第49話:自分―Others―
夕食を終えるとホウセンカのクルーは基本的に職務から解放される。これは決まりではなく暗黙の了解みたいなもので、中には自主的に作業を続ける者もいる。特に技術者は来るべき最終決戦に向けて急ピッチで作業中であり、たとえ割り振られた休憩時間であっても作業を手伝うぐらいに忙しい。
だが逆に言えば、この時間には何もしなくていい人物も存在する。その一人は一日を暴れまわり、疲れ果てた子供達を個室で寝かしつけてからフリースペースで一服をしていた。彼の表情には軽い疲労こそあったが、充足感が確かに内在していた。
「ん?」
「あ……」
コーヒーを口に含んでいたテルリはキョロキョロと挙動不審に彷徨っていたニーアを発見した。視線が重なり、ニーアが息を吐くような声を漏らす。どうにも、テルリを探していたような反応だったので、コーヒーを飲んだまま彼を手招きする。
ニーアは一瞬、彼の誘いを断ろうと考えたがグレイの助言を思い出しテルリと同じ部屋に入った。テルリはそんな彼に、買い置きしていたのであろう自分が飲んでいるコーヒーと同じ物をニーアに渡した。
「甘いのいけるか?」
「え、あ、はい……」
「緊張すんなよ。こんな図体してるが意外と中身は弱いからな」
カフェオレを飲めるかを確認したテルリは、ニーアが明らかに緊張をしているのに気付き、そう自分から皮肉交じりに冗談を言った。確かにテルリの体格は良く、サングラスを常時かけていて似合っているため、彼をよく知らない人物から見ると恐怖感を覚える。だが、実際の彼の性格を知っているニーアは、そのような第一印象から来る恐怖ではない、別の物に緊張をしていた。
「ん……あぁ、そっか。考えてみれば俺とニーアが二人になって話し合う事なんてした事なかったな。だから緊張をしているのか」
「はい……よく解りましたね」
「これでも長年相談役をこなしてきたからな。グレイやキノナリ、ツバキやヒューマの相談役もしているからな」
長年、あの頼れる大人達を支えてきたと言うのは嘘ではないらしく、ニーアの纏う雰囲気だけで彼の思い悩んでいた緊張感を言い当てる。自慢げにしているが、十分に自慢をしても悪くはないほど凄い事だ。
グレイの言っていた事は間違いではなかった。いつもは弄られ役であったり苦労をしているイメージが強かったニーアは、テルリがこれまでとは一転して凄く頼れる人物に見えてきた。だからこそ、ほんの少しの躊躇いを押し込めて自分の中にある闇をテルリに語る。
「テルリさん。僕は――――」
自分が八年前より過去の記憶がない事。自分という存在がよく解らない事。キノナリとグレイに相談したら、キノナリが泣いた事……それらを全てテルリに拙いながらも伝える。
テルリはニーアが語り終えるまで、小さな反応こそ見せど、黙って最後まで彼の口が止まるまで耳を澄ませて聞いていた。単調な相槌ではなく、感情の篭った相槌がニーアのメッセージに油をさして滑らかにする。
「――――なるほどな」
全てを聞き届けたテルリはニーアが手渡されたカフェオレを口に含む中、短く納得するようにそう呟く。ニーアはテルリが自分のこの悩みを聞いてどう思ったのか、それが気になって少量のカフェオレを口に含んで缶を口から離す。
腕を組み、フリースペースにあった長椅子に腰を掛けたテルリは、その光の加減で見る事が叶わないサングラスの中の瞳でニーアの顔を見つめた。
「大まかに理解した。キノナリは色々昔あったからな。お前に感情移入をしてしまったのだろう」
「色々ですか?」
「あぁ。あいつも自分を見失っていた時代があったという事さ。まぁ、他人の過去をズケズケと語るのはお門違いだ。ここから先はお前の話をしよう」
そう言ってテルリはニーアを自分と相対する椅子に座るように促す。自分と同じ立ち位置に、自分と同じ高さの椅子に座る事により、真に平等に相対する相談者として迎えるのだ。
ニーアはテルリの心意気を理解したわけではないが、用意してくれた物を無下に扱う事が出来ないと思い、少し座るのに苦労しながらもその長椅子に座った。
「お前は結局、自分がよく解らないと言っているわけだ。まぁ、誰しも悩む事だからな。仕方のない悩みではある」
「そうなんですか?」
「お前の場合は少し特別だ。だが、答えは結局のところ同じだ」
テルリが答えを知っているような言い方をするので、ニーアはキツツキのように身を乗り出てテルリを見つめた。ずっと考え続けて答えが出なかったその悩みをテルリが知っているとなれば、このような態度にもなろう。それは見方からすれば、すぐに答えを聞きたがる小学生にも見えてしまう。
だがテルリはこういう反応をするだろう、とある程度の予測をしていたので、ニーアのすぐに他人に答えを求める態度に何も怒りすら覚えずに、冷静にそして尊厳のある声で断言した。
「答えはない。自分なんぞ、解るわけがないだろう」
その答えに思わずニーアは身を乗り出していた事もあってか、態勢を崩してこけ落ちそうになる。それをテルリは咄嗟にニーアを両腕で掴み支え、元の態勢に戻してやる。
拍子抜けた答えに感じたのだろう。実際、テルリの言っている事は思考の放棄に近い結論だ。解るわけがない。誰もが一度は通り、しかしそこに至らぬように抗う迷宮の諦めると言う選択肢。しかしテルリは暴論を無造作に言い放ったわけではなく、冷静にニーアに己がその結論に至ったかを説く。
「例えば、お前は今のお前の全てを知っているか?」
「解りません。記憶はないですし」
「だろうな。これは記憶があってもなくても、結局のところ本人には解らない事もある」
例を出すとすれば、無意識からなる仕草や癖。口調であったり、他人から見た自分の評価も入るだろう。自分という存在を作り出すのに不可欠なのは外的要因であり、外的要因が自分を作り出しているのであれば自分がそれを認識するのは難しいのだ。
だが逆もある。
「では、お前は他人が自分の全てを知っていると思うか?」
「それはないと思います……」
「当然だな。他者が他人を全て理解できないのと同じだ」
自分でしか解らない事もある。感情、思考、思想、欲望……。そのような事が、全てが全て他者に伝わるわけがない。自分という存在に内在する物なのだから。外的要因が理解できるはずがない。
ましてやそこには認識の祖語や誤解が発生するわけで、結局は他者が自分の全てを知っているわけがないのだ。
「これで解るように。結局、自分というものは曖昧で、かつ確定的なものだ。定義するには果てしなく難しいのに、確実にそういう存在はある。何より、それは俺達を俺達とするためのものだ」
「…………」
「あぁ……難しいか。そうだな……」
テルリの持論に追いつけなくなったニーアを見て、テルリは右手を顎に持ってきて、考える人のように物思いに沈む。難しい考えであるが、それを砕く意見にするのはこれまた難しい。
しばしの唸り声が終わった後、憑き物が落ちたように、または考えるのを止めたように軽快にニーアに結論を言い渡す。
「難しく考えるな。キノナリが言っているように、お前にとっての自分はニーア・ネルソンだ。スミスはそんなニーアに、無茶をせずに生きて帰ってきてほしいと願ったに過ぎない」
「……たった、そんなこと……」
「たった、じゃねぇよ。大事な事だ」
結論に納得がいったかのようなニーアの呟きにテルリは食らいつく。そのたった、それだけの願いはニーアという存在の存続を意味する大事な言葉だ。
「他者が自分に生きていてほしい。そう願ってもらえるほど素晴らしい事はない。スミスはお前を必要としている。お前はそれに応えればいい。願われた人間としてな」
「応える……」
テルリはそう言って無くなった缶コーヒーをゴミ箱に捨て、フリースペースの外の自販機へ金を持って一時的に退出する。伝えるべき事は伝えた。あとはニーアがどうスミスに応えるか。それだけだと断じているような行動だ。
ニーアは――――まだ思う事があったのか、テルリに次に会った時は謝ろうと心の中で思い、まだ残っていたカフェオレを飲み干して、テルリが出ていった扉とはまた別の扉から出ていく。
月は満天の星空の主として煌びやかに輝きを見せる。夜は深まり、そして闇が世界を埋め尽くす。その中、少年は彼に出会うためにホウセンカを駆け抜けた。
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