6 六葉
第23話
6 六葉
大路(おおじ)に風が吹き、土くれを吹き上げてさらってしまう。大路自体は舗装されてはいても、都のあちこちはまだ均された土の道だ。どうしても風で煙ることがある。
そんな大路を、小柄な影が歩いていく。歩くというより、足を引きずって、上から糸で吊されているかのように歩かされていた。
衣は土まみれ、顔も手足も泥がべっとりとついている。
うつろな目が、道端の人間とぶつかった。人間は、ひっと息を飲んで退く。
歩いているのは、どうやら子どものようだった。土気色の肌、ぼろぼろの衣、まるで、ついさっきまで土に埋められていたかのような姿。
何人かが走って逃げていく。子どもは手を伸ばして、人や物にすがろうとする。が、どれもうまくいかなかった。子どもはよろよろと前進する。
そんな中、大路の中程に、一人の男が立ち止まった。冠もあり、黒とはいえ複雑に紋様が織り込まれた衣を着ている。
「埋められて間もないのかな? 子どもは柔らかいから、土に溶けやすいし、古いものではなかろうな」
男はぶつぶつ呟きながら、するりと腕を差し伸べる。その指先が天を指したとき、ぽつ、と雨が、石畳の上に小さな丸を写し落とした。
「大神畏み畏み申す。かそけき風のごとき者を清げなる水にて清められよ」
雨が、ぽつぽつと地面を打つ。何ということもない雨粒が、子どもにも当たる。子どもが突然、悲鳴をあげた。衣や肌に、小さな穴が開き始めている。
子どもは雨から逃れる場所を探して、大きく左右に蛇行した。
「かわいそうに」
男は少しだけ悲しそうに、子どもを見つめた。
「すまないね……まさか、そこまで悪いものになっているとは思わなかった。ただの清めの術だったのだが……」
子どもが、げえげえと奇妙な悲鳴をあげながら歩き回る。やがて、思い出したように走り始めた。
「何……⁉」
とっさに男が別の術で足止めしようとしたが、子どもは石畳に浮かんだ紋様を軽々と飛び越えた。
慌てて男は追いかける。人々が驚いて、鋭い悲鳴をあげ始めた。
*
「というわけなのだよ」
御手洗のところでそんな話を聞かされ、六葉はいくらか眉をひそめた。
「朝(あした)様は、浄化するために術をかけたのでしょう? 死人に誰かが呪いをかけて動かしていたのだとしても、呪いは浄化の術によってすぐほどけるはずだった。それが、かえって死人を追いつめて、走れなかったものを走らせるようになってしまった」
「その通り。彼の術で浄化できなかったこと、取り逃がしたことが気にかかる」
「その子どもは、祓いの術から身を守れるような呪いまでも、その身に受けていたのでしょうか」
「そういうものがあるのかね?」
「呪詛を行う者は、次々新しい手口を考えるもの……」
「確かに、祓われまいとして知恵を絞って作られる呪いもあるが……祓いに長時間触れて無事でいるということはないものだ」
「しばらく祓いの雨に打たれても、無事だった……よほど基礎体力がある」
「基礎体力と呼んでいいのか分からんが、祓いの名手である朝(あした)の技に耐えたのは事実だな」
ともあれ、と御手洗は顔を曇らせる。
「朝(あした)は、大路の尽きた辺りで見失ったらしい。現在、本人は熱病にうなされていて」
「その子どもにかかっている呪いの気に、あてられたのでしょうか」
「まぁ、そう見るのが妥当だろう。朝(あした)については、我々がかなり手をかけて浄化はした。すでに疫神もいない、しばらく休めば回復するだろう。問題なのは、朝の取り逃がした子どもだ」
「それほどしつこい呪いであるなら、早晩、目的の相手のところに現れますね」
「うむ。このままにしておけない。子ども自体は衣がずいぶん腐っていて、どこの家の者かも判別つかないそうだが……追跡の術で、じりじりと追っているところだ」
「私も見回りに出ればよろしいですか」
それが本題だろう。分かりきったことだ、と六葉は理解して外へ出ようとする。御手洗は慌てて、六葉を呼び止めた。
「違う、いやそうではあるのだが、それだけではないのだ」
「それだけではない?」
御手洗の歯切れが悪い。
見回りに出ろ、というだけではない? どういうことだ?
六葉は嫌な予感と、あまり聞きたくないという気持ちを、腹の底に押し込めた。
「どういうことですか?」
「最初、子ども自体が術を使う様子はなかったのだが……どうも、大路から離れるときに何かしたらしい。攪乱のための術。惑わしの術だ」
「術者本人が近くにいて、子どもを逃がすために行ったのでは?」
「子ども当人が使った可能性もある……」
「……それも、死後に術者に仕込まれて使用した、というよりは、生前が術者であったと考えられる、と仰りたいのですか?」
「そうだ。我々で調べていたが、その可能性が強い」
話が読めてきた。六葉は、かすかにため息をつく。
「御手洗様は、子どもの正体を、ご存じなのですか」
「まだ、確証がない」
「だが、御手洗様は、それが術者の一族の子どもだと仰る……本件の子どもは、一ノ瀬の墓から掘り出されたのか?」
「一ノ瀬から返事は来ていない」
「……怪しいな。しかし、子どもを掘り返したのは、一ノ瀬の術者であるのかどうか。一ノ瀬はこれまで、たびたび呪詛の仕事を引き受けてきました。呪詛返しもまた行ってきた。つまり、他の術者に恨まれる要因はいくらでもある」
「一ノ瀬を狙って、他の術者が引き起こしたのか、それは分からない。いずれにせよ、警戒を怠らぬよう……血筋を頼って、懐かしんで接近してくる可能性が高い。もし一ノ瀬の死体であれば、六葉くん、気をつけるように」
「むしろ、家に戻って様子を確かめた方が早いかもしれませんね。ちょうど先日、実家の様子は見に行っておりますが……今更私が行っても、事情が掴めるかどうか。すでに、朝様が苦戦したという知らせは広まりつつあるものと思われます、一ノ瀬の術者とて静かにしておくかと」
「六葉くん。気をつけて」
行け、ということだろう。
回りくどい御手洗の言いように、六葉は苛立つ。だが即座に否やは唱えられない。
気が進まないまま、官庁を後にした。
*
すでに、化け物が出たと噂になっており、大路は閑散としている。それでも、一部にはいつも通りの市が出ていた。
市の品を覗いて気を紛らわせながら、六葉は歩く。
(何か、いるな)
ぴちり、と、水っぽい足音がついてきている。
(先日使いそびれた札が、残っている)
六葉は懐を確かめる。寿命帳の一件の際に、道士である遠藤が寄越して、使わずじまいだった札だ。
もし御手洗の言っていた通り、呪いで動かされている子どもが、一ノ瀬に連なる者であれば。自分が普段使う術では、手の内がばれていて、効果が出ないかもしれない。
(実戦で道術を使った者は、まだこの国にさほどいまい)
幸い、札は三枚ある。
試してみるのも悪くはない。
人通りの少ない場所まで来て、六葉はおもむろに札を放った。
鋭く空を切り、札は、過(あやま)たず、背後に立っていた者にぶつかる。
それはやはり、子どもだった。
ぼろぼろの衣と、土色の体からは、死臭が強く漂っていた。
札は、子どもにぶつかった後、へろりと落ちた。
何も起きない。
「不発……!」
何ということだ。道術らしき気配は確かにくっついていたのに、この札ときたら不発だった。六葉は札を罵った。
「不発とは! まるで札の作り手そのものだな!」
「呼んだ? え? おれ、罵倒されてるみたい?」
突然、遠藤が返事をした。六葉は慌てて周囲を見回す。
「遠藤か? これはお前を呼び出す札だったのか?」
「いやいや、まったく。前にあげた奴だよね? 君が変な使い方したのかな……本当は、きのことか、適当なものが出てきて、敵の足止めをするんだけど。雨で湿気てたのかな? 自分は買い物に出た帰りの、通りすがりなんだけど」
六葉は、言い訳する遠藤をようやく見つけた。本人の申告通り、遠藤は市から帰るところらしい。背負った袋からは、がらくたと――何だその木彫りの仏像は――淀んだ目をした魚がはみ出していた。
「魚は飽きたのではなかったか……?」
太公望(仮)がしょっちゅう魚を寄越すせいで、遠藤は魚に飽きているはずだ。それなのに魚を買って帰るのか? 怪訝そうな六葉に、遠藤は必死で首を振る。
「違う違う! 魚は買ったんじゃないの、売って、野菜と変えてもらった残りなの!」
「そうか……」
思わずくだらない話をしてしまった。六葉は我に返り、もう一枚の札を遠藤に押しつける。
「やれ……!」
「えっ何を……?」
見ろ、と六葉は子どもを指さした。遠藤がすぐに渋面になる。
「あれ、死体? 誰があんなことを?」
「知るか」
「道術でも、陰陽のうち陽の土地に埋めたら死体が動くっていうけど、この辺には適した土地もないし。ってことは無理矢理誰かが動かしてる? あっ、でも、そっちだって陰陽師でしょう、何でこっちに道術を使わせようとするんですか~」
六葉は真顔で遠藤に告げた。
「相手の術の様子を確かめたい。俺の手の内は見せたくない」
「うわっ正直な人だな……いいですよ、分かりましたよ」
札を押し返して、遠藤は仏像を道に置いた。仏像に手を当てたまま、子どもに向き直る。
「これ……中に入ってるから……」
何が入っているんだ。
「ごめんね!」
遠藤が叫ぶが早いか、仏像の口がぱかりと開く。中から桃色の煙が溢れだして、子どもをぐるりと取り囲んだ。煙の中から小型の仏像が大量に飛び出してくる。
「えぐいな」
「市で売られてたんだ。こういうのを官庁に持っていったら、高値で買ってもらえるからさ~あれっ?」
桃色の煙が、急に拡散した。煙たい上に、視界が利かない。辺りはすぐに見えなくなる。
こうして、六葉と遠藤は子どもを取り逃がした。
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