第18話

「お前……もしや?」

 女の圧が、やや薄まる。

 平伏した物の怪達をちらと見て、女はふうと息を吐いた。

「うちの式神が何やら失礼を働いたようだね」

「え、いえ、このひと達は何もしてません……私がちょっと、聞いただけで」

「何をお聞きになりました?」

 物言いが少し柔らかくなった。日和は、拳を握りしめる。

(この人、私が何なのか分かってるんだ)

 こういう、態度の変容には、慣れてきたが……嫌な気持ちはある。神としては、当たり前に享受できる、人間から差し出される「尊重」の態度なのだろう、けれど。

(そんなの嫌だな)

 六葉に会いたい。

「……えーと、いいです。大丈夫です、それじゃ!」

「まあまあ、そう逃げ出さずともよいではないですか。神にとって人間のすることなど児戯に等しい。宴の席くらい見て帰られませぬか」

(やっぱり! この人も、私を引き留めようとする)

 何かに、利用しようという感じが見え見えだ。

「いいです遠慮します! ろっ、六葉が探してると思うし」

「六葉? アレには貴方は重すぎるのでは?」

「うえっ?」

 お前など六葉に見合わない、そう言われると思ったのだが、日和の方が重いと言われた。瞬きした日和に、女は艶やかな笑みを崩さず、少しだけ眉をひそめた。

 つやつやの爪が、すべらかな指先が、日和の頬に軽く触れる。

「おいたわしい。私のところへいらしたら、貴方にこのようなみすぼらしい格好は決してさせません。お好きな花はございますか? 光の神。この国のものに飽きておられれば、外国(とつくに)の珍しい物品もお見せしますよ」

「そ、そういう問題じゃないんで、す」

 美しい人に悩ましげに見つめられても、ひたすら、とても怖かった。

 よく見れば、女の笑い方は、仕事中の六葉に似ている。顔立ちも近い。一ノ瀬の家の術者だろう。六葉の親兄弟なのかもしれない。

(でも、六葉は違うもの! こんな、こと、言わない)

「やめて差し上げなさいませ。困っている」

 困惑を滲ませて、第三者の男が割って入った。

「喜葉(きよう)様は、いつも人を困らせる」

「何だと。私など可愛いものではないか? 六葉は狩人を気取っているが、ろくなことをしていないじゃないか!」

 喜葉と呼ばれた女は、眉を上げて、胸を張った。

「それに比さずとも、私は素晴らしいよ? 誰でも私の元で最高に輝ける!」

「ご自慢は、そのくらいにしてください。六葉様のところにいるのであれば、ひどい事件に関わることもありましょうが、やる側ではなく受けて立つ側。攻撃する側である喜葉様の気配に怯えて当然……」

「おい。お前誰に向かってそんな口を利く」

 喜葉が冷ややかに言うと、再び、当初の威圧感が戻ってくる。

 対して、日和の前には、頼りなげな男が一人、立つだけだった。

(どうしよう! 助けてくれそうな人が、返り討ちにあうかも)

 物の怪達はさっさと行方をくらましているし、味方になりそうな人は他にいない。

 しかし、ひょろりとした人の良さそうな男は、簡単には屈しなかった。

「やむを得ないから、申し上げているのです。私が不要なときにご進言申し上げたことがありましたか?」

「……だから嫌いなんだ!」

「神を怯えさせて、その不興を被るよりは、甘ったれた弟君にそのままくれておしまいなさいませ」

「お前もたいがい不敬だよなあ。三実(さんみ)の母である私にその態度。一高(いちたか)はよく、お前を生かしている」

「一高様は、大変素晴らしい方ですから」

 男が平然と言ってのける。

 反吐が出る、と言わんばかりの殺気を放ちながら、喜葉は退場した。

「いつでも、私の元へ来られるがよい」

 最後までそんなことを言っていたが。

「行きませんもんねー!」

 日和は、絶対に聞こえないだろう距離が開いて、姿が見えなくなってから、用心しながら言ってやった。ちょっとすっきりした。

 男が呆れた風に言った。

「……貴方は変わった方ですね」

「えっ、あの、今の、さっきの人に言いつけたりしないよね?」

「しませんよ面倒くさい。……六葉様を捜しておいでですね? こちらへ」

「案内してくれるんですか?」

「しますよ」

 当たり前のように男が答える。日和はおそるおそる聞いてみた。

「あの……貴方は何ですか?」

「何、とは?」

「えっと……物の怪で式神っていうひとが、早く逃げろって私に言いました。貴方は式神? 私に逃げろって言います?」

「逃げろと言うなら、六葉様のところへ案内しませんよ」

 男は、歩きながら話しましょう、と言ってくれた。貴方のような者は、ここでは目立ちます、とも。

「私は尾上(おのえ)。一ノ瀬の長子、一高様の護衛を務めております」

「護衛って、いつも主人の側にいるんじゃないの?」

 日和が見る限り、尾上は一人で歩いている。彼の主人はどこだろう。きょろきょろしていると、尾上は苦笑気味に答えた。

「一高様は、現在引きこもってらっしゃいますから。ご自身で丁寧に組み上げた古い術式の中においでなので、私が始終お側にいなくても安全で、大丈夫なのですよ」

 とんでもない感じの話だった。さっきも引きこもりがいたが、一ノ瀬の家では流行しているのだろうか。

「でも、岩戸に引きこもってたら寂しくならないの?」

「お一人で集中された方が、気分がよいのでしょう……私どもがしょっちゅうご相談に訪れるので、うんざりされているかもしれませんね」

「そうなんだー……」

「六葉様ですよ」

 尾上の声に顔をあげる。確かに、最近見慣れてきた、六葉がいた。

「よかった~やっと見つかったよ~」

「それでは、私はこれで」

 尾上が一礼して引き返す。

「あっ、ありがとう尾上!」

「呼び捨てですか……まぁそうですね、こっちは人間ですし」

 尾上は一瞬腑に落ちない顔をしたが、灰みを帯びた衣を翻し、そのまま行ってしまった。

「どこへ行っていたんだ」

 庭に降りていた六葉が、難しい顔をして近づいてくる。

「それはこっちの台詞だよ! どこに行ってたの」

「面倒な顔合わせは一通り終えた。お前には、ここで待っていろと言ったのに」

「だって」

 管弦楽は向こう側の庭と家屋で行われていたが、こちらの北庭は木も少なく、広くて人気(ひとけ)がない。

「暇だったから」

「……ほう」

(しまった、今のはまずかった)

 首をすくめて、考える。

「それに、木の下に首が転がってきてたりしたよ? 怖かったもの」

「首? 一ノ瀬配下の術者の式神だろうが……もしや、それが怖くて逃げ回っていたのか? あちこちでイタチが出たとか言われていたのはお前か」

「イタチじゃないよ。確かにびっくりして走り回ってたけど、人が噂してるのが私のことなのか分かんない」

「お前は……!」

 ぐいぐいと、六葉が袖で少女の顔を拭う。

「何? 何でごしごしするの」

「泣くな」

「泣いてない!」

「涙目になっていた」

「いろんなことがあったもの! 首だけとか、髪の毛だけとか、鱗とか、」

「何?」

 いくつかの名を挙げられたが、それが物の怪の名なのか主人の名なのかも分からなかった。

「名前が分かるものだとね、キヨウって女の人が怖かった」

 六葉が少女の顔を拭う手を止め、吹き出した。

「アレにも会ったのか」

「六葉のお父さんにも会ったよ」

「……お前、よく無事でいたな」

「そ、そうなんだ、やっぱり……」

 うっかりすると、あのまま廊下から動けなくなっていたかもしれない。そんな気はする。

「捕まったら油搾り取られそうだったよ」

「油は絞らないが、お前の力を利用するだろうな。わずかであっても……」

「それとね、六葉は、ろくなことをしてないって。家の人が言ってた」

「そうだろうな」

 六葉は驚かない。当たり前のように肯定した。

「あいつらからすれば何もしていないだろう。だが、俺はどうせ術者であるのならば、呪詛する側よりも優秀な、それを防ぐ者でありたい。……その方が格好いいだろう」

 意外と庶民的な発言だったが、日和は嬉しくなって答えた。

「うん、呪うより、させない方がかっこいいよ!」

 面はゆげに六葉が目を逸らす。

「さて、これでしばらくは戻らずに済むだろう。無闇に面倒に巻き込んで、悪かったな」

「結局、六葉は何しに来てたの?」

「たまにこうして、一ノ瀬の総領が術者を揃えて様子を確認することがある。一度やれば数ヶ月はないはずだ」

「父様の、大宴会みたいなものなのかな~?」

 清々したと言いたげに、六葉が足早に敷地を出る。ついていきながら、日和は、人間っていろいろあるんだなぁ、としみじみ思う。

 そうして――六葉に、引きこもりの人間に出会ったことや、梅の話をするのをすっかり忘れて、帰っていった。

「長く、一人にしていて、悪かったね」

 梅の木の側に立ち、彼は呟く。梅の精は首を傾げた。彼の周りをくるりと回る。

 梅の精は、彼をひとしきり検分してから、ご無事でよかった、と細い息を吐き出した。

「心に掛けてくれて、ありがとう。さすがに、長寝しすぎたよ」

 彼が微笑むと、梅の精が手を伸ばす。彼女の触れた、彼の髪は、雪のように白かった。

「みっともなくて、君の前に出られなかった。術返しに失敗してね……でも、失うものが術力と、髪色くらいで済んでよかったのかもしれない。だって、命までなくしていたら、君に会えなかったから」

 結界を出る踏ん切りがついたのは、あの、不思議な神のおかげだった。力がなくても、弱くても、懸命に生きていたし、……梅のことを思い出させてくれた。

「いつか、恩返しをしなくてはね」

 彼の呟きに、梅の精がまた首を傾げる。彼は微笑んで、宙に漂う彼女を見上げた。

 静かに、見つめ合う。

 だが、急に周囲が騒がしくなった。

「あれはまさか」

「そんなはずは」

「一高様!」

 ひときわ強く名を呼ばれ、彼は少し肩をすくめた。

「私が心配を掛けたのは、君だけじゃないね。さぁ、仕事に戻ろう」

 雅やかな顔立ちに、苦笑を浮かべて、一ノ瀬一高はゆっくりと屋敷に戻っていった。

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