第12話
六葉が呪符を大量にまく。嵐でいっせいに吹き飛ばされるが、上空で嵐の影響が途切れると、気流に乗って戻ってきた。落下する――小鳥が川の中の魚を突き刺すように、一気に落ちる。
小萩と風神の間、石畳に叩きつけられた呪符達は、ぶうんと音を立てて左右に散らばる。
「散!」
さらに横へ、横へと、一枚ずつ広がり、呪符は領域を広げていく。風でいくらか吹き飛ばされるが、また戻ってくる。
「小癪なああ!」
風神が嘆いている。
「人間など……多少若く、ふさふさといえど、調子に乗らせておくものかあぁあ!」
「私は獣ほどふかふかはしていません」
見当違いの怒りを募らせる風神に対して、毅然と、六葉が声を放った。
「私は人間ですゆえ、貴方が獣神のごとき体毛を誇っていたことも、今は人に近い姿であることも、どちらも貴方の一面であり、それが貴方の魅力を損なうものであるとは思いません。どうかお鎮まりくださいませ」
「う、うぅう……」
風神は身悶えする。姿がちらちらと、中空で明滅する。
「騙されんぞお!」
ひときわ強い風が起こった。虫達がびゅんびゅん飛んでいく。そう簡単には、信じてくれないのは分かっている――六葉は他の術を試していく。
一方、日和は挑戦していた。
「小萩!」
日和の投げた光玉が、ころころ転がる。小萩から離れすぎた玉は、誰かに拾われないよう消していった。
小萩はしばらく、打った頭が痛むのかふらついていたが、やがて目をかっと見開いた。両手を天へ差し伸べる。
見る間に、天は曇ってしまい、雷が一つ、近くの木にぶち当たる。腹の中身さえ揺さぶるような、ずどんとした音が辺りを震わす。
日和はびっくりして立ちすくんだが、すぐに、自分のやることを思い出した。
(絶対に、役に立つんだから……!)
集中する。もっとだ、もっと光を。だんだん、頭が熱くなる。
六葉が急に大声を出した。
「おい……! 何か、ゆだってないか!?」
「え?」
瞬きする。どうも、自分の周辺に薄い湯気が漂っている。
「あれっ? 私、湯沸かしできるんだ?」
声も、心なしか、へろへろだった。
「湯はないが、顔が真っ赤になっている。中止しろ!」
六葉がこちらに寄ろうとする。
二つ目の落雷が、風神の真横をかすめていった。風神がよろける。
「あ、ああああ」
前髪の辺りを押さえて、風神がぶるぶると腕を震わせた。
「神である私に! 楯突くと! 言うのか!」
「あっまずい……! あのひと、すっごい怒ってるよ」
「さっきから相当怒っているが……!」
素早く、六葉が複数の印を結ぶ。指の早さ、呪の言葉の早さで、風神が身構える前にどうにか小萩の上にも結界を展開した。どおん、と、地鳴りがする。風で引き抜かれた大木が、中空で透明な壁にぶつかって、飛び跳ねながら石段の下へ落ちていった。
六葉の膝が折れかけて、日和は慌てて前に回り込んだ。
「だっ、大丈夫……!?」
「何とか……それより、まだか?」
「今、何とかする!」
(どうしよう! 六葉真っ青だったし、風神は怒ったままだし小萩は変だし)
小萩――神を鎮めるのではなくて、怒らせるなんて。巫女のやることではない。
「行けー!」
日和は光の玉の数を増やした。闇雲に小萩にぶつける。
怪我をしないように柔らかくした光の玉は、跳ねながら小萩に当たり、跳ね返ってそのまま消えてしまう。
鬱陶しそうに小萩が顔をしかめた。
「まぁまぁ! 何て小さな術でしょう!」
「小さくても! 小萩がこっちを見るには十分だよ。小萩、六葉が大事なんだったら、仕事増やすのやめようよ」
「分かったような口を利きますのね! 私なんて、訳も分からず地方官との婚儀の日程だけ決められていくのに、それを避けることができないのに……どうして、これ以上、黙っていろって言うんです。私がすることを許されているのは、舞うことぐらいですのよ!」
「小萩、八つ当たりなの? うちだって、父様がよその宴会で勝手に姉様の相手を見つけてきて、姉様にぶん殴られたことがあるけど……」
「そんな、ぶん殴るなんて野蛮な真似、できるわけがありませんわ!」
「風神に落雷当てようとした人が、人を殴ったりもできないの!?」
「そっ、それとこれとは別ですわ」
別などころか、人を軽く殴る方が、風神を怒らせるより被害が小さい気がする。
「人間って、難しいんだね?」
動揺しすぎたのか、小萩の動きが鈍った。
(今だ!)
ぽん、と光の玉が一つ、小萩につけられた紙に当たる。
「やった!」
はがれた紙片を、六葉が放った呪符が追う。紙は燕のように飛び回って逃げようとしたが、呪符を追い払えないと悟ったのか、急上昇するや否や、ひとりでに、びりびりに裂けてしまった。
「小萩! 目が覚めた!?」
「……何がです?」
喜々とした少女に対して、ぞっとする声が応じた。小萩の目が、完全に据わっている。
「あれっ? 小萩? 暴れてたのは、操られてたせいじゃ、ないの?」
「初手は操られていたのかもしれませんけれど、今の、私の、苛立ちは、私自身の、ものですわ……!」
日和は瞬きした。
「六葉、これどういうこと?」
*
「やれ、残念だ……」
沢で獣の血を洗い落としていた者は、静かに呟く。
「できれば燃やしたかったのですがねぇ……まぁ、目撃者の記憶は残らないでしょうし、細かに引き裂いておいたので、術を辿られはすまいでしょうが」
彼は、赤い唇をなめて、空を見上げる。
「それにしても、あの風神が食えないとなると、これだけ準備したものが台無しです」
斜面に、点々と血の跡が残っている。風神を取り囲み、徐々に正気を失わせるための術式だが、風神は立ち直ってしまったようだった。術は一部が無効になったし――おそらく、後日、数人の陰陽師が現状を確認しに来る。これまでは風神が暴れるのをおそれて、人間が近づかなくなっていて好都合だったのだが――後で術を続行するつもりで術式を残していくと、すぐに足が着く。
「やれやれ、忌々しい」
やむなく、彼は片づけを開始した。
*
「しかし、よく無事だったね」
御手洗が顎をさすった。
「様子だけ見て来てもらって、ひどいようであれば数人で組んで奉る予定でいたんだが。君がそういう無茶をするとは思わなかったよ」
「私もそのつもりでおりましたが、様子を見たところ、迂闊に放置できる状態ではありませんでしたので」
「そうかね? 式神で応援要請の伝令くらいできただろう。それとも、参謀殿の妹御がいたからか?」
「確かに小萩がおりました。下の社で入口の神を奉じてうまく鎮めておりましたね。騒ぎに気づいて上の社にも来ましたが、すぐに気を失ってしまいました」
「そうかね?」
簡単な報告だというからついてきたものの、空気は重たくて冷たい。日和は、来なければよかったと後悔していた。
(小萩が操られてたのとか、絶対ばれてるんじゃないかな!? っていうか、報告しなきゃいけないんじゃないのかな)
いくら小萩の兄様が、自分で仇を取りたいから黙っていろと伝令を寄越したとはいえ――考えながら、日和は、自分の衣の中ごろを掴んで震えている。目の前に立つ六葉が、背中を一つも揺らがせずに言い放った。
「そうですね。私の式神が、意識のない小萩の運搬に難儀していたので、ようやく伝令の呪符が飛ばせました。その頃には、風神も落ち着かれていたので楽に済みましたよ」
「最後の部分は合っているのだろうけれどね。私の前に、参謀殿に一枚、呪符を送っただろう」
「保護者に報告するのは当然の処置であったかと」
「そうなんだけどねぇ」
やれやれ、と御手洗が肩をすくめた。
「危ないことをするなとは言わない。普段から、危険な呪詛返し等ばかりさせているし。だが、だからこそ、怪しいものを見過ごすことは、許されない。まぁ今回は、報告通りということにする。くれぐれも今後も無茶をしないように」
「はい。……報告書は明朝で構いませんか。あの嵐でしたので、一晩頭を休めたいのですが」
「分かった。今日はもう帰るといい」
やっと解放される。日和はほっとして、顔をあげた。うっかり、御手洗と目が合う。年かさの人間特有の、見通したような、穏やかな目。それに素早く黙礼された。
六葉が衣を翻す。彼の背が廊下の端を曲がる前に、日和はどうにか追いついた。
「ねえ六葉」
「何だ」
「いいの? 小萩は」
「何がだ? すでに小萩は保護者の元へ運ばれている。問題ない。小萩が目を覚ませば、他の連中が術者の様子を聞くだろう。そこから先、俺の手が必要であればまた呼び出される」
「そういうんじゃなくて」
結局、小萩との勝負はうやむやになってしまった。風神も静かになったけれど、単純に疲れて風力が落ちていったからだ。小萩も、倒れ伏すまで泣いたり喚いたりしていたし――。
「私……でも、頑張ったよ……」
涙が出そうだ。
あの訳の分からない僧侶が出てこないか心配だったが、何事もなく建物の外へ出られる。
「頑張ったよ」
「分かった」
「すごく頑張ったよ、しょぼかったかもしれないけど」
「自分で自分の頑張りを悪く言う必要はない。客観的に見て確かに小技どころの話ではなかったが、お前が光を破裂させて、それに驚いた小萩と風神が気絶したおかげで、何とかなったんだ」
「風神は元気がなかったから、あのくらいで倒れたんだと思うけど……小技って言われると落ち込むよ……頑張ったのに……」
自分でも、なぜ引きずっているのか分からない。六葉が、ぽんと日和の肩を叩いた。
「分かったから。お前はお前なり頑張った。褒美に何がほしい? 帰りに、揚げ菓子でも砂糖菓子でも、両手いっぱいとは言えないが多少は買ってやる」
「えっ!? じゃ、柑子とか」
「あれば、な」
「やった!」
近くの衛兵が、褒美と言えば綺麗な衣とか髪飾りがいいのではないかと、もごもごしていたが、陰陽師とその式神には聞こえていなかった。
「六葉、ありがとう!」
機嫌を直した様子の日和に、六葉はやれやれと息を吐いた。
*
怪しげな楽器類を並べた部屋で、僧形の男は、ため息をついた。経緯をあらかた説明した妹は、気分が悪いとか言ってごろ寝している。
「お前なぁ。子狸、子狸って。あれをあんまりいじめてっと、神罰下るぞ」
「え~、お兄様は何を仰っておられるんですかしら~? 髪の毛と一緒に知性もなくしちゃったんです?」
「髪ぐらいでなくすか。お前と一緒にすな」
妹の隣で威厳なくごろ寝していた男は、のそりと起きあがって、木の札で卓を叩く。
「そもそも分かってるか? 陰陽師は呪いが主。こっちは浄化と救いが主」
「それは存じておりますわ」
つんと顎をあげた少女に、男はため息をつく。
「浄化も、そもそも神を奉って、会話のできるものに治めるという意味があった。僧侶にとっちゃあ仏は救い手だが、神を奉る者は相手とは食うか食われるかの関係。そして陰陽師は」
「神をも食う、でしょ? でもそれやってるのは、あの変態陰陽師だけでしょう。六葉様はそんなことなさらないわ!」
「……どうだかなぁ」
「そんなことよりも、食うと言えば加西です。この私を罠にかけたこと、決して許さないでくださいませね。記憶がすっかり斑(まだら)になって、ほとんど思い出せませんけれど、女みたいなむかつく輩、というのだけ覚えてますのよ」
「お前をはめたことより、風神やらの社周辺に大結界を仕掛けようとしていた、ってことの方が気がかりだな」
「まぁ」
小萩は微笑み、近くにあった楽器のばちを兄の顔に叩きつけた。兄は、癇性(かんしょう)な妹の性格をよく把握していたので、ひょいとばちを回避する。無論いい顔はしない。
「ま、気をつけるに越したことはない。先に事情を把握したかったゆえ、六葉に内密にと依頼はしたが、配下があらかた調べ終えたら、術司にも事の次第は伝えるから、そのつもりでおれ」
「そうでしょうね」
「一応、その子狸にも感謝しろよ」
「兄様も、子狸呼ばわりなさってるわ」
庭の緑を眺めてから、兄は視線を転じる。そっぽを向いた小萩の背を見下ろして、無事でよかったなと呟いた。
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