第10話
「せっかくいい天気なんだし散歩でもしない?」
紅杏からそう提案された静哉は、今後の予定も特に決まってなかったために二つ返事で了承した。
少女のペースに合わせながら隣に歩いて立ち、公園からメインストリートとは反対側に向かって歩く。
しばらくは建物が建ち並び、裏通りのような場所もあって動きを止めた人が点在していた。その光景に静哉はまたしたも気持ち悪さを覚えるが、横を歩く少女は初めからそんなもの存在しないかのように平然と進む。
裏通りを超えると次第に建造物の数は減り、所々に木々が生えて緑が姿を見せ始めた。
友希と一緒にいるときは街が主だったからメインストリートの近辺ばかり寄っていたために、あまり街の外れの方は来たことがない。
完全に街を抜けると、道は石畳になりそのまま遠くに見える森へと続いていた。 左手には小川が緩やかかに流れ、右側はちょっとした草原のような場所になっている。
晴れている今日のような天気の日には持ってこいの場所だ。穏やかな風がここに吹き抜ければさらに心地よいだろうが、あの時以来、一切風が吹かなくなってしまっている。
山の麓にある街の外にこんな景色が待ち受けているとは思っても見なかった。家の近くのお気に入りの場所からここは死角になって見えない。そのために静哉の知る場所が山ばかりなせいもあって、すぐ近くにこんなにいいスポットがあることは少々以外でもあった。
「へぇー、いいとこだな」
「でしょでしょ? 本来ならここは観光スポットの一つになってるんだ。と言っても、実際に見るものなんて一つもないんだけどね」
「でも、ここにいるも何か落ち着く気がする」
「うん。それが観光スポットになってる理由だよ」
――友希と一緒にここに来てみたかったな。
募る想いを胸に静哉は素直に満喫していた。今だけは、不安や恐怖を忘れていられる。それはきっと、この少女との出会いも大きいのかもしれない。
横目で当の少女を見れば、相変わらず音の一つすらさせずに義足を使って自分のペースで歩いている。出会った時と同じように表情は優しい笑みを浮かべていて、彼女も同様に楽しんでいるのだろう。
そのまま川沿いに伸びる道を直進し、二人は森の方へと入っていった。
十年ほど前の事故以来、孤独という状況に恐怖を抱くようになったが、幸いというべきか、事故の起こった場所である山や森のような場所に対するトラウマはなかった。むしろ以前よりも好きになっている。
とは言え、さすがにこの状況では別の意味で恐怖がある。
何もなければ普通に木々に囲まれて静哉好みの場所ではあるが、いつ自分たちが襲われるか分からないこの場において、視界の悪い場所は奇襲を行う絶好の場所だ。
裏を返せば隠れるにはちょうどいい場所ともとれるが、一度山で襲われている静哉にしてみればあまり気分のいい場所ではない。
「ごめん紅杏。そろそろ森から出ないか?」
「…………そうだね。わかったよ」
静哉の考えを察して紅杏は目を伏せた。
彼も折角連れてきてくれたのに、引き返すことを提案した罪悪感もあった。きっと、ここに来たということは、リフレッシュとかそんな感じの目的があったのだろう。
「あそこの森には何かあったのか?」
森を抜け、来た道を辿る途中で静哉はそんな質問を投げかけた。
その問に紅杏は首を縦に振り、
「うん。ちょっとね。あの森ってあたしの思い出の場所なんだ。だから久しぶりに見てみよっかなーって思ったんだ」
「そっか、ごめん」
静哉の言葉に目を丸くした紅杏が手を激しく横に振る。
「いやいやいや、静哉くんが謝ることなんてないよ。何もキミが悪いわけじゃないし。それに、あたしも正直怖かったしさ」
「そうなのか?」
――全然そんなふうには見えなかったけど。本当に怖がってたのか?
「あ、今なんか失礼なこと考えてなかった? あたしだって怖いことぐらいあるもん!」
「か、考えてないから」
眉を寄せて詰め寄る紅杏に対して顔を引き攣らせて無理やりな否定をする。
――女という生物はどうしてこんなに勘が鋭いんだ?
どうしてもそれが静哉には不思議だった。
そこからはまた無言で並んで歩いた。太陽は傾きつつもあるがまだ高い位置にある。食後ということもあり、眠気が段々と押し寄せてくる。
本音を言えば木陰に横たわって昼寝でもしていたい。きっと気持ちいいだろう。多分いつの間にか眠っていて気がつけば夕方の日が沈みそうな時間で。
膨らむ妄想に浮かれながら軽い足取りで淡々と歩いた。
「なーににやにやしてるの?」
「な、何でもない」
悪戯な笑みを浮かべながら脇腹を小突かれ照れくさくなり、急いで顔を引き締め直し、咳払いをした。
気まずさから視線を紅杏から外した時、視界の隅にどこか違和感を感じた。
「ん?」
一瞬、見間違えかと思った。遠目に、緑の草原の中に黒くよく映えるものがあった。
目を擦って自分の見ているものが本物か確認するがどうやらそれは消えない。気になった静哉はそれを確かめるために慎重に近づいてみる。
「どうしたの?」
後ろから後を追ってくる少女の声を無視して静哉はその黒いものの方に歩み寄る。
かがんでいるから小さく見えるが、あれは間違いなく人の髪だ。黒いものに見えるのは、腰まで伸びた黒髪のロングヘアが後少しで地面に付こうかとしているからだ。
そして、その人物静哉は心当たりがあった。
「あいつ!」
少年は戸惑いを隠しきれなかった。なぜ黒髪の少女がここにいる? 午前中に話した時は小気味が悪い地下にいたのにいつの間に移動してきた?
混乱し始める静哉の視線を追ってようやく隣の少女も理解に至ったらしい。
ああ、と納得げに頷いて、黒髪の少女に足を向けた。
「って、ちょっと!」
何の躊躇もなく黒髪の少女の元に向かう義足の少女に静哉は今度は別種の戸惑いを覚えた。
つい先ほどの自分の行動と同じように紅杏は静哉の言葉を聞かずに近づいていく。
さすがに今は黒髪の少女と顔を合わせにくい。相手は何も気にしないのだろうが、今会って何を話せというのだろうか。
静哉はどうするべきなのかよく分からず、とりあえず二人に近づき会話が聞こえる辺りの木に隠れて様子を窺う。
「ねぇ、キミ、何してるの?」
紅杏が最悪襲われそうにったら、静哉は駆けつけるつもりでいた。昨日の今日で黒髪の少女に勝てる算段はないが、黙って彼女がやられるのを見ることはできない。
しかも、一度は助けてもらったとはいえ、静哉を脅し、不良少年と戦闘を繰り広げていた黒髪の少女がまともに取り合うとも思えなかった。昼食前の地下で静哉がされたように冷たくあしらわれるのだろう。
だがしかし彼の予想の遥か斜め上を行く展開をする。
「花」
顔を上げて立ち上がり、視線を交わらせる二人の少女。黒髪の少女の足元にはピンク色の野花が咲いていた。少女はそれを指差し、
「花を、見てた」
安定の無表情、無感情の声音で淡々と告げる彼女は、静哉の予想に反して紅杏の問いかけに答えていた。
呆気にとられながら静哉は出ていこうかと迷った。黒髪の少女にさっきのような戦意は感じられない。それだけでなく、態度も静哉の時よりずっとまともで、紅杏が一方的に突き放される気配はない。彼が姿を見せたところでいきなり戦闘が始まったりはしないだろう。
などと散々迷った挙句、やはり顔を合わせづらさが勝って、結局静哉はその場から最後までやり取りを見守ることにした。
「ほんと、綺麗な花だね」
「…………」
「キミは花、好きなの?」
「わから、ない」
「そっか、あたしは好きだよ。綺麗だし、見てると元気が出るんだ」
「そう……」
それきり二人の会話は止んだ。
たったそれだけしか言葉を交わしていないがそろそろ頃合いだろう。まともに相手にすらされず、話すらできなかった静哉からすればここまで会話が続いたのが奇跡に近しい。まだ静哉はこの黒髪の少女に色々と聞きたいことはあったが、この調子じゃ厳しいのは明瞭だ。
しかも、二人のやり取りは普通の会話になっているように思ってしまうが、冷静になって聞いてみれば会話は噛み合っていない。黒髪の少女が感情を見せないからこそそう思ってしまうのかもしれないが、それをうまく会話にしてるのは義足の少女の器量がゆえだったりする。
二人はしばらくピンク色の野花を無言で見つめていた。二人の間に静寂が生まれ、心地よい時間が流れる。
自分だけ相手にされなかったことに対する怒り半分、何だかんだで自分のペースでいる黒髪の少女に対する諦念半分が静哉の感情を支配する。
だが、傍から見ていてもいい画だった。草原に強く咲く一輪の花と、それを見つめる二人の少女。性格はどうであれ、決して二人の見た目は悪くない。男の本能として、静哉はもうしばらく見ていたかった。
その時義足の少女が何かに思い至ったようにぱっと、黒髪の少女に顔を向けた。
「ねぇ、キミ。肉まん食べる?」
「…………?」
「あつあつふわもちでおいしいんだよ」
そんなもの受け取るはずがない。
というまたしても静哉の予想に反して黒髪の少女は差し出された肉まんを手にした。
「って貰うんかい」
一人漫才を進める静哉をよそに少女二人の微笑ましいやり取りは続けられる。
「どう? おいしい?」
ウキウキした口調で訊ねる紅杏に、小さな口で食べることに夢中になっていた黒髪の少女は無言で控えめに首を縦に振った。
「そっか、よかった! じゃああたしは帰るね。バイバイ」
手を振ってその場から離れる紅杏を見ながら黒髪の少女は黙々と肉まんを食べ続けていた。
今日はきっと疲れてるんだ。だからこれは幻覚。目を覚ませばまた元通り。冷たい態度だった彼女があんなに素直になるはずがない。だから見間違いだ。うん。そうだ。そうに違いない。
世にも奇妙な光景に静哉はそう思うことにした。
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