第27話

 子どもとの距離はなかなか掴めない。

 六葉は大路から小路に入り、ため息をついた。周辺には、見回りの衛兵や、陰陽師達がうろうろしている。これだけいると、子どもの方も身の危険を察して、都の中心部へは来ないかもしれない。

「なまえ、かえして」

 拙い声が聞こえて、六葉はぞっとした。飛びすさると、さっきまで立っていた場所に、酸でも落としたような跡が残っている。

「上か……!」

 家屋の上に、死体の子どもが立っている。落ちくぼんだ目がこちらを見ている。

「悪いが、名は返せない」

 封印の呪を投げたが、子どもは鼠のように俊敏に逃げた。

「いたぞー!」

 他の者達が気づいて駆けつける。

 六葉も舌打ちして子どもを追った。

 追いかければ逃げる、こちらが休めば近づいてくる。いっそ場所を定めて、罠となる陣でも組み立てておくべきだろうか。

(一高は何を考えている)

 まさか、彼が犯人ではないだろうが――。

 曇天は未だ雨を落とさない。気づけば、鬱蒼とした山の入口まで走ってきていた。

 近くにある龍臥淵の、沼色は濃い。びりびりと水面が揺れているのは、中に住まう龍神が、これから雷雨の中を飛び回る支度をしているせいだろうか。

(引き返すか)

 思った瞬間、近くで落雷があった。

 頭が揺さぶられるほどの震動に、六葉はよろめく。

「龍神か……」

 沼がうねり、水面が割れる。一瞬で、黒い塊が天へ吸い込まれた。

 水気が広がり、小降りではあるが雨が落ち始める。

「かけまくも畏み畏み申す……祓いたまえ清めたまえ」

 祝詞の一部を唱えて、集中する。飛び去った龍神が、沼に近づきすぎた人間に雷を落とすわけではない。六葉が警戒しているのは、別のものだ。

 じわり、と近づいてきた、呪詛の気配を察して、場を清めたのだ。

(相手の損傷は避けるつもりだが、いざというときはやむを得ない。網の術は、すでに御手洗の配下が失敗済みだろう。無傷で捕獲するには、分が悪いな……)

 六葉は植えられていた梅を避けて、椿の下を通り抜ける。

(来い……)

 葉を踏みしだき、後方に現れた気配と距離を取る。

 斜面を登り、雨天を見上げる。

「何で邪魔するの!」

 降り出した雨が、顔の汚れを洗い流す。

 日和は、龍臥淵の手前で地団太を踏んだ。数人に取り囲まれており、進もうとしても邪魔をされる。

「誰なの? 何なの!」

 相手は、見たことのない衣をまとっている。厚地のものも、薄地のものもある。赤や黄色、日差しのような白もある。

 人間なのか、物の怪か、分からなかった。全員、渦を巻くような紋様のついた、面をかぶっていたからだ。

 面のせいか、気配が読めない。――清いかどうかも分からない。

 どうしよう、と考えていると、囲みの向こうに、浅葱色の衣が見えた。

「……一高?」

 日和の呟きに呼応するように、上天で龍が吠えた。雨がいっそう強くなる。こんなに雨が降ると、日の神の気配も遠くなる。小鳩も飛べず、日和が六葉の家にいないことにも気づかないだろう。

 助け手は、きっと、来ない。

「一高、何で邪魔をするの?」

「なぜ、邪魔をしていると思われるのです?」

 質問に対して、質問で返された。

「だって……私を取り囲んでるのは、貴方の、部下っていう人でしょう?」

「邪魔をしているのではなく、守ろうとしている、とは思ってくれないのですね」

「守る?」

「畏れながら、日の神の末子と呼ばれる方に、万が一にも何かあれば、困るのですよ」

「それは、父様が怒ったら困る、ってこと?」

 一高が無言で微笑んだ。肯定と取って、日和は唇を噛む。

「でも……じゃあ、代わりに行ってくれるの? 困ってる六葉を、助けてくれるの?」

「困ってはいないと思いますが」

「じゃあ、何で私はこんなに、怖いって思うの!」

 今日は大声を出してばかりだ。伝わらなくて、悔しかった。周りを囲む者を振り払おうとしたが、手は空を切る。

「命令なさいますか、小さき神よ」

「そんなの……命令したって、聞いてくれるわけないよね? そもそもあのとき……六葉の小さい頃のことを話していたとき、貴方は六葉のことを知っ……」

(知らないわけが、ない)

 身がすくむ。一高は微笑んでいる。いつだって、見透かすような、年長者の優しい笑みだった。

(知ってるんだ。六歳の頃、ろくはが亡くなった。あの銀色の式神が、りくはを連れて来て、交代したことなんて、分かっている)

 それを言わない、言えないのは、家の問題だからだろう。

 握りしめた拳が痛い。

(分かってるんだ。なのに……六葉がきっと大変なのに、助けてくれないんだ)

 一高の後方から、馬を駆って誰かが来る。その男は灰みの衣を翻して、

「南南東、一里!」

 一声叫ぶと、再び駆け、去っていった。

「術の使えぬ私が、ここにこうしているのは、気がかりなことがあったからです」

「え……?」

 一高が袖を振ると、囲みがほどけた。囲みになっていた者達は、馬の駆けた方角へ歩きだす。

「何……?」

「貴方に何かあっては困る。けれど、問答している時間がない……。貴方はどのみち間に合いません、このまま帰るなり、六葉を捜すなり好きにするとよい」

「どういう意味……!」

 ぱしゃん、と一高の姿が崩れた。地面の泥水を混ざってしまい、どれが彼だったのかも分からなくなる。

「何これ」

 術だろうか。六葉が家で使用している、紙で作った式神のように? 力が、今はないと、言っていたのに……尾上という部下が手を貸しているのだろうか。

 考えていても仕方ない。日和は雨の中、当初の目的地へ足を進めた。

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