第八章 砂漠の国の攻防戦、異界人同士の遭遇 後編

 次の瞬間、晶の全身を衝撃が襲った。


「——んぎッ」


 不随意に身体が跳ねて、手足が痺れる。


「はっはァ——どうよ、俺の雷撃ライトニングボルトは。まじパンクだろォ?」

「……っ……これ、魔法じゃない、ね……? でも……変、だ……な……」


 くずおれ倒れる晶に、悲鳴が上がった。


「晶さン——!」

「おっと……大げさだなおい、ちょっと痺れさせただけだろォ?」


 鼻っ柱をかきながら将人が言う。どこか弁解めいた調子だった。が、それで許す気になれる祭理とアイシャではない。進み出た祭理が、槌矛を正眼に構える。


「巨乳ちゃんは……その格好は治癒師ってやつだろ。別にやりたければ相手するけどな、あんたが怪我したら、治す奴がいなくなるんじゃないのかァ?」


 なんとなく気が抜けたような将人に、祭理は無言で対峙する。


「さっきの先陣切ったチビで、お前らの力量はだいたい読めてるしなァ……悪いことは言わねえよ、街に入りさえしなけりゃ俺は構わねェんだ。零士のやつに言われたのはそれと、偉いさんがこっちから逃げようとしたらとっ捕まえろってだけ……遊べるかと思ったが、弱いものいじめはしたかァねぇよ」

「——弱い犬ほど、よく吠えるって言いますよね〜」

「あん?」


 びしり、と。

 将人の眉間に亀裂がはいる。


「パンクじゃねえか、巨乳ちゃん。ちょっと痛い目みたほうがいいようだなァ——っとぉ」


 問答無用とばかりに槌矛メイスを振り上げた祭理を見て、将人は笑った。


「怖い怖い……むきになんなよ。って、なんだそりゃ魔法か?」

「——。——。——」


 祭理が、かすかな抑揚付きの囁きを始めると、彼女の全身が淡い光に包まれる。

 目を細めた将人に向かって、槌矛メイスが振り下ろされる。将人はあろう事かその一撃を左手一本でキャッチした。


「女にしては腕力あるが……この程度じゃ蠅が止まるぜ。……っ?」


 将人は槌矛を掴んだまま離すつもりなどなかった。が、握力を上回る力で引き戻されてしまう。将人にとっては予想外の展開だった。

 祭理の口は今も何らかの言葉を紡ぎ続けている。

 ……ちっ。

 将人は舌打ちする。

 彼の仲間である瞑が、神器を用いた一流の魔法使いであるから、将人は長い詠唱が危険な魔法をもたらすことをよく知っていた。

 ——仕方ねえ、やるか。

 そう思ったとき、次の一撃が将人を襲った。再び受け止めようとして、今度の打撃がさっきのよりも遥かに速いことに気がつく。

 

「ッ」


 受け止めるのではなく、掌底に変えて弾いた。重さがまったく違う。先ほどとの比較で倍に近い威力になっていた。目の前の女が本気を出したのか。いや——。

 将人の目と耳が、祭理が続けている何ごとかに集中する。

 そしてひらめいた。


「——呪歌ってやつかァ!」


 答えは連撃で返ってきた。

 殴り、突き、振るわれる。

 一撃一撃がすでに女の力が云々出来るレベルではなく、プロ野球選手のスイングのようで、しかも大ぶりはしない隙のない攻撃だ。

 手の平だけでは捌ききれなくなって、肘や腕でも受ける。

 受けた部分が衝撃を殺してはいるが、痺れたような痛みと衝撃が腕に積もっていく。

 間違いない。

 呪歌による自己能力増幅セルフエンチャントだ。

 音楽好き——もちろん、パンクに限る——な将人が、そういう魔法があると聞いて練習してみたが、高度な音感が求められる上に、実戦で使うには歌いながら接近戦をするという頭のおかしい集中力が必要な習得の難しい技術だったから、結局諦めてしまった。


「ま、しみったれた歌ばっかりだったしな……」


 後方に下がりながら、この一年で手に入れた知識を思い出した将人がそう愚痴った。


「なんだっけな、確か続ければ続けるほど効果が蓄積していくんだよなァ。しかも魔法の一種だから、俺らみたいな地球人が使えば、短い時間でもかなりの威力ってわけだ。おい、あんた、気に入ったぜ! 名前を教えてくれよ! そんかわし、俺が無敵な理由を教えてやるからよっ」

「……確かにそのキラキラ光るのはちょっと気になりますね〜。私の名前は垂枝祭理たれえだまつりです〜」

「俺は飽浦将人あくらまさとってんだ、よろしくなァ!」


 よろしくする気のない祭理が返事を返さずにあっさりと呪歌に戻ってしまうと、将人は苦笑した。


「まあいいさ、せっかくだし教えてやんよ。俺はこういう——もんだ——」


 どういう仕掛けなのか、言葉の途中で将人の全身が服ごと虹色の粒子に変わっていく。キラキラと輝きながら散っていったそれは、次第に見えなくなり——。


 ……もしかして、逃げちゃいましたか〜。そんな人ではなさそうですけど〜?

 と、思った祭理のすぐ側に。

 再び光る粒子がちらほら見えたかと思ったら、一気に粒子の数が増大し、その直後、将人が姿を現した。


「——どうよ?」


 自慢げに笑う将人に、一歩引いてから祭理が問う。


「……あなたは、一体、何者ですか〜? 日本人……なんですよね〜?」

「正真正銘、ただの日本人よ」

「ただの人間には、そんなことできませんけどね〜」

「ま、いろいろあってなァ。で、悪いんだが、俺ァこういう身体だから、いくらお前が頑張っても意味はねェぜ? ほらあれだ、って発想じゃあ相手になんねぇよ」

「……ああ、なるほど〜」


 とぼけた表情のまま、うんうんと祭理が頷いた。なんで自分の正体を明かすなどと言い出したのかと思ったら、つまりは降伏勧告ってことだったらしい。

 そんなことを言われても引くつもりはない祭理だったのだが。


「分かったなら、そろそろ諦めて帰れや……もう時間のはずだからなァ」


 その言葉とタイミングが同時だったのは偶然か、はたまた必然か。

 大地を揺るがす衝撃音が遠くに響いた。


「時間……って、このことですか〜?」

「俺の仲間がなァ。この戦争の切り込み隊長やってんだが、太陽が中天に昇るタイミングで、向こうの正門をぶちこわす手はずになってたんだ。もうこの街は落ちたも同然だぜェ。何の用だか知らないが、諦めて帰るんだな。数の減った守備隊と聖剣の勇者付きの聖王国の軍隊じゃ相手になんねェよ」

「そうですか〜」


 この女のふわふわしたノリは、どうも調子狂うなと思いつつ、将人は祭理に対して首肯してみせる。この街の攻防戦はこれで終わる。ローデシア聖王国軍の勝利だ。別に破壊と不幸をまき散らすような蹂躙を予定しているわけではないが、刃向かう兵士はすべて殺すことになるだろうし、そんな場所に同じ日本人の女子供を踏み込ませたいとは思わない。

 そう思っていたから、祭理の次の一言には憤慨した。


「じゃあ、急がないといけませんね〜」

ッッ!」


 将人が吠えると、衝撃が炸裂した。

 弾き飛ばされた祭理が、反射的に閉じていた目を開くと、えぐれた大地の中心に立つ将人と舞い上がる土煙が立ちこめる。


「……ちっ。切り札のつもりで出し惜しんでたんだがなァ……まあいいか、これが俺の切り札、ッ——よ」


 再び将人の口が大きく開いて、叫び声が発せられると、大気が波打つ衝撃波が巻き起こった。


「……っくう」


 槌矛を盾にした祭理がその不可視の攻撃に押される。祭理の長めの髪が跳ね上げられ、地面に食い込んだ靴のかかとが、ずっ、と音を立てて後ろに下がる。

 

「これは、音波、ですね〜……しかも、魔力が加わっています〜」


 二度の攻撃を受けて、その不可視の波動の正体に気付いた祭理がそう呟くと、将人がカカッと笑った。


「俺は、呪歌は使えるようにはならなかったがなァ……単に破壊力を乗せるだけなら今の俺には簡単なコトよ——どうだ、驚いたか?」

「魔力を込めるのに事前動作なし、虹色の霧に変わる能力、そしてさっきの帯電——間違っていたらごめんなさい——将人さん、あなたはもうのですね〜」


 どことなく遠慮がちに祭理が指摘すると、将人は笑って肯定する。


「ま、色々あってな。そんなことより、次々に行くぜェ——?」


 再び大口を開けて、音波攻撃を繰り出そうとした将人の視線がつと祭理から外れた。


「唄う冬の乙女、嘆く氷の巨人、幽冥たる白き狼、氷河氷山の果ての水晶宮——」

「いつの間に目を覚ましやがっ——やべェ!?」


 将人が跳ねた。


「——氷冥宮コキュートス


 寸前で回避した空間に生まれる蒼く煌めく等身大の六角柱。

 びきびきびき、と心も凍らせるような恐ろしげな響きと共に、生まれたばかりのそれが数多の亀裂に覆われ、そして砕け散る。

 大気の他は何もなかった空間から、溢れ出る冷気。氷の残滓が輝く破片になり、そして融けてになる。シュウシュウと音を立てて再び気体に戻っていくがすべてが気体に戻るのはまだ時間がかかりそうだ。

 氷雪系魔術最高峰の一つ、氷冥宮コキュートス

 その標的に捉えられると、それがたとえ原始の炎であっても凍結させると言われる危険きわまりない魔術である。

 放ったのは、ようやくしびれがとれ、立ち上がったばかりの晶だ。

 氷冥宮コキュートスは、地中庭園で晶が石食いを退けるに使った氷嵐アイスストームと同様に氷雪系の高位魔法として位置づけられているのだが、実のところ、高位というよりも最高位といったほうがいい。

 この世界広しと言えども、使えるのは宮廷魔術師や導師と呼ばれる水準に至った大魔術師のみ。そんな魔術の深奥の一角であった。

 そして、この魔法が晶がでもあった。


「て、てめェ……手加減してやがってたのか……やられ役の火炎使いかと思ってたぜ」

 

 完全に回避できていたはずの将人の半身の表面に、真っ白な霜が降りている。

 見た目ほどのダメージはないようで、普通に腕を動かして付着した霜を振り払っているが、動揺は隠せていない。


「氷雪系もそういう意味だとやられ役っぽいよね……じゃなくって。ただ力加減が出来ないだけなんだよね。使……」


 地中庭園でも、さっきの戦闘でも、まずは火の魔法を使っていたのはそういう理由だった。異界人特有の魔力異常に関連するものなのかどうかは分からなかったが、晶には氷の魔術に異常な適性がある。

 それは魔法を習い始めて最初に実施した、適性をはかるための儀式で明らかになった。

 ところが、練習のために氷生成クリエイトアイスの呪文を唱えても一向に魔法が発動できなかったのだ。

 そして、師匠の冗談半分の指示に従って、最高峰の魔法の一つである氷冥宮コキュートスを唱えてみたところ、あっさりと成功したのである。

 その後、さらに練習を重ねていったところ、どうやら使という不可解な事実が判明した。

 これまた、数百回ほど氷生成クリエイトアイスを唱えて、まったく駄目だった後に氷冥宮コキュートスに成功しまくっているのを見た師匠が「じゃあこれはどうよ?」という感じで氷嵐アイスストームを試させるまで判明しなかったのだが。

 ともかく。


「キミになら、多少ぶちかましても大丈夫っぽいからねー。そう……これがボクのってわけ」


 下がってきた祭理と肩を並べて、晶がどや顔でキメた。

 その後ろ、門に近い位置に旗を掲げたまま立って要素を見ているアイシャが、ほっと胸をなでおろした。


「——ほォ。言ってくれるじゃねェか、だが、それで勝ったと思うなら、まだ甘ェ。俺がはこんなもんじゃねェぞ!」


 一喝すると、全身を赤く光らせる将人。みなぎっていく魔力と熱量に、晶と祭理は——


「あらあらまあまあ〜。自信をお持ちですね〜」

「ふふ、もう勝負は付いたってのにねー?」


 しかし勝利宣言をするのだった。

 

「あん?」


 張り詰めていく力を一瞬緩めて、疑問を浮かべた将人に晶は行った。


「ボクの後ろ、何が見える?」

「あ、援軍でも来るってんのか……って、おいまさか」


 肩を並べて立っている、おっきいのと小さいのの組み合わせの日本人の少女二人がいて。そしてその向こうには銀髪に褐色の肌というエキゾチックな少女——こっちもおっきいほうだ——の後ろにある、


「手前、逃げる気かっ!」

「詠唱省略で——氷嵐アイスストーム!」


 氷の暴風が将人の目の前で爆裂した。流石にたまらずたたらを踏んで、荒れ狂う嵐が済むまで両腕で顔をかばう。そして一分かそこら経って、吹きすさぶ氷塊混じりの嵐は消えた。

 視界には、背を向けてすたこらさっさと駆けだした晶と祭理と、合流したアイシャ。

 この距離はそう簡単には追いつけないし、将人の力の秘密である特殊な機器を全力で稼働させて追いすがったとしても、もう一発でも二発でも氷嵐アイスストームを撃って足止めされるのは必定。

 ここから逃げる高官がいたら絶対に逃がすな、と零士に言われている将人が、この場を放って街内に入って追撃戦をするわけにもいかない。少なくとも、緊急念話用の魔導具を利用して、了解を取ってからになるから追いつけるかどうかは怪しいものだ。


「……やーい、ばーかばーかっ」


 結局、将人はわざわざ立ち止まってあっかんべーをしてくる晶に、歯ぎしりすることしかできなかった——。

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