第24話

 不機嫌な六葉が、家に戻ってきた。

 怪しげな仏像を抱えた遠藤が、魚をくれてから、そそくさと帰っていく。

「何があったの?」

 日和が聞いても、返事がない。

 六葉は黙って、書庫で書物を引き出しては戻している。

「教えてくれないんだったら、遠藤に聞きに行っちゃうよ?」

 書庫の前で言ったが、反応がない。

「も~何なのかな」

 日和はむくれて、階まで行く。

 曇り空で、日は見えない。それでも昼間らしく、灰色ながら景色は見えた。

「雨が降りそう」

 湿気で髪も重たい。六葉のところへ戻ろうとすると、当の本人が階まで出てきていた。

「六葉?」

「気が進まないが……確かめたいことがあるから、出かけてくる」

「どこに行くの? 明日にしない?」

 遠くから雷らしき音が聞こえる。

 六葉は顔をしかめながら、返事もなく階をおりる。

(怪しい)

 何が怪しいのかもよく分からないが、このままにしておくと、六葉が迷子にでもなりそうだ。ついていくことにする。

 歩いて、歩いて、大きな屋敷の裏門の前で、六葉は止まった。

 枝から烏が飛び立ち、やかましく鳴きながら旋回している。

 六葉が、不意に少女を見て顔をしかめた。

「お前……ついてきていたのか」

「ずっと隣を歩いてたよ! 気づかないなんて六葉、今日はおかしいよ」

「あぁ、そうかもしれないな。あの子ども、衣の裾の紋様に、微妙に心当たりがある……」

「子ども? 何?」

 六葉はやはり答えない。

(やっぱり、変だよ)

 二人で裏門から踏み込んだ。以前来たことがあるが、その時とは違い、屋敷は静まり返っていた。

「ここって、六葉の実家なんだよね? 六葉、何かあったの?」

 裏庭に立っていた犬が、平伏してから一声吠えた。こちらに向かっての挨拶かと思ったが、違う。六葉の視線の先に、犬の主人らしき、堂々とした男が立っていた。

「やぁ、今日はどうしたのかな」

 にこにこと機嫌よく、男は手を振っている。仕草はとても上品だ。着ている衣はどこにでもある浅葱色。整った顔立ちで、仕草と相まって、貴公子めいている。

 だが異様だった。

 若い男だが、真っ白になった髪を結わずに、さらりと背に流している。

 ここが、陰陽師を輩出する一ノ瀬の屋敷であることを思い出して、日和は身震いする。

(前に来たとき、怖い道具とか、変な人がたくさんいたし……)

 この男の人だって、綺麗だけれど、きっと、怖い。

 男は、穏やかに口を開いた。

「久しいね、六葉」

「お久しぶりです。兄上」

 六葉が儀礼的に一礼する。

 日和も挨拶しようと思ったが、その前に気になる違和感があって、声をあげた。

「あの、この声、どこかで聞いたことがあるけど……」

「そうだね。一度会っているよ」

 日和は記憶をたぐってみる。以前、六葉の実家であるここへ来たときに、橘の木の下で待たされた。そして、この声を聞いたのだ。――力をなくしたから、自分の意志でここにいる、と言った、その声を。

「あの、引きこもり! の人ですよね」

「ははは」

 引きこもり呼ばわりされた男は、六葉に似ていて、それより幾分か大人びた顔で、鷹揚に笑っている。

 彼に怒られないと見て、日和は安心して思ったことを口に出した。

「引きこもりをやめて、出てきたんですか。じゃ、ちゃんと自分で見られたんですね。梅」

「まぁ、そうだね」

 ここから距離はあるが、周辺に怪しげな術者らしき影が立っていて、殺気のようなものを放っている。彼は袖を軽く振って、勇み足の彼らを追い払った。

 その隙に、六葉が日和の衣を引っ張った。日和の耳に口を寄せる。

「わっ、びっくりした、なっ何ですかっ」

「……一高(いちたか)は、一ノ瀬の跡継ぎと目されていた。今でも心酔する者が多い。下手なことを言って、周囲に敵を作るな」

「この人、一高って言うんですか?」

「陰陽師として有能だったが、あるときから急に術力を失った」

 六葉の説明が聞こえたのか、一高がこちらに向かって説明する。

「自分でも、術が使えなければ足手まといであるとは見たものの、自死する思いきりもなくてね。そもそも、そうしようにも、部下が引きずられてどうにかなりかねなかったし」

 事情は以前聞いたのと同じだった。

「ご謙遜を。力をなくされたことすら、ご自身の計略ではないかという噂もあります。そのくらい、貴方は術力と技術に長けておいでだ。術力がなくても、いくらでもやっていけるでしょう」

「おやおや。皆、私に対しては買いかぶりがすぎるんだ」

 六葉に対して、ふふっと、一高は軽く笑った。

「それで、今日は何の用事かな?」

「都を騒がす、子どものなりをした呪具についてはすでにご存じのはず。一ノ瀬の縁者か否か。見立てを知りたい」

「六葉。君は、堅苦しくていけないな。点は半分もあげられない」

 一高の物言いは、あくまでも優しい。

「あれがもしも、一ノ瀬の――」

「そうだなぁ。お兄様、と呼んでくれたら教えてあげてもよいかも」

「お兄様」

「……一瞬の躊躇いも恥じらいもないと、それはそれで寂しいものだね」

 一高は苦笑して、日和の方へそっと囁く

「六葉は子どもの頃から、私になかなか懐かないんだ」

「そうなんですか?」

「余計なことを吹き込まないでください」

 六葉が睨みつけるが、一高は微笑んだままだった。

「六葉はね。六つの頃まで本当によく泣いたよ。転んだと言って泣き、物の怪が出たと言って泣き」

「物の怪って……ここ、すごくたくさんいるよね? しょっちゅう泣いてたってこと?」

「そうだね。あの子には大変だったと思うよ」

 六葉が遮ろうとする。だが一高は素早く言葉を継いだ。

「六葉はね……赤ん坊の頃はとてもよく泣いていた。三つの頃なんて、ずっと僕の袖を掴んで離さない。術比べなんてしたことがなくて、僕がうまく術が使えなくて悔しくて泣いていても、「兄上」ってとっておきの砂糖菓子をひとかけくれるんだよ」

 今の素っ気なさとは大違いだ、と言わんばかりに、一高は残念そうだった。

「六歳の頃に、一度屋敷からいなくなった。戻ってきたときには、術を使えて、すっかり生意気になっていて」

 それはそれで可愛らしいのだけれどね、と一高は懐かしむように目を細める。

「もういい。他を当たる」

「他へ聞いてもよいけれど。六葉。私には力が戻っていないとはいえ、まだ皆が私に従う状態であること、ゆめゆめ忘れないようにね」

 話にならないと見なして、六葉が足音高く、建物にあがってしまう。

「それではね、可愛らしい方。梅に会う機会をくれた貴方に、私は恩義がある。何かあったら、いつでも呼んで」

 一高も、優雅な礼をして、六葉とは別方向へ歩きだす。

「恩義って……私はただ、梅は自分で見てねって言っただけで」

 あっと言う間に、日和は一人、取り残されてしまった。

 橘の下に行ってみるが、こんなことをしていても埒があかない。

(勇気出して、六葉を探そうかな)

 また、先日のような怖いものを見るのは、心底嫌なのだが――六葉を一人にしてはいけない気がする。

 踏み出した、そのときだった。

「人をお探しですか?」

 ぬるりと、男の声がした。

 反射的に、日和は逃げ出しそうになる。

(何これ)

 声の主は、顔の半面を銀色の覆いで隠していた。目は氷のように青白い。

(人間じゃない)

 おぞましいまでに、気配が暗い。

 日和は、呪い、という言葉の意味を、ひしひしと感じる。本能的な恐怖があった。

「ご案内いたしましょう若い方」

「け、結構です!」

 物の怪と下手に交渉すると、言質を取られかねない。

「若い方。貴方は、偽物の六葉様の、式神でしょう」

「わっ、私は偽物なんかじゃないです!」

 思わず言い返してしまった。体中に布を巻き付けた物の怪は、人に近い容姿で、きょとんとした。

「おやおや、おやおや? 貴方が式神ではないとは、申しておりませんが」

「え、じゃ、何が偽物――」

「ご存じないのです? あっは、これはおかしい」

 ばかにされて、少女は唇を曲げる。

「とにかく、どうでもいいから。それじゃ!」

 会話を拒否して、逃げようとしたが、耳は言葉を捉えてしまった。

「あぁあぁ、残念だなあ。本物の一ノ瀬六葉が祟りに来ているというのに、この、偽物の式神はそれを知らず、義憤に駆られているとは! あぁ嘆かわしい。あぁ面白い」

「どういうこと……?」

 立ち止まったが最後、だった。

「私はねぇ、面白いことが好きなもので。お知りになりたいですか?」

「どういう、意味なの……?」

 ぺろりと舌で己の顔をなめ取って、その物の怪は口早にこう語った。

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