第28話

 呪符が連続で相手にぶつかる。三枚目までは、相手に触れた途端に燃え上がった。以降の呪符はどうにか張り付いて、相手の動きを鈍らせる。

「この雨の中、火の気が起こるとは……」

 六葉は呟いて、素早く木の陰に隠れる。

 雨で気配が流れがちだが、子どもは着実についてきていた。

「だが、次で終わりだ!」

 斜面から、沼に、幾枚か落としておいた呪符が、水面を大きく持ち上げる。そのまま子どもを水で囲み、取り込んでしまおうとしたが、水の山は、木の枝が投げ込まれて破られた。

「……出たな、操り手め」

「あぁ、残念ですが。私は操っていないのですよ」

 赤い唇をなめて、加西が木立の間から現れた。

「せっかく呼び出したのに、逃げられてしまいましてねぇ。まぁどのみち、術者の子が、家に戻るのを利用するつもりだったので、問題なかったのですが」

 もっと強力に、悪辣にするつもりでいたのに、子どもは術者を恐れて逃げた。そんなことを加西は平然と口にする。

「それで、一ノ瀬の術者を追いかけるわりに、近づくと逃げるのか。術者に近づきすぎると利用されかねないのが、分かっている……」

「あぁ。本当に面倒なことですねぇ」

 加西がため息をつく。大仰に首を振った。

「本当に! 一ノ瀬は邪魔なのですよ。どこからどこまでも……死んだ子どもですら、思うように行かない。可愛げのないことです」

「なぜ、一ノ瀬を?」

「なぜ? それを貴方が聞くのですか? 一ノ瀬の当主が手を着けた側女の子。式神に我が子の殺害を指示する家で、たまたま殺されるを免れただけの貴方が? 貴方こそ、一ノ瀬を邪魔だと思いはしないのですか」

「見てきたようなことを言う」

「見ましたよ。遡りの術は疲れましたが」

 雨音が寄せては引く。子どもは加西が怖いのか、距離を取って、近づかない。

(このままでは埒があかないな)

「一高も、父も、加西と打ち合ったことはない。ゆえに、彼らが貴方の邪魔をしたことはないのでは? 彼らが本気で打ち返していれば貴方は生きていないからな」

「大した自信ですね」

「誰の差し金ですか? 標的は……まさか私ですか? たかが、術司の部下であるだけの私を?」

「言うとでも思ったのですか?」

「貴方の意志でここにいるのか、貴方を、式神として使う人間がいるのか? どちらですか」

 加西が笑う。

「式神! そんなわけがありません、私は自由! すべて私の意志によるのだ!」

「どうかな……」

 式神は、術者の力が強すぎると主人の意志と一体化することがある。また、心酔して主人についていくものはまれで、無理に服従させられはしたものの、恨みを抱いて、けれど直接は手を下せず、回りくどく敵対者を作り、差し金につかうことも、ある。

(加西は、式神だろうか……?)

「東、高井戸、蝙蝠、芝浦……」

「それはすべて、一ノ瀬に恨みを持ちながら仕えている式神の名ですか? なるほど、今後便利に使わせていただきましょうかねえ! 主人の殺し方を少し吹き込めば、思う通りになるでしょうねぇ」

「いえ……彼らは殺されてなお、一ノ瀬に恨み言を言っていた、術者と式神です。もっとも、全員成仏させられましたが」

「成仏?」

 怪訝な顔をする男に、六葉も、不愉快さを隠さず、口をゆがめた。

「知っているでしょう。仏の名と力を借りて、御所の中枢にまで入り込む男。あれに大きな顔をされて迷惑ですよ。東も高井戸も、主家に文句は言うが、呪詛する力は持たなかったというのに、あの男は、やれ黒い思念を感じるだの何だの言って、全員、あの世送りにした」

 六葉の声が、ひどく低い。

「陰陽師は疫神を払い、悪しきものとよきものどちらの話も聞く。対してあれは、話を聞いているような顔をして、人の道具さえ勝手に消滅させる」

「参謀殿のことですか。たいがいは暑苦しいかただと聞いてはいますが」

 加西は困惑を隠さない。陰陽師であり貴族の後ろ盾があると言っても、中枢にまであがりこめる身分ではないから、六葉の怒りが今一つ理解できない様子だった。

「あれの暑苦しさは並大抵のことではない……善意ですべてを台無しにするところが、もっとも不愉快」

「言ってくれるなぁ! お前、途中から俺が来ているのが分かっていて噂しただろう」

 一声ともに、六葉と加西の間に、ばらばらと花が降ってくる。

 斜面の上方だ――やたら明るい色の衣を肩に掛けた僧形の男が、にこにこしながらこちらへ下ってくるところだった。

 六葉が疲れた顔で言った。

「自分で歩くとは珍しいな、東西(とうざい)」

「歩くさ! 心外だな」

 花びらは、地面や木々に触れると、蓮の香りだけを残して消える。淀んでいた周囲の気配が、一気に清浄なものに変わった。

「そう睨んでくれるなよ。じゃれて遊んでくれるのは、一ノ瀬のはみ出し者だけなんだ、俺が助けてやらねばなるまいて」

「俺ははみ出していませんが」

「貴方達は……本当に、邪魔な方達ですねえ」

 周辺の呪詛がゆるむのを睨んで、加西が暗く吐き捨てた。

「……本当に、いつもいつも、お前が邪魔をする。風神も、お前のせいで食べ損ねた」

「風神もお前が狂わせたのか」

「知らずに術具を保持している貴族から、子の呪いをとく代わりに術具をいただこうとしても、お前が邪魔をする」

「たまたまではないか。俺は術司に命じられて行っただけで、お前がいるとも知らずに仕事をしている。それだけのことだろう」

 逆恨みされていると分かり、六葉は眉をひそめる。

「逆恨みで、こんなことを?」

「そうであっても、邪魔なものは邪魔なのですよぉ……」

 じわりと、加西から半透明のものが溢れ出る。物の怪や神の力が入り交じったそれは、大きな手となって飛びかかってきた。

 見覚えのある力が混ざっている気がして、六葉は避けながら顔をしかめた。

「一高の術力まで、食っていたのか?」

「ふ、ふふ」

 艶めかしい唇を、笑いの形にゆがめて、加西は息を殺す。爆笑するのをこらえているのだ。不機嫌さを隠さず、六葉は相手を睨みつけた。

「聞きたくもないが、義理で聞いてやる。何がおかしい」

「だって。おかしいも何も。貴方、何も気づいていないんです?」

「何がだ」

「男でも女でもない。私は神なのです」

「は?」

 思わず、その場の者らがぽかんとした声をあげると、加西はまた笑った。

「姉を体内に取り込み、私は陰と陽の力を手に入れた!」

「……初めに食らったのか。身内を」

「そうして、多くの者を食った。もはや私は神! だがもっと、力がほしい……誰にも負けぬよう!」

「こいつ、面倒な奴だな!」

「俺も今回ばかりは、参謀殿に同意します」

 東西は頭をかいて、飛びかかってくる透明な手を、棒きれ一つで払いのけた。

「ま、御託はいい。さっさと祓うか!」

 言うが早いか、東西は両手で印を結ぶ。

「結!」

「破!」

 加西が即座に打ち返した。足下が悪く、斜面を滑り落ちる。

「あー、おい、あいつ落ちたぞ」

「俺のせいじゃない」

 役立たずな東西を放置して、六葉も斜面を駆けおりる。

(どこだ……)

 崖際で、加西の代わりに、あの子どもを見つけた。そもそも、六葉は、子どもを追ってここまで来たのだ――。

「哀れだな……悪いが、名前も何も、返せない。せめて安らかに眠ってくれ」

 子どもを動かしているだろう、術の中心点を見定めて、呪符で打ち抜こうとして。

「そう。二人とも、安らかにねぇ……!」

「しまった……!」

 真横から加西が飛び込んでくる。子どもに対して全力でかかっていたため、対応できない。

「六葉ー!」

 どこかから、ひどい叫び声が聞こえた。

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