第14話

「ほんとに、ほんとに、やるの?」

 遠藤は疑わしげだ。

「一応、星の位置がこの角度に来たとき、霧が出ていれば繋がることもあるよ。この辺ね」

 ぼろぼろの屋敷だが、庭に小さな川が流れている。小川の上流は、もこもこ茂った蔦で見えない。日が暮れかかり、物が見えづらくなってくる。明かりを持っていた遠藤に、六葉が戻れと、手で示した。

「邪魔だ」

「えー? おれがいた方が安全なんじゃないですか? おれ、どんどん雑な扱いになってる気がするんですけどー」

「明かりになるものなら持っている。霧の中に入った後、翌朝までに戻らなければ、お前が迎えに来てくれ」

「一緒に行くよー? 爺ちゃん達は単なる爺ちゃんだと思うけど、短気な人もいるから、君達に何かあったら困るし。そりゃ別に、人を殺したりはしないと思うけどさー、いたずらで人を迷子にさせることがあるから」

 遠藤は、しばし迷っていたが、結局留守番を了承した。そして、いくつか道教の守り札を書いて渡してくれた。

「いざとなったら、投げたりしていいからね」

「投げると何が起こるの?」

 日和も一枚貰ったが、札の周りに、不思議な色の光が見える。神とも物の怪とも違う力だ。

「追いかけてくる者に対する足止めとかだよ。地面からきのこが生えてきたり」

 すごいんだかすごくないんだか、分からない術だった。

 ともかく、日和は遠藤に見送られ、六葉と二人で、霧の中に踏み出した。

 霧が晴れると、周囲はひたすら険しい山だった。

 赤茶色の岩肌をよじ登ると、どうにか、道らしきものが見える。

(ここ、どこなんだろ)

 歩いているうち、霧に覆われた池に辿り着いた。

 池の側に人がいる。白い髭の老人だった。

 こちらに気づき、老人が目をすがめた。

「何じゃ? お前ら……」

 六葉が素早く一礼する。

「お初にお目にかかります。私は遠藤の知り合いの者」

「……ふん」

 釣り竿を揺らして、老人は再び池に釣り針を投げ込んだ。

「あいつめ……穴を塞がぬなら見張っておけと言ったのに。こんなよそ者が入り込んだわ」

「御前は……太公望ですか」

「そういうもんじゃねえなあ」

 老人はにやりと笑った。近くの桶を指さすので、日和はそっと中を覗いた。

「わー、鯉?」

「鮒だ」

「いっぱいですねー」

「……なるほど、太公望というわけでもないと」

 何しろ、ちゃんと釣っている。太公望ならば考えごとが主で、釣りは形だけ。魚を釣らない。

「お邪魔をして申し訳ございません、私は南斗真君を探しています」

「ほ? そりゃ……面妖だな」

 ちら、と老人がこちらを見た。

「……変な匂いさせやがって」

「香木ですか?」

「こぢんまりした島国の、こぢんまりした珍妙な術のことじゃねーよ。お前がお前を生きてないっつってんだよ魂の話だよ」

「意味を分かりかねます」

 何だか、分かっているような簡単さで、六葉が応じる。

「御前。南斗真君、別名寿老人が、どの辺りにおいでかご存じありませんか」

 老人が億劫そうにため息をついた。

「南斗なー……最近見てねえなあ。死んでんじゃねーかなー」

「南斗真君が跡継ぎを迎えておられれば、その方でも問題ないのですが」

「お前、南斗に会いに来たんじゃねーの」

「碁を打ちに」

 ひやひやと、霧の混じった風が吹いてくる。辺りは切り立った岩山で、草や木がちょこちょこ生えているだけだ。鳥や獣の姿が見えない。

「碁ねぇ……」

 顎をかいて、老人が鋭い目をこちらに向ける。

「お前、やりてぇことは、本当に碁だけか? 目的次第じゃ、ここから先へは行けないぜ」

「南斗真君達がいつも同じような面子で打っているのであれば、人間とはいえ別の手を持つ者は、存外よい暇つぶしになるのでは」

「そうかぁ? そっちのお嬢ちゃんも、黙ってるが、碁をやるのか?」

「えっ? 父様とか、姉様とやったことはありますけど」

 今回、南斗真君と自分が打つとは聞いていない。おろおろしていると、六葉がすっと口を開いた。

「碁は私が。これは、式神です」

「式神ねえ……」

 うろんげな顔をされた。仙人相手なので、たぶん、日和の正体など筒抜けだろう。

「まぁ、何でもいい。俺は釣りで忙しい」

 苦いような、薬の匂いをさせた袖で、しっしっと追い払われる。六葉が食い下がった。

「このまま、山を登れば会えますか」

「知らねえなあ」

「釣果がよければ、道を教えてくださいますか」

「あ?」

(こ、怖いんですけど!)

 相手の顔は、髭に覆われていてほとんど見えない。だが、ものすごくしかめられているのが分かる。

「お前、俺と釣りの勝負をするってえのか」

「えぇ」

 近くの小枝を拾い上げ、懐から出した糸をかけて、六葉は微笑む。

「うっそくせえ笑い方しやがって。これで美女なら考えてやったが、野郎には用はねえよ」

(世俗的な仙人だなあ……)

 六葉はあっと言う間に釣り道具を仕立てあげると、池から魚を釣り上げた。

「そんな魚いたか?」

「いたのでは?」

「そうかあ? つまらん幻術なんぞで俺を騙そうと考えるなよ」

「幻ではありませんが」

「……面白い。このままここで遊んでいけ」

「えっ、でも早く行って、帰らないと、遠藤が心配するよ。六葉!」

 日和は慌てて声をあげた。呼ばれた方は、のんきげに魚を桶に放している。

 老人の方は、再び大儀そうなため息をついた。

「遠藤か……それなら、仕方ねえな」

 顎をしゃくって、「上へ行きな。そのうち分かる」と、雑な教え方をする。

「ありがたいことです」

「やかましいわ。帰りに魚持ってって遠藤に渡せよ。それでちゃらにしてやる」

 しばらく歩く。足下の石ころはごつごつしていて、踏むと足をひねりそうになった。

 老人が小さくしか見えなくなってから、日和はそっと口を開く。

「……遠藤さんって愛されてるね」

「何を言ってるんだ、お前は」

「だって、あの仙人のひと、最初は私達のこと、ここから返すつもりもなかったよ。遠藤の名前を聞いたから、魚持って帰っていいって言ってくれた」

 六葉はあまり気にしていない様子だが、遠藤の名がなければ、危険だったのではないか。

「お前が気にしなくても問題ない。余計な心配をするより、いざというときに、お前の特技が使えるように気力を温存しておけ」

「特技? これ?」

 よその地なので、うんと集中して三つくらい光の玉が作れるくらいだ。

 うっすらと一つ作ろうとしたところで、

「力の無駄遣いをするな」

 六葉が顔をしかめる。

 そのままさっさと歩いていってしまった。

「……ねー六葉」

「何だ。ついていけなくなってきたか? 足にまめでもできたのか」

 思ったより気遣われているようだが、それにしては六葉が足を止めない。

「違うけど……」

「だろうな。足並みが乱れていない。それなりに体力はあるようだな」

「そうなんだけど。何か、ずっと同じ景色だし飽きてきた」

 六葉がしばし沈黙する。

「……もう少し我慢しろ」

 それ以外に、確かに言いようもないのだった。

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