第3話

 相変わらず街を歩く人々は多い。だが、僅かではあるものの、街に到着した時よりかは人が少ない気がする。代わりに、道の左右にあるいくつかの店にこれまで以上の行列をなしている。

 そこで初めて二人は空腹を意識し始めた。

「もうお昼か」

 気付けば太陽はもう頂点に達し、夏の強い陽射しがアスファルトを照りつけている。

 滲み出る汗を拭いながら友希は答える。

「そだね。来るのに時間がかかっちゃったからね。買い物はご飯を食べてからにしよっか」

「分かった」

 静哉たち兄妹はできるだけ行列の少ない店を探して、やっと見つけたファミレスに入ることにした。

「ふぅ、すっずしー!」

 店の扉を開けるなり、クーラーの効いた涼しい風が押し寄せる。

 友希が伸びをしてリラックスしたのにつられて、静哉も気を緩めてその涼しさに快楽を覚える。夏の炎天下を一時間以上も歩き続けた二人にとってここは至極の休憩場所だろう。

 空腹というよりも、クーラーのより効いたところで一刻も早く休みたいという欲求に駆られて二人は入店した。



 ちゃっかりとデザートまで食べ終えて上機嫌な友希に連れられて二人は再び街を歩き出した。

 少しクーラーの効いた店内に長居しすぎて店を出てすぐ「暑ぃ」だの、「死にそう」だのぼやいている妹がいたが直にそれは収まった。

 食料品や日用品は先に買ってしまうと荷物になるだけだという友希の判断で、二人はまずお土産屋のような店に来た。

 ここには遠くから旅行や観光に来る人々のお土産屋にと少しお高めの食べ物があったり、ご当地グッズなどが置いてある。しかし、二人――特に友希――の目的はそっちではなく、その店の一角にある装飾品売り場の方だ。

「へぇ、初めて来るけどいろんなのがあるんだね」

 キラキラしたネックレスや指輪、腕輪やイヤリングなどの豊富な種類の装飾品があり、一つ一つの値段はお手頃だ。それらを見て友希が目を輝かせた。

 しかし、静哉の気を引いたのはその中のどれでもなく、端に何種類かあるキーホルダーの方だった。

「お、このキーホルダー」

 静哉が手に取ったのは、可愛らしいクマがプリントされた赤い携帯ストラップだ。

「なになに、……おにいもこういうの興味あるんだ」

 歩み寄ってきた友希は兄の手にあるものを見つけると含みのある言い方をした。

「へー、おにいにしてはいいセンスしてるじゃん」

「そ、そりゃどうも」

「いやいや、別に皮肉とかじゃないからね?」

 慌てて手を振って弁明すると、友希は並べてあるキーホルダーを眺めながら右手の人差し指を顎に当て、「これ!」とその指を何かに指し示す。

 あれ、友希ってこんな可愛い仕草をするやつだっけ?

 友希の後ろ姿見てそんなことを考えているうちに、彼女は何を掴んで静哉に見せびらかす。

「これ、私と交換しよ?」

 よく確認すると、それは静哉の気に入ったものと同じものだった。ただ、彼が選んだものは紐やプリントされている部分は赤く、友希のチョイスしたものは青い。

「兄妹で同じものも、悪くないよね?」

「…………だな」

 他にも友希はいくつかキーホルダーやらストラップをいくつか買っていた。

 同じく静哉も数多ある種類の中から黄色のキーホルダーを買うと、小さな紙袋が膨れ上がっている。

 静哉は内心で店員にもう少し大きな袋にしてくれればよかったのにの、毒づきながら横に立つ友希に訊く。

「次はどこ行く?」

「実は特に決めてないんだよね。うーん、おにい、どこか行きたいとこある?」

「俺は特にないかな。今欲しいものとかないし」

 彼が答えると、その答えを読んでいたかのように友希は呆れ顔になって頷いた。

「だよね、うん、知ってた。おにい物欲なさそうだもんね」

 聞き捨てならない言葉にピクっと眉を寄せる。

「ちょっと待て、俺だって欲しいものぐらいある。天体セットとか生物の標本とか……」

「あーはいはい、おにいって理科っぽいこと大好きだもんね」

 うんざりといった声音で適当にあしらわれた気がしたがそこは気にしないでおく。

「理科っぽい、じゃなくて理科が、だ」

「はいはい、分かった、分かったから。とにかく行くとこがないなら歩きながら気になったとこに入っていく感じでいい?」

 むすっとしながら静哉は無言のまま首を立てに振って同意。

 結果、待ちきれない様子の友希に半ば引き摺られるように静哉は妹に手を引かれてこの街の中心部である商店街に移動した。

 中心部と言うだけあって一番の盛り上がりを見せている商店街には多種の店が構えていて気になるものばかりだ。

 そこを二人は特に宛もなく歩き回った。二人のうちのどちらかが気になったところには即座に立ち寄り、お金と時間の許す限り店を網羅した。

 寄った場所のほとんどは食べ物で、団子だのコロッケだの餅だの、昼食後とは思えないほどの量を口にした。

 中には帰ってから食べる用にとテイクアウトしたものもあり、それら全ては静哉が持つことになったのは、まぁ、仕方ない。

 今日は友希を楽しませることが一番の目的だったが、それはもつ大丈夫だろう。心から楽しそうな友希の姿を見ているうちに、いつの間にか静哉までもがこの時間を楽しんでいたのだ。

 だから、街中に午後六時を知らせる鐘の音が鳴り響いたとき、彼はそこはかとなく悲しい気分になった。

 まだ真夏の太陽は高く、空全体をオレンジ色の夕焼け色に染め上げて明るい。もう少しここにいようと思えばいれなくもないが……。

「もうこんな時間かぁ。そろそろ買い物をして帰らないとだね」

 妹の何気ない言葉が無常にも逃避しようとしていた静哉に現実を突きつける。

 分かっている。ここに来るときに下ってきた長い坂道を今度は上らないといけない。疲れているであろう友希の体調も考慮すれば一時間はかかるはずだ。そうなればもう八時。真夏といえどもさすがにそれは真っ暗だ。

「おにい、浮かない顔してどしたの? もしかして、ここにもっといたかった?」

 心情を顔に出してしまっていた静哉とは対照的に友希は満足げな表情を浮かべている。

 妹と同じように楽しむこの時間がもっと続いて欲しいと思っている自分がいることに静哉は気づいた。もっとも、家に帰っても妹と笑い合う生活は送れるわけで、何も今日だけが全てではない。だがやはり、友希が満足できればそれでいいというのは強がりだった。

「ああ」

 静哉はそれだけ答えるとこの街に来たときに毎度買い物をするスーパーに足を向けた。

 買い物は友希がやると言いだし、静哉は持っている荷物があるために外で待機という形になった。

 別にそのことに異論はなく、ただ待ち時間をどう潰そうかと考えたが、特に暇を潰す術も思い浮かばない。

 仕方なく彼はなるべくスーパーの入口から離れない程度にぶらぶらとすることにした。

 近くには昔ながらの駄菓子屋や子供向けの玩具店などが店を構え、さほど興味のない静哉は漠然と店を見ながらゆっくりと歩いた。

 すると、近くにあった電気屋の外に数台のテレビが商品として置いてあり、ニュースが放送されている。

 特にすることのない少年はテレビを見て時間を稼ぐことにした。


『続いて、《幻想病》に感染していた高校生がお昼頃に亡くなったニュースです。昨日から連日での死者が出た《幻想病》は更に感染力を強めています。外出をお考えのみなさんは予防を徹底し、極力外出は控えるようにお願いします。また……』


 ニュースの途中だった。

 突如静哉の視界が暗転すると、直後に彼はまたしても人のいないこの街に立っていた。

 いや違う。さっきとは違って今度は人がいる。たた、そこにいる人は微動だにしない。あからさまに様子がおかしいのだ。

 この現象は二回目ともあり一度目ほどの激しい恐怖は感じない。とは言えやはりどうしても心臓の鼓動は早くなる。

 静哉が足を動かそうと思えば動く。彼は少なからず恐怖に駆られながら足を動かして歩き出した。

 だが、彼が少し歩いたその時。

 また視界が暗転したかと思うと、これまで絶たれていた視覚、聴覚、嗅覚すべての情報が一斉に流れ込む。

 止まっていた人々が動き始め、その人々の話す賑やかな声が彼の耳に届く。

 二度も、それも一度目よりも鮮明に見たあれは何なのだろう。人や物の動きが止まり、まるで時間そのものが止まっているようにも思えた。

 そこまで考えて静哉は目を大きく開く。

 静哉はあのよく分からない場所で、確かに自らの意志によって数歩だが歩いた。なのに彼が今立っているのはまだ電気屋のテレビの前だ。しかも、聞こえてくる音声は、まだ《幻想病》についてのニュースを読み上げている。

 多分、ほとんど時間が経ってないのだ。だったらあれは何だったのだろうか。

 ――いや、考え過ぎか。友希のことばかり心配しすぎてきっと自分が疲れていることに気がつかなかったのだ。少し休めば落ち着くに違いない。

 自分の目を擦って意識をはっきりさせると彼は店の前に戻った。

 店の前に戻ると、体感とは対照的にあまり時間が過ぎてないために友希はまだ出てきてないようだ。

 もうとてもではないが動く気力はない。半ば放心状態になって、時間と言う概念が分からなくなった頃、ようやく友希が店の中から両手に大きな買い物袋を提げて姿を見せた。

「おにいお待たせー。ってあれ、どうしたの? 何か疲れてるみたいだけどさ」

 静哉の姿を見つけるなり早々に買物袋を片手に持ち替え、空いたもう片方の手を振りながら近づいてくる。

 だが、途中で兄の様子がさっきまでと変わっていることに気づいて友希は小首を傾げながら兄の顔を覗き込んだ。

「…………いや、なんでもない。俺の方がちょっと疲れてたみたいだ」

「そっか、おにいを色々連れ回し過ぎちゃったね。ごめん」

「友希は気にしなくていい。それよりも買い物は済んだか?」

「うん、ほら! これで一週間、ううん、二週間は最低でも大丈夫なはずだよ」

 そう言って兄に見せる買物袋は、明らかに友希が持つには重量オーバーだ。

「一つ持つよ。重いだろ?」

「いやいや、大丈夫だよ? おにいだってたくさん袋持ってるし」

「これぐらい気にするな。まだ持てるから」

「じゃあ……お願い」

 買物袋を受け取ると、ずしりと重みが伝わり危うく落としそうになる。

 やはり力の弱い友希では無理だろう。というよりよく平然と持っていたな。などと感心していると、友希が切り出した。

「そろそろ帰ろっか。晩御飯も買っておいたし、家に着いたらすぐにご飯にしよ」

「そうだな」

 人通りが少しずつ減っていき、閉めかけた店もある街を歩いて帰路に着いた。

 街を出て、坂道に入れば、それはもう寂しい光景だと思ってしまう。気分的な問題もあるが、街の栄えている景色に比べ、道中は建物すらないただの一本道。木々の間には街灯が点在していて一応周囲がある程度なら見えるようにはされているが、何もないことに変わりはない。

 その貧相な道を二人は疲れもあって無言で歩く。

 心配していた友希の体力は、昨日倒れた影響はなく、心配は杞憂だった。普段ならもう疲労困憊するところだが、今ところはそんな素振りは見せていない。きっと、久しぶりの街で疲れを忘れて楽しんでいたのだろう。

 約三十分歩き、ようやく中間地点辺りまで来た時、空が完全に闇夜に染まり街灯が光を灯した。

「もう、夜だね」

「……ああ」

 久しぶりに口を開いたかと思うと、そこでまた会話は途切れて沈黙が流れる。

 普段なら静かで邪魔な光の少ないこの場所で天体観測でもするのだが、今はとてもそんな元気はない。

 そのまま更に歩くこと十五分。ここに来て疲労が限界に達したのか友希が僅かによろめいた。

「友希!」

 隣で倒れかけた妹を抱きとめる。

「大丈夫か?」

「ごめんね……ありがと」

「気にするな。それよりもう少しだから頑張れよ」

「……うん」

 力ない妹の返事は虚空へと消えていった。

 友希からさっきまでの楽しげな面持ちはどこかへ消え去り、申し訳さそうな目で静哉を見つめる。

 こうなることは最初から予測していた。友希よりも静哉の方が先に疲労を覚えたのは想定外だったが、それでもよくここまでよく耐えたほうだろう。

 だが、せっかく今日一日享楽にふけったのに、最後の最後でこんな表情をされるのは今日の行動は水の泡になった気分になる。

 とは言え、それを友希に責めることはできない。だからこその静哉であり、初めからそう考えていたのだ。

 両手いっぱいにある大きな買い物袋たちをどうしようかと思考を巡らせたが、特にいい案が思い浮かばない。仕方なく彼は二つの袋を左肩にかけ、残りを左手で持つことにより右手を空けることにした。

 静哉は申し訳なさげな妹の視線にはあえて気付かないふりをして妹に空けたばかりの右肩を貸すと、残り少しの家路を歩き出した。

 素直に体重を静哉にかけてくる妹の温もりを感じながらひたすら家に向かう。

 想定通り、家に着いたのは街から一時間ほど経った時だった。

 長い道のりを経て、やっと着いたという安心感に包まれ友希が、買い物袋を一旦置いて家の鍵を取り出したその時。


 ――三度目の現象が静哉を襲った。


「え、おに――」

 同様を隠しきれない友希の言葉は途中で途切れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る