第9話

 真上に昇った太陽が照らす眩しさに静哉は目を細めた。

 感情に身を委ねて階段を上ったが、我に返ってみると結構しんどい。日頃からそこまで運動しない静哉からしてみれば階段は長く、今も肩で息をしている。 そう思うと学校で運動部に入っていた人らはすごいと思う。

「そろそろお昼か」

 自分の腹時計が空腹を告げる。

 思えば昨日の夜から何も食べていない。昨日は帰って友希と一緒に食べようとする前にあんなことが起こり、挙げ句の果てに戦闘まで巻き込まれる。今朝は山の中で目を覚ました時刻も遅く、今後のことを考えていて食事のことをすっかり忘れていた。

 一度家に入った時に朝食ぐらい摂っておくべきだった、と静哉が後悔して何となくやるせない気分になった。

「あれ、そう言えば店ってやってるのか?」

 全ての一般市民が固まっているのなら、飲食店などの店員も同様なわけで、時間的には夜の飲食店が一番繁盛する時間帯だ。

 つまり、どこもかしこも飲食店の中にはメインストリートと同等かそれ以上の人が……。

 考えるだけでもおぞましい光景を想像してしまい静哉は身震いした。多分もうサービスは提供されないだろうが、どのみち店には絶対に入りたくないと決心した。

「あれー? キミ、こんなところでどうしたの?」

 だからその声が聞こえ、赤髪の少女の姿が目に留まったとき、彼は天に心から感謝した。

「用事ってのは済んだのかな?」

「あ、ああ。思ったよりも早く終わったから昼飯をどうしようかと思ってて」

 ……嘘は言っていない。

 静哉の言葉を聞いて義足の少女の表情がパッと明るくなり、

「じゃあさ、一緒にお昼食べようよ!」

 それは、願ってもない提案だった。

「ああ」

 勿論二つ返事で承諾する。

 こっちに来てからいきなり生活までもが狂いかけている。今まで当たり前だった生活すら、ここではありがたいことだと感じ始めていた。

「けど、どこで何を食べるんだ? 今店はあんまり……」

「そーだね。今頃店は障害モブでいっぱいだろうね」

「もぶ?」

「ここでは止まっている一般市民のことはモブって呼ばれるらしい」

「ふ、ふーん」

 静哉は棒読みのような相槌を打った。

「で、それなら食事はどうするんだよ」

「そうそう、キミ、何か食べるもの持ってる?」

「は? そんなもの持ってるわけが……あ」

 思い出した。言われなければ完全に忘れていたかもしれない。少女と分かれてすぐに公園の入口に家から持ってきた袋を置いていた。持ち歩くのはさすがに邪魔だからと隠していたのはたった三十分ほど前のことだ。

「ちょっと待ってて」

 言い残して静哉は公園へと走った。

 距離はあまり離れてないためにすぐに公園に着く。後はこの短時間の間に無くなっていないかが心配だったが、それも問題なく置いた場所にしっかりと残っていた。

 素早くビニール袋を取って、少女を待たせないようにと急いで戻る。

「お待たせ」

「お、早かったね。それで、あった?」

「ああ」

 ビニール袋の中からカップ麺を出して少女に緑のた○きを見せる。

「あぁ! そばじゃん! いいなぁ! あたしのうどんと交換してくんない?」

「……別にいいけど?」

「やった! ありがと!」

 満面の笑みでそばを受け取る少女を見ると細かいことなどどうでもよくなってくるが、一応、これは聞いてみたかった。

「そば、好きなの?」

「うん? うーん……」

 少女は人差し指を顎に当てて小首を傾げながら唸る。しかしその時間は案外短く、すぐに頷いて答えた。

「好きな方だよ。ここではあんまり大したもの食べられないし」

「?」

 危うく右から左へと流れてしまいそうだったが、ぎりぎりのところで彼女の言い方で妙なことが引っかかった。

「ここじゃ大したもの食べられないって?」

「あれ、もしかして知らない?」

「知らない、って、何が?」

「おっかしいなぁ。それ持ってるってことは知ってると思ったんだけどなぁ」

 小声で何やら呟く声がうっすらと静哉の耳まで届いてくる。だが、そんなふうに言われる覚えは全くない。

 不思議そうに少女を見つめていると、視線に気がついた彼女は「ごめんごめん」と謝ってから説明する。

「キミ、このそばはどこで手に入れた?」

「えっと……」

 突然の質問に戸惑いつつも家でのことを思い出す。

「家の自分の部屋に宝箱があって、そこにそばと、後はロープが……」

「ストップ、ストーーップ!」

 大声で静哉の言葉を止めた少女がグイッと顔を近づけてくる。そして周囲を何やらキョロキョロと見回して安堵したように一息つく。

「あのね、いい? ここでは食料と戦闘で有利になるアイテムは全て宝箱から手に入れるの。宝箱の中身は一個一個が違っていて、他の人には何を手に入れたか分からないの」

「……つまり?」

「つまり、キミがどこで宝箱を見つけたかは知らないけど、宝箱の中身を易々と人に言っちゃだめなの」

 分かった? ともう一度顔を近づける彼女に気圧されて静哉は二度三度頷くことしかできなかった。

「斯く言うあたしは戦えないんだけどね」

 顔を離して少女は自嘲した。でももう一度だけ真剣な面持ちになると、こう補足した。

「でもね、これだけは覚えておいて。命を懸けた戦いで、宝箱の中のアイテムは命同然のものなの。だから何があっても絶対に手に入れたものを他人に言ってはいけない」

「……分かったよ」

「分かればよろしい」

 冗談めいて口調を変える少女がおかしくて、静哉は少女と一緒になって声を上げて笑った。

 思えば、心から笑ったのはあれ以来初めてのことだ。昨夜から緊迫した雰囲気が続いたり、気を張り詰めてらせていたのが、彼の気持ちに余裕ができた証拠だろう。

 これがいい傾向なのは一目瞭然だ。ただ気を許しすぎて不意打ちを食らったり、いつの間にか騙されて命を落としかけることのないよう適度に気を引き締めなくてはいけないが、そのためにも精神的に余裕があった方が断然いい。

 そんな状態だからこそ、少女とのやり取りが楽しいと感じる自分がいるのを静哉は感じていた。彼女と話していると心が落ち着くというか、和むというか。とにかく一人で考え込んでいるのよりよっぽど気が楽になる。

「それで、お昼ご飯なんだけど、宝箱に入ってるものって基本的にカップ麺か冷凍食品みたいなやつなんだよね。だから、お湯があれば何でもいいんだけど、コンビニが一番手っとり早いかな」

「コンビニか……コンビニはちょっと」

「あ、そっか。そういや言ってたね。人は触れなくても物は触れるからお湯を沸かしたり、レンジでチンぐらいはできるんだけど、どうしよっかな……」

 右手の人差し指を顎に当てて思案するのは少女の何かを考える時の癖だろうか。

 ついさっきにも見た仕草にそんなことを思いつつ静哉は彼女の言葉の続きを待つ。

「まあいっか。とりあえずあたしが近くのコンビニでお湯入れてくるからキミは少し待っててよ」

 さすがに義足の少女にそれをさせるのはどうなのかと思ったが、あまり人のいるコンビニに近寄りたくないと思うのも事実だ。だから多少罪悪感に駆られながらも少女と交換したばかりの赤いき○ねを素直に渡す。

「……人の言うことを簡単に信じたら危ないよ?」

「えっ?」

「冗談だよ冗談。さっきも言ったけどあたしは戦えないんだから、あたしのことは信じてほしいな」

 一瞬本気で心臓が跳ね上がった。

 微かにトラウマとなった事故の記憶がフラッシュバックして呼吸が乱れる。

 そんなことを知らない少女は愉快げに笑う。

「そんな反応されるとからかいがいがあるってもんだよ。キミ、ほんと面白いね」

 少女の声は静哉に届かなかった。妙な汗も浮かび始めて視野もぼやけ出す。あの現象の時に感じた恐怖が彼の五感を奪っていく。

 手に付いた血糊。倒れた両親の亡骸。断片的に蘇る過去の呪縛が少年の体を硬直させる。

 ――死にたくない死にたくない死にたくない。

 今度は自分がそうなる番だと考えると、また意識を失いそうになる。

「……………ば………………ねえってば!」

 突然自分を突きとばすような衝撃が静哉を襲い、彼は強制的に現実へと戻らされた。

 視覚がようやく戻り、少しずつ自分の目で見ている光景が認識できるようになっていく。そこには赤髪の少女の姿があり、心配そうにこちらを見つめている。きっと彼女が何かしてこっちに意識を戻してくれたのだろう。

 続いて次第に、地に足が着いている感覚がはっきりと伝わってくる。

「ねぇ、ほんとに大丈夫なの?」

 正直言うと大丈夫ではない。このトラウマは拭い去りたくても決して消えない呪縛だ。一度思い出してしまったからには落ち着くにはきっとまた時間がかかるだろう。

 自分の額に汗をかいているのを感じ服で拭う。

「…………大丈夫だ」

 しかし、これは自分の問題で、出会ってまだ数時間の少女に打ち明かすようなことではない。何しろ彼自身にしか解決できない問題なのだから。

 静哉の返答に義足の少女は疑りつつもそれ以上深く追求しないでくれた。

 ――全く友希といい、女という生き物はどうしてこう勘が鋭いかな。

 内心で苦笑しつつも静哉はこの話題を避けるために話を戻した。

「悪いけど、お湯頼むよ」

「そうだった。じゃあちょっと行ってくるね」

 手を振って去っていく少女に穏やかな表情で見送り、姿が見えなくなると静哉は大きく息を吐き出した。

 できるだけ動揺のないように振舞ったが、実際のところ、自分の様子が客観的にどう見えているのだろうか。友希のように勘の鋭そうな少女の前では全く努力は無駄だった気もしなくはないがここは都合のいいように考えておこう。

「人の言うことを簡単に信じたら危ない、か」

 静哉は義足の少女に言われた言葉を反芻した。

 確かにそうだろう。命のやり取りをしている相手同士なら騙しあいが日常茶飯事になる。もしかしたら義足の少女も、義足というのは嘘で、静哉を騙すためだけに関わったのかもしれない。でも、うまく言えないがなぜか静哉は義足の少女を疑えなかった。

 まだ胸に手を当てれば自分の脈動が速いのが分かる。それも少女を心の奥で信じていたからこそ、その反動も大きかったのかもしれない。

 これで、本当に戻ってこなかったら笑いものだなと内心で自嘲していると、思ったよりも早く義足の少女が戻ってきた。

「おまちどうさま~」

 両手にカップ麺を持って赤い方を静哉に渡す。

「ありがとう」

 礼を言ってうどんを受け取ると、お湯の熱さがほんのりと手に伝わってくる。

 被せられたフタを開いて中を覗けば、その隙間から白い湯気が上がり、美味しそうな出汁の香りが漂う。

 丸一日ぶりの食事がうどんというのは若干物足りなさを感じるがそれは仕方がない。

「どうしよっか。公園でも行く?」

「だな。俺もそこがいい」

 待ち時間を利用してまた公園に戻り、当然のように同じベンチに腰を下ろす。

 何もせずに五分というのは意外にも苦痛だった。これが一日ぶりの食事だということもあって待ちきれないというのもあるが、五分がこんなにも長いものだとは思ってもいなかった。

「やっぱりここはなんか落ち着くなぁ~」

 ……などと言いながら少女は三分で先に食べ始めるし……。

 嫌味としか思えない非常な現実に歯を食いしばりながら我慢する。

 そして、体内時計で五分のアラームが鳴り響いた途端に静哉はうどんのフタを破り取った。

「いただきます」

 そう言ってから今になって静哉は問題点に気づく。

「って、どうやって食べれば……?」

「……ん、ごめんごめん。忘れてたよ」

 ワンピースの後ろに手を回し、少女は割り箸を取るとそれを静哉に手渡す。

「これはどうやって……?」

「割り箸ってさ、無料なんだよ?」

 ――左様ですか。

 思わずそうツッコミを入れたくなるほど簡単且つ呆れるその答えに静哉はその件に関して深く探りを入れるのを止めた。

 きっと誰からも止められないのをいいことに、コンビニのレジの下から持ち出してきたのだろう。確かに割り箸は無料だが勝手に取るのは気が引ける。

 だからそれ以上の思考は止めて、今は丸一日ぶりの食事に専念することにした。

 箸を割り、一口うどんを食べればそこからは手が止まらなかった。赤いき○ねは元から美味しいものではあったが、これほど美味しいものは知らない。まるで食事の大切さを教えられているかのような、そんな味だった。

 うどんを食べ進め、汁まで一滴残らず飲みきった時、気付けば先に食べ始めていた少女よりも早く完食していた。

 やはり量的にも物足りなさを感じつつもそのまま待っていると、少女が律儀にも空になったカップをベンチに置いて手を合わせる。

 流れ的に静哉もやっておいた方がいい気がして合掌する。

「「ごちそうさまでした」」

 口を揃えて二人が言うと、静哉の食べたうどんのカップと割り箸を指差して少女はそう言ってきた。

「それ、貸してもらっていい?」

 言われた通りに渡すと、義足の少女はどこからかライターを取り出した。そして静哉から受け取ったゴミに躊躇なく火をつけてみせた。

「え、ちょ、ちょ!」

 突然のことに自分でもよくわからない抗議の声を上げるが、彼女に声は届かない。そのまま静哉は動けず、ただ見ていることしかできなかった。

 カップと割り箸二セットに点火した小さな火は勢いを増し一瞬で全体を飲み込んだ。

 燃やすものを失った火は自然に鎮火していき、火が燃やし尽くしたそこには微々たる灰が残るだけだった。

「ゴミはまともなところに捨てたところでそれを処理する人がいないし、ゴミをきっかけであたしらの居場所や形跡がバレちゃうことも考えられるんだ。これ、基本ね」

 ふう、息を吹き残った灰を空中に舞わせる。自然に風の起こらないこの場所では上空までは舞い上がらないものの灰は霧散していった。

 こうしておかないと、何がきっかけで自分の命が狙われるか分からない。決して何も考えずにいるわけではないのだ。一見すると無用心に見せる少女でも、行動の一つ一つに細心の注意を払っている。

「にしても、こっち来たばかりな割には何かと詳しすぎないか?」

「あれ、あたしそんな事言ったっけ」

「…………へ?」

「あたしは、気がついたらここにいて、誰も知ってる人はいなかった。としか言ってないけど? 勝手にそう解釈したのはキミだよ?」

 あー、そう言えばそんなことを言ってたような言ってなかったような……。

 曖昧な記憶を思い出しながら静哉は頬を掻いた。

 つまり、少女が静哉と同じような状況で、彼女も最近この世界に来たというのは完全な思い込み、だということか。

「だからこれから先輩って呼びなさい」

 胸を張って得意気に言い、少女は胸をぽんと叩いてみせた。

「…………ってことはこの世界について知らないってことは? あれも俺の思い込みなのか?」

「ちょっと! 無視ってひどくない!? ……そのことに関しては嘘は言ってないよ。ここで何が起こっててどうなってるのか。それが分からないのは事実だよ。ここで行われていることはある程度なら知ってるけど、それも前に言った通りなんだ」

「結局は分からないままか……」

「何か言った?」

「いや、何にも」

 宛が外れた。義足の少女か、黒髪の少女なら情報を得られると思っていたが、前者は本当に何も知らず、後者は何か知ってる風にも取れたが教えてはもらえなかった。

 これで静哉が知っているのは不良少年だけだ。一番話しかけ辛い相手だが、黒髪の少女と同様に何か知っていることはありそうだった。

 また宛もなく闇雲に探し回るか?

 いや、それは得策ではないだろう。見つかるかも分からない人を探して仮に見つけたとしても話せるかが定かでない。それは黒髪の少女の時も同じだったが、不良少年の場合は決定的に違うところがある。

 まず一つはやはり容姿。あの派手な見た目ではどうしても関わるのに抵抗がある。

 そしてもう一つは、少女は静哉を助けたという事実があったことだ。無論静哉を殺しかけた相手でもあったが、助けたことが少女に対する警戒を僅かにだが解いた理由でもあった。

 ――そうして接触した結果があの態度であしらわれたわけだが。

 やっぱり今は焦らず、ゆっくりちょっとずつでいいやと、そう思えるようになったほど、静哉の精神状態に余裕が生まれていた。

「そういや、まだ自己紹介してなかったっけ?」

「あ、ああ」

「だよね」

 一度区切って少女は静哉に向き直り、

「あたしは篠月紅杏しのづきくれあ。こんなんだけど、よろしくね! あたしのことは紅杏って呼んでくれていいからね!」

「俺は三波静哉みなみせいや。こっちには昨日きたからまだ全然よくわかってないけどよろしくな。俺も静哉でいいよ」

「分かった。よろしくね、静哉くん!」

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