3 北斗と南斗と寿命帳

第13話

3 北斗と南斗と寿命帳


 燭台の明かりが、ふうっと揺らぐ。

 いくつもの読経、あるいは呪詛返しの声が折り重なり、耳にするだけで船酔いしたように頭がゆらゆらしてくる。

 六葉は顔色一つ変えず、静かに、薄暗い廊下を通り抜ける。招き入れられた先には、寝付いた子どもが一人、いた。父親らしき丸顔の男が、転がるようにして室内に入ってくる。

「助けてくれ、一ノ瀬は皆出払っているし、東西(とうざい)も九暁(くぎょう)も大葉(おおば)も、不在であった」

(それは体(てい)よく断られたのだ)

 遠くからでも一目で分かる。子どもの死相が強いのだ。疫神を祓ったとしても、あまり長くはないだろう。

「僧侶も、何も皆集めた、手を尽くした、だのにどうにもならんと皆言う! 術司にも断られた、帝の類縁、尊い我が子を、誰が救える」

(それで、術司から俺に回ってきたわけか)

 断るか、行って「手を尽くしたがどうにもならなかった」と答える他ない。今回は後者だった。

 一応一通り看ているうちに、細面の奥方まで入ってくる。子どもの病が移ることを恐れず、すがりついて泣いている。

(これが、親子というものだろうか)

 男の方は、自身の顔にこびりついた脂汗をしきりと拭っている。うつろな調子で、ぶつぶつと続けた。

「どいつもこいつも、無理だと言う……えせ道士だの法外な寄進を進める僧侶など、どれも役に立たなかった。あの加西という輩だけ喜色で寄ってきたが、一人分の命に足りる術力のためには、三十余人は殺せなどと物騒なことを言う。その上、とんでもない値の、珍妙な道具がほしいなどと」

「失礼ながら……加西に依頼されたのですか」

「まさか! 一月以上かかると言うのだ、この二、三日が山なのに、それほど待てるか!」

 二、三日で効果が出るのならよいのか。

 六葉は表情を変えないように気をつけた。

「それはようございました。禁呪に手を出されたとあれば、いくら尊き身とはいえど、日の当たる場所では暮らせなくなりますので」

 厭わしげに睨まれたが、六葉は気づかぬふりで、手当を続ける。

(加西か……子どもをだしに、何かを手に入れようとしている可能性もあるな。そうであれば、加西がこの子どもを呪っているかもしれない)

 だとしても、これほど様々な術者達が呪詛返しや守護の術を続けていれば、もう加西は手も足も出ないだろう。

(はめられたのか……哀れな子どもだな)

 これまでの加西の手口を思い、六葉は自然とため息をつく。

 それを合図に、ふと奥方がこちらを見た。

「貴方、あら、この方は……?」

「あぁお前。一ノ瀬の者だよ、術司から派遣してもらったのだ」

「一ノ瀬……あぁ、では以前、貴方と碁を打ったことがあるのではなくて? それで見た覚えがあるのですわ……」

「そういえば、そんなこともあっただろうか。春先の宴で、いろんな者と打ったものだな」

 子どものことが気にかかるのか、男の方は奥方を見ない。奥方は熱に浮かされたように口走った。

「ねえ貴方、わたくし、碁で思い出したのですけれど……大陸の方では、碁を打つ仙人がいて、捧げものをすると、寿命を書き換えてくれるのではなかったかしら」

「は? 何を言っておるんだ」

 夫婦でもめだすのを横目に、六葉はまずいことになったなと、内心で眉をひそめた。

 妻の方が言っている事跡は、確かに聞いたことがある。だが、容易な話ではない。

 夫の方が諫めてくれることを、六葉は願った。やがて夫が、真剣な顔で振り返る。その手は、子どもの手を握っていた。

(これは面倒なことになった)

 半ば諦めて、六葉は内心でそう呟いたのだった。

 何だかんだで、ヤモリ事件及び風神事件から数日が過ぎた。

 六葉について出かけたり、留守番を命じられたりしながら、日和はぶらぶらと過ごしていた。時々、小鳩の爺(じい)が様子を見に来る。だが、戻る気のない日和に嘆息しながら、すぐに神世に帰っていく。爺も忙しいようだった。

 今日は、日和は留守番だった。六葉から、絶対に家を離れるなと言われている。

 こんなにお天気がいいし――父様の機嫌は悪くないし――危険はない。六葉は心配性だなと思う。それとも、機嫌の悪い物の怪でも出るのだろうか。怪しい人間が呪詛などかけてくるのだろうか。

 日和は、うんと伸びをした。

 屋敷には、誰もいない。

 時折、御簾を上げたり掃除する何かはいるが、皆気配が希薄だった。紙でできた式神だ。話しかけようにも、せっせと働いており、移動時は、すうっと白い影が明滅しながら滑っていくので、止めるのも悪い気がする。

「うーん」

 遊びにいこうにも、行くあてもない。家にいろと言われているし。ぶらぶらと部屋を回る。怪しげな品があるかと思ったが、どこも綺麗に片づけられていた。何も、なかった。書庫らしきものはあったが、難しそうなので近づかない。鼻歌を歌いながら戻ると、文机の近く、壁際に盤が一つ見えた。碁石もある。

「碁か~。でも、一人じゃ、ちょっとな~」

 そもそも、日和はそれほど得意ではない。だが暇だった。

 ちょうど文机の下に隠れていた、小型の物の怪を発見した。六葉の式神らしく、他の、紙の式神達に捕まえられたりしないモノだ。これなら、遊び相手にしてもよいだろう。やり方を教えると、嫌々ながら碁石を置いてくれる。

 遊んでいると、六葉が帰ってきた。

「碁か」

「碁、嫌いなの?」

 渋面なので聞いてみたのだが、嫌いになりそうだ、という微妙な答えが返ってきた。

「ある、やんごとなき身分の子どもが死にかけている。手を尽くしたが、どうにもならない。……だが、奥方が妙なことを思い出し、俺に寿命帳の書き換えを依頼した」

「じゅみょーちょー?」

 話の途中で、六葉が建物の奥へ引っ込む。紙の人達が、四方へ散っていき、まだ戻ってくる。

「さて、行ってみるか……お前も行くか?」

「うん、よく分かんないけど、暇だし」

 六葉は重たげな荷物をさげていた。小さい包みを持たされる。

「これ何?」

「酒と鹿肉」

「え? 六葉、酒盛りでもするの?」

「しない。道教の資料を集めている道士を訪ねる」

「何でお酒? 道士って人が酒飲みなの?」

 一つため息をついて、六葉が歩きながら話してくれた。

 昔、大陸で、南斗六星を見ると寿命が延びると言われていた。それはこんな理由から。

「ある若者が、成人まで生きられないと言われたが、出会った老人の指示に従い、桑畑で碁を打つ二人の老人に酒と肴を提供した。老人達は生と死を司り、人が生まれたときにその寿命を台帳に記している。彼らは酒肴の返礼として、寿命帳で若者の寿命に細工をして書き足し、若者は長寿を得て帰還した」

「へ~。それで、死にかけている子の寿命も書き換えてもらうんですか?」

「そうしょっちゅうできることではない」

「当たり前だと思いますけど」

 そんなに簡単にいくのなら、病の者も皆生き返るではないか。

「……あの子どもは今上帝ゆかりの家の者。人の命を無理に変える道理もないが、できぬと言えない事情がある。行くだけ行って、断られた場合は書面を貰って証拠とする」

「代筆して、行ったことにしたりしないの?」

「辿り着けなければ、そうする」

 あまり辿り着きたくなさそうだった。

 日和はしみじみと呟いた。

「六葉、仕事って大変なんだね」

 そうだなと、静かな肯定が返ってきた。

「そこで、大陸の道術を扱う道士である遠藤(えんどう)様に、南斗真君(なんとしんくん)の元へ行く道をお教え願いたく」

「うへっ? おれ?」

 茶色い髪を結いもせず野放図に伸ばした男が、声を裏返して身を起こす。

 夕顔等の多くの蔦に絡めとられた、今にも倒れそうな小さな屋敷(どちらかというと小屋)で、六葉は姿勢を崩さず、そうだと答える。

 遠藤は慌てて早口になった。

「でも、おれ、多少の道術が使えるだけだよ? 今、事情は話してもらったけど、南斗真君……寿老人の家とか知らないし……。君は一ノ瀬なんだよね? 確かあそこの一番目が、死んで生まれてきたって聞いたことあるよ。生死の境の話であれば、その人に頼った方がよくない?」

 死んでるのに生まれるというのも妙な話だ。日和が、説明してほしい、と見つめていると、六葉は口を開き直した。

「あれのことは置いておいてください。出産時に母親と共に一度死んで、ひっぱたかれて生き返っただけの男です。死者の国と道を繋ぐことは可能でも、戻ってこられるかどうか。そもそも、死者の国へ直接行ったところで、死にかけた子どもを追い返すことはできても、すぐに子どもは黄泉路に戻ってしまうでしょう。また、南斗真君は星の下にいる。死者の国に行ったところで、彼に寿命帳の書き換えを依頼することはできない」

「えっ、追い返すことができるんなら十分じゃないの、それ、」

「昼寝中のところ、叩き起こしてひっくり返しておいて申し訳ないが」

「うわっ」

 するりと手を差し伸べて、六葉が遠藤をひっくり返した。

 目を白黒させて、遠藤は慌てる。

「何、何? 何なの?」

「こうして、お願い申し上げている」

「それってお願いなの? 何か脅されてるみたいなんだけど。えぇと、おれにできることだったら、脅さなくてもやるよ。でも何だろ、何をしたらいい?」

「南斗真君の元へ行く道を」

「だから分かんないってば」

 裏返されたままで漢籍をめくり、遠藤は口を曲げる。

「どうかなぁ……おれも、道術の世界に繋がる道を探そうとしたことはあるよ。そりゃ。仙人に会いに行こうとしたし、そのために大陸に行く遣使の受験もしたよ? けど行ってない」

「行ってないの?」

「うん。狭き門だったから受かんなくてね。直接大陸へ行けないのなら、って、異界を繋ぐ道を研究はしていたよ」

 でもね、と遠藤は顔をしかめる。

「ここの庭、異界に繋がるんだよ。でも、仙女の可愛い子ちゃんがいるわけじゃないし。ひたすら霧と、険しい山だよ? 後は爺さんばっかりだよ?」

「……道術を学ぶのには最適な場所に繋がっているような気がするが」

「そうかな? 真っ白い髭のお爺ちゃんと一緒に、日がな釣りをしたりさぁ。お爺ちゃん達に弁当持たされて、一緒に遠足に行って、草抜いて、それと、通りすがりの兎の怪我を治してやったり」

「微妙に仙人に出会っている気がしなくもないが」

「えっ? 兎? あの爺ちゃん達? ないと思うけどなあ」

(これってもしかして)

 聞いているうちに、日和はむずむずする。我慢できなくなって、顔をあげた。

「あっ、あのっ! 私のこと、何に見えます?」

「え? 何って?」

 六葉も呆れつつ、黙って見守っている。

「えーと。何か、可愛い、子ども? この人と兄妹? なの?」

「違います」

 六葉が素早く切り返した。日和の方は、興奮して六葉の袖を掴んで揺さぶった。

「やっぱり! この人、神が分からないんだよ! 見えてるけど分かってない! きっと真君に出会ってても、分かんないんだ!」

「なぜ鼻息荒くこちらを向くんだ」

「だって! 六葉も分かってないよ」

 日和は、男二人に困惑気味に見返された。だんだん勢いがなくなっていく。

「だって分かってない……」

 六葉がおざなりに日和を宥めた。

「分かったから。まぁそれはさておき。遠藤様。その道とやらに、案内していただけますか」

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