第13話

5



 朝、静哉はある部屋の中で目を覚ました。

 見知らぬ天井に静哉は一瞬不安を抱く。天井なんてどこもそんなに大きく変わらないが、ここは明らかに木製だ。茶色く木目まで入っている木の天井は見たことがない。

 ゆっくり体を起こして周囲を確認するが、四方の壁までもが木製のもので、窓がないために差し込む光がなく今の時間帯が分からない。

 そうこうしていうちに徐々に昨晩のことを思い出してきた。紅杏と別れる前に、静哉が一時間ほどかけてまた街まで往復するのが面倒でどうしようか悩んで少女に相談したとき、


「あたしは家が近いから帰るけど取っておきの隠れ家を教えてあげる!」


 そう言って紹介してもらったのが今いるコテージなのだ。このコテージは街の裏口から出て、昨日紅杏と散歩した森の入口にある。ここは木々に囲まれているため、奇襲される可能性はあるが、隠れ住むにはいい場所だと言えるだろう。

 この話を持ちかけられたとき、最初は返事に迷った。視界の狭い場所というのは当然どこに敵が隠れているか分からず奇襲も受けやすい。静哉が既に山で奇襲を受けているから余計に神経質なのかもしれないが、どうも不安や恐怖と言ったものがまとわりつく。

 しかし、それでもこの話を呑んだのは街の近くでどうしても寝泊りする場所が欲しかったのだ。片道一時間弱の道を毎日往復しているようじゃ時間と労力の無駄にしかならないし、あまり動きまわっていると敵の目に止まりやすい。そして何より、戦闘に巻き込まれたあの場所に少しの間は近づきたくなかったのだ。

 そうして教えてもらった場所には鍵はかかってなく、誰でも簡単に入れるようになっていた。そんな場所だから実際に人の生活感があるかと言われればあるはずもなく、この部屋には静哉が寝ているベッドと、脚の短い円卓が一つだけあるだけだ。無論、時計などもないため時間を見ることができない。

「そうだった」

 静哉は自分がポケットに携帯電話を持っていることを思い出して懐をまさぐる。

 手に硬い感触が伝わってあることを確認した携帯電話を取り出して画面をつける。幸いにもまだ電池は保っていて、時刻は午前七時三十二分を表示していた。

 いい時間だと内心で安堵したのも束の間、小さなバイブレーションと共に携帯電話の画面がブラックアウトした。

「あ…………」

 ただ画面が消えていくのを眺めながら静哉は呟く。そしてこの場からは画面の光が消え、コテージを照らす薄暗い電球だけが残った。

 とりあえずすることのない静哉は外に出て空気を吸うことにした。

 コテージのある場所からでは木々に囲まれて空を一望することはできないが、間から差し込む朝の日差しは心地いい。

 大きく伸びをしてから新鮮な空気を吸い込む。木陰になって街よりも少し低めの気温でちょうどいいぐらいだ。一日中このくらいの温度であればいいのにと、胸中でぼやきつつも静哉は玄関の前に座り込んだ。

 欠伸をすると挨拶代わりに腹を鳴らす虫に空腹を意識させられるも、食料が何もないことを思い出して肩を落とす。今日はまず数日分の食料を確保することから始める必要がありそうだ。

 だが、宝箱を探し歩くにも運も不可欠だったりする。

 紅杏はまだ街を探せば宝箱はあるだろうと言っていたが、彼女と一緒に行動するのでは意味がない。だから人気のないところが狙い目だろう。

 しかし、そう簡単な話ではないのは静哉自身も重々承知している。人気のないところ、例えばこの森を探すにしても、いつどこから襲われるかわからないという恐怖が少なからずある。だからといって街に行くのであれば、止まっている街の人にはもう慣れた。紅杏と一緒に行動している間にも止まっている人何人かとは遭遇していた。

 だが、そうしてしまった場合、目当てである食料を得るのは難いだろう。

 ならどうするべきか。

 その決断と覚悟はもうできていた。

「よし」

 声と共に立ち上がり、紅杏から事前に貰っておいた鍵でコテージの施錠をする。

 せっかく手に入れた、というより与えてもらったこの場所を誰かに荒らされてはたまらない。

 静哉は胸に手を置いて大きく息を吐き出した。

 人気がないからと言って必ず奇襲されるわけではない。むしろその可能性の方が低いのだ。

 静哉は自分に言い聞かせて森の奥に向かって歩き出した。


 夏のわりに虫の音一つ聞こえてこない静かな森を黙々と静哉は歩き続ける。

 かれこれ三十分ぐらいは経っただろうか。来た方向が分かるように、一定距離毎に木に傷をつけてマーキングしていくにもそろそろ我慢の限界だ。このまま進んでも何も見つかる気がしない。

 そこから二本の木に印をつけたところで静哉は立ち止まった。

 この辺りの土地勘は静哉にはないために自分が今どこにいるのかといったものは全く分からない。

 右に行くべきか左に行くべきか。どちらもただ木々が生い立つだけで何も違わない。だから左に進んだのは山勘だった。

 結論から言ってしまうと、その判断は正しかった。彼の入った場所から少し行くと、目の前に祠のようなものが現れた。

 石材の土台の上に置かれる小さくてどこにでもあるような祠だ。ちゃっかり賽銭箱と本坪まである。

 こんなところで祀るものなんて何があるのか。疑問に思っていると、静哉は石材の土台の部分に何か文字が掘ってあるのを見つけた。

「なんだこれ?」

 小さすぎて遠目からでは読めない文字列を読むために、静哉はかがみ込んで顔を近づけてみる。


『竹をかぶせ木の横で目をこらせ。そのときかならず吸い寄せられし。下を見つめし者に扉は開かれん』


「なんだこれ?」

 首を捻って数秒前と同じ言葉を反芻した。

 全く意味が理解できない。そもそも扉というのはどれを指しているのかすら分からない。

 一応祀られているものを覗き込んでみるが、観音開きの戸のようなものは何もなく、筒抜けに仏像が祀ってあるだけだ。

 四方八方を見回せど竹も見当たらない。この祠が作られた時代のただの文句に過ぎないのか。文系の知識に疎い静哉ではこの言葉の意味を理解することはできなかった。

 とりあえず静哉は祠の場所を忘れないようにと周囲の木全てに×印をつけて祠から離れた。



 それから少し森の中を歩いただけで、宝箱が見つからなかったのが嘘のように立て続けに宝箱を発見した。見つけた五つの中の一つは誰かにより先を越されて空だったが、残り四つにはカップ麺が入っていた。

 ――まぁ、全て同じカップ麺だったときに落胆したのはちょっとした余談だ。

 持ちきれなくなった静哉は一旦コテージに戻ってカップ麺を置き、再び森の中に出掛けた。

 今持って帰ったものだけではすぐにまたそこが尽きてしまう。だから食料は多いに越したことはない。

 そうして静哉が探索していると、彼は目の前に不穏な人影を見つけた。

 いや、別に命の危険を感じたというわけではないだが。

 昨日に引き続いて遭遇してしまった黒髪の少女に近づくと、気配を感じとってか少女は驚いた風もなくゆっくりと振り向いた。

 目が合ってしばらく二人は見つめ合う。どこか敵意のようなものを向ける静哉と、いきなりの遭遇にも関わらず飄々と少年の視線を受け止める少女。

 先に口を開いたのは静哉の方だった。

「なんでこんなところにいるんだ」

 昨日のこともあったために思っていたよりも堂々と口にできたが、その口調には苛立ちが隠しきれていない。

「それはこっちのセリフ。あなたこそなんでこんなところにいる?」

「俺は……」

 食料を探している。と正直に答えそうになったが、よくよく考えてみれば食料を探すというのを口にするのは案外恥ずかしかったりする。

 数瞬の思慮の末、恥を捨てて素直に答えることにした。

「食べるものを探してるんだよ。これでも貧乏でな」

「そう」

「それで、お前の方はどうなんだよ」

「あなたには、関係ない、こと」

 予想通り過ぎる返答に静哉は怒りを通り越して呆れ、大きくため息をついた。

 昨日の態度を見ればまともに会話するのは無理だろうと分かってはいた。けれど、紅杏との一件を見てもしやと思ったのだが、やはりそうはいかなかったみたいだ。

「ああそうか。でもこんなところで会うくらいだから何かあるだろ。例えば、お前も宝箱を探してる、とか」

「……あなたには……関係、ない、こと」

 静哉からしてみれば何気なく言った言葉だったが、黒髪の少女はあからさまにしどろもどろになり始めた。

 これは予想外の反応だ。

「狙いはアイテムの方か?」

「あなたには、関係ない、こと」

 なるほど。この返事は最初と同じでどうも本気のようだ。

 だが、これで確信は持てた。

「食料の方、だな?」

「……あなたには……関係、ない、こと」

 ――やっぱり

 図星のときだけあからさまに動揺を隠しきれていない。分かりやすすぎる少女だ。これじゃあこの先大丈夫なのか、敵同士でありながら心配になってしまう。

「もしかして、貧しい?」

「あなた、には、関係、ない。私が、どうであれ、私は、私よ」

 口調は戻ったが視線が泳ぎまくる状態の中で逆に怒られてしまった。

 どうやら真実を言い当ててしまったようだ。

 想像すると、可笑しくなってくる。自分を襲って殺そうとし、話しかけても冷たく突き放した少女が実は静哉と同じく貧しくて食料を探していたなんてこと、ギャップが大きすぎるだろう。

 そんなことを考えている間に少女は静哉に背を向けてそそくさとその場を離れようとする。

「ちょっと待てよ」

 静哉の声を聞いて少女は動かしかけていた足を止める。

 せっかく少女と再び話したのだから、一つだけどうしても彼女に聞いておかたいことがあった。

 少女と離れた距離を少し詰めるように一歩前に踏み出し、

「お前はこれからどうするんだ?」

「あなたには、関係ない」

 今度のは黒髪の少女の口調は本気だった。もう少女がまともに取り合ってくれそうな雰囲気ではない。

 振り向かずに少女が姿を消すの静哉はどうすることもできなかった。

 黒髪の少女がいなくなって力が抜けた静哉か自分の両掌を見下ろした。震えてもなければ手汗もかいていない。良くも悪くも、この世界に慣れつつあるのだ。 

 自分の両手を強く握る。

 慣れてきていることに自覚はある。元に戻ることが目的だが、そのためにここである程度は生活しようという諦念も少しずつ出てきた。でもその中で友希のことだけは絶対に忘れてはいけない。

 あいつは、友希は病弱で、兄のいない今も倒れるということはないだろうが、きっと苦しんでいることに違いないのだ。だからできるだけ早く戻る必要がある。矛盾しているようだが、正当な方法で元の場所に戻る。それが一番手っ取り早いし、それしか方法がない。

 黒髪の少女曰く、宝を手に入れればいいとのことだ。だが静哉に戦うという手段は取れそうにないと、未だにそう思う。だからもっと別の方法を考えなくてはいけない。

 それも含めて、まだ少女には聞けてないことが多くある。どうせまたまともに答えてもらえそうにないが、今度こそはなんとしても聞き出してみせる。

 意を決して静哉は黒髪の少女の後を追った。

 消えた少女の行った方向に行けばまだ遠くには行っていなかった。

 相手に気づかれないように少し離れた距離を維持しながら静哉は進む。

「っ!」

 突然、前を行く少女がきょろきょろと後ろを振り向いた。反射的に静哉は最寄りの木の陰に隠れる。

 特に静哉に気づいた風もなくまた歩き出した少女を見て静哉は胸を撫で下ろす。

「はぁ、何やってんだろ、俺」

 ため息混じりに少年は自虐めいたセリフを漏らしていた。

 傍から見ればどう考えても少女に付き纏うストーカーにしか見えないだろう。もしこのまま見つからずに少女の目的地まで行けたならストーカーの才能があるかもしれない。

 自分の思考回路に自嘲して静哉は再度深くため息をついて肩を落とした。

 しかし、だからってスニーキングを止めることはせずに次から次へと木に隠れながら後をつけていく。

 そのおかげで意外なものも見れた。

 森を行く途中で少女が地に咲く野花を見つけると、しゃがんで食い入るように花を見たり、垂れ下がっている木の枝に体を引っ掛けたり、転がっている石に躓いたり。案外ドジな一面を晒していた。その度に静哉はじれったさやもどかしさを覚え、感情を抑え込むのに必死だった。

 とうとう静哉は少女がどういう人物なのかが分からなくなった。

 初めは静哉を殺そうとしたかと思えば、その直後に彼を助け、また明くる日に静哉を冷たく突き放したかと思えば紅杏からは素直に肉まんを受け取り、少しだけ話もしていた。そして今日は、少女が実は貧しいという本性を見れたが、やはり直ぐに取り合わなくなって、つけてみればドジで天然な部分が見れたりもした。

 だからそんな少女が人を殺そうとする理由が分からない。宝のためだと言われればそれまでな気がするが、そこまで宝に執着する訳があるのだろうか。

 ここにいる人自体が、宝を目的とするためだけ集められたのだろうか。未だにここにいる人と、固まって半透明になった人との違いが分かっていない。

 しかし、紅杏は宝なんかいらないと言っていた。だからこの黒髪の少女も目的が他にあることも十分にありうる。

「何、してるの?」

 もしかしたら戦いを回避することもできるかもしれないわけで。

 ――えっ?

 我に返った静哉の眼前にはその黒髪の少女が立っていた。

 思考に暮れていて完全に自分が木陰に隠れきれてないことを失念していた。間抜けなのは人のことを言えない。

「俺を殺さないのか?」

 無意識のうちに出た第一声がそれだった。

「殺して、欲しい?」

 表情、口調一つ変えずに恐ろしいことを言う少女に少し鳥肌が立つ。

「……殺して欲しいかなんて言われればそりゃあ死にたくないけど」

「なら、いい」

「それだったらなんで俺を殺そうとしたんだよ?」

「あれは、間違い」

「は?」

 この子は今、なんと言っただろう。聞き誤ってなければ確かに間違いだと、そう断言した。

 間違いなんかが命が脅かされてたまるか。そのせいで静哉は言葉の通り死にそうな思いをして、トラウマのフラッシュバックにより意識まで失ったのだ。それを、間違いの一言で片付けられては溜まったものではない。

「それより、ついて、来ないで 」

 おまけにこの言い草だ。しかも本当に身を翻してどこかへ行こうとするし。

 少々立腹した静哉は少女に歯向かって無言で、今度は堂々と少女についていくことにした。

 しばらくは少女は何も言わなかった。きっと気付いてはいただろうがあえて何も言わなかったのだと思う。ひたすら特に何かをすることもなくひたすら森道を歩く少女に、多少は退屈しながらも一定の距離を離しているものの、それ以上は離されない距離感を維持し続ける。

 だがやがて我慢の限界に来たのか、再度足を止めて振り向き、

「ついて、来ないで」

「ちゃんと俺の質問に答えてくれない限りついていくのを止めない」

「勝手に、して」

「じゃあ俺はついていく」

 さらに距離を詰めて背後につく形で静哉は少女の後ろを行く。

 相手にされないのは癪だが、この少女がどこに行って何をするのかは気になる。

 だから何も言わずただついて行った。

 すると、足を止めて三度少女が振り返った。横に上げられた彼女の右腕は静哉にこれ以上前に出ないように指示している。

「何のつもりだ?」

 静哉は語気を強めたが、少女は彼の言葉には反応せず、視線を静哉かは外してきょろきょろと周囲を見回しだした。

「……誰?」

 少女がある一点に視線を向け、虚空へと問いかけるがそれに答えるものはない。

 静哉には何も感じる事ができなかった。やがて少女何も感じるものがなくなったのか、

「あ……」

 珍しく茫然自失気味に少女は呟いた。

「おい、だから何のつもりだよ」

「誰か、いた」

「はぁ?」

「でも、いなくなった」

「何だよそれ」

 もし少女の言っていることが事実だとして、静哉は気づかない何かに気づいたというのなら、それは何だろう。戦いに身を投じていれば些細な殺気や気配すらも感じ取れるとでも言うのだろうか。

 少なくとも、物音はしなかった。

 だが、本当に気配は殺気を感じ取れるというのならこの世界で負けることはないのでないか。

 しばらくは黒髪の少女も周囲を警戒しながらまた歩いていたが、完全に気配が消え去っていることを確認すると歩く速度を少し速めた。

 さすがに無言で少女の後をつけるのも慣れつつあった。三度目ともあれば大体の距離感や対応も分かってくる。

 静哉がついていくこと自体は少女もあまり嫌悪しているわけではない。相変わらず質問には答えてくれそうにないが、向こうが何も喋ってこないなら静哉も同じようにただ黙ってついていけばいいのだ。質問は機会があればそのときでいい。

 やがて森の道は土と雑草へと変化していき、道なき道を進んだ。もはやこの辺りは人の通った形跡すらない。

 さらにそこから進んだ場所に、陽の光が差し込んでいる場所があった。光の当たる場所には日光を受けて育った雑草や花が生い茂っている。

 黒髪の少女はその場所でしゃがみこんだ。

「これはなんだ?」

 少女が摘み取っている野花のようなものを見て問いかけた。

「薬草。日当たりの、いい場所、に咲いている」

「意外と詳しいんだな」

「昔、教えてもらった、から」

「お前にも何か教えてくれるやつがいるのか」

 喋りさえしなければあの少女だって容姿のいい普通の少女だ。学校にいればクラス、いや、学年一の人気を誇るだろう。

 そう言えばあいつの制服、どこの学校か未だに分からないままなんだよな。

 花を摘み取る少女の後ろ姿を眺めながらそんなことを考えた。

 ――刹那。

 振り向き様に立ち上がった黒髪の少女が素早い動作で静哉を突き飛ばした。

 その時に打ち付けた腕の痛みよりも先に静哉は何があったのか少女を見た。

 たった今までいた、野花が生い茂っている場所は特に変化してない。そのまま視線を少女にスライドさせれば、左手で押さえられた右腕には一筋の鮮血が流れている。

 再度地面を見直せば、今度は少女の足元に小さな長方形をした白い紙が落ちていた。少女の傷は、この紙によるものだろう。何らかの方法で紙をまっすぐ飛ばし、ある程度のスピードを出せれば紙だって立派な武器となり得るのだ。

 それにしても、また少女に助けられたことになる。どういう意図があっての行動か知らないが一先ず助けてもらったことには感謝すべきだろう。

「誰?」

 紙が飛来した方向を少女が睨みつければ、堂々と敵は姿を見せた。

「さすがに今のでは致命傷にはなりませんよね」

 木の陰から現れたのは、これまた静哉立ちと同じぐらいの歳の少年だ。少し大人しそうな顔立ちに眼鏡をかけた少年の印象はどこかなよなよしている。身につけているのはジーパンにチェック柄のワイシャツというラフな格好で、動きやすさを重視したものだ。

「僕は長嶺李央ながみねりおって言います。それで、お願いがあるんですが、死んでくれませんか?」

 表情一つ変えずに言い切ると、李央は同じ紙を数枚懐から取り出すと問答無用で黒髪の少女に投げつけた。

 彼の狙いは正確に首筋を切りにきていて、本気で殺す気だ。

 この行動を見て、普通では回避不能な攻撃をが一切の手加減もないことを悟った途端に動悸がした。戦闘が始まったら、自分が直接参加してなくても巻き込まれて、十年ほど前の時のように命の危険に陥るかもしれない。

 身体が震えだし、呼吸も荒くなっていく。やはり静哉には戦闘は不可能なのだ。

 静哉がそんな状態とは知らず、二人の戦闘は続く。

 李央の攻撃は一瞬で少女に迫り、逃げ場はどう見てもない。しかし、行動を上回った少女の対応も圧巻だった。どこに忍ばせていたのかわからないナイフを取り出すと、飛来する紙を正確に切り刻んで見せた。

「へ、へぇ~」

 李央は自分の攻撃に絶対的な自信があったのか、全て防がれたのを見て引き攣った笑みを浮かべながら漏らした。本人は平常心を装っているつもりだが、あからさまに彼には余裕がない。

 それを察して黒髪の少女もナイフを構えたまま攻撃に出ることはなく口を開いた。

「何のために、戦うの?」

「か、家族のためさ!」

「家族、だと?」

 食いついたのは、今にも心臓が破裂しそうな状態の静哉だ。自分の声は思ったより小さく、震えていてギリギリ李央に届く程度のものだった。

 ――抑えろ、抑えろ、抑えろ。

 自分でも聞こえる心臓の鼓動を落ち着かせるように自分に言い聞かせる。

 死は当然怖い。だが、いつまでもこうして現実から逃避しているわけにもいかない。

 静哉の懸命な自己抑制もあって、少しだけだが落ちついた気がする。

 もし、だが、李央の言葉が真実であるならば少年たちの目的は互いに同じだと言ってもいい。

「家族が、病気で死にそうなんだ! だ、だから宝とやらを手に入れて、か、家族を助けるんだ!」

 その主張に同情できなくもなかった。事実、静哉も李央と同じような行動を取ることも考えた。李央の言い分は痛いほど分かる。だから、それ以上静哉は何も言えなかった。

 静哉だって、一瞬でも友希の元に戻るために全員を倒そうとした。最終的な目的が宝なのか、元に戻ることなのかは違えど、その道中に成すことに変わりはない。

「そう」

 それだけ呟くと少女は低くナイフを構えた。初めてまじまじと見る彼女の構えはかなり様になっていた。まるでかなり昔から使っているような手つきで、軍人に見間違うほど隙のない構えだ。

 対する李央は対照的に腰が少し引けていて戦闘に不慣れなのが誰が見ても分かってしまう。

 ――怖いのは、自分だけじゃないんだ。

 不謹慎にもそんな自分よがりなことを考えてしまった。だがそれで、かなり平常心に戻ってきたのも事実だ。

 少女は低い体勢のままタメを作り、

 強く地を蹴って李央に肉薄した。恐怖で李央は瞠目して、反射的に逃げ出すが以外にも足の早い少女がトップスピードになった状態では李央に逃げられる場所などない。

 と、思っていたが突然彼の姿が消えた。

 李央を追っていた黒髪の少女ですら、完全に見失ってしまったらしくその場で止まって辺りを見回している。

 森の中という地の利を生かせばいくらでもここには隠れる場所はあるが、少女すらも見失うような逃げ場はないはずだ。

 あるとすれば木の後ろか木の上ぐらいで……。

 そこまで考えたとき、静哉は全てを察した。

「……上だ!」

 静哉の声にはっとして少女が上を見れば、まさに李央が少女に飛びかかろうとするところだった。

 今度は武器も何もない純粋な体術で挑もうとして来たのが幸いし、少女は間一髪で回避すると今度は逆に少女の方から体術で組み付く。

 着地の反動で動けない李央に組み付くのはいとも簡単だった。李央も当然抵抗するが一度少女に組み付かれればもう、どうすることもできないのは静哉も経験済みだ。

 だからと言って、静哉は李央を助けることはできない。物理的にというわけではなく、襲ってきたことに対する李央への恨みと、彼の言う言葉に対する同情心が複雑にひしめき合ってどうすればいいのか分からないのだ。

 やがて抵抗しなくなった李央に少女はナイフを突きつける。これも静哉のときと同じだ。決定的に違うのは今回は少女からすれば正当防衛なわけで、自分から脅しているわけではない。とは言え、李央も今ものすごい恐怖を覚えているだろう。

 それは見れば誰でも分かった。拘束される少女の腕の中で大きく震え上がり、言葉を発することすらおぼつかないレベルにまで達している。

「もう……しないから…………たす……けて」

 その中でも何とかそう口にするが、少女には届かない。

 李央の発した言葉が、身の危険を感じれば誰もが言う言葉であって、本当に心から思っているのか分からなかったりする。だが、静哉には李央の気持ちが痛いほど理解できる。それは、似た立場である静哉にしか理解できない感情だと思った。

「ごめんな……さい……たすけ、て」

 まさか、殺したりはしないだろう。

 心の奥底でそう考えていた静哉だったが、少女が顔色一つ変えずナイフを振りかざそうとしたのを見て目が飛び出そうになった。

「ちょ、ちょっと待てって!」

 ギリギリ李央の首から一ミリほどの距離で少女のナイフは停止した。

 それを見て静哉は、ふぅ、安堵して一息つく。

 死を覚悟したであろう李央は未だに強くを瞳を閉じており、目尻から微小な涙が零れかけていた。

「李央もこう言ってるんだからもういいだろ。何も命まで奪う必要はないじゃないか」

 静哉の声を聞いて李央は初めて自分の命がまだ残っていることに気付いてうっすらと目を開けた。

 正直、静哉は自分の言葉を少女が聞いてくれるか心配だった。今まで散々静哉とまともに話してくれなかったから、当然今回も無視して李央を殺そうとしないとも限らなかったのだ。

 少女はしばらく李央の首筋から一ミリの位置にナイフを突きつけたまま固まっていた。時間が経つにつれて静哉は不安を募らせ、次第に表情に緊張が走り出す。

「分かった。あなたが、そう、言うのなら」

 そう言ってナイフをしまうのを見て、今度こそ静哉は大きく胸をなで下ろした。

 それは無論当事者である李央を同じようで、緊張の解けた彼はすぐに逃げ出して姿を森の中に消した。

 なんて恩知らずな。とも思わないこともなかったが、冷静さを失っていたらそんな行動を取るのも致し方ない。

「……ありがとう」

「別に……。もうあの人も、こんなことはしない、と思う」

 これで一人、この争いから脱落させたことになる。やはり、元の場所に戻る方法は、自分が勝ち残り、この争いに勝利するのが一番手っ取り早い。

 少女も言っていた。何も人を殺す必要はない。今のように争いを辞退させたり、脱落させることができればそれでいい。なんだかんだで李央と同じやり口だが、結局のところそれしか方法は見当たらないのだ。

 ――だが。

 静哉は我知らず両手を強く握りしめていた。

 この方針には問題点しか存在しないのだ。何人いるかも分からない敵を全て見つけ出しすのはいつまでかかるか予想がつかない。それに、当然敵も必死だ。自分の命まで投げ出して宝に執着するぐらいなのだから、どんな手を使ってでも静哉をするだろう。そんな相手を殺さずにリタイアさせようとすると、少なからず隙ができかねない。はっきり行ってしまえば、命を奪ってしまう方がよっぽど簡単だ。

 問題はもう一つ。これが最大の難関だが、静哉は本当に戦えるのか、ということだ。李央を脱落させたとは言え、静哉は何もしていない。全ては黒髪の少女一人で行ったことで、静哉はただそれを傍観していただけなのだ。恐らく実際に戦おうと思えば、十年ほど前事故のトラウマがフラッシュバックして動けなくなるかもしれない。そうなったときに死ぬのは、静哉の方だ。

 せめてこの少女と協力することができれば話は変わってくるが――それは厳しいだろう。

「姫名」

「え?」

露市姫名つゆいちひな。私の、名前」

 唐突な言葉に何を言われたのか一瞬わからなかった。

 僅かな時間をかけて、静哉お前と読んでいたこの少女が名前を教えてくれたのだと理解できた。

「ああ、俺は三波静哉だ」

 一応礼儀に則って名乗り返しておいた。

 そうしているうちに、この少女、姫名に対する苛立ちが収まりつつあることを自覚した。

 今の一件を見る限り、姫名はあまり悪いヤツには見えない。そう思うとどういうわけか、以前よりも強く、姫名がどんな生活をしているのかに興味が湧いてきた。

「あのさ」

「?」

 いつの間にやらまた薬草摘みを再開していた姫名が、顔だけをこちらに向けて首を傾げる。

「あのさ、もうしばらく一緒に行動してもいいか?」

「勝手にして」

 ――前言撤回。やっぱりこいつはやなヤツだよ。

 冷たい口調で即答する姫名に静哉は内心毒づいた。

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