第12話



「へぇ~、そうだったんだ」

 昼間と同様に同じベンチに二人並んで腰掛け、食事しながら静哉が昨夜の出来事を伝えると、そんな反応が返ってきた。

 ありがたいことに紅杏は水まで分けてくれた。その水を口に含み唇を湿らせる。

「あいつらは躊躇がなかった。昼間のあいつだって多分、宝のためなら人を殺すのを躊躇わないと思う」

 静哉が危うく殺されそうになったこと、直後に助けられたことは既に伝え済みだ。

「あの子がそんなことするようには見えないんだけどなあ」

 そう独りごちてからすぐに慌てて、

「いやいや、静哉くんの言ってることが信用できないってわけじゃないからね?」

「ああ」

 紅杏は一度箸を止め、ベンチの背もたれに体重を預ける。

「それにしても、人は見た目によらないんだね」

「そうだな。特にここでは」

 どれだけ優しそうでも、穏やかそうでも、大人しそうでも、受けての感じるただの印象という情報だけでは全く宛にならない。

 ここにいるのは命懸けの戦いに身を投じた者ばかり。宝という餌に釣られた言わば狼たちだ。

 むしろ弱肉強食の世界でそれは相手を騙す強力な武器と化ける。

 静哉はまだ湯気の出ているカップ麺の汁を啜った。インスタントながらコクのあるスープの温みが体全体に広がっていくのが分かる。

「紅杏はさ、ここにいる奴らが欲しがっている宝ってのを欲しいって思うか?」

「うーん……」

 唸るようにして考える時間に紅杏も箸を動かす。

「欲しい、かな。だってさ、何かは分からないけどすごいものなんでしょ? それが手に入るかもしれないなんてロマンがあるじゃん」

 彼女の返事を聞いて、口に含んでいたものが変な所に入りむせてしまった。

 宝が欲しいということは、つまり争いに参加したいということではないのか。あまり争いに興味がなさそうな少女だったが、実はもう参加していて今まで静哉を騙していたのだろうか。

 勝手にそこまで考えてしまい、ドキリとしてむせてしまったしまったのだ。

「ちょっと大丈夫!?」

 紅杏が背中をさすってくれる中、静哉は急いで水を飲み込む。

 幸い口の中にあったものはブレスせずに済んだが、若干胃液の酸っぱいものが逆流してきて顔をしかめる。

「大丈夫。ありがとう」

 口元を拭って礼を言うと、少女は安堵して手を離した。

「でもね、あたしって脚がこんなんじゃん? だから無理なんだよ。それにさ、努力せずに何かを手に入れるなんてことをしても、それは本当に自分のものになるわけじゃないと思うんだ。だから、あたしは宝なんていらない」

 ――まあ勝ち残るという意味ではある種の努力をしているかもしれないけど。

 最後にそう付け足したが、今度は静哉が安心する番だった。静哉にとって唯一頼れる相手である紅杏は、今、宝はいらないとはっきり宣言してのけたのだ。

 もし彼女と敵対するようなことがあれば静哉はどうしたらいいのか分からない。

「紅杏はさ、ここで戦闘に巻き込まれたことある?」

「……あるよ。一回だけね。いやぁ、あれは大迫力だったなぁ」

「大迫力だったって、他人事すぎないか?」

「いやさ、怖かったよ? あたしの脚じゃ逃げきれないし、一度は死んだと思ったよ」

 結構真剣な内容の話をいつものように笑顔でするから静哉の方が不安になってくる。

「……どうやって助かったんだ?」

 箸を止めて恐る恐る訊いてみると、初めて少女が僅かに表情を曇らせた。

「あたしはその時必死だったからあんまりはっきりと覚えてないんだけど、運が良かったんだよ。逃げてたら目の前に糸が落ちてて、ちょっと隠れてそれを張ってこかしたんだ」

 そんな都合よく糸が落ちてるかと疑問だが、彼女が言うならそうなのだろう。

 だがそれなら、静哉よりも彼女の方がよっぽどまともに逃げ切ったと言える。この世界では義足云々よりも、自力で何ができるかが大事だ。もしまた危殆に瀕したとき、生き残るのは紅杏の方だ。

「そっか……」

 また少しカップ麺を啜り一息つく。

「でもさ、最後の一人に残らないといけないんだろ? だったら戦う必要があるんじゃないか?」

「そうだね。宝を手に入れるにはそうするしかない。けどさ、最後の一人に残れば元の場所に返してもらえるとも言われてないんだよ? それなら殺し合いなんてする意味があると思えないよ。それならあたしは命を選ぶよ」

 紅杏の表情は珍しく真剣だった。普段から笑顔を絶やさないからこそ、彼女の発言には決して冗談は含まれていない。

 それが分かるから、これだけは聞かないと気が済まなかった。

「………元の世界に帰りたいとは思わないのか?」

「うん。命を落とすリスクが高いなら」

 静哉の目をしっかりと見つめ返し、きっぱりと言い切った。

 半ば予想していたとはいえ、やはりその答えを聞いて何も考えられなくなる。

 紅杏には、静哉にとっての友希のように、元の世界でもう一度会いたい人物はいないのだろうか。そうでなくとも、またあんなことがしたい。こんなことをしてみたい。あれが欲しい。これが欲しい。などの欲求はないのだろうか。

 静哉にはその気持ちがわからない。

「俺は……俺は戻りたいとおもう。何か知らないけどいきなりこんなことになって、命まで狙われるような場所にはいたくない」

「そっか。静哉くんには戻りたい理由があるんだね」

「君にはないのか?」

「んー、内緒!」

「えー? ここに来てそれはないだろ」

 ふふっ、とさっきまでと同じような柔らかい笑みを漏らした。

「やっぱり静哉くんはおもしろいよ。気にいった!」

「……気に入られちゃった?」

「先輩に気に入られると大変だよ~」

「自分で言うか、それ? あと、誰が先輩だって?」

「君の目の前にいるじゃん! お美しい先輩が」

「だから自分で言うなよ。大したことなくなるから」

「あ、ひっどーい! 今のはあたしも傷ついたもんね」

 可愛らしく頬を膨らませる紅杏を見ると、ついもっとからかいたくなってしまう。

「先輩だったらもっと寛容でいてくれなきゃ」

「あー、そーですかー。もういいもん! だったらあたしは」

「……あたしは?」

「拗ねちゃうもん!」

「小学生かよ!」

 軽口の応酬をしているうちに、静哉も自分で表情が和らいできているのを感じていた。

 今日の一日というのは、紅杏と話した通り普段より短く感じたが、大きな変化をもたらしてくれた。昨夜から今朝にかけて怯え続けていた静哉でも、今ではこうして笑い合えるまでに不安は取り払われている。紅杏と出会っていなければ今頃どうなっていたのかなど考えたくもない。

 一度は諦めかけた日常を本当に取り戻したいと願うから、絶対に元の場所に戻ってみせる。今という時間を大切にしながら。

 静哉は胸の奥でそう誓った。

「……紅杏の扱い方も分かってきたな……」

「ちょっとー聞こえてるんだけど。それどーゆーことー?」

「ごめんごめん。悪かったって。って、痛ーーーーい!」

 腕をつねられ叫ぶ声が建物に反射して響いた。


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