第46話:今後―Name―

 ヒューマは自分の手を見つめた。今はもう、人本来の肉体ではない。特殊な、それこそツバキが見つけた生物の肌と同じような性質を持つ金属、バイオニゥムという物質に置き換わっている。厳密にはその劣化品の変異バイオニゥムであるが、だからこそ彼を人間と、ハッキリと言えるわけではない。

 でも、ニーアはそんな自分をヒューマ・シナプスと言ってくれた。この名も、人間ではなくなった時に名づけた名前であるが……この名前は同時に、自分の人間への証明でもあった。


「ヒューマ。この名は偽名であるが、俺は一つの意味を託したんだ」

「意味、ですか? ていうか、偽名だったんですか!?」

「今更驚く事か? テルリだって偽名だぞ。あれはコードネームだ」


 えぇッ!? と驚くニーアを見て微笑むヒューマ。ニーアの人生経験も少ないだろうし、仕方のない事だがこういうオーバーな反応をしてくれる辺り、ニーアは純粋だ。だからこそからかうのは面白いのだが、話が脱線してしまうのでこれ以上の冗談は控える。


「まぁ、色々あった人生でな。こんな体になって、顔の面立ちは残してくれたが戸籍上は死んでいる。だから、ツバキの夫として彼女の家名を継いだ。そして、自分の名前を決める時になって、俺は人間であり続けたいと願った」


 そう言う意味ではツバキに迷惑をかけっぱなしの人生であるが、彼女が自分を求めて蘇生させたのだから、両成敗だろう。それに、長い付き合いだから恨みっこなしだ。妻と夫という関係に至り、子供も持った。人間ではないヒューマは人間の幸せを会得しているのは、その名前があるからかもしれない。


「人間。英語ではヒューマンと呼称される。俺はそこから名前を付けた。過去は人間であり、今は違っていても俺は人間であると。そう言い続けるために」

「いいですね。何気なく言っていた名前でしたけど、意味を知るとより一層、素晴らしい名前な気がしてきました」


 そう言ってくれると助かるな、とヒューマは軽快に笑った。ニーアとの壁が無くなった気持ちだ。これからも隠し通す秘密であるが、それでもここならそれを曝け出す事が出来る。こんなに気持ちのいい時間は久しぶりに感じていた。


「ネーミングはそれこそ重要だ。ブロード・レイドだって、ツバキが名づけた名前で意味がある」

「えーと、和訳すると大雑把な襲撃でしたっけ?」

「違う! って、そんな意味なのか!? ……確かにそのままの意味を調べればそうなるが、違う意味なんだ」


 ニーアの和訳に驚愕するヒューマであったが、気を取り直すように一度咳払いをして話を続ける。よほどその酷い和訳に思うところがあるらしい。


「ロード・ブレイド。剣の王様。大層な名前だが、俺は気に入っている」

「……子供っぽいですね」

「ツバキだからな」


 それでは仕方ないですね、と納得が出来てしまうツバキもツバキである。とはいえ、流石にこの名前で呼ぶのは恥ずかしくて、「ブ」の部分を語頭に持ってきたのはヒューマでもあるが。

 でも、ツバキがこのような形容をするのも間違いではない。戦争を終結させた機体、一際大きい剣を扱うRR、その系譜の機体なのだ。このような名前を与えても不似合いではないだろう。


「名前か……」

「ニーアも付けたらどうだ? 愛機に名前を付けるのはいい物だぞ?」


 その問いかけに、ニーアはすぐにはい、とは言えなかった。代わりに浮かべたのは曖昧な笑顔と、漏れる苦笑だった。



     ◇◇◇◇



 ヒューマの部屋から退室し、ゆっくりとホウセンカの中を歩く。頭の中に反響するのは先程のヒューマの言葉だ。愛機に名前を付ける。簡単な事のはずなのに、なぜか名前が思いつかない。

 それは、まだ彼の中にギアスーツへの抵抗があるからか。ニーアは自分のその事すら解らなかった。


「って、ニーア。どこに行ってたのさ」


 気づけば、いつの間にかギアスーツのデッキにまで到着していたようだ。悩み事をしていると時間が経つのは早いものだが、よく柱とかぶつからなかったなぁ、と一人感心しながらも声を上げるスミスの元へ歩く。ギアスーツデッキは忙しい様子で、運ばれてきた資材でホウセンカを修復する組とギアスーツの整備をする組に分かれて活動している。スミスはギアスーツの整備組らしく、先程まではグレイのギアスーツの整備を手伝っていたようであった。


「ごめん。ゆっくりしてた」

「はぁ? まぁいいや。トロイド博士が呼んでいるから、一緒に行こうぜ」


 スミスに誘導されてギアスーツデッキを歩いていく。前回の戦いで被害を被ったのはブロード・レイドで、現在はブロード・レイド担当の技術者で修復中らしいが、資材不足で手間取っているらしい。とはいえ、ニーアのカルゴも武装の使い過ぎで現在の状況では運用もままならないようだが。

 スミスに連れられて、フリースペースに向かう。スミスが言う限り、トロイド博士に集められているのはギアスーツのパイロット、技術者の代表者数名、そしてホウセンカの主要メンバーである。


「すみません、遅れました!」


 スミスがフリースペースに入り開口一番にそう大声で言った。どうやら自分達以外は揃っていたらしく、世間話やそういう類の事をしていたらしい。

 入ってくれ、とスミスとニーアをトロイド博士は招き入れ、先程までの会話をしていた表情から一転、真剣な表情に変わる。心なしか、着けている眼鏡も光が反射して怖く見える。


「さて、ホウセンカ艦長、ツバキ君がいないのが惜しまれるが、我々は次なる行動をとらなければならない」

「海賊の動向、解っているのか?」

「それに関しては追々に。順番に状況を整理していこう」


 トロイド博士が用意しておいたホワイトボードに現在の状況を書き揃えていく。皆が黙々とその字を目で追う。途中参加のはずのトロイド博士であったが、その内容は全体を捉えていた物であった。


「現状、ホウセンカはエネルギー不足により移動が不可能。資材もそこまで余裕がない。何より、主戦力であるヒューマも休養中。正直、今すぐに動き出すのは不可能だ」

「補給に関してはあと数日もすれば到着するけど、大きなタイムロスよね……」

「それに、また海賊がやって来るかもしれねぇぞ!」


 キノナリが補給によるタイムロスを懸念する中、テルリは現状の無防備さを嘆く。実際あの戦闘も、ヒューマがいたからこそギリギリを生き延びた。だが、もし補給が届くまでに海賊がやってきたら、今度こそホウセンカは沈められてしまうだろう。

 だが、トロイド博士はそれの対策を練っていた。いや、彼の存在こそが対策であった。


「向こうが能無しのバカであれば、ここで攻撃をしてくるだろう。しかし、向こうを仕切るのは世界機構の議員だ。そうとなれば、私の関与によって攻めるにも攻められない状況になっているはずだ」

「博士は世界機構に所属しているギアスーツ開発のスペシャリスト。向こうとて、今後の事を考えるとトロイド博士を失うわけにはいかないわけか」

「そういう事だ。それに数度のギアアーマーの使用は向こうも厳しいはずだ。世界機構の議員だって人間だ。信頼にも限界がある」


 ギアアーマーの運用には莫大なエネルギーコストがかかる、それが二回連続で使用されたのだ。アカルト議員がいかに世界機構の議員であれ、エネルギーの補給を受ける時間、それに量にも限りがある。

 ギアアーマーの弱点と、トロイド博士の存在によって助かっているこの状況は大変脆いものだ。だが、少なくとも数日の猶予は生まれた。その間に補給を受けて移動し、海賊の手から逃げる必要がある。


「さて、その海賊の動向の話だ。私のコネとある一人の優秀な人員を使って、現在海賊はその本拠地で滞在している事が判明した」

「……モモちゃん?」

「あぁ。結婚して専業主婦になったはずなのに、パートという口実で我が艦隊の通信員をしてくれている。結婚した男も可哀想に。あんな仕事人間を選ぶから……」


 ニーアとスミスはそんな話をされてもチンプンカンプンであるが、トロイド博士の優秀な人員は十年前にグレイやキノナリ達と共に戦っていた仲間の事であった。キノナリがあだ名で呼ぶあたり、とても仲がいい仲間であるようだ。

 そんな彼女から得られた情報により、海賊の居場所と現状は解った。問題はその後だ。


「さて。ここからはツバキ君もいてくれると助かるのだが……まぁ、いないのなら仕方がない」

「いるよ」


 トロイド博士が額に手を当て眠り姫であるツバキの事を案じていると、急に部屋の扉からそのような声が聞こえたので皆が驚いてそちらに振り向いた。

 そこには、明らかに目にクマが残った三十歳入りたての女性が元気よく手を挙げていた。が、その元気は明らかに空元気なのは言うまでもない。皆が心配してどうにかしようと慌てる中、ふらふらとトロイド博士の横に並び立つ。


「……大丈夫か?」

「頭はフル回転なので大丈夫ですよ。うん、たぶん、きっと、そう」

「ふ、不安だ……」


 テルリがこの場にいる皆の思っている事を代弁しながらも、ツバキを加えた今後の動きの説明が始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る