第5章聖人

ミネールの家から出てから、アレックスはどこへ行こうかと考えあぐねていたが、ミネールが言っていた、聖ジェラルダインは魔女ではなく聖人だということがひっかっかっていた。そもそも聖人とはなんなのだろうか。今までまともに考えたことがなかったアレックスはまずはそれを調べようと思った。それで彼は国で一番の本の書庫を持つ王立図書館に行くことにした。


ミネールの家からはずいぶんと西よりだった。森を抜け、川を越え、丘を越えて行くと、大きな町が見えてきた。町の真ん中に城のような巨塔があるが、それが王立図書館だった。歩いている人々はたくさんの書物を抱えた学者達かと思えば、見ているとそうでもない。おおきなかなづちを背負った大男や、鋭い剣を持った剣術者や弓で獣を射る狩人もいた。いったい何事なのだろうと様子を見ていると、巨塔の前に大きな立て札が立ててあった。そこにはこう書かれてあった。


「力だめしをし、一番となった者にこの王立図書館の中で一番価値のある書

『聖人の書』を渡すこととす

 腕に力のあるものは試合に出るように」

アレックスはえっと思った。自分の知りたい知識はこの『聖人の書』の中にあるのではないだろうか。だとするなら、この試合に出るしかないようだが、果たして勝てるだろうか。アレックスの周りには屈強そうな男達が立て札の周りを取り囲んでいる。これは困ったことになってきた。アレックスの腰にぶらさげている剣に思わず手に力が入った

 とにかくアレックスは立て札を立てていた王立図書館の受付に行ってみた。

「はい、なんのご用ですか」

眼鏡をかけた若い女性が、本の手配をするような口調でたずねてきた。

「外にかけてある立て札なのですが、あれは本当のことなのですか」

「はい、力だめしの件ですね。誠に本当のことです。お客様も力だめしをなさる方ですか。でしたら、急がれた方がいいですよ。現在試合で残った方は三名の方だそうです。ただし、めちゃくちゃ強いと評判の方達です。どういたしますか」

相手がとても強いと聞いて、アレックスは一瞬ひるんだが、その前に景品のことについて訊いた。

「ところで景品の『聖人の書』の中には聖女ジェラルダインのことは書いてあるのでしょうか」

「はい、もちろん書いてあります」

女性はきりりとした表情でそう言った。アレックスは迷ったが、聖女ジェラルダインのことが書いてあるならば、この試合に出るしかないだろうと思った。少しでも彼女のことが分かるのならば。

こうしてアレックスはこの試合に出ることになった。もう試合的には進んでおり、現在は三人の勝者が残っているとのこと。この三人に打ち勝てば『聖人の書』を手に入れることができるというわけだ。試合は既に始まっているので、アレックスはすぐに試合場に通された。

 そこは王立図書館から少し離れた場所にある円形闘技場だった。巨大な円形の中にたくさんの人々がひしめいているのかと思ったが、観客はまったくいず、戦っている者と試合進行係の者しかその場にはいなかった。アレックスの前には屈強そうな戦士が三人並んでいた。

「本当にこれしかいないのですか」

アレックスは思わず係の者にたずねた。

「あなたの来られるまえに百人ぐらいの戦士がおりましたが、この方達に皆やられてしまいました。そろそろ三人で決着をつけようと言った時にあなたが来られたのです。辞退するなら今のうちですよ」

係の者は半ば脅す様な言い方でアレックスに告げた。

 百人もいたということを聞いて、さすがのアレックスもひるんだが、だからといって辞退するわけにもいかない。それに自分は騎士だ。たくさんの腕だめしも騎士の仕事だ。ここで退くのはラングード国の騎士の名が泣いてしまう。そう、僕は騎士なのだ。アレックスはそう思うことで試合に臨むことにした。

「どなたから試合しますか」

係の者が三人に訊くと、おおかなづちを持った筋肉隆々とした大男が名乗りをあげた。

「よし、俺からやろ。坊主、俺で問題ないだろ」

坊主と言われて、アレックスは恥ずかしい思いをした。僕だって騎士なのに。彼は悔しい思いを剣の柄に握りしめた。

 円形闘技場の中央には正方形の石造りの台があり、試合する者はその台の上で戦うことになる。

大男はすぐにその台の上に飛び乗ると、アレックスの態勢を待った。アレックスもその後に石の台の上に乗り、剣を構えた。

大男の太い眉がぴくりと動いた瞬間、彼はおおかなづちを振り上げながら俊足でアレックスの前にとびかかった。すんでのところでアレックスの鼻先におおかなづちは触れそうになったが、一瞬のうちにアレックスは身体をひっこめ鼻の被害を免れた。

 この男図体がでかいだけでなく、俊敏な動きもできる奴なのかとアレックスは唖然としたが、今度は自分の番だと言わんばかりに男の右腕に剣を突きつけた。大男はあっといまにそれを避けると、剣めがけておおかなづちを振り落とした。

「ガンッ」

鈍い音がしたはそれは石台の音だった。

すると大男は素早い足でアレックスに近づくと頭の上からおおかなづちを振り落としてきた。一瞬出遅れたアレックスはおおかなづちの下敷きになりかけた。アレックスは巨大なかなづちに恐怖を覚えたが、渾身の力をこめておおかなづちを剣ですぱんと切りつけた。するとどうだろう。目前まで迫っていた巨大なかなづちは、見事真っ二つに切られ、そのまま下へと叩きつけられた。

大男は最初何が起きたか分からなかった。が、そのうち途中から笑いだし、係のものに言った。

「どうやら俺の負けらしい」

「どうやらそのようですね、ラビト様」

係の者はそう言うとおもむろに告げた。

「勝者アレックス」

観客も誰もいない空間にその声はただ轟いた。

「次は誰がアレックス様と戦いますか」

係の者は残りの二人に訊いた。すると一人が応えた。

「私が出ましょう」

そう言って前にでてきたのは長い緑色の髪を一つにしばった美しい男性だった。得物は弓矢だった。

 アレックスもこれには困った。今まで弓矢との戦いをしたことがなかったからだ。これは苦戦するかもしれない。そう思ったアレックスとは逆に、男は至って平常心のようだった。

「お手柔らかにお願いします」

男はそう言い、弓に矢をつがえた。思い切り引き絞られた矢はアレックスの心臓あたりまで飛んできた。彼は気合いでその矢を切りつけた。と、思うまもなく連打で矢が打ち込まれてきた。よける、転がる、切りつける。アレックスは弓の的にされた気分で生きた心地がしなかった。なぜなら男の矢は確実にアレックスの心臓を狙ってくるからだ。急所をあてられては大変とアレックスは逃げる応戦一方だった。が、しかしこれでは相手にやられっぱなしでアレックスには勝機がない。そこでアレックスは覚悟を決めて相手に向かってだっと走った。走りながら矢をよけながら、アレックスはもの凄い形相で、相手の懐に飛び込み、彼の手を切りつけた。血が飛び散り、彼の戦闘は不能となった。

しかし係の者はただ単調にこう告げただけだった。

「勝者アレックス」

 アレックスは傷を負った彼に大丈夫でしょうかと訊いた。彼は眉をしかめながらも、笑って応えた。

「何、かすり傷だ。君は次の試合のことを考えなさい」

彼はそう言って、闘技場を後にした。

「次に戦うのはムーアント様です」

そう言われたのは長身で、腕っぷしの強そうな男だった。得物はアレックスと同じ剣だった。

髭面のその男は手加減なんぞ全くしなそうな輩に見えた。それならばこっちも用心しなくてはとアレックスも覚悟の上で剣を構えた。

しばらく向かい合い、二人はどちらも動かない。相手の様子を見てからとアレックスは思ったが、相手も考えることは同じようだった。そこでアレックスは思い切って自分から剣を振り出した。相手の剣にむかって

「いやあっ」

と振りかざす。と同時に相手の剣が閃き、アレックスに突進してくる。それはまるで風のようだった。アレックスは一瞬にしてその風を剣で受けとめた。

「うぐぐぐっ」

二人の気合いがぶつかり、剣と剣がぶつかりあった。そして気合いから二人は剣を離すと今度は力でねじふせようと、剣の打ち合いが始まった。

「カンッ」

「ガキッ」

「カンッ」

「ガキッ」

と、傍で聞いていると金属のリズムカルな音のように聞こえるが、戦っている方はとんでもないことになっていた。

とにかく相手の剣の力がめっぽう強いのだ。剣で応戦するも徐々に地面に叩きつけられていくような気がするのだ。このままでは負ける。アレックスはなんとかしようと必死に考えた。そして考えた末、アレックスは彼の剣が来る前に彼の剣よりも身をさげて、いきなり彼の前に剣をつきつけた。

突如アレックスの剣が首筋に突きつけられ、男は降参した。

係の者は叫んだ。

「優勝アレックス。景品はアレックスのものとなります」

誰もいない闘技場に空しく優勝者の名が轟いた。しかし係の者はアレックスの耳元にこう小声でいった。

「この景品、『聖人の書』は誰にも見せてはなりませぬぞ。屈強な男達に取り囲まれたとしても。分かりましたな」

いったい何を言っているのだと、係の者に訊こうとしたが、係の者は何事もなかったかのように景品『聖人の書』をアレックスに手渡すと、試合を終りにした。

アレックスの手には『聖人の書』だけが残った。

 


その日はもう日が暮れかかっていたので、アレックスは王立図書館のある町で宿をとることにした。食事をし、明日の準備も整うと、アレックスは今日手に入れた『聖人の書』を改めて見た。

皮の装丁でつくられた本はずいぶんと古ぼけてみえた。一番価値のある本というぐらいなのだから、かなりの年月が経っているのだろう。

 しかしそんな一番価値のある本を王立図書館の外に出してしまって、平気なのだろうかという心配はあった。それに係の者の言っていた言葉も気になっていた。この本は誰かに狙われているのかもしれない。力の強い者ならこの本を守れるとも思ったのかもしれない。

 そこまで考えてアレックスはずいぶんと責任の重い物を渡されてしまったものだと痛感していた。しかしそれでも聖女ジェラルダインのことが気になってしまう。彼は本を開き、聖女ジェラルダインの項目を調べた。そこにはこんなことが書かれてあった。


聖女ジェラルダインの住んでいる地域は北の森にあるスワンダという村が拠点である。

彼女は星型の銀細工のペンダントをしている。彼女には人を癒す力があり、傷や病気をたちどころに治す力がある。また彼女には世界を一つにする統治能力も備わっている。しかしそれは緊急の時にしか発動されない力である。その力は彼女だけにあるもので、本来使われてはいけないものである。


アレックスはその四、五行を食い入るように眺めた。正直な感想。これだけ? と彼は思った。わざわざ戦って手に入れたというのにこれしか載ってないのだ。思わずため息をつきそうになったが、聖女ジェラルダインの住んでいる場所は北の森にあるスワンダ村であることが分かった。それならそこに行くべきだろうとアレックスは思った。それにしても人の傷を癒す聖人をなぜ王は探しているのだろうか。とても悪い者とは見えないが、いったいどういうことなのだろうか。アレックスの中で謎はますます深まるばかりだった。

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