第11話

 まだ出会って一日経っていない少女と当たり前のように公園に帰ってきた静哉は今この時間を単純に楽しんでいた。

 元の場所では友希の体調が悪かったために、友希のことが心配であまり高校の友達と遊んだりしたことがなかった。別に友希のことは大切だし、責めているわけではないが、恐らく初めだろう同じ年頃の友達――しかも女子――と話したり散歩したりなど、初めてのことだ。だからこそこの世界の闇の部分を忘れて純粋に楽しめる。

 定位置のベンチに座ると静哉が訊ねた。

「あれ、そういや紅杏って高校生だよな?」

「そーだよー? 多分今頃高校二年生かな」

「多分?」

「うん。あたしがこっちに来たのが高一の三月ぐらいだったから、そこから日にちの感覚がないんだ。……今日何日か分かる?」

「確か今は七月の……」

「あ、もうそんな時期? だったら今高校二年だね」

「じゃあ俺と一緒だな。俺も今高二だよ」

「同い年かー、まいっか、じゃあ紅杏先輩って」

「何でだよ」

 いつの間にか平気で軽口を叩き合えるような仲になっていた。これはきっと話せる人も限られているこの世界だからできたことだろう。人で溢れかえり、それが当たり前となっている元の世界でもう一度やり直せと言われたら、できるかどうか分からない。多分、話しかけることすら不可能だろう。

 紅杏の天真爛漫そうな性格なら話しかけることさえできれば元の世界でもきっと仲良くなれるだろうが。

「あれ、紅杏はこっちに来たばっかりって言ってたよな? 普通に四ヶ月ぐらいいるじゃないか」

「そうなるんだね。いや~、嘘つくつもりじゃなかったんだけどさ、さっきも言ったみたいに日にちの感覚がないんだよ。学校に行ってた時は土曜日になるのを楽しみにして、やっと金曜日だー、とかまだ水曜日だー、とかって言ってたけど、それがなくなったら今がいつなのかあんまり気にしないからさ。うーん、夏休みでずっと休みだったら今日って何曜日だっけ、ってなる感じ」

「あー」

 分かる気がする。事故が起こるより昔、夏休みは毎日遊んでいて、気がついたら夏休みも終わりで、最終日に慌てて宿題に取り掛かったが、結局間に合わず先生に怒られるなんてこともあった。

 今となっては笑い話だが、紅杏も似たような感覚なのだろう。静哉のように、楽しい思い出でなく、生きるのに必死なのだ。そうしなければここでは生きていけない。それが当たり前の世界。

「聞きたいことがあったら何でも聞いてくれていいからね。あたしに答えられるものなら答えるから。ここではちょっとしたことが命に関わるからさ」

「助かる。ありがとう」

「困ったときはお互い様だよ~」

 それだけ言うと彼女の視線は上空へと移った。

 紅杏という少女の存在は本当に静哉を救っていた。彼女がいなければ恐怖で怯えながら隠れて生活していたのだろうか。そう考えると、こうして気さくに接してくれる彼女に感謝の限りだ。

「ねぇ静哉くん。一緒に日向ぼっこしてみない?」

 静哉に顔を向けず、空を仰いだままの状態で紅杏はそんなことを提案した。

 突然の発案で多少戸惑いつつも、空を見上げる彼女の瞳が輝いていたためにその提案に乗ってみる。

「いいよ」

 返事はそれだけだったが、静哉も隣の少女を真似て夕焼けに染まりかけた空を仰ぐ。

 朱のグラデーションを作り上げる空は昼間の青空とは違ったよさがあり、それを見るのはなかなか面白かったりする。

 こうして夕焼けを眺めるのはいつ以来だろう。高校に入ってからはバスでの下校や家事を進める友希のことなど、いろいろと忙しくて見ることができていない。

 落ち着いてきた夏の日差しがちょうど心地よい。ここだと公園の周囲の建物で視野が遮られるが、さっき行ったばかりの草原なら全方向を広く見られる。それに、ベンチに座って日向ぼっこというのは何だか味気ない。

 友希は大丈夫だろうか。一刻も早く友希の元に戻らないと、いつ倒れてもおかしくない状況なのだ。最早手段を選んでいる場合ではない。ここにいる全員を倒して、宝を手に入れれて元に戻る。それが最善の手段に思えた。

 しかし、今の自分は本当に戦えるのかと問われれば恐らく答えは否だ。ちょっと紅杏にからかわれただけで恐怖を抱くような状態で戦闘でもしてみれば、一歩も動けずまた意識を失うだろう。

 つまり今はもっと、平和的解決策を見つけるしかないのだ。

 ――あぁ、今度は寝転がって空を見てみたいな。

 友希のことを思いつつ静寂に包まれた雰囲気の中、ただ無心で空を眺め続けた。

 そうしているだけで時間はあっという間に過ぎていき、冷えてきた空気が静哉の肌に触れる。

 やはり、風は吹いていない。それでも下がる空気の温度が静哉に時間を思い出させた。

「もうすぐ夜か」

 昨日、友希と街を出たのがこのぐらいの時間だったはずだから、最低でも二時間以上こうして空を見上げていたことになる。そのせいか首が痛む。数時間も時を忘れてた上を見上げていたのだから無理もない。

「もうそんな時間か~。今日も一日終わっちゃうんだ」

 感慨深そうに紅杏は呟いた。

 まだ実感がわかないが、そんな当たり前なこと自体が得難い事実だと、そう感じてくることだろう。恐らく、戦闘に巻き込まれた時には心からそう思うはずだ。無事に過ごせる時間はどれほど貴重なものであるか、嫌でも思い知ることになる。

「そうだな。今日は短く感じた」

 彼の言葉は本心だ。

 今日の一日は家の裏の山にあるお気に入りの場所で目覚め、家の自室にあった宝箱からロープとカップ麺を入手するところから始まった。そこから黒髪の少女を探すために街に下りると、公園に義足の少女がいて、肉まんを貰って別れたあとに目当ての黒髪の少女に出会ったけどまともに取り合ってもらえなくて。その後に紅杏と再度合流して一緒にお昼ご飯を食べた。

 午前中の行動を思い出すだけでも盛りだくさんだった。

 さらに昼からは紅杏と初めて行く草原へ散歩にでかけて、戻ってきてからはこうしてずっとここに座って空を見つめていた。

 そうやっているうちにすぐ一日が過ぎていった。それは子供の頃みたく楽しかったからではなく、ただ我武者羅だったのだ。

「ねえ静哉くん、晩御飯だけど、何か持ってる?」

「あ……」

 完全に失念していた。静哉の見つけた宝箱は今朝の一つだけで、当然手に入れた食料も昼に食べた一つだけ。つまり、ここでは生きるために宝探しをしないといけないということだ。だから宝箱が見つからず、食料を入手できない時には餓死する。

 繰り広げられているのそんなサバイバルな生活なのだ。

「その反応は何も持ってないね? 分かった、ちょっとここにいてね」

 いきなり紅杏が立ち上がると、そのまま静哉の前を通過し、公園からも出ていった。

 義足でありながら他の人と変わらない普通の歩き方の後ろ姿を見送った静哉は、彼女の意図が全然理解できずに、言われた通り呆然とそのまま座って待った。

 数分後、静哉が思っていたより長い時間を経て戻ってきた紅杏の右手には小さなカバンのようなものを提げていた。

「仕方ないから分けてあげるよ」

 紅杏はカバンの中に手を入れてカップ麺を一つ取り出すと、それを静哉に差し出してくる。カバンの中を見ると、食料はもうあと一つしか残っていない。今晩食べてしまえば彼女の貯蓄がなくなってしまう。

 静哉は首を横に振ってカップ麺を押し返す。

「それは受け取れないよ。それは君の全食料だろ? それを貰ってしまっては君は生きていけなくなる。そこまでして俺も楽して生きていこうとは思わない 」

 少年の返しを予想していなかったのか、赤髪の少女は目を丸くしてしばらく固まった。だが、やがて彼女は何かおかしかったのか、いきなり吹き出すと声を出して笑い始めた。

「あはははは! 静哉くんって優しいんだね」

「俺は本気で……」

「はははは。ごめん、ごめん。そんなこと言われたの初めてだったから嬉しいよ。でも、心配ないし。食べ物が無いんだったらまた探せばいい。幸い、まだこの街ににも宝箱は残ってそうだし。明日一日探せばどうにでもなるよ」

「でもそんな簡単な話じゃ……」

「それならさ、これで貸し一つね」

「貸し?」

「うん。このお礼は取っておいて、あたしが困った時に返してくれればいいから」

 完全に論破されて言い返せなくなった静哉は渋々カップ麺を受け取った。

 人の好意を断るのは失礼だ、本音を言えば今晩何も食べずに夜を更かすのは辛い。

「じゃあ早速だけどどうする? もう食べちゃう?」

 自分の腹に問いかけてみれば自分が既に空腹状態であったことに気づく。

 一日ぶりの食事がうどん、しかもカップ麺とあれば、当然高校生男子ならこのくらいの量で足りるはずがない。

「そうだな。もう食べたいかな?」

「了解であります。それでは行ってまいります」

 ビシッと敬礼をしておどける紅杏が何だかおかしくて、静哉は思わず笑ってしまった。

「あ、静哉くん初めて笑った!」

「あれ、そうだっけ?」

「そうだよ! いい傾向いい傾向」

 面と向かってそんなことを言われると結構照れくさかったりする。

 はにかむ静哉は目を背けながら紅杏にカップ麺を預けた。

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