第24話
*
不機嫌な六葉が、家に戻ってきた。
怪しげな仏像を抱えた遠藤が、魚をくれてから、そそくさと帰っていく。
「何があったの?」
日和が聞いても、返事がない。
六葉は黙って、書庫で書物を引き出しては戻している。
「教えてくれないんだったら、遠藤に聞きに行っちゃうよ?」
書庫の前で言ったが、反応がない。
「も~何なのかな」
日和はむくれて、階まで行く。
曇り空で、日は見えない。それでも昼間らしく、灰色ながら景色は見えた。
「雨が降りそう」
湿気で髪も重たい。六葉のところへ戻ろうとすると、当の本人が階まで出てきていた。
「六葉?」
「気が進まないが……確かめたいことがあるから、出かけてくる」
「どこに行くの? 明日にしない?」
遠くから雷らしき音が聞こえる。
六葉は顔をしかめながら、返事もなく階をおりる。
(怪しい)
何が怪しいのかもよく分からないが、このままにしておくと、六葉が迷子にでもなりそうだ。ついていくことにする。
歩いて、歩いて、大きな屋敷の裏門の前で、六葉は止まった。
枝から烏が飛び立ち、やかましく鳴きながら旋回している。
六葉が、不意に少女を見て顔をしかめた。
「お前……ついてきていたのか」
「ずっと隣を歩いてたよ! 気づかないなんて六葉、今日はおかしいよ」
「あぁ、そうかもしれないな。あの子ども、衣の裾の紋様に、微妙に心当たりがある……」
「子ども? 何?」
六葉はやはり答えない。
(やっぱり、変だよ)
二人で裏門から踏み込んだ。以前来たことがあるが、その時とは違い、屋敷は静まり返っていた。
「ここって、六葉の実家なんだよね? 六葉、何かあったの?」
裏庭に立っていた犬が、平伏してから一声吠えた。こちらに向かっての挨拶かと思ったが、違う。六葉の視線の先に、犬の主人らしき、堂々とした男が立っていた。
「やぁ、今日はどうしたのかな」
にこにこと機嫌よく、男は手を振っている。仕草はとても上品だ。着ている衣はどこにでもある浅葱色。整った顔立ちで、仕草と相まって、貴公子めいている。
だが異様だった。
若い男だが、真っ白になった髪を結わずに、さらりと背に流している。
ここが、陰陽師を輩出する一ノ瀬の屋敷であることを思い出して、日和は身震いする。
(前に来たとき、怖い道具とか、変な人がたくさんいたし……)
この男の人だって、綺麗だけれど、きっと、怖い。
男は、穏やかに口を開いた。
「久しいね、六葉」
「お久しぶりです。兄上」
六葉が儀礼的に一礼する。
日和も挨拶しようと思ったが、その前に気になる違和感があって、声をあげた。
「あの、この声、どこかで聞いたことがあるけど……」
「そうだね。一度会っているよ」
日和は記憶をたぐってみる。以前、六葉の実家であるここへ来たときに、橘の木の下で待たされた。そして、この声を聞いたのだ。――力をなくしたから、自分の意志でここにいる、と言った、その声を。
「あの、引きこもり! の人ですよね」
「ははは」
引きこもり呼ばわりされた男は、六葉に似ていて、それより幾分か大人びた顔で、鷹揚に笑っている。
彼に怒られないと見て、日和は安心して思ったことを口に出した。
「引きこもりをやめて、出てきたんですか。じゃ、ちゃんと自分で見られたんですね。梅」
「まぁ、そうだね」
ここから距離はあるが、周辺に怪しげな術者らしき影が立っていて、殺気のようなものを放っている。彼は袖を軽く振って、勇み足の彼らを追い払った。
その隙に、六葉が日和の衣を引っ張った。日和の耳に口を寄せる。
「わっ、びっくりした、なっ何ですかっ」
「……一高(いちたか)は、一ノ瀬の跡継ぎと目されていた。今でも心酔する者が多い。下手なことを言って、周囲に敵を作るな」
「この人、一高って言うんですか?」
「陰陽師として有能だったが、あるときから急に術力を失った」
六葉の説明が聞こえたのか、一高がこちらに向かって説明する。
「自分でも、術が使えなければ足手まといであるとは見たものの、自死する思いきりもなくてね。そもそも、そうしようにも、部下が引きずられてどうにかなりかねなかったし」
事情は以前聞いたのと同じだった。
「ご謙遜を。力をなくされたことすら、ご自身の計略ではないかという噂もあります。そのくらい、貴方は術力と技術に長けておいでだ。術力がなくても、いくらでもやっていけるでしょう」
「おやおや。皆、私に対しては買いかぶりがすぎるんだ」
六葉に対して、ふふっと、一高は軽く笑った。
「それで、今日は何の用事かな?」
「都を騒がす、子どものなりをした呪具についてはすでにご存じのはず。一ノ瀬の縁者か否か。見立てを知りたい」
「六葉。君は、堅苦しくていけないな。点は半分もあげられない」
一高の物言いは、あくまでも優しい。
「あれがもしも、一ノ瀬の――」
「そうだなぁ。お兄様、と呼んでくれたら教えてあげてもよいかも」
「お兄様」
「……一瞬の躊躇いも恥じらいもないと、それはそれで寂しいものだね」
一高は苦笑して、日和の方へそっと囁く
「六葉は子どもの頃から、私になかなか懐かないんだ」
「そうなんですか?」
「余計なことを吹き込まないでください」
六葉が睨みつけるが、一高は微笑んだままだった。
「六葉はね。六つの頃まで本当によく泣いたよ。転んだと言って泣き、物の怪が出たと言って泣き」
「物の怪って……ここ、すごくたくさんいるよね? しょっちゅう泣いてたってこと?」
「そうだね。あの子には大変だったと思うよ」
六葉が遮ろうとする。だが一高は素早く言葉を継いだ。
「六葉はね……赤ん坊の頃はとてもよく泣いていた。三つの頃なんて、ずっと僕の袖を掴んで離さない。術比べなんてしたことがなくて、僕がうまく術が使えなくて悔しくて泣いていても、「兄上」ってとっておきの砂糖菓子をひとかけくれるんだよ」
今の素っ気なさとは大違いだ、と言わんばかりに、一高は残念そうだった。
「六歳の頃に、一度屋敷からいなくなった。戻ってきたときには、術を使えて、すっかり生意気になっていて」
それはそれで可愛らしいのだけれどね、と一高は懐かしむように目を細める。
「もういい。他を当たる」
「他へ聞いてもよいけれど。六葉。私には力が戻っていないとはいえ、まだ皆が私に従う状態であること、ゆめゆめ忘れないようにね」
話にならないと見なして、六葉が足音高く、建物にあがってしまう。
「それではね、可愛らしい方。梅に会う機会をくれた貴方に、私は恩義がある。何かあったら、いつでも呼んで」
一高も、優雅な礼をして、六葉とは別方向へ歩きだす。
「恩義って……私はただ、梅は自分で見てねって言っただけで」
あっと言う間に、日和は一人、取り残されてしまった。
橘の下に行ってみるが、こんなことをしていても埒があかない。
(勇気出して、六葉を探そうかな)
また、先日のような怖いものを見るのは、心底嫌なのだが――六葉を一人にしてはいけない気がする。
踏み出した、そのときだった。
「人をお探しですか?」
ぬるりと、男の声がした。
反射的に、日和は逃げ出しそうになる。
(何これ)
声の主は、顔の半面を銀色の覆いで隠していた。目は氷のように青白い。
(人間じゃない)
おぞましいまでに、気配が暗い。
日和は、呪い、という言葉の意味を、ひしひしと感じる。本能的な恐怖があった。
「ご案内いたしましょう若い方」
「け、結構です!」
物の怪と下手に交渉すると、言質を取られかねない。
「若い方。貴方は、偽物の六葉様の、式神でしょう」
「わっ、私は偽物なんかじゃないです!」
思わず言い返してしまった。体中に布を巻き付けた物の怪は、人に近い容姿で、きょとんとした。
「おやおや、おやおや? 貴方が式神ではないとは、申しておりませんが」
「え、じゃ、何が偽物――」
「ご存じないのです? あっは、これはおかしい」
ばかにされて、少女は唇を曲げる。
「とにかく、どうでもいいから。それじゃ!」
会話を拒否して、逃げようとしたが、耳は言葉を捉えてしまった。
「あぁあぁ、残念だなあ。本物の一ノ瀬六葉が祟りに来ているというのに、この、偽物の式神はそれを知らず、義憤に駆られているとは! あぁ嘆かわしい。あぁ面白い」
「どういうこと……?」
立ち止まったが最後、だった。
「私はねぇ、面白いことが好きなもので。お知りになりたいですか?」
「どういう、意味なの……?」
ぺろりと舌で己の顔をなめ取って、その物の怪は口早にこう語った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます