きく頷いた。

「分かったわ。私もがんばる」

二人は堅く握手した。

 そのあとは他愛のない話をし、三人は前からの友達のように語り合った。そうして日が傾いた頃もう一晩泊っていけばよいだろうと村長が言ってくれた。しかし早く万能の薬草を見つけようと思うなら、もたもたしてもいられない。ルイザの容態は一日、一日悪くなっているのだから。

 アイリスは咳止めの薬を村長に渡し、ルイザに飲ませるように言った。村長はありがたそうにその薬をもらった。

「あなた達が来てくれて、ルイザにとっては最高の薬だったと思います。ありがとうございました」

「こちらこそ泊めて頂きありがとうございました。それではここで失礼します」

アイリスは会釈をするとパニーラを連れて、また旅の人となった。

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