第25話

「昔のことですがねぇ」

 一ノ瀬の主(あるじ)、この物の怪を式神として従える男は、うっかりよその巫女との間に子を成してしまった。一ノ瀬の術式を持ち逃げされてはかなわない、と、男は式神に、母子を殺してくるよう命じた。

 この式神は、面白いことが好きだった。半殺しにした妊婦が、己の血で術を描いて攻撃してきたのも面白かった。けれど勝負はあっと言う間だ。妊婦は虫の息で、生まれかけた赤ん坊も重傷を負い、死にかけていた。

 放っておいてもすぐに死ぬ。式神はそのまま帰ろうとした。だが、妊婦は力を振り絞り、式神の影を術で縫い止めて、こう言った。

 貴方、これを殺すように頼まれたわね? でも、私はこれを、死なせない。ねぇ、考えてもみて。お前の主人の気が変わって、家にいる者の他に優秀な術者を、血を、必要としたとき、それとなく、これを差し出す方が、お前、面白いのではないの? どうせ、お前は、いつだってこれを殺すことができるのよ?

 愚かな提案だと式神は思った。主人を裏切れば、式神は手痛い仕置きを受ける。けれど――騙しきれたら? ぞくりとした。もしも、あの、おぞましき術者の鼻をあかしてやれるような、便利な、強い、術者を、自分の手で、教育して、隠し育てれば。どんなに――面白いことだろうか。

 式神は、一度死んだ妊婦を蹴りとばして、衝撃で蘇生させた。腹から引きずり出された赤子についても同様だった。母親はそれから数年生きた。子どもは、母とともに町外れで暮らし、時折訪れる式神に、善意と好意を信じながら術を習った。

 一方、その子どもと同じ頃に生まれた一ノ瀬六葉には、術の才などほとんどなかった。けれど、幼い頃から気だてがよく、人から憎まれないでいた。病弱だった彼は、六つの歳に息絶えた。

 そうして、式神は、六葉の代わりのように、子どもを一ノ瀬へ連れてきたのだ。この妾の子を、不要と見なしていたはずの一ノ瀬の主は、陰陽師としての才が惜しくなったのか、そのまま子どもを受け入れた。死んだはずの、六葉の代わりに。

「連れてこられた余所者、それが、貴方様の主となった方。今、都に現れている、化け物呼ばわりされている子どもとやらの方が、一ノ瀬六葉本人であるというのに。貴方は何もご存じない」

「……六葉は、六葉じゃないの?」

 日和が六葉と呼んできた人は、では――本来とは別の名前で呼ばれ、本来とは違う生活をしているのだろうか。

(私が神じゃなくって、物の怪になっちゃった、とかみたいに?)

 知っているはずの人なのに、知らなかった――。

(ううん、知らなかった。私、六葉のこと知らなかったよ……)

「やめておしまいなさい、陰陽師など嘘偽りの権化。己の目的のために、人を欺く。逃げ出すのであれば、今のうちですよ」

 さぁ、と式神は、赤い舌を出して笑う。

(六葉が、六葉じゃなくて、それで、)

 少女は混乱した頭で、言い返し方を考えたがうまくいかなかった。

 式神はにやつきながら、主人が呼んでおりますので、私はこれで、と身を翻して、行ってしまった。

「さて。これでようございますか。一高様」

 式神は、建物の陰で問いかける。銀色の面も、むき出しの顔にも、薄ら笑いが張り付いていた。

 真白な髪を風に遊ばせて、一高が短く頷いた。

「少し、明かしすぎではあったかもしれないな」

「あぁそれは申し訳なく」

「だが……ご苦労だったね。父の式神に、無理を頼んですまなかった」

「いえいえ。毎度申している通り、面白ければそれでよいので」

 式神はそそくさと、建物の内に戻っていく。十分に見送ってから、一高はかすかに息を吐いた。

「あの神は、このような術者の家に、関わらない方がよい……六葉に嘘をつかれていた、と泣く羽目になっても、真実を知って、自ら去っていただく方がよいだろう」

 庭の梅の精が、不安げにこちらを見ている。一高は微笑んで、その場を後にした。

「六葉、六葉……!」

 怖いことを聞かされて、日和は焦っていた。

 今日、六葉の様子がおかしかったのは、本物の六葉が墓から出てきたからなのだろうか?

 一度父親の指示で殺されて、息を吹き返した、そして元の六葉が死んだから、今の六葉がいる、だなんて。

 人間は、何て怖いことを思いつくのだろう!

 日和は涙目で、建物に入り込む。自分の袖から伸びている細い糸は、きっと六葉に繋がっている、そのことに今更気がついた。

「絶対に、六葉を見つけなきゃ」

 じゃないと、泣き出しそうだった。

「ろーくはー!」

 絶叫が聞こえて、呼ばれた方はびくりと背を震わす。向き合っていた男は、それを観察してから声を出した。

「行って差し上げないのですか。呼んでおられますよ」

「尾上(おのえ)。それよりも……あの子どもを止めるのに、物理的な攻撃は許可されるのか?」

「六葉様。それを私に聞いて、どうなさるのです」

 尾上は呆れ混じりに苦笑した。彼の灰みを帯びた衣が、衣擦れの音をさせる。

「私どもは、一高様からは、現在、手を出すなと言われております。また、六葉様は私にとって主家に当たるので、なかなか頼みを断りきれない。苦肉の策として、こうして、事態の一部はお話いたしましたが……一ノ瀬の考えとして、あの遺体を損傷してよいかどうか、私には判断しかねます。どうかご容赦を」

「……悪かった。多くを話してもらった、それで十分だと考えるべきだった」

「改まらずとも結構ですよ、こちらも、術司が事態をだいたい把握している様子だと分かりましたので、おあいこです」

 外からは、甲高い、少女の悲鳴が起きている。ひどく泣いているようだった。

 尾上がちらちらと外を見やった。

「行って差し上げないのですか。あれでは哀れですよ」

「確かに、ひどい有様だな……」

 渋面で、六葉は御簾の外を透かし見る。

「もし、ここであいつを……いや、何でもない」

 礼を言って、六葉は腹を据えて外へ出る。

「泣くな! 何を泣いている!」

「六葉~どこ~」

 叫び声はすれども、姿が見あたらない。舌打ちして、六葉は声を頼りに探し歩く。

「見つけた……」

「ろっ、六葉~」

 日和はもこもこした髪を泥だらけにして、梅の木の下で、幼児のように鼻水まで垂らして泣いていた。

「どうした。いじめられたのか」

「違っ、六葉、いなかった、見つからなかっ、た、」

「今はここにいる。一人にして悪かった。尾上に……兄の部下に話を聞いていた」

「尾上……?」

 六葉は呪の書かれていない札で、少女の顔を拭く。宥めようとしたが、日和はうずくまって動こうとしない。仕方がないので、梅の精に断って、六葉も日和の隣に腰を下ろした。衆目があるが、知ったことか。

「六葉。六葉が六葉じゃないって、本当?」

 日和は、しゃくりあげるを止め、落ち着いた頃、ようやく口を割った。銀色の式神から知らされた内容をあらかた喋り、六葉を見上げる。

「それを聞いて、六葉の様子が変だったのってそれでかなって思って、」

「……そうか」

「六葉、一人で悩んでた? 違う人になって暮らすのって、辛いよね?」

「さぁ。六葉として暮らして、もう長いことになる。悩む暇もなかったしな」

「ごめんね、私、六葉のこと知らなかった」

「なぜ謝る。俺はお前に黙っていたのに。お前は俺を責めてもいい」

「何で?」

 きょとんとされ、六葉は視線を逸らした。

「偽物と罵られた方が、気が楽だ」

「何で」

「そうする者の方が、多いから」

 これまで――六葉は大人達の都合に振り回され、彼らに反発はしても、結局、一ノ瀬の者として振る舞い続けた。当初は呪詛でも何でも、やらされていたが、断ることもできなかった。

 呪詛など嫌だと思っていても、一ノ瀬に殺されるのも嫌だった。だから見事に仕事をこなした。

 それなのに、事実を知っている誰もが、言う。お前など、死んだあの子どもとは違う、偽物のくせに、偉そうにして、と。優秀であればあるほど、疎まれる。そして分かりやすい弱みにつけ込まれる。

 殺されるはずだったくせに、と。

 尾上からは、真面目すぎますねと言われたことがある。貴方は真面目すぎますね、あのような言葉に、いちいち頷いたり反発しておられる。

 六葉は、尾上の上司である一高のようには、振る舞えない。彼は正妻の子で――死にかけた母親から仮死状態で生まれ、かえって生死の境目を自在に行き来するような力を身につけ、微笑みながら易々と呪詛を請け負う。無論、一高は不真面目なのではなくて、割り切っているのだろう。あるいは、己の生まれについて、宿命について、何も感じていないのかもしれない。死なぬため、殺されぬため、優秀な術者であり続ける。

「六葉、きっと怖かったね」

 日和は、うつむいてため息をついた。

「神だって、親子で不仲なひともいるし、殺し合ったりしたことがあるんだって、聞いたことがあるよ。でも、考えただけで、私は辛いな……もっと早く出会ってたら、六葉のこと、助けられたのかな?」

「……」

 ばかばかしい正義感を振りかざすな、と憤ってもよかったかもしれない。何も知らないくせに。だが、日和はきっと、本気で胸を痛めているのだ。

「そんなことは、考えなくていい」

「六葉、他に名前がある?」

 衆目を気にして、六葉は黙る。

 梅の精が、日和と六葉の前に回り込んだ。彼女はにこりとして、衣を振って辺りに薄い紗幕を掛ける。これで、周囲の術者からは見えも聞こえもしないということだ。

 六葉はそれでも逡巡した。このちっぽけな、光の玉しか作れない者に、教える必要があるだろうか。必要かどうか判ずる以前に、ただ、口が動いていた。

「……りくは」

「りくは?」

「同じ字を書く」

 少女の掌に指で認(したた)める。日和が小さく頷いた。

「……よかった。じゃ、まったく違う名前を、普段呼んでたんじゃなかったんだ」

「よかった、か」

 どうだろうな、と六葉は思う。けれど裏腹に、胸は軽い。

「どっちの名前で呼んだらいい?」

「ろくは、でいい」

「六葉。分かった。……もし、陰陽師じゃなかったら、六葉はそんなに、辛そうな顔しなくて済んだ?」

「いや……陰陽師にならなければ、死んでいた」

 一ノ瀬に引き込まれたのは、六葉に陰陽師としての才があったからだ。何もなければ、どこかで死んでいるだろう。

 それに――一ノ瀬全体に対する呪詛などには、幼い頃は吐いてのたうち回って、耐えるばかりだった。今であれば、たいがいの呪詛は、屋敷や自身が持ち歩く形代が代わりに受けてくれる。陰陽師になっていなければ、自分はいない。

「俺が陰陽師でなければ、お前を呼び出すこともなかっただろうな」

 何の気なしに呟くと、日和はふわりと微笑んだ。

「そっか。じゃ、六葉が陰陽師で、よかったのかな」

 大したことを言われた訳ではないのだが、気は楽になる。

「六葉の様子が変で、どこかへ行っちゃうのかと思った。私のこと、いらなくなっちゃったのかと思ったよ」

「……」

「私、何にもできないかもしれないけど、何かしたい」

 日和に、ぎゅうっと、手を握りしめられる。

 ちっぽけで、でも、確かに明るい、小さな光。

 さて、と六葉は空を見上げる。鈍色で、先が見えない。梅の精が心配そうに、ちらちらと木の陰から様子をうかがっている。

 ――やはり、このままにはしておけないな。

 決めて、六葉は立ち上がった。手は、繋いだままだった。

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