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 海。

 私はたまに海に行き波打ち際を歩く。波の音を聴き、寄る波、引く波を見て、水平線を探す。そして足元のシーグラスや貝殻を拾って瑠夏に持ち帰る。猫と違って、魚は家で留守番させていても何の心配もいらない。魚は目が良く人の顔を覚えるが、私が帰らなくても寂しいなどとは思わないだろう。水平線の右端には必ず江の島がある。それが私にとっての海で、生きていくために海は必ず必要だった。


 今朝もカイとラナの水槽をくっ付けて並べてみた。昨日攻撃を受けたラナはえらを拡げて威嚇している。二匹は水槽の壁を隔てて睨み合うように激しく泳ぎ回っていた。今度はカイをラナの水槽に入れてみる予定だった。でも手が動かなかった。コットンのノースリーブワンピースと薄手のパイル地のパーカを身に纏い、スニーカーを履いた。もしもベタの繁殖が成功して、ヒカリメダカのように稚魚が溢れ返ったらどうすればいいのだろう。どれくらいで雌雄の見分けがつくようになり、どれくらいで雄を一匹ずつの水槽に分けないといけないのだろう。慧くんに連絡すれば後は全て任せられるのだろうか。

 ヴァンズに合うジーンズが欲しい。でも選ぶ気力がない。誰かに買ってきて欲しい。いや、本当は服など欲しくないのかも。今日の服、明日の服、毎日誰かに選ぶのを任せたい。本当は生きていることを誰かに任せたい。

 砂浜に寝転がる。ネイビーのスニーカーの間に水平線を見つける。

 水平線など探さなくてもいつでもそこにある、と言える人は幸せだ。それは、私も含めて。

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