第14話
*
「ほんとに、ほんとに、やるの?」
遠藤は疑わしげだ。
「一応、星の位置がこの角度に来たとき、霧が出ていれば繋がることもあるよ。この辺ね」
ぼろぼろの屋敷だが、庭に小さな川が流れている。小川の上流は、もこもこ茂った蔦で見えない。日が暮れかかり、物が見えづらくなってくる。明かりを持っていた遠藤に、六葉が戻れと、手で示した。
「邪魔だ」
「えー? おれがいた方が安全なんじゃないですか? おれ、どんどん雑な扱いになってる気がするんですけどー」
「明かりになるものなら持っている。霧の中に入った後、翌朝までに戻らなければ、お前が迎えに来てくれ」
「一緒に行くよー? 爺ちゃん達は単なる爺ちゃんだと思うけど、短気な人もいるから、君達に何かあったら困るし。そりゃ別に、人を殺したりはしないと思うけどさー、いたずらで人を迷子にさせることがあるから」
遠藤は、しばし迷っていたが、結局留守番を了承した。そして、いくつか道教の守り札を書いて渡してくれた。
「いざとなったら、投げたりしていいからね」
「投げると何が起こるの?」
日和も一枚貰ったが、札の周りに、不思議な色の光が見える。神とも物の怪とも違う力だ。
「追いかけてくる者に対する足止めとかだよ。地面からきのこが生えてきたり」
すごいんだかすごくないんだか、分からない術だった。
ともかく、日和は遠藤に見送られ、六葉と二人で、霧の中に踏み出した。
*
霧が晴れると、周囲はひたすら険しい山だった。
赤茶色の岩肌をよじ登ると、どうにか、道らしきものが見える。
(ここ、どこなんだろ)
歩いているうち、霧に覆われた池に辿り着いた。
池の側に人がいる。白い髭の老人だった。
こちらに気づき、老人が目をすがめた。
「何じゃ? お前ら……」
六葉が素早く一礼する。
「お初にお目にかかります。私は遠藤の知り合いの者」
「……ふん」
釣り竿を揺らして、老人は再び池に釣り針を投げ込んだ。
「あいつめ……穴を塞がぬなら見張っておけと言ったのに。こんなよそ者が入り込んだわ」
「御前は……太公望ですか」
「そういうもんじゃねえなあ」
老人はにやりと笑った。近くの桶を指さすので、日和はそっと中を覗いた。
「わー、鯉?」
「鮒だ」
「いっぱいですねー」
「……なるほど、太公望というわけでもないと」
何しろ、ちゃんと釣っている。太公望ならば考えごとが主で、釣りは形だけ。魚を釣らない。
「お邪魔をして申し訳ございません、私は南斗真君を探しています」
「ほ? そりゃ……面妖だな」
ちら、と老人がこちらを見た。
「……変な匂いさせやがって」
「香木ですか?」
「こぢんまりした島国の、こぢんまりした珍妙な術のことじゃねーよ。お前がお前を生きてないっつってんだよ魂の話だよ」
「意味を分かりかねます」
何だか、分かっているような簡単さで、六葉が応じる。
「御前。南斗真君、別名寿老人が、どの辺りにおいでかご存じありませんか」
老人が億劫そうにため息をついた。
「南斗なー……最近見てねえなあ。死んでんじゃねーかなー」
「南斗真君が跡継ぎを迎えておられれば、その方でも問題ないのですが」
「お前、南斗に会いに来たんじゃねーの」
「碁を打ちに」
ひやひやと、霧の混じった風が吹いてくる。辺りは切り立った岩山で、草や木がちょこちょこ生えているだけだ。鳥や獣の姿が見えない。
「碁ねぇ……」
顎をかいて、老人が鋭い目をこちらに向ける。
「お前、やりてぇことは、本当に碁だけか? 目的次第じゃ、ここから先へは行けないぜ」
「南斗真君達がいつも同じような面子で打っているのであれば、人間とはいえ別の手を持つ者は、存外よい暇つぶしになるのでは」
「そうかぁ? そっちのお嬢ちゃんも、黙ってるが、碁をやるのか?」
「えっ? 父様とか、姉様とやったことはありますけど」
今回、南斗真君と自分が打つとは聞いていない。おろおろしていると、六葉がすっと口を開いた。
「碁は私が。これは、式神です」
「式神ねえ……」
うろんげな顔をされた。仙人相手なので、たぶん、日和の正体など筒抜けだろう。
「まぁ、何でもいい。俺は釣りで忙しい」
苦いような、薬の匂いをさせた袖で、しっしっと追い払われる。六葉が食い下がった。
「このまま、山を登れば会えますか」
「知らねえなあ」
「釣果がよければ、道を教えてくださいますか」
「あ?」
(こ、怖いんですけど!)
相手の顔は、髭に覆われていてほとんど見えない。だが、ものすごくしかめられているのが分かる。
「お前、俺と釣りの勝負をするってえのか」
「えぇ」
近くの小枝を拾い上げ、懐から出した糸をかけて、六葉は微笑む。
「うっそくせえ笑い方しやがって。これで美女なら考えてやったが、野郎には用はねえよ」
(世俗的な仙人だなあ……)
六葉はあっと言う間に釣り道具を仕立てあげると、池から魚を釣り上げた。
「そんな魚いたか?」
「いたのでは?」
「そうかあ? つまらん幻術なんぞで俺を騙そうと考えるなよ」
「幻ではありませんが」
「……面白い。このままここで遊んでいけ」
「えっ、でも早く行って、帰らないと、遠藤が心配するよ。六葉!」
日和は慌てて声をあげた。呼ばれた方は、のんきげに魚を桶に放している。
老人の方は、再び大儀そうなため息をついた。
「遠藤か……それなら、仕方ねえな」
顎をしゃくって、「上へ行きな。そのうち分かる」と、雑な教え方をする。
「ありがたいことです」
「やかましいわ。帰りに魚持ってって遠藤に渡せよ。それでちゃらにしてやる」
しばらく歩く。足下の石ころはごつごつしていて、踏むと足をひねりそうになった。
老人が小さくしか見えなくなってから、日和はそっと口を開く。
「……遠藤さんって愛されてるね」
「何を言ってるんだ、お前は」
「だって、あの仙人のひと、最初は私達のこと、ここから返すつもりもなかったよ。遠藤の名前を聞いたから、魚持って帰っていいって言ってくれた」
六葉はあまり気にしていない様子だが、遠藤の名がなければ、危険だったのではないか。
「お前が気にしなくても問題ない。余計な心配をするより、いざというときに、お前の特技が使えるように気力を温存しておけ」
「特技? これ?」
よその地なので、うんと集中して三つくらい光の玉が作れるくらいだ。
うっすらと一つ作ろうとしたところで、
「力の無駄遣いをするな」
六葉が顔をしかめる。
そのままさっさと歩いていってしまった。
「……ねー六葉」
「何だ。ついていけなくなってきたか? 足にまめでもできたのか」
思ったより気遣われているようだが、それにしては六葉が足を止めない。
「違うけど……」
「だろうな。足並みが乱れていない。それなりに体力はあるようだな」
「そうなんだけど。何か、ずっと同じ景色だし飽きてきた」
六葉がしばし沈黙する。
「……もう少し我慢しろ」
それ以外に、確かに言いようもないのだった。
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