第29話
*
雨のせいか、血が、止まらない。
「六葉!」
日和は叫ぶ。
やっと六葉を見つけたのに、目の前で、切りつけられて倒れてしまった。
「六葉……」
動く死体らしき子どもは、六葉の術を受けたせいか、動かなくなって、そのまま崖から落ちてしまった。それなのに――六葉が倒れてしまったら、勝った意味なんてないじゃないか。
日和は腹を立てていた。
女のような顔の男を、睨みつける。
その態度がばかばかしかったのか、加西は自分の腿を叩いて爆笑した。
「はははは! 小さな神よ、何を睨んでおいでです? 貴方にいったい何ができる! 見なさい、貴方を縛り付けた術者の男は、こうも簡単に命を失うのです。貴方が何もできないうちにね! それを、そんなに惜しいもののように見て……ばかですねえ」
加西が高笑う。
「どうです、彼を生き返らせて差し上げますよ? 貴方の命と引き替えに」
「そんなの」
日和の声がわずかに震える。
断りきれない不安があった。
「……ばかを言うな。俺は死んでないし、そいつにそんなことができるものか。騙されるな。禁呪だ」
倒れたまま、六葉が呟く。
「六葉っ」
「ほらほら、見てご覧なさい。貴方は無力だ、小さき神。その人間は、私の手で死ぬのですよ……貴方には何もできない」
じわりと、加西が近づいてくる。勝利を確信しているのか、いたぶるように、数度に分けて、爪のついた大きな透明な手で日和を叩いた。
舌打ちして、六葉が残っていた呪符を打つ。だが、すぐに加西がもう一つ手を作り出し、六葉の腕をねじ伏せる。
「あははは!」
(このままじゃ……食べられるかもしれない)
木の下に転がって、日和は肩で息をする。
あんな薄気味悪い人に、食べられたくない。六葉を助けたい。
(何ができる?)
イモリのとき、風神のとき――自分には、光の玉を作ることしか、できなかった、けれど。
(だったら)
「私にだって、できる、もの!」
日和は、思いきり強く力を込める。
雨がひどくて、なかなか力が入らない。
「この……ばかっ、やめろ、日和!」
六葉に叱られたが止まらない。これ以上いいようにされてたまるか。
光の玉は、きっと食べられてしまう。食べられてしまったら、内部から破裂させたらいいのだろうか? それは残酷な感じがする、細かな霧になって出てくればいい、毛穴から。でもうまくいかない。そうじゃない、食べられちゃだめだ、もっと大きな――
*
やけに静かだ。
「ふあっ?」
急に目が覚めた。
日和は慌てて体を起こす。何だか寒くて、両手で自分の肩をさすった。
見渡す限り、草一本ない。荒野である。
その中でも、いくらか平らに均された小道の、脇に置かれた大石に、自分は寝転がっていたらしい。
「ここ、どこ?」
加西は? 六葉は?
雨も降っていないが、日も出ていない。空は薄暗く、果ての方まで灰色だった。
帰ろうにも、どっちに行けばいいのだろう。
「ふおふお」
老人の笑い声が聞こえて、びくりとする。
振り向くと、枯れ木が立っていた。その上から、羽音をさせて、大型の梟が降りてくる。
「……梟?」
「いかにも」
自分と同じくらいの背丈の、灰色の大型の鳥だ。梟の嘴と爪もある、が――。
「……でも、顔が人間のお爺さんだよ?」
「ばかもん。人間に嘴がついておるか」
「ないけど」
そこにいるのは、限りなく人面の梟だった。
「お前は死んだのだ!」
「えっ⁉ いきなり?」
梟は重々しく頷いている。
「だが、ここは世の狭間。世の果て。黄泉(よみ)ではない」
「えっ、どっち?」
「どっちでもないと言うておろうが」
「どっ、どうしよう! 私、ここが黄泉だったら、黄泉に住んでる親戚に挨拶しなきゃ」
日和は立ち上がろうとした。だが、足が震えてうまくいかない。
「あれっ。あれっ?」
「そりゃあ、若い娘さんじゃものな。覚悟も何もしておらんだろう。かわいそうに」
「っていうか、私人間じゃないっていうか……」
「まだ中途半端ゆえ、自覚もなかろうな」
「……中途半端?」
「まだ、現世に縁がある。帰りたいと必死になれば帰れないでもない。だが、もうよいだろう、疲れただろう、黄泉の花畑で憂さを忘れて寝ころぶがよい」
「わっ、花畑で一日寝てるっていうの、本当にあったんだ!」
家で聞いたことがある話だ――変なところで感動した。
「っていうか、縁って何ですか?」
「それじゃ」
梟が、翼を畳んだまま、顎をしゃくる。日和の衣の袖に、金色の、細い、か細い、糸がかかっている。
(あ)
六葉が、以前から、離れるときに「迷わないように」とつけてくれていた、蜘蛛だ。
「蜘蛛、蜘蛛っ」
袖の中を探したが、恥ずかしがりなのか見つからなかった。
「ともかく、そんなものがあるから未練になる。断ち切るがよい」
梟が翼を開く。鋭く、風切り羽が襲いかかってくる。
日和は必死で身をよじった。
「だめー! 六葉ー!」
嫌だ。
帰りたい。
こんなところで。
終わりたくない。
「そうだな、まだそれは、必要だ……!」
急に、はっきりと声が落ちた。
自分と、梟以外には、誰もいなかったはずの世界に。
「あ……」
すぐ後ろに、気づけば、影が一つ立っていた。
「迷子になるなと、あれほど言ったのに」
「な、何でここに?」
「お前は、本当にばかだな……」
ため息をついたのは、六葉だった。怪我をしていた部分に、乱雑に布が巻かれている。あの、雨の中の戦闘は、夢や幻ではなかったようだ。
六葉が腕を掲げてみせる。
「見えるか?」
「あ……糸? 六葉にも糸がついてる」
六葉の衣の裾にも、金色の――いや、それどころか、玉虫色に光る糸がかかっている。日和の金の糸よりも、数段、丈夫そうだった。
「兄が……一高が、な。現世に繋いでいる。何だかんだで、味方であれば、あれほど頼りになるものもない」
「一高が……? 力がなかったんじゃないの?」
「いろいろあってな。一高は、加西に食われていた分の力を、取り戻したから……」
「そうなの?」
「それより、お前、俺に黙っていたな?」
「えっ?」
「一高が言っていた」
六葉が、半眼で日和を見下ろす。そうして、一息に言い切った。
「奴によると……暗闇に引きこもって、でも自害もできずにだらだらしていたとき、お前が飛び込んできた。お前が、ばかみたいにまっとうなことを言うから、力がなくても自分には別の望みがあったと、外の世界を見たいことを思い出した、だから、お前には借りがある、恩があるのだと言ってな。助力を申し出てきた」
蛍が迷い込んできたのかと思った、と、多少装飾めいて一高は少女のことを表したけれど。六葉は、それを言わなかった。
「黄泉路を辿るのは、死んで生まれた者であれば、一高でも俺でもいい。仮死状態に入って、そのまま魂と体の糸を繋いだままにする。……だが、完全に死にきる前に、誰かが糸を引いて引き戻さなければならない。だから俺が来た。蜘蛛もあるからな」
「……っ」
日和は口を開け閉めする。言葉が出ない。こういうとき、何を言ったらいいのだろう。
「寿命帳を書き換えるとき、お前の分を変えておけばよかったと、今なら思う」
「ご、ごめん、六葉のこと、助けたかった」
「分かっている」
「本当に?」
疑わしくて、じっと見上げる。
六葉は目を逸らさず、小さく聞いた。
「帰りたいか。日和」
「帰っ、帰れるの?」
「帰れる」
帰れる? 帰っていい?
胸の中で、気持ちが暴れる。
「……お前がいないと、静かすぎる」
「あの……」
「帰ってこい」
(言っても、いいんだ!)
それが、契機だった。
「帰りたい……!」
六葉にしがみついたら、ちょっと苦笑された。
「帰りたくないと言っても連れて帰る。お前は俺の、式神だ」
「うえっ」
胸が痛くて涙がぼろぼろこぼれてくる。
「六葉が、六葉のって、言ってくれた、」
「はいはい」
「仲がよいことはいいことじゃが、ただで帰れると思うんじゃないぞ~」
そっちのけにされていた梟が、不満顔で羽を鳴らした。梟のくせに、やかましい鳥だった。
「確かに、お前さんらは現世と繋がったままじゃが、道の真ん中まで来てしまっておる。わしも、ただで返すわけにはいかんなぁ」
「どうしたらいいの?」
六葉から離れず、日和は聞く。
「う~ん、そうじゃのう。一人分の命を貰うとか」
「だめだよ!」
「だがな~代償が必要じゃぞ」
「生憎、持ち合わせがない。黄泉路の案内人に、呪符を差し上げても仕様がないし……次に来るときは、鹿でも持ってきましょう」
「鹿、いいのう。だが今、必要じゃ」
「六葉、何か袖に入ってる?」
日和は違和に気づく。しがみついていると、ごろごろしたものが体に当たるのだ。
「あぁ、なぜか一高がこれを」
「柑子?」
柑橘の実が二つ、六葉の袖から取り出された。
「いくら、不老不死の伝説のある橘の実とはいえ、持っていても使い道もないが、どうしてもと言うから――」
「こ、これをくれんか!」
梟が目を輝かせた。
「黄泉の女神の好物じゃ! これを献上する! わしも覚えめでたくなるわ~ぜひ寄越すがよい!」
「それで持たされたのか……では、二人とも、元の世に戻って構いませんね?」
梟が頷きまくるのを確認して、六葉は、橘の実をそっと渡した。
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