5 帰還

第19話

5 帰還


「何だろもやもやするな~」

 日和は、階(きざはし)に腰掛けてため息をつく。

「何でだろ~」

 人の世に来てからというもの、何か変だ。

 本来はそれほど悩まないたちなのだが――神世にいるときは、宴会で蒸し返されない限り、自分があまり役に立たないことも忘れている――何か引きずっている。

 小萩に目の敵にされたのを、まだうっすら引きずっている? 引きこもりの人が、力がなくて落ち込んでいたのを思い出す? 六葉に、あまり当てにされてない感じがする?

 結局、あんまり役立っていない気がする、から。

「うぅ」

 胸が苦しい。

 留守番中に、日和がしょげていると、ばさばさと羽音が近づいてきた。

「姫様~」

「えー? 誰だっけ」

「姫様!」

 半泣きの小鳩が、翼を打ち鳴らして落ちてくる。

「ごめんごめん、冗談だって」

「姫様は! もう! 私どもの心配を何だと思っておいでなのです」

「だって。爺(じい)も、よその神へ伝令に出かけるついでに、私のところに来るだけでしょ。私のことはどうでもいいっていうか、大丈夫だと思ってるのかな~って」

「そのようなことはございません! そりゃあ、あのろくでもない小僧は、姫様を下女のように扱われてはおられぬ。どうやら不敬ながら姫様を物の怪と呼びつつも、危険な目には遭わせるわけではない。そう考えたから、爺は様子を見ているのでございます」

「危険か~」

 日和は頬杖をついて思い返す。ヤモリ、風神、南斗真君、六葉の家の不気味な者達……この小鳩はたいてい、絶妙に、危険な目に遭っていないときに現れている気がする。

(見られてたら、強制送還だな~)

 内心の声が伝わったのか、小鳩は年長者の威厳を取り戻すように胸を張った。

「あまり長居すると、落ちますぞ。神というものは、地上に長くいすぎては本分を見失うのです。父上様もお寂しいのか、姫様を捜しておいでですぞ」

「捜してるかな~?」

 少女はうろんげに空を見上げる。薄曇りだが、太陽はくっきりと浮かんでいた。

「どうかなぁ~本当に?」

「当たり前です! たまに姫君達を集めて、悪い虫に引っかかっていないか確認されるでしょう! 見あたらぬ姫君が数名おられるので、これから始めると仰せですぞ」

「あ~、父様が未婚の女神を連れてきて宴をやる、あれかぁ……別に私がいなくたって」

 小鳩が勢いをなくし、日和の顔を覗き込む。

「姫様、ひどく元気がないご様子ですね」

「うん……あのね。六葉に、いらないって言われるのやだなって思ってね」

 涙ぐんでしまう。まだ、実際に言われたわけでもないのに。

「憂鬱なのは、人の世に長くおられるせいですぞ」

 不機嫌な顔で、小鳩が言う。

「そうなの? 爺はいっつもそう言う」

「そんなにこちらがよいのであれば、逆にこまめに父上様の元へ戻られてください。人の世に合わせていると、やがて規律されていた実体がゆがんできて、本分を忘れて壊れてしまうのですから」

「規律?」

 小鳩がため息をついた。

「ぼんやりなさっている、その原因の何割かは、姫様が光の神の一種であるという本分を、お忘れであるからでしょう」

「一種……」

 ちょっとまた涙が出てきた。

「ほらほら、憂鬱になっておられる。本来の貴方を取り戻すのです、姉姫様もお待ちですよ!」

「でも、六葉が……心配する、かな?」

「あんな小僧、心配など勝手にさせてやりなさい」

「うぅ……愛想尽かされちゃわない?」

 小鳩は思う。尽かされようが何しようが、知ったこっちゃありませんよ。でも、たぶん自分の大事な姫様は、それをねちねち気になさるだろう。それも腹が立つ。

「大丈夫です。さっと行って、さっと帰れば問題ない」

「そうかな~? あっ、置き手紙しよ」

「姫様。あの者は神職ではありません。神代の言葉は読めますまい」

「そうかな~? 六葉のことだから、調べたらすぐ分かりそう……でも私が書いたら、下手すぎて文字って分かんないかも……?」

「そんなにご心配でしたら、私が残って伝言いたしますから」

「そっかー。爺、六葉に糞を落とすって最初言ってたのに、引き受けてくれるんだ?」

「大事な姫様のためですから」

 小鳩は胸を張った。

 日和は視線を庭へやる。白々と明るい、人の世界。

「……うん。一度、帰ろっかな……」

 こんなにもやもやするのは、きっと、自分の具合が、とても悪いから、だ。

 鼻水をすすりながら、少女は駆け出す。一瞬後には、きらりと光って消えてしまった。

「ふう、やれやれ」

 小鳩は、空気の中の、神世との繋がりの気配を辿った。日和がきちんと、父神のいる世へ行ったことを把握する。

 自分も、このまま飛んで帰ろう――と思ったが、一足早く、黒い衣の男がやってきた。

 階(きざはし)の辺りに、小鳩がいる。

 家の主は、慎重に周囲を見回した。

「……あいつはどうした?」

「姫様ですか?」

 つん、と嘴をあげて、小鳩は素っ気なく言い放った。

「存じませんねえ。私はほら、羽づくろいをしていたもので」

「何の遊びをしているのか知らないが……」

 屋内は、やけに静かだ。

 以前、留守番中の少女は暇すぎて、六葉の伝令用の小型式神と碁を打っていたことがある。そちらを見たが、道具は元のまま置かれていた。子ども用の読み書きの絵本なども与えてあったが、こちらも、重ねられたままで、少女の姿は見あたらない。

 少し、焦る。

「外に出かけたのではあるまいな……」

 小鳩が、びくっと背を震わせる。

 六葉は見逃さず、小鳩に視線を定めた。

「知っているな?」

「さて何のことでしょう」

「屋敷にかけた術で、あいつがいないことは分かる。毛をむしられたいか?」

「あっそういえば!」

 小鳩が反射的に応答した。

「姫様は、戻られましたよ。元の場所へ」

「……ほう?」

「貴方のような無礼者は見限られたのです! 不敬を反省しなさい」

 開き直った小鳩を睨んだまま、六葉は呟く。

「元の場所というのは、あの社の辺りか?」

「あれは単なる出入り口です」

「物の怪の巣窟に帰ったと?」

「違います。神の社に戻られたのです」

 しばし沈黙があった。

 紙の式神らが、いつも通り、片づけなどして回っている。以前と何ら変わらぬ屋敷だが、以前より広くて静かな気がする。

 六葉は考えた。

 静かで寂しいとかは気のせいだとして、重要なのは、今年は柑子の農家に、実が生ったら多めに貰えるよう頼んであることだ。柑子が好物な少女が屋敷にいたから、そうしておいた。このままでは、実の生る季節に、柑子屋敷になってしまう。

 つまり、柑子を食べる者がいないと困る。

 結論が出た。

「では迎えに行く」

「なぜです! というか人間にはどだい無理な話で――」

「できなくはない」

 蜘蛛をつけたままだからなと、六葉は動じない。迷子防止で少女につけていた、あれのことだ。きらきらとした糸の先は、中空でふっつりと途切れ、けれど落ちもせず、ゆらゆらと揺れている。この先は、まだ繋がっているのだ。

 小鳩が、羽で顔を覆い隠した。

「あぁっ……そんな小道具を姫様につけたままに……!」

「だが、道案内があればもっとたやすかろうな」

「あ? 何を見て……ぎゃっ」

 小鳩は、六葉に唐突に掴みあげられ、悲鳴を上げた。

「何をするのですか! この不届き者!」

「あれは俺の式神だ。案内しろ」

「式神などではない! あの方は……ごほん、とにかく、どのみち男にはどだい無理なのですよ。姫様が行かれたのはおそらく南神殿。父上様がご用意された、未婚の女神の集う宴の館です」

 鼻息荒く、小鳩は叫ぶ。

「何だか珍妙なところに行ったのだな。酌もできなさそうなものを」

「まぁ姫様は確かにできないほうでしたけれど、お前みたいな人間に言われるのはどうかと! 思いますがね!」

「つまり女しか入れない、だから俺には無理だと言うのか」

「そうですよ。ちなみに私は、父上様のご信頼厚く、入れぬところなどないのです!」

 小鳩の自慢の余韻が消える頃、六葉が、うっすらと微笑んだ。

「それはよかった。しばし待て、着替えてくる」

「は? 女しか入り込めぬのですぞ? ……まさか、女装でもするのですか? まさかまさか……」

「その、まさかだが」

 小鳩は、六葉をまじまじと見る。確かに面立ちは整っているし、声も優しくすれば美しい。だが背丈もそれなりにあるし、どうしたって男は男だ。

 だが、六葉は動じない。小鳩が逃げぬよう、術で蜘蛛のように細い糸を結びつけてから、小鳩から両手を離した。

「巫女舞いの舞手が足りないときに、手伝わされたことがある。衣をかぶって派手な化粧をして、大人しくしていれば、ごまかせる」

「いや、派手な化粧なのに大人しくと言われても」

 しかもまだ、小鳩は連れていくとは言っていない。だが、小鳩は気圧されて(怪しげな糸で縛られもしたし)待ってしまった。

 待ってから、後悔した。これは……。

 衣を変えて現れたのは、背はすらりとしているが、どう見ても大人びた美女である。

「声色を本格的に変えるには、術を使う必要が出てくる。できれば力は温存したいので、声は変えず、風邪を引いたことにしておく」

「はぁ。まぁ……」

 かすれた声は確かに六葉で、けれど、小鳩は不覚にもしばし見とれた。それを知っていて、六葉は艶やかに微笑んだ。

「どうです? わたくしであれば、問題ございませんでしょう」

「確かに、神ばかりとはいえ、雑用する者がいなくもない、人間であっても、連れていってもおかしくは……」

 問題ないどころか、これでは他の神々に言い寄られて大変になるのではないか。女神ばかりとは言ったが、客はいるのだ(しかし客は少ない上になりすますのが難しい。潜入するなら、女の下働きや楽人がよい)。

 いける、と思った途端、小鳩は元の世へ戻る力を使ってしまった。

「あぁっ、しまった……!」

 はっと気づいたときにはもう、小鳩は、住み慣れた世界に戻っていた。美しい女人、に見える六葉を連れて。

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