第27話
*
子どもとの距離はなかなか掴めない。
六葉は大路から小路に入り、ため息をついた。周辺には、見回りの衛兵や、陰陽師達がうろうろしている。これだけいると、子どもの方も身の危険を察して、都の中心部へは来ないかもしれない。
「なまえ、かえして」
拙い声が聞こえて、六葉はぞっとした。飛びすさると、さっきまで立っていた場所に、酸でも落としたような跡が残っている。
「上か……!」
家屋の上に、死体の子どもが立っている。落ちくぼんだ目がこちらを見ている。
「悪いが、名は返せない」
封印の呪を投げたが、子どもは鼠のように俊敏に逃げた。
「いたぞー!」
他の者達が気づいて駆けつける。
六葉も舌打ちして子どもを追った。
追いかければ逃げる、こちらが休めば近づいてくる。いっそ場所を定めて、罠となる陣でも組み立てておくべきだろうか。
(一高は何を考えている)
まさか、彼が犯人ではないだろうが――。
曇天は未だ雨を落とさない。気づけば、鬱蒼とした山の入口まで走ってきていた。
近くにある龍臥淵の、沼色は濃い。びりびりと水面が揺れているのは、中に住まう龍神が、これから雷雨の中を飛び回る支度をしているせいだろうか。
(引き返すか)
思った瞬間、近くで落雷があった。
頭が揺さぶられるほどの震動に、六葉はよろめく。
「龍神か……」
沼がうねり、水面が割れる。一瞬で、黒い塊が天へ吸い込まれた。
水気が広がり、小降りではあるが雨が落ち始める。
「かけまくも畏み畏み申す……祓いたまえ清めたまえ」
祝詞の一部を唱えて、集中する。飛び去った龍神が、沼に近づきすぎた人間に雷を落とすわけではない。六葉が警戒しているのは、別のものだ。
じわり、と近づいてきた、呪詛の気配を察して、場を清めたのだ。
(相手の損傷は避けるつもりだが、いざというときはやむを得ない。網の術は、すでに御手洗の配下が失敗済みだろう。無傷で捕獲するには、分が悪いな……)
六葉は植えられていた梅を避けて、椿の下を通り抜ける。
(来い……)
葉を踏みしだき、後方に現れた気配と距離を取る。
斜面を登り、雨天を見上げる。
*
「何で邪魔するの!」
降り出した雨が、顔の汚れを洗い流す。
日和は、龍臥淵の手前で地団太を踏んだ。数人に取り囲まれており、進もうとしても邪魔をされる。
「誰なの? 何なの!」
相手は、見たことのない衣をまとっている。厚地のものも、薄地のものもある。赤や黄色、日差しのような白もある。
人間なのか、物の怪か、分からなかった。全員、渦を巻くような紋様のついた、面をかぶっていたからだ。
面のせいか、気配が読めない。――清いかどうかも分からない。
どうしよう、と考えていると、囲みの向こうに、浅葱色の衣が見えた。
「……一高?」
日和の呟きに呼応するように、上天で龍が吠えた。雨がいっそう強くなる。こんなに雨が降ると、日の神の気配も遠くなる。小鳩も飛べず、日和が六葉の家にいないことにも気づかないだろう。
助け手は、きっと、来ない。
「一高、何で邪魔をするの?」
「なぜ、邪魔をしていると思われるのです?」
質問に対して、質問で返された。
「だって……私を取り囲んでるのは、貴方の、部下っていう人でしょう?」
「邪魔をしているのではなく、守ろうとしている、とは思ってくれないのですね」
「守る?」
「畏れながら、日の神の末子と呼ばれる方に、万が一にも何かあれば、困るのですよ」
「それは、父様が怒ったら困る、ってこと?」
一高が無言で微笑んだ。肯定と取って、日和は唇を噛む。
「でも……じゃあ、代わりに行ってくれるの? 困ってる六葉を、助けてくれるの?」
「困ってはいないと思いますが」
「じゃあ、何で私はこんなに、怖いって思うの!」
今日は大声を出してばかりだ。伝わらなくて、悔しかった。周りを囲む者を振り払おうとしたが、手は空を切る。
「命令なさいますか、小さき神よ」
「そんなの……命令したって、聞いてくれるわけないよね? そもそもあのとき……六葉の小さい頃のことを話していたとき、貴方は六葉のことを知っ……」
(知らないわけが、ない)
身がすくむ。一高は微笑んでいる。いつだって、見透かすような、年長者の優しい笑みだった。
(知ってるんだ。六歳の頃、ろくはが亡くなった。あの銀色の式神が、りくはを連れて来て、交代したことなんて、分かっている)
それを言わない、言えないのは、家の問題だからだろう。
握りしめた拳が痛い。
(分かってるんだ。なのに……六葉がきっと大変なのに、助けてくれないんだ)
一高の後方から、馬を駆って誰かが来る。その男は灰みの衣を翻して、
「南南東、一里!」
一声叫ぶと、再び駆け、去っていった。
「術の使えぬ私が、ここにこうしているのは、気がかりなことがあったからです」
「え……?」
一高が袖を振ると、囲みがほどけた。囲みになっていた者達は、馬の駆けた方角へ歩きだす。
「何……?」
「貴方に何かあっては困る。けれど、問答している時間がない……。貴方はどのみち間に合いません、このまま帰るなり、六葉を捜すなり好きにするとよい」
「どういう意味……!」
ぱしゃん、と一高の姿が崩れた。地面の泥水を混ざってしまい、どれが彼だったのかも分からなくなる。
「何これ」
術だろうか。六葉が家で使用している、紙で作った式神のように? 力が、今はないと、言っていたのに……尾上という部下が手を貸しているのだろうか。
考えていても仕方ない。日和は雨の中、当初の目的地へ足を進めた。
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