第4章当主

深い森を抜けるとまばらな人家を通り過ぎ、幾つかの畑や丘を越えていくうちにアイリス達は大きな開けた町に出くわした。町の中には背の高い時計塔があり、ちょうど鳴っているのが聞こえてきた。それと同時に寄り添って歩いていたパニーラが一言呟いた。

「お腹すいた」

それを聞くとアイリスのお腹もぐうぐうと鳴りだし、思わずお腹に手を当てた。とうに鞄の中の食糧は底をつき、からっぽだった。

「じゃあ、ごはんにしよう」

アイリスはパニーラの手を取ると、町の中へと入って行った。

 町の下の方は市場や商人達の店がたくさんあり、そこから坂を上って行くと普通の一般市民の家があり、更に高台に上って行くと例の時計塔と大きな屋敷が連なっていた。

 二人はまずは市場で旅の食糧で必要なパンやチーズ、豆類を購入し、肉屋で焼いてもらった鶏肉を特製のタレでつけてもらい、うまそうにかぶりついた。そしてアイリスとパニーラは顔を見合わせ、にっこり微笑んだ。これでお腹は十分に満たされた。二人は鶏肉をぺろりとたいらげると他に旅に持っていくものはないかと辺りを見て歩いた。野菜を売っている店、果物を売っている店、お菓子を売っている店。ありとあらゆる品が人の手に渡り、活気づいている。


 パニーラは物欲し気にお菓子のお店の前に立っていた。目の前には色とりどりのキャンディがざっくりと瓶の中に入っているのが見える。パニーラは欲しいとも言えず、じっと見つめている。アイリスはそれに気がついた。

「欲しいの?」

アイリスは屈みこんでパニーラに訊いた。彼女は少し恥ずかしそうに頬をそめると頷いた。そこでアイリスはお店に入り、キャンディを二、三個買ってきた。パニーラはそれを嬉しそうに受け取った。さっそく一個のキャンディをほおばると、それはもう夢でも見るかのように美味しそうになめた。

「ごめんね。旅の費用がかかるから、それしか買えなくて」

アイリスが申し訳なさそうに言うと、パニーラはおさげを思い切り振って否定した。

「これだけで十分」

彼女はきらきらした瞳でアイリスを見上げた。そんな彼女の様子にアイリスはほっとするとこうつけ加えた。

「欲しい物があったり、したいことがあったら遠慮なく私に言ってね」

「うん。パニーラそうする」

彼女は照れたような笑いを浮かべながら、頷いた。

 

それから二人は市場や店の合間を縫いながら旅に必要なものを揃えた。全ての準備が整うとアイリスは市場や店より高台に位置する時計塔を見上げた。背の高い文字盤の上には大きな鐘が金色に輝き、次の時を告げるのを待っていた。


村の出のアイリスにとってこのような大きな建造物は生まれて初めて見るものだった。薬草とは関係なかったが、観光といった意味で近くで見たいと彼女は思った。それでアイリスは時計塔へと続く坂道を上り始めた。パニーラはどこに行くのだろうときょとんとした表情をしていたが、アイリスの横にいつものようについて歩いて行った。

 しばらく歩くと何棟かの大きな屋敷が見えてきた。アーチ型の窓が連なり、大きな支柱には立派な彫刻がなされ、レンガで作られた三階建ての屋敷は見る者を圧倒させた。そして屋敷の前の庭はどこもかしこも綺麗に手入れが行き届いていて何者も寄せ付けない気品があった。

 アイリスはため息をついた。色とりどりに咲き乱れる花々に刈り込まれた芝生はアイリスにとっては全く別の世界のものだった。

「すてきね」

彼女は傷つけられたように呟いた。アイリスが自分で栽培している花や植物はこのように華やかなものではない。もともと薬草を作るための栽培なのだ。美しさは関係ない。しかし屋敷の庭を見ていると、同じ手入れといっても、こうも違うものなのかと思うのだった。そんなアイリスにパニーラは駆け寄ると、手を取り

「あっち」

と指さした。アイリスはなんだろうと顔を向けるとそこにも確かに屋敷があった。けれどもその屋敷は誰も住んでいないのか、庭の草はぼうぼうで門のレンガは崩れ落ち、上の方の階は鎧戸が閉められていた。

 これはこれで逆に目を引いた。こんなに大きな屋敷がここまですさんでしまうとはなんと浅ましいことだろう。アイリスはいつのまにかその屋敷の庭へと足を踏み入れた。

 

草はアイリス達をのみこんでしまうくらい伸び放題だった。全く知識のない人が見たら、単なる雑草としか思わなかっただろうが、アイリスの場合は違った。


なんと草は薬草の元になる草だったのだ。しかもなかなか手に入らないものばかりだった。アイリスの目はとたんに生き生きとし出した。アイリスは荷物の中からナイフを取り出すと、いそいそとそこらの草を刈り取り出した。側にいたパニーラにも辺りの草を抜くように彼女は指示を出した。手を真っ黒にし顔にも土がつき、アイリスの姿は泥遊びをしている少女だった。瞳を輝かせながら、次から次へと刈り取っていくうちに、いきなり地面に金属の切っ先がぶすりと刺さってきた。


見るとそれは剣の先だった。更に顔を上げると、目の前には少年が立っていた。年の頃は十五歳ぐらいで生意気そうに口を曲げ、アイリスやパニーラをじろりとにらんでいる。

「おまえ、ここで何をやっている。ここは俺の庭だぞ」

みすぼらしい屋敷とは対照的に彼の着こなしは今風だった。赤いベストにぱりっとしたYシャツに深緑の半ズボンをはいていた。胸元には高そうな金色のブローチが輝いていた。

「庭って。ここってあなたが住んでるの」

アイリスはびっくりして立ち上がった。背はアイリスの方が少しだけ高かった。

「そうだ。ここは俺の屋敷だ。文句あるか」

文句あるかもあったものではない、窓ガラスだってひびが入っているのだ。誰だって誰も住んでいないと思うに違いない。するとそこに男性のひときわ高い声が届いた。

「マイク様どうなさいました」

燕尾服を着た初老の男性が屋敷の扉を開けて出てきた。そのまま彼はマイクの側に駆けつけた。

「この女達がうちの庭に入り込んでいたんだ」

マイクはいまいましそうにアイリスとパニーラを指差した。指差されたアイリスはむっとして叫んだ。

「こんなに廃れたお屋敷に人が住んでいるなんて思わなかったものですから。大変失礼しました」

「その手に持っているものはなんだ」

マイクは強い口調で訊いてきた。

「薬草です」

「おまえ、知っているのか。それは高価な薬草なんだぞ。俺が丹精込めて作っているものだ。おまえ泥棒だ」

「なんですって!」

アイリスの頭はとたんにかっとなった。こんなに伸ばし放題にしておきながら薬草を育てていると言い、おまけに泥棒呼ばわりされるなんてたまらないと思ったのだ。

「そんなに大事なものなら、ちゃんときちんと育てなさい。囲いでもして、人に盗られないようにすればいいのよ」

「なんだと。おまえ俺に命令するのか」

今度はマイクが顔を真っ赤にして反撃してきた。

「まあまあ、落ち着いてください、お二方」

二人の子供の間に割って入るように燕尾服の男が止めに入った。

「なんだ、ジェイムズ。おまえは俺の執事のくせして俺に文句を言うのか」

「文句ではありません。こちらのお嬢様の意見もごもっともです。私もいつもマイク様に屋敷の様子をなんとかできないものかと相談しているではないですか」

執事は困ったように眉根を寄せた。

「しかし俺は泥棒は許さないぞ。罰を与えないとな」

マイクは腕組しながら、アイリスをまじまじと見た。その側にはアイリスの荷物と剣が置いてあった。

「おまえ、剣を持ってるんだな。それなら俺と試合しろ。俺に勝てたら許してやるぞ」

「マイク様。それはなりません。女の人相手など卑怯ではございませんか」

「何を言うんだ。泥棒した方が卑怯者なんだ。さあ、どうする女」

極めて傲慢な態度のマイクにアイリスの心は怒りで埋め尽くされた。

「もちろん、受けて立つわよ」

アイリスもアイリスで負けてなるものかと剣を手に取った。

「おっと。やる気になったな。ジェームズ。剣を取ってきてくれ」

「はい、かしこまりました。」

執事はしぶしぶ屋敷の中に戻ると、剣を取ってきた。それまでマイクが手に持っていた鍛錬用の剣とは違い、その剣は赤銅色の鞘と美しく彫られた銀色の柄から成るものだった。鞘の部分には幾重にも重なる銀の細工が施され、代々受け継がれた剣であることが見てとれた。アイリスも自分の剣をまじまじと見つめる。銀色の鞘に金色の柄の部分にはペンダントと同じ赤いルビーが埋め込まれている。私の剣だって代々受け継がれてきたもの、負けないわよ。アイリスの目に闘志が宿った。

 ルールは単純相手の剣を叩き落とすというものだった。審判は執事がやることになった。

 マイクは赤銅色の鞘を抜くと、アイリスに向かって真っすぐ構えた。彼女も呼吸を整えると、静かに剣を構えた。

少しの間、二人はにらみ合った。しかし一枚の葉がはらはらとどこからか散って来る否や、マイクの剣が宙を舞った。

「いやっ」

葉っぱは真っ二つに切れて落ちていった。それを見たアイリスは彼の腕がたいしたものであることを知った。しかしこれで引き下がるわけにはいかない。アイリスは心を落ち着かせると、目を閉じた。そして一気にマイクに立ち向かった。

「いやあっ」

アイリスが上から振りかざすと、すぐさまマイクが剣で応戦してきた。彼女はぱっと離れると、今度はマイクの顔めがけて剣を交互に打ち込んでいった。

「いやっ、いやっ」

相手も必死に剣を流し、隙を見てはアイリスの剣をかなぐり捨ててやろうと奮闘していた。

 剣と剣の鳴り響く音が庭に轟き、周りの住人達は何事かと集まって来た。みすぼらしい風変わりな屋敷で何が起こっているのだろうと興味津々といった様子だ。

「ガッ」

「いやっ」

アイリスの打ち込んだ剣はマイクの剣でしっかり受け止められ、はじき返されていく。一方マイクの剣も多分に力をのせてもアイリスの剣で戻されてしまう。その繰り返しが延々と続いていた最中、アイリスはこれでは駄目だと思った。いつまでも決着がつかないどころか、自分まで疲れ切ってしまう。よし、こうなったらあれしかない。彼女はそう思うと、少し剣戟を緩め、相手の一瞬の隙をついて、ぽーんと華麗にマイクの頭上を跳んだ。まるで鳥のように彼女は舞うと、すぐさま後ろ向きのマイクに剣をつきたてた。

「さあ、その剣を捨ててもらいましょうか」

一瞬、マイクも辺りの観客も何が起こったか分からなかったが、しばらくするうちに辺りがどよめき出した。

「ピューピュー」

口笛を鳴らす者もいる。

「ねえちゃん、すげえなあ」

と手を叩いて喜ぶ者もいる。

マイクはただただ唖然としていたが、途中から屈辱を感じたのか、自分の剣を投げ出し、

「負けました」

と不満そうな声をあげた。

「お嬢様はお強いですな」

執事が感嘆の声をあげると

「お嬢様じゃないです。私はアイリスです」

アイリスがそう言うと、マイクが握手を求めてきた。どうやらアイリスの強さに敬意を表してのつもりのようだった。

「俺はマイクだ。疲れたろ。屋敷の中で茶でも飲もう」

アイリスはそのお茶の誘いに快く応じた。パニーラも安心したようにアイリスの後についてきた。

「少々建てつけが悪いのですが、どうぞ」

執事はアイリスとパニーラを屋敷の中へと招き入れた。

中は外ほどみすぼらしくなく、立派な調度品も置かれ、きらびやかなシャンデリアなども飾られていた。応接間に通されると居心地の良さそうな大きなソファに優美なテーブルが置かれていた。二人はそのソファに座らされると、そのうちメイドが出てきて紅茶とお菓子を優雅においていった。アイリスは本物のお屋敷に招待されたこともなかったので、少々ぎこちない笑みを浮かべていた。それに対して、マイクは気さくな感じでソファにどさりと座り込むと、さっさと紅茶を飲み干した。

「おまえ、女のくせに剣が強いんだな。驚いたぜ。俺だってそこそこ強いんだぜ」

それについてはアイリスも意義はなかった。アイリスにとってもマイクは強かったのだ。

「あなたも強いと思いました。ところでこの屋敷のご主人さまはいらっしゃらないのでしょうか。一応挨拶した方がよいかと思いまして」

おずおずというアイリスに執事は優しい笑みを浮かべてこう答えた。

「ご主人様ならここにいますよ」

そう言ってマイクの方に目をやるのだ。

「ご主人?!」

アイリスはびっくりして立ちあがった。

「あなたがここの当主なの?!」

「さっき庭でも言ったろ、ここは俺の屋敷だって」

マイクは面倒くさそうにぼやいた。

アイリスはこんな年端もいかない少年が当主だなんて、どうなっちゃってるのかしら、屋敷はやっていけるのかしら。と、全く関係ないのになぜか心配になってしまった。

「あなたが、当主だから屋敷の庭はあんな感じになってるの」

少しとげのある言い方にマイクはむっとした。

「あの薬草はとても高価なものだ。あれを育てて売るつもりなんだ。売るならいっぱい売った方がいいだろう。それならたくさん伸ばさせて多量にすればいいじゃないか」

理屈は分かるが、薬草に使える部分はほんの少々なのだ、伸ばしたところでどうしようもないのだ。それどころか余分な栄養が他の草にまでいってしまい、結局使えない薬草になってしまうのだ。そのことをどう考えているのだろうか。アイリスは頭を振り振りそれでは駄目だということをマイクに告げた。育てるなら、きちんとした高さまで育てて、あとは余分の葉を抜いてやらないといけないことをアイリスは懇切丁寧に教えた。

 それを聞いたマイクは鼻をならした。

「おまえ、やたら薬草に詳しいなあ。庭の草も薬草だとすぐに気づいたろ」

それについてアイリスは自分の旅の目的について話した。するとマイクは口笛をふぃっと吹いた。

「いいなあ、その話。もしおまえが万能の薬草を見つけることができたら、おまえはそれを栽培し、俺が全国各地に売って歩くぜ。どうだ、この話」

「商売にするの」

アイリスは驚いて聞き返した。

「単なる商売じゃないぞ。全国各地に売り場を展開すれば、難病で苦しむ人をすぐに助けられるだろ。これってすごいことだろ」

言われてみればそうなのだ。自分は薬草を探すことだけにやっきになっていたけれども、見つけた後の薬草の渡し方など何一つ考えていなかったのだ。もし本当にそうなったらすごいことかもしれない。

「ほんと、それってすごいことだわ」

「だろ」

マイクにはニヤッと笑って答えた。

「あなた頭いいのね」

「まあなあ、これでも当主だからな」

「それでしたら、まずは屋敷の外観をなんとかしてください」

執事はため息をついてそうこぼした。

「ふん。外観なんてどうだっていい。倹約できるところは倹約して、大きな勝負の時に金を出すんだ」

そんなマイクの様子にアイリスはますますびっくりした。外観がみすぼらしいのも計算の上だなんて、この人はすごい人になるかも。まだ十五歳ぐらいの少年に感服しながらも、とりあえず、ぼうぼうのあの庭はなんとかしてもらわないといけないだろうと思うのだった。

 その日はマイクのとりはからいで、二人は屋敷に泊めてもらうことになった。

食事は質素だったが、客室用のベッドはふかふかで豪勢なものだった。寝たこともないような布団にアイリスとパニーラは少し興奮気味だったが、旅の疲れもあってか気づけばぐっすりと眠っていた。

 次の日朝食をとらせてもらうと、旅で入り用な食べ物なども用意してもらった。これなら何日も野宿できるだろうと思っていると、そこにマイクが寄って来た。

「どうだ。他に必要なものはないか」

「いろいろ用意してもらったから、これ以上は十分だと思うわ。ありがとう」

アイリスが心をこめて礼を言うと、マイクは照れたように頭に手をやった。

「あ、それから薬草を販売する構想は本当だからな。薬草を見つけたら、ここに寄るんだ。いいな」

「分かったわよ。売るかどうかは分からないけど、寄らせてもらうわ。」

「必ずだぞ」

マイクの瞳は真剣味を帯びていた。

「ええ、必ず」

そう言うと、アイリスとパニーラはマイクの屋敷を後にした。

 屋敷を出た後アイリスは当初の目的だった背の高い時計台を見に行った。積み上げられたレンガはどれだけのものだろうか。いったい何人の人々がこの時計台を造るのに借り出されたことだろう。とてつもなく大きな時計台はこの町のシンボルに違いない。何かを造るというのはとても大変ことなのだということが肌で感じられた。その時、朝の新しい時が鳴り響いた。

「ゴーン、ゴーン」 

 そうだ。私も新しい時を刻まなければ。マイクの気持ちに応えるためにも薬草を見つけよう。万能の薬草を。

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